夢よ 希望よ 愛よ 私に翼を下さい 第四部

青 劉一郎 (あい ころいちろう)

第1話

池内美和は事故に遭遇し、幸い夜間にジョギングしていた夫婦に倒れている所を発見された。その後、救急車で名古屋医科大学病院に運ばれたのだった。

そこの所の記憶は彼女にはない。半日くらいは気を失っていたらしい。そして、目が開いた時、母の直がいた。

その母も、今はいない。美和はぽかんと窓の外を眺めながら、病室に一人でいた。母の直は仕事に行った。一人娘が体中に包帯が巻かれていた時は、さすがに仕事に行く気分ではなかったようだが、手術後三日目で美和の体から包帯が消えると、「仕事に行っていいね」と直は自分の娘に恐る恐る聞いた。直自身、事故直後手術室から出て来た時に生命力の消えていた娘が、たった三日での回復に驚きというより恐怖感を抱いてしまっていたのである。

「いいに決まっているわよ。いつまでも、あなたの言いなりになる美和と思わないで」

 と美和は意味不明なことを、素っ気なく言った。いつものようなちょっと生意気な言葉が返ってきたのには、直も驚きというより呆れてしまった。これには言った美和もびっくりしたし、直も身体が硬直してしまい娘から目を離させなかった。直は言葉に出さなかったものの、もう大丈夫なんだ、と自分に言い聞かせるしかなかった。ここが病院という場所でなかったら、さらにいつもの日常の会話が交わされたということである。

 たった一人で病室いる美和には、今、これといって何もすることはなかった。することは無かったが、考えることはあった。それも、たった一つのことをである。

 美和は自分がどれ位か前、車とぶっかったことははっきりと認識していた。それはその時の激しい痛みの苦痛からも分かっていたし、今自分がいるのは何処かの病院だということからも、また病院独特の薬品の臭いからも分かった。彼女は事故により大きな怪我をして手術を受けた。彼女はその直後体中に包帯をしていた。だけど、今、不思議なことに体に全くといっていいほど痛みはなかった。

しかし、美和は素直には喜べない。なぜかというと、深く気にするほどのことでもなかったのだが、彼女は気になって仕方がなかった。運良く完治したと思えばいいんだから。彼女が何よりも考えていたのは、目覚める前に見た白い巨大な何かであった。彼女はずっと考えていたが、まだ何の結論も得ていなかった。白い・・・それを見たのは、以前・・・いつのことだったのか?もっと前のことだったような気もした。

 美和は自分の心に何がしの変化があるのに気づいていたのだが、あえて深く考えることはしなかった。直の自分を見る目からも、美和はそれを感じてはいた。直はひょっとして自分も美和の年頃、同じような心の変化があったのかもしれないと思っているのかもしれないが、美和はそれとは違うわよと言いたかった。だが、直は娘の変化に一言も言わなかった。美和もその方が良かった。今、直と喧嘩をしたい気分ではなかったのである。何よりも白い何かが気になって仕方がなかったからである。しかし、彼女には分かっていた。どれだけ考えても無駄だということを。夢なのかも知れないのだから、と美和は思ったりもした。

 この時、病室のドァが開き、顔を出したのが、飯島卓だった。

 「よっ、大丈夫か?」

 と、卓はいつもよりちょっと気取った態度で病室に入って来た。だけど、どこかぎこちない。彼はもともとふざけて他人を喜ばすことが出来ない性格だった。卓は彼女を元気付けようと思ったのだが、ベッドに座っていたのが彼の良く知るいつもの美和だったので、すぐにいつものちょっと大人びた自分に戻した。

 「どうしたのよ、卓君!」

 美和は病室の白い壁に掛かっている時計に目をやった。彼女はまだ個室いた。

 卓は美和が何を言いたいのか、すぐに気付いたので、

 「おい、夏休みだぜ。どうしたのよ、はないだろ。事故に遭ったというから、心配して見舞いにきたのに。俺と別れて、すぐだったんだ」

美和は頷いた。

 卓は美和の側にやって来て、事故に合い、三日目のけが人の体を頭のてっぺんから十二歳にしては小さすぎる足先までゆっくり見つめた。

 「何よ、そんな変な目で見ないでよ。でも、来てくれて、ありがとう。不思議なくらい、元気。事故に遭ったのが、夢見たい」 

 美和はシーツで胸を隠した。

 「違うよ、何も見ていない。余りに元気なのに驚いているんだよ。手術をしたって聞いていたから」

 「手術?したわよ。でも、今はこの通り、元気」

 と美和は胸を隠したシーツを離して、両手で万歳をして見せた。

 卓は笑って見せたが、内心そんな明るく振舞っている美和に驚いていた。可笑しい。美和・・・何かが変だ。今も。いや、もっと前から、と卓は感じていた。美和が事故に遭ったのを、智香は知らない。その智香が洋蔵という化けものと闘いをやり合ったことを、美和は知らない。それは、今話さなくてもいずれ知ることになるから、卓はここでは話さないことにした。そして、美和は智香の心や顔形が変わったことを知らない。智香の変わり様はおそらく美和以上だろう。以前のように泣き虫で弱々しい性格の智香ではない。同じような性格だった美和も変わってしまっていた。智香のように力強さはないが、美和の弱い性格は明らかに消えている、と卓は感じた。

 「まぁ、いいか」

 と卓は自分の疑問を無理に納得させた。何にしろ、彼は女の子の気持や性格の素早い変化が良く分からなかったし、無理に理解しようとは思わなかった。女の子、つまり彼にとっては母も同じなのだが。卓は自分なりに深く考えて理解できなかった時は、何でもすぐに現実を受け入れることにしていた。

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