ひげを剃る。そして女子高生を拾う。 ~沙優視点編~

水鏡 智貴

第1章 制服と偽りの笑顔

第1話 おひげのサラリーマン

「おじさん、泊めてよ」


 人通りが少ないT字路。

 私が知らない男性にそう声をかけたのは、十人は優に超えていた。もしかすると、二十人目ぐらいかもしれない。

 耐えがたい環境から逃げるため、私は半年間も出口の見えない旅を続けていた。

 家を出たときにはあった三十万の所持金はとっくの昔に底を尽き、今はただ、憐れんで助けてくれる男性を探すだけの毎日を送っていた。

 お酒の臭いをぷんぷんさせたサラリーマンが、奇妙なものを見るように、体育座りする私を見ていた。

 街路灯に淡く照らされ、イケメン顔がはっきり見える。優しそうな目に、堅物そうな顔立ち。生えかけのお髭が特徴的な人だなって思った。


「お前なぁ、会ったばかりの『おじさん』についていく女子高生があるかっ!」

「でも、今日帰るところないし」

「駅まで戻れば、カラオケとかネカフェとかあるだろが」

「お金もないの」

「じゃあ俺の家には無償で泊めろって話か?」

「あーーー」


 私はうんうんと頷いた。

 私は制服姿だから、おじさんは私が女子高生だと気付いた。そして気付くと、だいたいの男性は女子高生というブランドを意識してしまう。おじさんも直接口には出さないものの、JKが大好きで、無償はダメだと言いたいんだと思う。私は立ち上がった。


「あ、何だよ」

「ヤらしてあげるから泊めて♡」


 私は小首を傾げ可愛らしく言ったつもりだったけど、おじさんは何故か鼻で笑い、遠くを見るような目で固まってしまう。

 口に出せなかったことを言ってあげたはずだけど、違ったのだろうか? おじさんは夜空を見上げ、ブツブツと何か言っているようにも見える。


「お、おじさん?」


 私が理解を超えた反応に戸惑っていると、いつしかおじさんは考えがまとまったらしく、私を睨んでいた。


「そういうことを冗談でも言うんじゃねえよっ」


 説教されてしまった。でも、驚くようなことじゃない。

 今まで出会った男性も説教してくる人はいたし、優しい言葉で誘ってくる人もいた。でも口だけって感じで、視線がどこに向けられているかは丸分かりだった。夜中に女子高生に声をかける男性は、だいたい下心があることが経験から分かっていた。


「冗談じゃないって。いいよ?」

「こっちが、願い下げだっ。ガキくせぇ女を、抱けるかっ」

「ふ~ん」


 思った以上にガードが固い。でも、リスクを冒してまで女子高生に声をかけているのだから、下心がないとも思えない。自分で言うのもどうかと思うけれど、客観的に見て、私の容姿はかなり良い方だ。可愛いと思ったから私に声をかけたんだと思う。

 私はとびっきりの笑顔を作った。


「じゃぁ、タダで泊めて♡」


 我ながら会心の笑みだと思ったのだけど、おじさんは逆に私がビックリするぐらい、目を白黒させていた。


  *


「お邪魔しまーす」


 作戦はことごとく失敗したけれど、おじさんは結果的に家に上げてくれた。

 辺りを気にしていたから、私を憐れんでということじゃなくて、当面の面倒事を避ける為に上げてくれたんだと思う。私を家に招き入れること自体、それがリスクではあるのだけど。


「いいか。お前が泊めろって言ったんだからな」


 ワンルームのアパートの玄関で、私がローファーを脱いでいると、おじさんは念を押すように言った。


「うん。そうだよ」

「誘拐じゃないからな」

「はは、ウケる。分かってるって」


 昨日は野宿だったから、今日はできれば泊まらせてくれる人を探したかった。

 誰でもいいってわけじゃない。私だって生理的に無理な人はいるし、女である以上、酷いことをしそうな男性には声はかけられない。できることなら優しい人がよかった。

 選り好みしていたら昨日は野宿となってしまい、今日も0時をまわっていたんじゃないかと思う。


「部屋、汚いね」


 思わず口走って、私は口元を押さえた。

 部屋が臭くないのはよかったけれど、それぐらい、ゴミ袋と、衣類が散らかっていた。

 キッチンのシンクを見ると、汚れたままの食器が結構残っていた。この量は一日分とかじゃないと思う。たぶん今までの人の中で、一二を争うぐらい部屋が汚い。


「男の一人部屋が奇麗なもんか」

「綺麗な部屋もあったよ」


 上着を脱ぎ、就寝の準備を始めていた彼が、慌てたように振り向き私を見た。


「なに?」

「……いや」


 どうして彼は驚いたのだろう? もしかして、私が男性の家に泊めてもらうのを初めてと思ったのだろうか? 背負ったリュックを降ろしながらそんなことを考えていると、彼はカッターシャツのままベッドに横になってしまった。


「あ、寝ちゃうの?」

「ああ、お前も好きにしろ」


 拍子抜けした。何だかんだと言いながらも家に上げたのだから、私は抱かれるものだとばかり思っていたから。

 私は「不思議な人だなぁ」と思って、彼が寝るベッドの縁に座る。そして制服のリボンを外した。


「ねぇ、ヤらなくていいの?」

「何度も言わすな……ガキは好みじゃねえんだよ……」

「そうなんだ……」


 私は自分の胸元を見た。豊かに発育したバストは、決してガキと呼ばれるようなサイズじゃない。たぶん性格とか、年齢とか、別のことを指して言ったんだろう。

 私だって抱かれなくてよいのなら、それに越したことはなかった。好きでもない男性との行為は、精神が削られる気分になる。もっとも、好きな男性に抱かれたことはないのだから比較はできないのだけど――


「なら、他にして欲しいことある?」


 さすがにタダで泊めさせてもらうわけにはいかない。もう眠ってしまったかなと思っていたら、彼の口元が微かに動いた。


「味噌汁……女の作った、味噌汁が……飲み、たい……」

「……味噌汁?」


「そんなのでいいの?」と思ったけど、彼は今度こそ本当に眠ってしまって、それ以上のことを訊くことはできなかった。


「勝手にシャワーを借りるわけにはいかないしな……明日相談してみようかな……」


 私はブレザーとスカートを脱ぐと、カーペットの上で寝ることにした。


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