第十四章 智香は、次第に変容しつつあった
一矢は、五郎太を睨みつけた。
五郎太の表情は子供見たいな無邪気な笑いを見せ、一矢に対して少しも敵意を抱いているようには見えなかった。まずは、こっちを相手しろと言うことなのか。一矢の前に洋蔵が入った。
「まだ、決着は付いていなかったということだ。お前の名前は何と言う?」
里中洋蔵は、ニッと黄色い歯を見せた。一矢は今にも飛び掛ってきそうな勢いを抑えた。
「俺の名前を聞いて、どうする?」
「・・・ただ、気になるだけだ。答えたくないのなら、言わなくていい」
「それなら、言わない」
「そうか」
洋蔵は苦笑し、一矢を凝視した。洋蔵の目がぐるぐる震えているのが見て取れた。なぜだ。どうしたと言うのだ?
「チッ」一矢には洋蔵の気持ちの揺れなどどうでもよかった。
「どうした?」
一矢は訊いた。そういうこと自体、一矢には面倒くさい問い掛けだった。だが、何が、どう変なのか・・・一矢にはイライラした。。
「何が、だ?お前は何を言っている」
洋蔵は自分の心の動揺を見抜かれたのが気に食わないのか、苛立った。
「行くぞ」
洋蔵は一矢に飛び掛って行った。冷静な洋蔵にしてみれば、珍しい動きだった。洋蔵は一矢の首をつかみ、一矢は、洋蔵の分厚い胸倉をつかんだ。両方とも一度つかんだら離さない。空中で互いに組み合い、回転し始めた。両方とも気合十分だった。洋蔵は一矢の背後に回り、首を絞めはじめた。動きが早いというより、闘い慣れている洋蔵に確かに分があった。動きも攻撃に対する防御も、遥かに洋蔵の方が上だった。
「どうだ!」
洋蔵の言葉に力がある。
「チッ!」
一矢は舌鳴らし、肘で洋蔵の腹に一撃を食らわした。
「ウッ」
洋蔵が怯む。洋蔵は一矢の首を絞めている手を離した。
「はっ、それだけか」
一矢は一笑し、洋蔵に挑みにかかった。洋蔵は若造に見下された気分になった。闘う気概が緩んだのではない。この瞬間、洋蔵に隙が出来た。一矢がその瞬間を逃すはずはなく、彼の長い足が大きく弧を描き、洋蔵の顔面を打ち砕いた。
洋蔵は口から血を吐き、のけぞった。彼はすぐに体制を直した。彼は手で血をぬぐい、にやりと笑った。
「ふっ、やるな。お前は、本当に俺を怒らしたな」
洋蔵はこう言うと五郎太の方を見て、頷いた。どうやら五郎太に謝っているようであった。
「むっ」
洋蔵の動きの変化に、一矢は戸惑いを覚えた。洋蔵の表情には一瞬苦悩のような影が走った。
「お前・・・なぜ・・・やはり」
一矢は両手を組み、彼自身どうしてか分からないが印を結び始めた。すると、洋蔵も同じように印を結び始めた。
今度は一矢が、洋蔵が印を結ぶのを見て、驚いた。
「なぜだ?」
一矢は叫んだ。
「お前は何者だ?はっきりと答えろ」
洋蔵は目の前にいる少年と闘うことに明らかに躊躇していた。
「何をしている。何を戸惑う」
五郎太の威嚇するような鋭い声が飛ぶ。洋蔵は体を強く震わせた。
「行くぞ」
洋蔵は半円形の小刃を、一矢を目掛けて投げ付けた。或るものは一直線に、違うものは弧を描き、一矢に向かっていった。
「ふっ、またか」
一矢は一直線に向かって来た小刃を軽くかわすと、洋蔵をにらみ笑った。
「甘い、甘い。もう、その小刃の動きは読めるわ」
確かに一矢は空中を身軽に動き、小刃をかわしていた。
しかし・・・もし他の攻撃が入れば、あの人はやられてしまうと智香は思った。
案の定、洋蔵はそんな一矢の態勢状態を見抜いていたのか、次の攻撃を仕掛けてきた。洋蔵は大きく目を見開き、暗黒の空を見上げた。
「闇よ。我祖先が創りあげた闇よ。我宿命よ、我はあなたに素直に従います。それ故、我に力を与えよ」
と叫ぶと、闇の空間が震え始めた。
「何?」
智香は耳を押さえた。激しい震えは鼓膜をつぶしてしまいそうな響きであった。
「チッ、何をする気だ」
一矢も耳を押さえていたが、彼の目は何度も眩く輝いていて、洋蔵を睨んでいた。
「あぁ・・・」
智香は手の中にある双竜王の珠が淡い光を放っているのに気付いた。その輝きが、徐々に増していく。
(この球は、何を言おうとしているの?)
「死ね。お前が誰だが知らぬが、お前は・・・お前は俺の手に掛かって死ぬしかないのだ」
闇に震える鼓動の波は、次第にはっきりと目にすることが出来た。
「だめ。だめ。や め て・・・」
智香は叫んだ。彼女の声は闇の中に響き渡った。空間全体が大きく揺れ、歪み、この世界がつぶれてしまいそうだった。
智香は一矢に向かって飛んでいた。彼女は、なぜ・・・と問わなかった。ただ、一矢を助けたいという気持ちから、彼女の身体は抵抗することなく動いていた。
そして、その時、美和は・・・
「あぁ・・・」
とつぶやき、智香の変容に目を見張ってしまう。
五郎太は目の前の状況を静かに見ていた。今度ははっきりと智香の変容を認めた。彼の一瞬脅えは確かなものになった。彼はその瞬間を、この先いつまでも覚えている。
(なぜ?まさか・・・)
五郎太はそれ以上の言葉を失った。
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