第30話戦いの終結

 黄昏が落ちゆく大地で疾風と雷が巨大な咆哮を上げている。大気を震わせながら世界を引き裂いてゆく。



「――『白雷の聖剣』!」


 レイ・グレックの攻撃魔法だ。朱に染まる大地を抉り溶かし大穴を穿ちながらリオンを追い詰めていく。リオンも的確に躱して闇の塊を放つが容易く弾かれている。二対一で連携を組んでいるのにこの様だと歯噛みするリオン。



(……考えろ。あの黒魔術士を倒す手段を。この場所を絶対に守る手段を)



 単調に闇の魔力を固めて飛ばすだけではもう通用しない。己にある魔力をどう使うか、この一点に勝敗が掛かっているとリオンは思考している。彼女にとってあの場所を守る事が全て。他は無い。自分という存在はただそれだけの存在だからだ。


 だから。勝たないといけない。この侵入者達に勝たなければ自分の存在する意味が無くなる。それは世界から自分が消えるという揺るぎ無い事実だ。


 考えろ、絶対に勝たねばならないと、己に命じるリオン。思考の全てをこの戦闘に勝つ為に切り替えあらゆる手段を戦いの武器と考える。リオンの心に呼応して戦闘の因子を含んだ闇の魔力達が彼女の体内に集束する。相手に勝ちたいリオンの一心に呼応して力の使い方を説いてくる。



(相手は素早い、ならば……!)



 リオンの左の手のひらに闇が集束し、彼女はそのままレイに突き出した。


◇◇◇


(何する気だ?)



 レイは双眸を細め訝しむが。すぐに身を持って理解した。


 闇が渦巻き。周囲の物を引き摺り込みだしたのだ。



「く!」



 思わず顔を覆い足を止めるレイ。闇の渦が持つ吸引力は凄まじいもので、立っているのもやっとだ。それでいて黒い雷は影響を受けていないのかこちらに何度も襲撃してくるのだ。それらの猛攻を堪えたまま捌くのは中々に至難の技だ。


 じりじりと足が滑り地面に跡が残る。引き摺り込んで大火力で叩くつもりか? レイは予測する。



(なら別に構わねェ! こっちもこのまま叩くまでだ!!)



 たんっ! とレイは虚空に跳ねてそのまま闇の吸引力に身を委ねる。リオンはそのままこちらを迎撃する為に右手に闇を集束させる。



「『旧き盟約により共に戦え雷霆の王よ! 走れ那由多の光芒来たれ破壊の輝き! 千丈広がる大地を燃やし焼き尽くしその力をここに示せ!! 『雷の嵐』』!!」



 だがレイの高速詠唱の方が速過ぎた。刹那で広範囲攻撃魔法を完成させてリオンに叩き込む。文字通り数え切れない巨大な雷の群れがリオンを喰い尽くそうと殺到する。


 リオンは慌てない。そんな雷ごとき闇の渦で全部吸収出来る――と思っていた。


 そして。レイもそれは予想済みだ。広範囲攻撃は囮でそのままリオンの胸元を思いっきり吸引力の加速と魔力を乗せた足で飛び蹴りを叩き込む。



「げほっっ!!」



 リオンはそのまま吹き飛び地べたを転がっていき、闇の渦も霧散する。同時に黒い雷も襲撃するがレイは簡単に捌かれた。



(やっぱり、私とは戦闘経験が違い過ぎる……!)



 リオンは起き上がり、再度闇を集束させながら呻く。まだ負ける訳にはいかない。


 ◇◇◇


(……やっぱおれ側は機動性で難が有るな)



 再度立ち上がるリオンを見据えてレイは眉を寄せる。そう、レイは自由に動けないという一番致命的な事実が有った。自分の背後にはニノ様やカミーリャ達の向かった屋敷の有る土地が、リオンの背後にはルーティスと難民達の居る仮設住居が有る。彼が自由に動ける箇所は左右斜めと上方向くらいだ。あまり強力な魔法を使って余波が及ぶのは避けたいところだ。そして何より。いくら防御機構がしっかりしているとはいえここは魔力が少ない土地、大規模に魔力を撒き散らして魔力崩れが起きるのは防ぎたい。あれが一番起きれば暴力的な破壊流がどちらに向かうか予測出来ないし今調査中のカミーリャ達や難民を治療中の親友ルーティスの邪魔はしたくないのがレイの気持ちだった。



(……とはいえ、向こうさんはお構い無しだろうな)



 苦々しい気持ちで鎌首もたげる黒い雷と闇の塊を右手に掲げている魔獣リオンを見据えるレイ。そう。この二名はまだ生まれたてで自分達の力がどれだけの規模で影響を及ぼすか判ってないだろう。それ故に常に全力で力を開放してくるし、この場所がどんな土地か知らずに蹂躙する。あの二名にとってはあの場所を護るのが最優先で後はどれだけ被害が出ても関係ないのだろうから。相手がこちらに勝っている点はここだろう。向こうは常に最大級の火力を遠慮なく出せるがこちらは威力を制御しないといけない。これが自分にとっての致命傷だとレイは理解していた。



(ま、火力で劣るなら素早さで対抗かな)



 じり……と右の爪先をリオンに向け双眸を細め杖を構えるレイ。そう、風属性の長所は魔法展開の素早さにある。魔法の風は現実の風と違い、『風という概念』であるので他の魔法より素早く展開出来る。


 そこが、狙い目だ。


 レイは無音で風の魔力達を穏やかに集束させ、



(……ちょっと粘りつつ圧勝するか? カミーリャ達があの場所を制圧して完膚なきに倒せばこいつらも戦意を失いそうだしおれも結果に満足だからな)



 戦術を決定する。あの二名との戦いは決着をつけたいし時間も稼ぎたい。これで良い。精神が戦闘向けに変貌してゆく快楽に目的の冷静さの楔を刺して相手に向き合うレイ。



「はぁ!」



 闇の塊を今度は無数の槍に変えて投擲するリオン。黒い雷もそれに合わせて飛来するが、



「『約束において我と共に戦おう風の覇王よ! 君が振り下ろすは戦の鉄鎚! 地を砕き命断つ裁きの暴風! その力、我が一撃と共にこの世界を平らげ示せ! 『暴風の戦鎚』」



 レイが右手の拳を振り下ろすと文字通り鉄鎚で叩きのめすが如き凶悪な破壊力の下降気流ダウンバーストが虚空から叩きつけられ雷ごと闇の槍達を撃墜する。



(……ちょっとやり過ぎか? 魔力崩れ起きそうだぜ)



 荒野に大穴を穿ち破壊し尽くす暴風で相手達を吹き飛ばしながらレイは歯噛みする。そろそろこの土地に存在しない魔力をばら撒き過ぎて、魔力を吸収出来ているか怪しいのだ。風の魔力は大気中に一番多いから多少はやり過ぎても問題はないが……そろそろ危なくなって来ている感覚が拭えない。ぴし、ぴし……と空間が悲鳴を上げているような小さな音が聞こえる度、レイの背中に冷たい滴が落ちる。


 しかし。リオンと雷はまた立ち上がる。今度は向こう側にも損傷が大き過ぎたのか、疲労困憊の表情で左右に少しよろけていた。



(休戦――とはいかねェか!)



 瞬時にたった一歩でこちらまで距離を詰めるリオンに、レイは苦笑した。レイの顔面に闇をまとう拳が迫るが寸前で上手く仰け反り躱すと、そのまま左足でリオンの脇腹を蹴りつける。雷も迫るが魔力で強化された杖で弾き飛ばす。幾ら魔獣や精霊でもこれだけ損傷与えれば消滅してもおかしくないが良く粘るものだ。余程あの場所を護りたいのだろうと、レイは自分の影から迫る闇の槍を蹴り潰し黒い雷を殴り倒して賞賛する。強い相手は良い。戦い甲斐が有るから好きだ。全力で戦えるのは最高だ。いつの間にか口角が上がっているレイ。唇をぺろりと舐めてリオンの格闘慣れしていない拳を的確に躱す。右で思い切り大振りに殴って来たら最小限の動きで軸をずらし懐に飛び込み右肘で溝尾を強打、相手がよろけた瞬間に左回し蹴りをリオンの右足に食らわせそのまま前蹴りで蹴り飛ばし距離を取らせる。勿論その間に屋敷に向かおうとする雷は杖を投げて牽制。屋敷へと向かう事は確実に阻止する。それが自分の役割だからだとレイは理解していたのでまず雷はそのまま無視してリオンに肉薄、後ろ回し蹴りをお見舞いしてやった。



(手応えあったな!)



 地面を抉り彼方まで吹き飛ぶリオンを見て、今の攻撃は決定打を与えたとレイは確信した。魔獣の彼女はしばらく立てないだろう。



「次はテメーだ雷!」



 その隙に雷も倒すと決めて瞬動するレイ。恐ろしい速さだ。あの黒い雷が飛来するよりも速い。瞬きする間とでも言う位の速さで雷の先端に立ち塞がり、



「『聖なる剣よ闇夜を斬り裂け! 『白雷の聖剣』!』」



 高速詠唱で雷を放ち押し返す。威力はレイが上だ。すぐさま白い雷が黒い雷をリオンの元まで吹き飛ばす。



(やっべぇ、そろそろここ限界じゃねえかな?)



 辺り一面を雷の魔力が爆ぜて火花放電となって溶かし、球電が飛び交いズズズズ……と地鳴りがし始めているのに舌打ちする。これ以上魔力を振るい続けると魔力崩れが起き兼ねない。問題は相手がこれで倒れてくれていたらだが――



(ンな訳ねえか、参ったな)



 土煙の彼方に蠢き立ち上がろうとする気配を感じ、レイは歯噛みした。強力な攻撃魔法を叩き込みたいが、もうこれ以上魔力を放つのは危ない。この土地が吸収しきれず魔力崩れが発生するギリギリの状況なのだ。しかし相手はそれに気づいていない。だから常に全力で魔力を放ってくる。自分達の魔力とレイ本人の魔力のぶつかり合いでこの場所が限界になりつつあるとも知らずにだ。



(……考えろ、最小限度の力で相手を倒す手段を。もしくは発生しても被害を出さないようにする手段を)



 レイは自問した。カミーリャ達が調査しに向かった屋敷に被害は与えられないしルーティスが居る難民キャンプは――たとえ親友が強いからといえもっての他だ。ここで自分だけで何とかしないといけない。


 だが。リオンの方はお構い無しに闇の魔力を掲げた手のひらに凝縮する。周囲の大地が軋んでいるのも気づかずに、だ。



(生まれたての魔獣にゃ手加減も周り見る余裕も無いのかよ!)



 その光景に舌打ちをするレイ。彼も負けじと風と雷の魔力を集束させる。


 ――しかし。



「?! なにっっ?!」



 突然発生する大気の激震に目を見開くリオンと、



「ヤベぇ、魔力崩れが起きやがった!!」



 虚空を睨み舌打ちするレイだ。慌てて飛び退こうとしたが――



「――ちっ!」



 背後を見て、少し躊躇った。


 そしてレイの隙を見逃さず、風が崩れた。大気が、地面が、黄昏が、岩が、不協和音を出して崩壊していった。大地に地割れが走り大気すらも崩れ各々の属性を帯びた魔力達が雪崩れの様に二人の間から放射状に爆発的な疾走をする。本来なら立つ事すらままならない魔力の奔流を前に――



「疾風よ砦を築け! 我らに絶対の守護をもたらせ!! 『風精結界』!!」



 一瞬で防御魔法を仕組むレイ。これは自分を起点に半球状に広範囲を突風で覆い殺到する攻撃を全て吹き飛ばす結界魔法で、自分はもちろん仲間や建造物等も瞬時に護れる効果がある。


 その突風の防壁でレイは自身とリオンと黒い雷――そして背後に在る屋敷に魔力の雪崩れを防御する。片側は護れなかった。そこまで余力は無い。



(すまんルゥ! そっちは何とかしてくれっっ!!)



 胸中で親友に全力で謝罪するレイ。



「な、何これ……!」



 状況を理解出来ずしきりに周囲を見回すリオンに、



「魔力崩れだよリオンさんッッ!!」



 外部を魔力の暴風と土石流が蹂躙する結界内で、レイ・グレックは力の限り叫び返す。



「おれ達の戦いで魔力放ち過ぎてこの辺りの土地が魔力を吸収出来なかったんだよ!! それで余った魔力が周囲に向かって流れているんだよッッ!!」



 レイはぎしぎしと軋む結界を睨む。予想より魔力を放出し過ぎたらしい。結界の外ではかなり莫大な魔力が手負いで凶暴化したドラゴンの様に暴れて蹂躙している。



「そ、そんな……こんなの初めて見た……!」


「そりゃそうだろ。リオンさんは生まれたばかりじゃねーか。もっともおれも知識だけで現実で体感したのは初めてだがな……」



 頭を抱えて呻くレイだ。在学中に暗黒大陸の関する歴史書で読んだ時とは少々規模が違うが……これなら当時の被害は納得だと理解した。こんな形で理解するとはつくづく参ると胸中で毒づくレイである。



「……どうして?」


「ん?」



 リオンの呟きに反応するレイ。



「どうして私達ごと護ったの?! 私達をこのままにして置いたら倒せたじゃない!! 何でそんな事しなかったの!! それに屋敷まで――」



 心情をそこまで吐露したリオンに、



「バッキャロウ何言ってんだ!! そんな勝ち方おれが納得出来るかッッ!!」



 ありったけの感情を乗せて、レイは絶叫した。



「お前の大切なもの盾にしたり予期しない災害で勝ったりなんて納得出来るかッッ!! 強い奴に真正面から戦って勝ってこそ楽しいんじゃねぇかッッ!!」



 そしてびっ! とリオンを指差して、



「今からお前らこの結界の中でおれに戦って勝て。それがお前らが大事な屋敷と約束を守護出来る方法だぞ」



 毅然と告げる。


 それを聞いて理解したのかリオンはよろけながらも立ち上がり、黒い雷も虚空に浮かび鎌首をもたげた。


 レイは二名を真っ直ぐ見据えたまま、風と雷を周りに全力で集束させる。また魔力崩れが発生しそうだが……



(一度起きたんだ! もう、お構い無しだ!!)



 レイは皆が向かった屋敷に影響が出ない限りは徹底的にやるつもりである。


 先に動いたのはリオンだ。闇をまとった拳でレイに殴りかかる。黒い雷もそれに合わせて獲物の丸呑みする大蛇の如く殺到する。


 だが。



「はっ!」



 体術も魔法も、レイの方がやはり上手だ。殴りつけるリオンの右拳を手刀で捌き懐に殴り返す。腰から貯めた一撃に仰け反るリオンを庇うように雷も突撃してくるが「――『風化の槍』!」と呪文を唱えられて吹き飛ばされる。屋敷を護りたい。どんな手段に出ても絶対に。リオンの心は一つだ。この黒い雷もそうだろう。それがどうすれば叶うのか、リオンには判らない。


 ふと、リオンは気づいた。今自分を足止めしている相手はこの黒魔術士たった一人だけだと。相手は広範囲と単体の強力な黒魔法と体術で、複数居る自分達がばらばらに死角から仕掛けてもあっさり捌かれてしまい全く効果がない。


 最初に来たこの人達みたいに二手に別れて一人だけ追わせるか、それとも二人で同時に倒すか。どちらの作戦も成功率は低過ぎるが……自分達二人が倒されて先に侵入した者達に屋敷を掌握されては敵わない。


 二手に別れてみよう。リオンは戦術を決定する。それには少年黒魔術士をここに足止め出来る力が必要だ。先程の闇を用いた吸収では瞬時に対策を打たれた位だから無理だろう。単純な火力も圧倒的に負けている。


 ――考えろ。リオンは意識を研ぎ澄ます。闇の魔力達の声を聞きながら足止め作戦を熟考する。高火力を無駄なく叩きつけられて相手を足止めしつつ仲間を先行させる手段を。冷や汗が頬を伝いぽつりと地面に落下する刹那の中で、



(破壊の因子で構成された魔力を凝縮した武器を創って……近接戦を、する?)



 リオンは、戦術を決定する。どの道自分達は戦闘力の全てが彼より劣っているのだ。これ位の賭けをしないと勝てないだろう。


 彼女は黒い雷に目配せし、お互いの意志を確認すると。右手を掲げて破壊の魔力を凝縮する。


 淡い輝きの中に出現したのは舟を漕ぐ時に使うオールだった。何故この形なのかは判らない。判らないが、これが今の自分が造れる強力な武器だと確信する。


 リオンはそのままぶんっ! という重い風切り音を奏でオールの先端をレイに向け、突撃していった。


◇◇◇


 おそらくこれがお互い最後の戦いになるだろうな。レイ・グレックは杖を右手に左拳を握って腰だめに構えた。オールを形成する魔力は調べるまでも無い。純粋な破壊の因子だけで構成されたもので、当たれば問答無用で肉体ごと消し飛ぶだろう。今まで放って来たものを凝縮して自分に叩き込むつもりだ。どうやら自分に魔法でも体術でも敵わないのなら同じ破壊力を一点に集束し間合いで補う作戦らしい。レイは影の差す顔でオールを手に殺到するリオンを、双眸を細めて見据えていた。



(理屈は判るが目的が判らんな、どーしてこんな戦術を決定する?)



 リオンが自分の真上でオールを振りかぶった刹那、レイは疑問を感じた。魔法も体術も敵わないからといってわざわざ疑似武器を用いた近接戦闘を選択する理由が無い。それこそこちらにつけ入る隙を与える筈なのだがと。高速で振り下ろされるオールの先端の軌跡を追いつつレイは浮かぶ疑問を解いてゆく。徐々に世界が凍りついていくように、時間が極限まで間延びする刹那の中で、レイは左拳を開いて最小限の動作で杖を握り迎撃の為に両手で構え。オールの先端が自分の顔面をかち割るその刹那、レイは魔力を流して強化した杖の先をオールに叩きつけた。金属同士がぶつかるような鈍い打撃音と共に虚空を吹き飛ばす衝撃波が走り、内側から風の結界を軋ませる。鍔迫り合いの状態になったリオンはそのまま押し切ろうとしたが一旦引き。再度また、力任せに振り降ろす。レイそれを軽やかに後方へ跳躍して回避する。リオンも縦横にオールを振り追撃を繰り返し、攻撃の手を弱めない。



(なるほど、二手に別ける為に自分が引き付ける策か!!)



 垂直に振り下ろしたオールに対し地面に杖を突き立て握力だけで回転上昇しながら躱し。レイは悟る。多分黒い雷を屋敷に先行させる為にリオンが引き留める作戦だ。呪文を唱える暇を与えずに火力を集中させた攻撃を繰り返し、相手を引き付ける。ついさっき、自分がやったようにかと再度オールの先端部を横一文字に振り抜こうとするリオンを見据え、そのまま回転下降しながらレイはリオンに蹴りをお見舞いする。


 瞬間目の端に捉えた黒い雷は。もう自分を越えて屋敷の有る領域へと迫りつつあった。あの速度なら瞬時に辿り着く、レイはそう判断すると、



「『我に応えよ冥府の渡守! 終わりの風をまとい死神となりて奴を討て! 『バージェンド召喚』!!』」



 蹴りつけて作った一瞬の隙で魔力と因子を集束させ擬似的な精霊を喚起させる。現れたのはぼろぼろのローブをまとった人形の風で、奇しくもリオンと同じく舟のオールを携え異様な雰囲気を与える姿だ。



「行け、バージェンド! へへ、ルゥの魔法見といておいて良かったぜ」



 霊峰イリステアの頂上で。ルーティスが自分の風魔法を書き換え戦乙女にした光景を思い出しながら、命じるレイと俊足で黒い雷に迫るバージェンド。死神の鎌ならぬオールを振りかぶり、先端で殴り飛ばして止めた。


 驚愕に目を剥くリオンに、



「これで実質二対二だ。思い切り戦えるぜ!!」



 レイは魔力を込めた杖を力いっぱい叩きつける。



「く!」



 リオンも全力で防ぎ、その余波が大地を疾走はしりながら抉り風の結界にヒビを入れる。魔力崩れが再発しそうな位の絶大な力だがレイはもうお構い無しだ。全力で一撃一撃を叩き込む。そうでないと相手が満足出来ないだろうから。彼の思いに応えるように、杖に付けられた雷管石がぶつかり音を立てる。黒い雷もしっかり足止めされているようで、突破口を開こうと躍起になっているのが傍目に見えた。



(よし、一気に行くぜ!)



 何度かのつばぜり合いの隙を突いて。レイは一息に莫大な魔力を集束させた。彼の意志を汲み暴風が吹き荒び雷火が迸る。


 それを見たリオンも驚愕に目を見開き。破壊のオールを構えて肉薄する。狙いはレイが魔法を放つより前に倒す事だ。全てが彼に敵わなくても、やるのだ。あの屋敷を絶対に護る為にはどんな手段でも倒さねばならない。



(それが私の! 存在する――)



 氷で鍛えた剣の如き鋭い眼光で一撃必殺のオールを振りかぶり。リオンはレイを仕留めようと全部の力を一撃に集中させる。


 対するレイは微動だにしない。脱力したまま構える事すらだ。まるで一撃を受け止めると言いたいか、それとも呪文詠唱の準備に注力していて無防備なのか。いずれにせよ構わない。自分は倒すチャンスなだけだとリオンは迫る。周囲の地面を蒸発させて迸る雷火と削り壊す暴風の嵐を掻い潜り彼女は突撃する。魔力の余波で微傷を負うがそんなのはお構い無し。彼を倒す為に肉薄する。


 やがて間合いに入りリオンはオールを振りかぶり、レイの身体を粉砕する為に思い切り、容赦なく振り下ろす!


 ひゅっ……! とレイの口から息が洩れたのと、あっさり彼女のオールの内側にレイが飛び込んだのはほぼ同時だった。



(え?)



 リオンは目前の光景にしばし硬直し。


 次の瞬間には虚空に竹トンボよろしく飛ばされていたのだ。



(――?!)



 驚愕と全身を苛む激痛に思考を巡らせる暇も無くレイを刹那に見やるリオン。


 そこには地面を擦るような靴形と、後ろ回し蹴りを下げつつあるレイの姿が捉えられた。どうやら少年、全身脱力した状態で即座に魔力を全身に巡らせ身体能力を上げて間合いに入り。すれ違い様に真後ろから後ろ回し蹴りを叩き込んだらしい。攻撃手段が魔法だと思い込んだ自分の甘さを呪いながらリオンは虚空を高速で飛んでゆく。レイもそれに合わせて跳躍しつつ、呪文らしき物を唱えリオンを追いかける。蹴り飛ばされた先は黒い雷と擬似精霊がしのぎを削り合う地点だ。


 自分達をまとめて仕留めるつもりだ。リオンは脂汗を垂らして悟る。何とか身体を動かして護らないといけないと、四肢に魔力を漲らせ虚空でもがこうとするリオン。


 だが。双方が激突する時間の方が早かった。バージェンド相手に戦い続けていた黒い雷にリオンが高速で追突し土煙を巻き上げ、お互いしばし沈黙さしてしまう。同時に霧散するバージェンド。どうやらレイが解放したみたいだ。


 それはつまり、自分だけで止めを差すという意味でもあった。


 ばっっ!! と闇の魔力を帯びた右手で邪魔くさい土煙を払い除けるリオン。



(あいつは、どこ……?)



 左右を見回しても影すら視認出来ない。魔力でも気配を感じないのでならば上かとリオンは顔を上げた。


 しかし。そこにもレイの姿は存在しない。どこか……どこに居るのかと、リオンは焦る。付近の魔力にすらレイの気配が無いのも憔悴に拍車をかけた。彼がこのまま屋敷に向かうのは考えられない。彼は自分達を押さえて仲間達に屋敷を調査させる為に戦いたいからだ。自分と決着をつけないまま放置する理由は無い。それなのに目視出来る場所にいない。その薄気味悪さに。自分が魔獣であるにも関わらずリオンは何故か冷や汗が頬を伝う感触がした。


 刹那。リオン正面の風が揺らいだ。同時に膨大な魔力と物質が空間を押し退ける気配も世界を揺らがせ、彼女に確信をさせる。



(まさか正面から?!)



 リオンが解を得たと同時に付近を暴風が蹂躙しつつ、レイが世界に出現する。転移魔法か、それとも風魔法の応用で隠れていたか、今のリオンに知る術はない。


 でも。そんな事より考えずに戦えと。リオンの直感が警鐘を鳴らす。闇の魔力を凝縮したオールを形成し迎撃準備を整える。暴風の渦中から出現しつつあるレイ目掛けて叩きつける為に、思い切りオールを振りかぶるリオン。今出せる最大出力で、相手を一撃で肉を抉り骨を砕きぐちゃぐちゃの真っ二つに袈裟斬りして絶命させる為に。そんな状況でもレイは躱さない。真っ直ぐにリオンの懐を目掛けて突撃してくる。オールが叩きつけられるかレイの攻撃速度の方が速いか、どちらかが勝敗を握っている。


 リオンの時間が薄氷に覆われてゆく。お互いを中心にじわじわと周囲の時空が凍てついて、一挙一足全ての動きが極限まで遅くなる。静止する世界でリオンの五感が研ぎ澄まされてゆく。


 そしてそれは。レイ・グレックも同じである。リオンに最速の一撃を叩き込む為に感覚を研ぎ澄まし意識と経験と魔力だけで相手の攻撃に合わせる。あのオールを食らえば一発で自分はぐちゃぐちゃに砕かれ骨も肉片すらも残さず死ぬはずだ。一瞬の迷いも攻撃の選択ミスも死に直結する。だからレイは一切考えず拳を腰溜めに構え突撃する。間合いは向こうが上回るが速度はこちらが上。勝敗の分かれ目もつけ入る隙もそこだ。



(ならちょいと引っ掛けてやるか)



 感覚上でゆっくりと迫るオールの先端を見据えつつ、レイは標的のリオンから目を離さずに杖を手離し。少しだけほくそ笑んだ。


◇◇◇


 この時リオンはもう完全に勝利したと感じた。自分が振り下ろすオールの方がどうみても先で、この黒魔術士を完膚なきに叩き潰せると直感したからだ。彼は杖を手離して加速する戦術だろうがもう間に合わない。自分のオールが彼の肉を抉り骨を粉砕するのは必然だ。


 飛び散る血潮と肉片、バキバキと砕け散る骨の音を想像して自然と恍惚の笑みが溢れてくるリオン。いかに人の姿をしていても自分は魔獣、戦闘に快楽を覚える存在なのだと実感出来る姿だ。


 振り下ろす速度はこのままで良い。この一瞬で勝負は決まる。そのまま一振りで勝てる。リオンは確信していて、運命はそのまま進むのだと信じていた。


 ……だが。



「『杖よ』!」



 だが、彼女が到達する未来はずれた。レイの杖を呼ぶ呪文に応え手離した杖が一直線にリオンのオールの先端に衝突したのだ。勝利の笑みを驚愕に歪め。一瞬、そうほんの一瞬だけ手が止まるリオン。


 レイはその瞬間を見逃さず。風の魔力を足裏に集束させる。呪文を詠唱して魔法として構成はしない。魔法として行使するのではなく魔力を暴発させるのが目的だからだ。


 レイの目論見通り魔力が足裏で暴発し速度が上がり、振り下ろすオールに杖をぶつけた事で停止した僅かな瞬間に。彼はリオンの懐に屈んだ潜り込んだ。腰溜めに構えた拳にはぱち、ぱち……と雷の魔力が迸り、打ち込まれた時の威力を既に物語っている。リオンは慌てて飛び退こうとしたが――


 レイの方が。圧倒的に速かった。神速でリオンの腹に思い切り拳を叩き込み、黒い雷もろとも上空へと打ち上げるレイ。それと同時に風と雷の魔力も集束させ、



「『来たれ天駆ける黒き雷霆』」



 呪文を。唱え始めた。呪文に込められている魔力の総量を見てあれは不味いとリオンと黒い雷はもがいたが力が入らなかった。



「『破邪の風と鳴り交わす約束をもって巨悪を討て』」



 そんなリオン達を眼中に入れずにレイは呪文を唱え続ける。この魔法は特別な魔法。レイが好きな絵本『アルスターとカインドネル』から創り出した彼オリジナルの魔法。



「『神殺しの槍』!!」



 呪文の末尾を唱え、空の遥か彼方の成層圏まで迸る黒い雷撃と蒼い暴風を解き放つ。文字通り空を貫いて宇宙という外界にまで伸びる圧倒的な雷と風の魔力の奔流の中にリオン達の姿は見えず悲鳴も聞こえない。きっと巨人が両手でもみくちゃにするように、雷撃と衝撃波と暴風に蹂躙されながら天空彼方まで叩きつけられているだろう。しかしレイは呪文に込めた魔力が無くなるまで油断しない。慢心は真剣に戦う相手に対する侮辱だからだ。


 やがて雷の勢いが衰え色彩が失われ、パリッ…パリッという放電の余韻と共に霧散してゆく。同時に風も指向性のある暴風から緩やかに解れたそよ風に変わり世界へと流れてゆく。それが魔法の終焉だ。



「はぁ、はぁ……さすがにあいつも参ったろ……」



 どっと全身を廻る疲労感に肩で息をするレイ。杖を支えに仰ぎ見れば、気絶しているリオンと雷らしき影が降ってくるのが目視出来た。



「『風の魔力よあの者達に加護を、あらゆる危険から守り抜け。『風精の鎧』』」



 ぜぇはぁと荒い息で魔力を集束させリオン達を守る呪文を唱えるレイ。呪文の完成と同時に一人と一体の落下速度は目に見えて落ちてゆき、ふわりと砂埃を立てながら地面に横たわる。レイが少しでも治療しようと近寄った瞬間――



 ――こら、レイ! 暴れ過ぎだぞ!――



 いきなり風の魔力達逆巻き吠えた。耳をつんざくような大音声に聞き覚えは有り過ぎた。親友ルーティスの魔力を利用したお説教だ。この様子だと相当に激怒しているが……これだけ魔力崩れを起こしたんだ、無理も無いとレイは嘆息して。



「悪かった! 悪かったよ!! 屋敷を守護してた魔獣と精霊の連中一歩も退かねーから徹底的に倒すしか無かったんだよ!!」



 ばつが悪そうに頭を掻いて思い切り言い訳謝罪をする。



 ――あぁ……成程。魔獣と精霊の方が……。それなら仕方ないね。こっちは大丈夫、何とかしといたから――


「サンキュー、恩に着るぜ……おれはちょっと疲れたから後よろしく頼むわー……」



 はぁーと深くため息をついて。レイは魔力から耳を離した。疲労困憊の親友も察してか、ルーティスの代弁をしていた魔力も静まった。



「さぁーて応急手当――は必要ねぇーか」



 緩やかに身体の周りを旋回する風の魔力に触れて、レイは嘆息した。


 改めて見やると。全身傷だらけのリオンと勢いが弱い黒い雷が起き上がりつつあった。



「もー勝負有ったろ、立ち上がるなよ。それ以上戦えばお前ら消滅すんぞ」



 深々と嘆息して。半眼で告げるレイ。



「まだだ……大切な屋敷を護るには、――?!」



 魔力を集束させようとしたリオンは驚愕した。何故なら粒子一粒さえ自分の手の中に来ないのだから。


 慌てて相棒を見やると。黒い雷も力尽きて横たわる大蛇みたいに沈黙していた。



「屋敷が制圧されたのさ。今お前らの屋敷の守護機構はおれの仲間達が手に入れた。もうお前達は自由に動けないぜ」



 そんな二人に淡々と絶望を告げるレイ。



「……私、屋敷を護れなかった。約束、破っちゃった……」



 ぺたんと座り込むリオン。その瞳に光は無い。約束を守れなかった以上、自分に存在価値はもう無かった。その想いに呼応するように、自分の身体が魔力の粒子になって崩れてゆく。



「ほいちょっと待ちなねーちゃん」



 刹那。身体の崩壊が止まる。驚愕に目を見開いて前を見やると、いつの間にかレイが自分の手を握り魔力を注いでいた。



「どうして……私助けるの? 私魔獣だよ?」



 不思議そうに尋ねるリオンに、



「魔獣でも精霊でも人間でも何となく直感的に助けたくなったんだよ。おれ達の目的は難民の安心出来る場所が必要なだけだ。おれの仲間達には屋敷に被害出さないように言うから消えるんじゃねぇ」



 レイはきっぱりと告げた。



「……変な人間」



 リオンはよろけながらも立ち上がり、レイに呟いたのだった。

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