たったひとつの一等星

第14話声を聴く少女

 女神達は伝説の救世主たる還流の勇者を召喚し、その勇者が女神達に叛いたという事実は世界を巡る魔力に刻まれた。それはさざ波であれど無視できるものでなく、揺らぎはその世界に住まう者達の心を揺さぶった。魔力に敏感な者は波乱の未来を予感し備え始め、そうでない者もこれからに一抹の不安を隠しきれない。


 そして。世界で無視出来ない新たな波紋が起こっていた。


 カスタル王国に在る霊峰イリステア。原初の祝福を受けたドラゴンが棲むと謂われた神秘の山脈。その霊峰の反対に広がるオゼル地方は『地方』と呼ばれているように世界から国とは見なされていない。何故ならオゼルはそれぞれの土地を六人の領主が治める独特の場所だからだ。


 霊峰イリステアに一番近い国境線の領地を治める『アルフィード家』


 オゼルの食糧庫と呼ばれた肥沃な中央を治める『コルオード家』


 二分する大河を隔てて北側を守護する一番発展した領地の『ユルグドラ家』


 同じく大河を隔てて南側を守護する『レストアル家』


 最東端を守護する武術に長けた『ハラウト家』


 最後に最西端の一番美しいとされた領地『リリィハーネスト家』


 それらの領主が『不可侵の盟約』と外敵に対しては纏まって対抗するという誓いを結び合い、それぞれが緩やかに統治していた。


 今。このオゼル地方で世界が静かに無視できない事態が進行していた。


 最西端のリリィハーネスト家がアルフィード家の長男である『ウイリアム・アルフィード』と手を組み他領地を侵略して勢力下に置こうとし始めたのだ。最初にレストアル家、次に武芸に長けたハラウト家を落としたリリィハーネスト家はそこから足掛かりに他の領地へ侵攻。現在は六領主中、三名が軍門に降された事になる。


 そして今日アルフィード家も落とされ。次期領主でウイリアム・アルフィードの妹である『ニノ・アルフィード』は生き残った領民や難民と共に辛くも脱出するが霊峰イリステアの麓に追い詰められていたのだった……。


 ◇◇◇


 ニノ・アルフィードは今回の事態に困惑していた。まさか自分の兄が会合に行ったリリィハーネスト家と結託していきなり侵略戦争を仕掛けるなんて思わなかったからだ。普通ならあり得ないそんな事態だったが彼女は自領地の民と雪崩れ込む難民をまとめて脱出まで漕ぎ着けた。


 まだ今年で十四歳になったばかりの少女だったニノだが、何とか今まで学んだ知識を総動員し対処して出来る限り全力で頑張った。でも犠牲だらけだったねと、天使の翼みたいにふっくら広がる亜麻色の髪を肩まで伸ばし、快晴の青空みたいな色の丸い眸で空を仰ぎ嘆息した。現領主である父親を脱出戦で亡くし兄は戦争の首謀者。おまけに食糧難や民の受け入れ先問題もついてくるという、報告は聞くだけ鬱にしかならない代物ばかりだ。しかし気持ちを沈めている余裕も無い。全部聴いて一つ一つ正確に対処しなくてはならないのだと、彼女は自分に言い聞かせた。



「ニノ・アルフィード様。これからどうなさいますかぁー」



 難民達から少し離れた岩場に腰掛けていたニノに、アルフィード家の執事が塵や埃まみれの服と涙目で訴えてくる。もう彼はずっとアルフィード家の執事として仕えていてくれた方で、信頼の置ける存在である。



「食糧や水はどれくらい残っていますか? 怪我人や病人、身体の弱い方々の数はおよそでも判りますか?」



 ニノは執事に向き直ると冷静に尋ねる。



「水も食糧も後二日くらいで尽きますし体力も限界に来ています。それから半数近くは負傷もしくは身体が弱い方々です」


「治療薬はもちろん……」


「ありませぇん!」



 確か自分より歳上のはずなのだが……彼はどうしてこうも小動物みたいなのだろうか? 灰色の髪と中性的な顔立ちに涙を浮かべた執事を見ながら。ニノは『翼ある太陽のアザ』がある右手で顔を押さえた。



「……とにかく何か食べれる物を探しましょう。食糧を手にしつつコルオード領辺りにでも逃げて盟約を理由に交渉すれば立て直せるかも知れませんから」



 嘆息して土埃だらけの髪をかいてニノは右手のアザを輝かせる。



神の力アバスですね! 信じております!!」


「あなたも一緒に探して下さい!」



 きらきらと瞳を輝かせる執事に言い返すニノ。


 そう。ニノには特殊な力があった。神の力――アバスと呼ばれた能力を生まれつき持っていたのだ。この力は勇者の力とも呼ばれ通常の魔法より強く、全ての事象に影響を与える事もあるのだと謂われている。代々この力が現れる者がアルフィード家の当主としての資質有りと伝えられており、当代はニノに現れた。よってニノはいずれ領主になる使命があったのだ。



「もちろんです! 大切な『フォルスタァ』様達の為に頑張ります……!」



 そう返すと執事さんは首から掛けた『八方向の輝きを銀で象った水晶の一等星』のペンダントをぎゅっと『強く握り絞め』て祈る。彼は敬遠なフォルスタァ教団の信徒。何か行動する時には祈りを捧げる習慣があった。



「祈りが叶うと良いですね」



 ニノは彼に微笑みかけた。相手の信仰は否定しない。それがアルフィード家の家訓の一つだった。



「はい、叶えましょう! ところでニノ様。何か『聞こえ』ますか?」



 執事の問いかけに、



「いえ全く。この辺にはあまり植物も無さそうですね……」



 ニノは右手のアザを輝かせ憂鬱に返す。彼女のアバスは『会話出来る』力。それもただの声ではない。動物や人間は勿論、植物や鉱物。何と『魔力』とすら会話が出来るという力だった。本来は高次元まで極めた白魔法でしか扱えないのだが、ニノは生まれつきに使える。それだけでも凄まじい才能と言えた。


 ……とはいえ。話せる相手が居なければ力も持ち腐れというのは厳しい現実であるが。



「どなたかいらっしゃいますか?」



 それでもめげずに問いかけるニノ。でもこの状況なら動植物ではなく土地に話した方が良さそうな気がしたので、アバスの影響領域を生物から地面や鉱物へと切り替えた。それから大気中に在る風や光に成った魔力や他の魔力達にも語りかける。魔力達は世界を巡り様々な情報が溶け込んでいるから色んな事を教えてくれるのだ。


 刹那。音声や聴域では伝わらない声達がアバスを通じてニノの脳裏に響く。



「……『霊峰イリステア方向、北北西に二時間歩けば手付かずになって久しい盆地が在る……ようだ』?」



 ぽつりと訝しげに眉根を寄せ。ニノは聳え立つ山脈の方をを仰ぎ見た。その顔には多数の疑問が浮かんでいる。



「私はそんな話、領地内では聞いた事ありませんよ。それに何故断定して下さらないのですか?」



 もう一度魔力達に語りかける。刹那、風が緩やかに逆巻き光や滴が舞う。そんな光景の中で執事は影の差す顔を斜め下に伏せている。



「『最近現れたのでいつから存在していたか判らない』……?」



 頷くように降り消える輝きを。ニノは疑問の晴れぬ顔で「ありがとうございます」と言いながら見送ると、



(……最近『現れた』? そんな事があり得るのでしょうか?)



 顎に手を当てて考え込む。最近現れた。その表現に一番相応しいのは魔法における結界が消失した事で出現した、だろう。それなら自分達の領地付近でも気づかなかったのは理解出来る。


 問題は今どうして結界が解けたのか、そしてそれが何故今まで魔力に『記録されていなかった』のかだ。魔力は『可能性を現実にする力』。それには過去に起きた事も記録される。現にニノは残された魔力から過去を一部垣間見た事があった。だからこそ、魔力に記録がなされていない今の状況が不可解であった。


 その不気味な場所に行くべきか否か、と言えば行くべきであろうとニノには思われた。現状の自分達には落ち着ける場所が無い。何も無いし予期できない危険があるのだとしても、身を隠し立て直す場所を造るのが先になるだろう。


 とはいえ。



「皆は犠牲に出来ませんので、私が先に行って調査しますね」



 ニノはその方向に足を向けながら呟いた。



「ええ?!ニノ様がいきなり行くんですか?!」



 驚愕する執事に、



「私がこの中で一番調査に向いた能力ですからね。私が真っ先に情報収集するのが得策でしょう」



 胸を反らせてはっきりと言い放つニノ。



「で、ですがニノ様は領主代行ですよ?! 単身で未知の場所に行く等もっての他です!!」



 しかし執事さんは食い下がる。


 彼の言い分にも一理はあるわねと、ニノはまじまじと真剣な彼の眼差しをまっすぐ見返しながら感じた。そう。自分は亡き父から正当に受け取った訳では無いが領主なのだ。今自分が倒れたらどうなるか等予想するまでもない。民の悲痛な声が、怨嗟の声が、手に取るように耳に響く。



「もう一度言います。私以外の誰が行くと言うのですか? 私が一番、不測の事態に対処出来る力を持っているのですよ? 私が真っ先に向かうのが最適なのではありませんか?」



 だがそれでも。これ以外に対処の手段が無い。執事さんもそれは判ってくれているようで何か言いたげにしているが、



「仕方ありません……ね。では皆さんにはそう伝えてきます」



 ため息をついて了承し、民達に自分の領主代行の方針を伝える為に踵を返したのだ。


 ニノはそれを見送りながら不安な面持ちで風が流れる空を仰ぐ。青い空には不可視の魔力達が囁きながら流れていて。ニノはその声に心の耳を傾け続けていた。魔力や自然達は色んな事を語ってくれる。本来人の耳には聞こえないその語りや調べが、ニノは一番好きだった。この声を聴いているのが一番の幸せであるのだから。

 

 心を静めて傾聴していると、不意に魔力達が叫んだ。


 慌てて一番魔力が騒ぐ方向を見上げる彼女。こんなに魔力達が叫ぶのは聞いた事が無い。魔獣の出現などに匹敵するぐらいだ。風の魔力が旋風となり輝く粒子が吹き荒れる。



(強大な魔力の塊が幾つか接近して来てる……!)



 暴れ狂う魔力の中でニノは双眸を細めた。そう。彼女のアバスが魔力達の声を伝えているのだ。凄まじい魔力を持つ存在が、山頂から何かと交戦しつつこちらに迫っているのだと。


 人間、魔法使いだと。周囲で吹き荒ぶ魔力達がニノに告げる。だがニノにはこれ程の魔力を持った人間が居るなんて信じられない事だった。本来なら人間が持てるような力ではないし、人間が手にして良い力ですらない。だが目の前の景色は現実だ。現実に魔力達の反応は正常だしアバスにも異常はない。この状況は事実であった。



(速い。後少しでこっちに来るわ……!)



 魔力達と大気の声を聞きながら、ニノは北北西の蒼空の彼方を見やる。影はまだ見えないものの相手が飛来する方向はそちらからで間違いない。霊峰イリステア、その山あいから、凄まじい魔力のある者達がやってくるとアバスを通じて魔力達が告げる。


 そして同時に。押し潰されそうな『声』達が胸を殴ってきた。



「――?!」



 思わず身体を崩れ落とすニノ。こんな地響きより酷い声は生まれて初めてだ。聞いた事なんてない。まるで闇の中から響く亡者の怨嗟そのものだ。


 やがて小さな影が三人分と漆黒の雷が同時に見えた時。ニノの周囲にいる魔力達の動きが激変した。今まではただ狂乱の様に暴れていただけだったが今度は明るさが増して来たのだ。まるで圧政に喘ぐ民が現れた救世主に歓喜するように、輝度が増して風が緩やかになる。


 もうはっきり。ニノの肉眼にも三人の姿が見える距離になる。一人は蒼髪で、杖に跨がり雷と戦って弾き飛ばしている。もう一人は紅い髪の少女に見え、最後の一人は白い髪の……子供。



「マジであれ居たのか! おとぎ話じゃなくて!!」



 ふわりと風をまとい、蒼髪の少年が興奮気味にニノの付近に降り立った。空色のローブに雷管石を結びつけた樫の杖を持ち、元気いっぱいの黒魔術士だ。



「多分あれは精霊でしょうね。そうでなければあのような行動理由がありませんし」



 次に降り立つのは椿の花みたいに紅い髪に闇色と黄昏色のオッドアイを持つ珍しい美貌の少女だ。静かだがしっかりとした佇まいにはその花と同じ魅力が漂っている。


 しかしこの二人が魔力が異常行動している原因ではないのは明白だと、ニノは悟った。確かに二人も魔力が高い。今まで出会った事があるどんな魔法使いよりもこの二人は強いのだろう。だがこの二人ではない。まだ別の、遥かに超えた存在が居ると、魔力の声達がそう告げている。



「何にせよあそこもう一回調査に行ってみてーな……ってあれ? ねーちゃん誰だい?」



 蒼髪の少年が快晴のような笑顔でニノを見下ろした。



「え? あの……え?」


「すみません。私達は旅の者でして。こちらがレイ・グレック、私がカミーリャと申します」



 呆然としていたニノに、きっちりとした口調で教える紅髪の少女。



「あの。三人はどうして霊峰イリステアか、ら――」



 名前以外の事をニノが尋ねようとしたその時。


 今まで暴れていた魔力達が全て畏まったのだ。王に頭を垂れて敬礼するしもべのように鎮座し『かの存在』を迎え入れる。


 かの存在は何の音も無く爪先からゆっくり足を降ろして。ブーツの先でざっ……と地面を擦る。砂埃が小さく舞い上がり、そして消えた。


 魔力達、静まり返る。自らの主はかの存在と誇示するように。同時に全ての音も消失した。


 かの存在は一歩一歩しっかりと岩肌を踏み締めて。ニノの前までやってくる。その様子はまるで魔神。全ての魔法の創造主と伝えられし『アバルテス』そのものに感じられた。かの存在が畏まる魔力の前を通り過ぎる度に参列に付き従う様子もまた、その姿を彷彿とさせる。


 遂にかの存在がニノの目前まで迫る。かの存在は光を溶かしたような白い髪に星明かりを遮らない夜空のような静かな闇色の瞳をした、まだ八歳くらいの中性的な子供の姿をしていた。


 かの存在がニノの前でぴたりと止まる。付き従う魔力も引き連れた『声』達も静止する。



「申し訳ありません。僕らは旅の者でして」



 かの存在が柔らかな声で見下ろし手を差し伸べると同時に。ニノの鼓動が速くなり、更に呼吸も乱れる。それは目の前にいる者に見惚れたのでは無かった。



「僕の名前はルーティス・アブサラスト。白魔導士です」



 陽だまりのような暖かい笑顔と土砂崩れのような『声』を向けられたニノは。涙を流していた。

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