第9話 ハーピーさんと決戦前夜
イリスはうろうろとしていた。
エインティア、ララと別れてからずっと。
「き、緊張してお腹が痛い・・・。」
そしてまた、うろうろとするのであった。
「はぁ、でも、やるしかないですよねぇ。」
彼女がやろうとしていること。
それは、ゴブリンと別れることだった。
はっきり言えば、ゴブリンは害獣であり、一般的に知能が非常に低い種族だと思われている。
というか、事実、低い。
その為、一応亜人種に分類はされていても、異種族間差別撤廃条約において対象種族から除外されており、かといって肉も食べられたものではない、完全な害獣である。 他種族とまともにコミュニケーションをとれるほどの知能を有していないのだ。
それでも、イリスはお別れがしたかった。
「下手にストーカーになられたり、目の前で討伐されたりするのはちょっと嫌ですからね。」
そして、魅惑魔法を解きたかった。
「ふぅ、よし!ゴブひ……。」
噛んだ。盛大に噛んだ。
悶絶してうずくまるイリス。
(恥ずかしい、辛い、そして何より決意が揺らぐ~!)
「ゴブ?」
イリスがまるで鳥が羽を啄んで羽づくろい、グルーミングをするかのように赤くなった顔を翼に擦り付けていると、頭上で、聞き慣れた、でも、聞きたくなかった声が聞こえた。
(……まさか。)
もし、あのゴブリンとは別個体だった場合、殺される。
あのゴブリンで魅惑魔法が解けていた場合も殺される可能性が高い。
そして、
(私の姿見てゴブ?って何ですか!?人間でいうところの、ん?ですよ!?)
別個体の可能性が非常に高かった。
死ぬ、と悟ったイリスは死んだふりをした。
逆効果である。
ゴブリンは、死体であろうと肉があれば食す。
つまり、この状態はゴブリンにとって、旨そうな鶏肉が落ちてる、ラッキー!なのである。
(食べないで下さい食べないで下さい食べないで下さい食べないで下さい)
ツンツンツン
イリスは突っつかれるが必死に死んだふりをした。
ツンツンツン
(そ、そんなに突いても私はデレないよぅ・・・。)
ツンツン ツンツン
「あぁ、もう、しつこいです!・・・って、やばっ!?」
「ゴブゥ!?」
あまりのしつこさに音を上げたイリスがグワッと立ち上がると、突いていたゴブリンは驚いて尻もちをついて手から大量の何かを落とした。
「あ、あれ?も、もしかして……私の知ってるゴブリンさん?」
「おお、ハーピーじゃないか!」
だが、魅惑魔法は完全に解けていた。
イリスの虹色の瞳には、相手の魔力属性、危険度、気持ち等が色やオーラの出方である程度判別できるように映る。
ゴブリンからは若干の警戒とエインティアやララのような温かさしか感じない。
「あの、魅惑魔法、の、こと・・・」
イリスが聞きづらそうに、オドオドしながら質問しかけると、ゴブリンは二カッと笑った。
「気付かない内に退魔の実って呼ばれてる実を口にしたみたいでな、解けた。この実なんだけど、身体の調子が悪い時とかに食べるとあっという間に治るんだ。」
そういってゴブリンが見せた青に黄色の模様が入った怪しげな実は、イリスの目には綺麗な薄緑色、回復色に淡く光って見えた。
「……恨んではいないのですか?」
イリスはおそるおそる尋ねる。
「別に。お前さんのこと、嫌いじゃねぇし、何か反省してるみてぇだし。」
「あ、えっ……。」
「そんなことよりさ、肉、食わね?」
そういって再び二カッと笑うゴブリンに、イリスも笑って答えることにした。
「ごめんなさいです、お肉、食べます!」
二人の距離は、以前より縮まっていた。
「そういえば、なんであんなに突いたのですか?」
イリスがふと疑問を口にする。
「え、だって何だかわかんなかったから。」
ゴブリンは低知能種族であった。
「お肉、といっても、私、生肉は食べれませんよ?」
以前お腹を壊したことを思い出し、イリスは慌てて念を入れる。
「ちゃんと焼くから大丈夫だ。うちの長老は火の魔法が使えてなぁ、焼くと旨いんだぁ、これが。」
ゴブリンはよだれを垂らしながら木々をかき分けて進んでゆく。
イリスはその後ろをぴょこぴょことくっついていく。
「でも、私のこと、大丈夫なのです?皆さんに襲われたりは……。」
「あぁ、そのことなんだが、長老にお前さんのことを話したら、もし食ったら殺してた、だとさ。虹色のハーピーは俺達にとって大事な存在らしい。知らなくってごめんな。そんで、今日は詫びも兼ねた宴だ。存分に楽しんでくれ。」
(あれぇ?なんでゴブリンにも信仰?されてるの!?)
虹色ハーピーの権威、恐るべしである。
「ようこそ、おいでなさってくれました。」
ゴブリンの長老?らしき他のゴブリンに比べて皮膚に皴があり、色の黒いゴブリンが深々とお辞儀をして出迎えた。
ここは入り組んだ森の奥深く、ゴブリンの秘密の集落である。
ゴブリンの家は岩壁に横穴をあけただけのものであるが、それが無数にあると、それはそれは壮観であった。
イリスがどうすればよいのかわからずにウロチョロと行ったり来たりしていると、突如として長老が声を上げた。
「おい貴様!そんな恰好、そんな不潔な状態でハーピー様を迎えに行ったのか!?」
どうやらイリスを連れてきたゴブリンに激おこらしい。
「は、ハーピーはたまたま出会っただけで、飯を集めてたんです!」
「そんなこと聞いておらん、さっさと身を清めてこんか!」
ゴブリン社会はかなりの縦社会のようだった。
「ご、ゴブリンさんって水が苦手なんじゃ……。」
イリスが恐る恐る尋ねると、
「なぁに、死ぬわけじゃありませんよ。」
と長老は胸を叩いた。
「ところで、かつて虹色のハーピーは何かしたのですか?」
ついイリスは口に出して聞いてしまい、その後その危険性に気付いた。
もし、伝説や伝承とは別物だと知られたら、何をされるかわからない。
最悪丸焼きコースもあり得る。
だが、長老から返ってきた回答は予想外なものだった。
「知りません。遠い昔の話です。私が聞き継いだのは、虹色のハーピーが現れたら、敬いもてなすこと、虹色のハーピーは臭いや格好に敏感なので身を清め、布を纏うこと、の二つだけです。」
イリスは思った。
かつてこの地で何かをし、伝説になったらしい虹色のハーピーも、女の子だったんだろうなぁ、と。
もしかしたら私と同じように、神様に悪ふざけで転生させられたんじゃないか、と。
そして、私には、各地で信仰されるような、そんなことができるのだろうか、と。
(私は、そんな大層な人間ではありません。比べないで欲しいです。私は何もしていないのに、敬わないで欲しいです。)
勿論、この場でそんなことを口に出来るわけがなかった。
「さて、今宵の宴のメインディッシュを捕まえに行くぞ!」
一人の、いや、一匹の精悍なゴブリンの呼びかけに応じて、次々とゴブリンの男勢が集まっていく。
「メインディッシュって、何のお肉なのですか?」
「あぁ、ロックドックですじゃ。」
(犬!?岩の犬!?正確には土属性の犬!!?)
イリスは困惑した。
日本人では食べたことがある人の方が圧倒的に少ないであろう犬。
(いや、この際犬だから、っていうのはやめよう。問題はその犬が美味しそうかどうか、そして何より、ペット的な馴染みのある系の犬だったら私は逃亡する!
チワワをゴブリン達が取り囲んで滅多打ちとかだったら洒落にならないし食べるとかそういう次元じゃないよ!)
「わ、私も、同行しても宜しいでしょうか!勿論邪魔はしませんので!」
イリスは慌ててロックドック討伐部隊に参加を申し出た。
「……危険ですぞ?十分に注意して、出来るだけ遠くから見ていてくだされ。」
「え……。」
別れ際の長老の台詞に、嫌な予感が膨らんでいく一方のイリスなのであった。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!???」
イリスは震えていた。
ロックドックからおよそ一キロ程離れた崖の上で。
ロックドック、体長は69センチメートル、という訳ではなく、三メートルは軽く超えていた。
体重は、踏みつぶされた大木が平らになる程度。
そして何より、魔法で造ったイリスより遥かに大きな岩を、何個も同時に弾丸のように飛ばしている。
それに掠ったようにみえたゴブリンは即死だった。
ゴブリンより軟な人間なら触れてなくとも消し飛びそうである。
それはそうだ。
ロックドックは本来Aランクハンターがパーティ連合を組んで倒すようなモンスターなのである。
だが、繁殖期は3年に1度、しかも土の魔力の濃い地域からは出ないという習性の為、人里には大した被害は出ていなかった。
圧倒的なロックドックに対して、ゴブリン達は土魔法で造った棍棒状のものを投げつけて応戦する。
それを見ていたイリスは悟った。
(あぁ、作戦って、木の実で巣穴からおびき出して、アレが目に当たって両目が見えなくなったロックドックが疲れ果てたところを倒すんだ……。)
なんとも残念な、数投げれば当たる作戦だった。
40匹近いゴブリンが死んだ。
ロックドック討伐は彼らにとって、里を導く英雄を決める大事な行事でもあるらしい。
目に当てた者、止めを刺した者、勇敢に闘った者程に、その後の生活の地位も向上し、良い巣穴が与えられる。男衆は愛する妻や子供達の為に命がけで戦う。
夫を失った妻は英雄のものとなる。その子供も。
宴の席でイリスはここに住まないか?と勧められたが断った。
そして、ロックドックの肉の味だが、イリスによると嚙み切れない砂利を齧っている、といった感覚だったという。
それもその筈。
ロックドックは全身の隅々までもが強い土属性の魔力を帯びているため、土の魔力を持たない者には美味しいと感じられる筈がないのだ。
イリスは大人しく一人木の実を齧っていた。
「私、明日ここを離れます。良くしてくれてありがとうございました。」
長老には前もって言っておいた事であったので驚かれなかったが、イリスが異世界で初めて出会ったゴブリンは驚いていた。
イリスは今日一晩、ここに泊めてもらうことにした。
岩壁に出来た横穴の空洞の中は割と温かく、敷き詰められた柔草の上に寝転がるととても気持ちがよかった。
そんなわけでイリスは熟睡したのだった。
翌朝
「餞別だ、受け取ってくれ。」
イリスに馴染みのあるゴブリンが渡してきた小汚い袋の中には、色とりどりの木の実が沢山詰まっていた。
「その、親切にしてもらって、こんなに木の実ももらって、私は何もしてなくて……。」
イリスが申し訳なさそうにそう呟くとゴブリン達が笑い出した。
「礼は、お前さんの冒険譚でいいぞ。だから、また来てくれよな。お前がいると、なんだか楽しい。」
特に何かをしたわけではないイリスは首を傾げたが、ゴブリンの、もう見慣れてしまった二カッという笑いにつられてニコリと笑って了承した。
「さてと、今日は旅立ちの日、そして決戦の日だ!」
イリスは何だか無敵な気分だった。
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