第13話エピローグ
月も沈んだ霊峰イリステアの夜空をティーダ・ドラゴンのイリステアは不死鳥の姿で翔んでいた。他に追従する者はいない。独りだ。もうじきで明けるであろう闇の舞台に夢幻の虹色の火の粉を撒いて吸い込ませ、孤独に飛行していた。速度はそこまで速くは無い。今の彼女は翔びたいだけだから。本来であればまっすぐカスタル城へ来訪し主であり盟友の女神シィラ・ウェルネンスト・カスタル様に謁見せねばならないのだが……今はまだ孤独に翔んでいたかった。
それはあの還流の勇者と護衛の魔法少女に大敗を喫したのが理由だった。自分は女神シィラ様の盟友にしてカスタルを守護するドラゴン種族。カスタルを、愛した国を護るという想いでは負けなかった。その為に力も鍛えシィラ様より神の力――原初の焔を賜ったのだ。この神殿は自分が守護する責任があった。それなのに易々と落とされたとあっては合わせる顔が無い。勇者の護衛たる魔法少女との戦いの結果は自分にとって納得のいくものではあったが責任は果たせなかった。そんな後悔から今は気持ちを落ち着ける為に霊峰の外縁上空を翔ぶ事にしたのだ。勿論女神シィラ様へ報告を怠るつもりはない。だが今はまだ……翔んでいたかった。
ふと見上げた空には星が夜に負けじと瞬き、少しは慰められた気分にはなったが気持ちを閉ざす靄は晴れないものだった。思えば原初の神殿から飛び立った時は夕暮れ時で今は月が見えない。もうずっと翔んでいたのかと思うと靄が強まった。
もっと速く翔びたいわと。一瞬大きく羽ばたき翼をたたむと、彼女は更に速度を上げた。徐々に明けつつある夜空を虹色に輝かせ彼女は翔んでゆく。どこまでいっても誰もいない空に今は彼女だけ。他の鳥すらいない夜空は自分を慰めてくれそうな気分になる。更に羽ばたき虹色を降らせ、彼女は緩やかに上昇をする。夜空の深奥が自分を受け入れようと腕を広げて待っている、そんな気分になる。上昇速度を上げる為に同じ向きの風に乗り、更に翼をはためかせ昇ってゆく。空の闇は深くいつまで翔んでも先は見えない。それでもイリステアには構わない。翔べる場所、空の果てまで翔んでみたい、という気分だ。もう一度力強く羽ばたき加速。虹色の火の粉が淡雪のように闇夜へ降る。積もらない火の粉はイリステアの周りで霧散し、周囲を照らし出す事なく太古の安らぎの中へと飲まれてゆく。それを見送り続けていると、イリステアは世界の中でぽっかりと孤独な気持ちになってくる。この場所では輝く原初の焔すら頼りない。だが……心は安らぎを憶える。何故だろうか? そしてその闇を見ていると、あの還流の勇者の眼差しを思い出すのだ。
還流の勇者ルーティス・アブサラスト。伝説の英雄にして女神シィラ様が限界まで魔力を使い召喚した最強の戦士。あらゆる厄災を退ける絶対の存在。それが夜空に幻となって浮かぶ。何故今あの勇者が浮かぶのか? イリステアには最初は理解出来なかった。更に羽ばたき上昇。しかしルーティスの幻影は消えたりしない。何故か考え続けていた刹那、イリステアは大きく翼をはためかせて虚空に静止する。そこにあるは全てを覆う夜。決して見通せない闇そのもの。自分自身がこの世界にたった一人なのだとまざまざ解る、そんな場所。音もなく燃え盛る原初の焔を羽ばたかせても全て飲み干されてしまう。そんな闇だった。
またしても還流の勇者――ルーティスの姿が浮かぶ。敗けた事がそこまで屈辱だったのだろうかと思ったが……何かが決定的に違うとイリステアはひしひし感じていた。無音で爆ぜた虹色の焔が目の前で消える刹那を見送りながら、イリステアはその既視感を悟った。ルーティスの眼差しは独りぼっちの既視感に似ているのだと。
あの勇者はずっと独りぼっちで戦い続けていたのだろう。伝説に伝わる魔王との戦いを永遠に繰り広げ、誰にも気を許す事すら出来なかったのだと。たった独りで戦いたった独りで生きて、それしか出来なかったのだろうと。『還流の勇者には並び立つ者は誰も無し』と、歴史書『忘却の戦記』にもそう記されていた。ルーティスは孤独で誰にも理解されずに心を許さずに生きてきたのに違いないのだと、羽ばたき火の粉を舞わせながらイリステアは俯いた。
……なら隣にいた魔法少女は何だったのだ? 瞬間、ぞわりと疑問が脳裏を這いずり回る。『還流の勇者には並び立つ者無し』。それは確かに伝承で伝わる歴史だ。魔法使い達が過去を出来るだけ研究していても、勇者は仲間が居たという事実は無いという。それに魔法少女は女神達の
「ふむ。女神シィラ様に謁見する際に問いかけるか」
ぽつりと独り言が洩れる。どうやら思考が煮詰まって口に出てしまったらしいなとイリステアは苦笑した。もう気は晴れた。閉ざす靄も無い。これから謁見しようと再度翼を大きく広げ。
瞬間に。空間を裂いて飛来する何かの気配を察知した。
「――!」
そのまま羽ばたき上昇。右の片翼を固定しつつ錐揉みに旋回。一気に回避行動に移る。
気配は上昇。どうやらやる気らしい。イリステアは原初の焔を燃やし戦闘態勢に入る。相手は高速で接近してくる気配がするのに視野に飛び込んで来ない。もしかしたらこの夜と同じ色なのかもと予測するイリステア。
(目で探れないなら焔で探るまでよ)
イリステアは双眸を細め原初の焔を上空に解き放ち。辺り一面に暴れ狂う焔の瀑布を創り出す。全てを溶かす灼熱の滝は攻撃と共にイリステアに向かって飛来する『それ』の進路を的確に炙り出す。蛇みたいに長く、光すら閉じ込めるような漆黒のそれはまっすぐにイリステアへと殺到してゆく。
それを見据えてイリステアは双眸を鋭くすると、それに応えるかのように彼女の周りに虹が燃え盛る。空間が悲鳴を上げる虹の幕を貫く漆黒の一条は。彼女に激突する瞬間、轟音と共に弾き飛ばされた。
「いきなり何じゃ? ティーダ・ドラゴンの守護地で攻撃してくるなぞどこの愚か者じゃ?!」
一喝して辺りを睨むも誰の気配も無い。
ただし。漆黒が集合しパチ、パチ……と焚き火のように弾けているのは見えた。攻撃を仕掛けたのはあれか? と、イリステアは周囲を更に灼熱で包みながら予測する。闇を波紋のように陽炎が揺らがせその光景が見えた。
漆黒に染まった火花が弧を描きパリッ……パリ! と辺りに漆黒の橋をかけつつ不気味にゆっくり進む雷をくしゃくしゃに握り潰したような物がある。
漆黒の雷。それが襲撃者の正体だったのだ。
「そなたは何者か? 喋れるなら話すがよい」
イリステアの詰問に。漆黒の雷は蛇のようにうねり襲いかかる。成程これが答えかとイリステアは身構える。大気を殴打するような轟音と共に放電しながら飛来する雷。当たれば即死は間違いないだろう。
だがイリステアは原初の焔で空間を燃やし尽くし雷を弾き飛ばす。雷はイリステアに当たらずに夜闇の中に消し飛んだ。
(倒したのか? それにしては手応えがなかったのう。あれは魔法ではなさそうじゃし……『精霊』か? それなら話が通じるとは考え難い。ちと厄介じゃのう)
灼熱に燃える虹色の豪雨の中で付近を警戒するイリステア。漆黒の雷はイリステア目掛けて殺到する。
雷を見据えイリステアは辺りの焔を操り、焔の塊を無数に叩きつける。文字通り小さな太陽のような焔達が闇を消し飛ばしながら雷の行く手を阻む。雷の負けずと焔を貫きながら迫る。
イリステアは双眸を細め太陽と共に翼を燃え上がらせた。虹色に輝く翼は夜空を焼き僅かな水分が分解されて爆発している。
更に眩しく輝きながら無数の太陽と共に突撃を仕掛けるイリステア。一度大きく羽ばたき高速で雷へと殺到。夜が昼に変わるような虹が爆発して、雷を吹き飛ばし。イリステアはすぐに爆発から離脱し急上昇。自身の隣に虹色の光球を滞空させる。もし精霊ならあんな攻撃では倒れはしないだろうからと次の攻撃へと転じる。
彼女の読み通り雷は自己再生するとすぐさま追撃に移る。長い軌跡を描きながら彼女を追尾し喰らいつこうと迫る。彼女の後背、後少しで虚空になびく尾を捉える瞬間。イリステアは原初の焔を火球にして雷に叩きつけ更に加速。振り切って上昇する。雷もそれに負けじと火球を飲み干し一瞬で殺到。しかしイリステアは緩く右に錐揉み回転して急降下。更に上昇。優雅にかわす。
(……こちらを何としても倒す気か)
空間を焦がしつつ双眸を細めるイリステア。あの雷が自分を徹底的に攻撃しているのだというのは判る。それも駆逐ではなく迎撃にだというのもこれが領空の違反に対する攻撃だというのも、だ。そこまでしてこの付近に何があるのか。それが少々気になるところだ。
(妾の守護する霊峰で勝手な真似はさせぬ。痛い目を見せつつ探らせて貰おうか)
飛来する漆黒を急旋回と降下して巧みに回避するイリステア。薄い金色に照らされる雲と明け星が輝く空に、漆黒が轟き虹の火の粉が舞う。
何十度目かの一撃を急上昇から横に回転してかわし、彼女は翼を優雅に羽ばたかせ自分の周囲に虹色の羽根達を降らせた。一見するとそれはただ焔で出来た羽根であろう。しかしこれは原初の焔、強大な力そのものだ。
イリステアがちらりとそれを見やると焔が燃え盛り。
何ともう一人イリステアが登場した。最初は一人。だが次々羽根はイリステアの分身となり、無数の軍勢となって立ち塞がる。原初の焔は始まりの焔。新たな分身を創り出す等造作もない技だ。
ばさりと、成人男性四人分は有りそうな虹色の巨大な翼をはためかせ人の姿にイリステアはなると。くるりと横に一回転して指で雷を討てと指揮する。虹色の焔で出来たイリステアの分身は雷へと殺到し、完全に押し止めた。
「しばらく妾の分身と戦っておれ」
ばさりと翼をはためかせ。イリステアは急速に降下してゆく。最初から今までの攻防であの雷には一定の動きがあるのにイリステアは感づいていた。激しい攻撃を仕掛けつつさりげなくとある場所へ自分が向かうのを避ける動きをしていたと。場所はちょうど霊峰の麓、山脈で周りのほとんどを覆われた盆地だ。陸路は細いあい路だけしかなく空からでなければ侵入は難しいだろうと思われた。土地はとても広い。場所はちょうどカスタルとの国境付近。我が領地たる霊峰にこんな広い土地があったのかと訝しむイリステア。
地面にもう少しで到達する瞬間。彼女の視界に巨大な屋敷が一軒飛び込んだ。何だろうか、あれは? イリステアは進路を変えてそちらへと向かう。大きく羽ばたいた時に風が起きて、生い茂る長い雑草を揺さぶり倒す。もう永い年月、手入れはされていないような土地だ。誰もこの地には住んでいないのだろうとイリステアには容易に理解できた。やがてその屋敷の花が生えた塀を超え庭に侵入し、イリステアはふわりと草むらをなびかせ左の爪先から敷地の中に降りる。
そこは色褪せた四階建ての石造りの廃屋だった。ざっと見る限り土埃や汚れた緑色の蔦が壁に絡み付き壁面もひび割れ、扉の上にあしらわれた『八方向に輝く一等星の紋章』もぼろぼろになっているので、誰も住んでは居ないのと放置されて幾年月が流れているのは明白だ。だが。見た目は簡素だが土台や石組み等の基礎造りがとても良い。それを見るに元々は名の有る貴族でも住んでいたのかも知れないなとイリステアは予想した。
(……だが何故このような建物が妾の領地にあるのだ?)
イリステアの双眸が更に細くなる。彼女にとって自らの名を冠するこの霊峰は庭なのだ。毎日のように領地を翔んで見回りは怠らないし常に警戒している。特にここは国境付近。カスタルを脅かす者達が山越え等しないようにするのもティーダ・ドラゴン種族の役割であった。
それなのに、今日初めて、この場所を見つけたのだ。こんな建物を今まで見逃していた等考えられない。例え人払い系の魔法で隠蔽していたのだとしても、だ。
ここには何かある。それも見逃してはいけない程の何かがあるのだと、イリステアの直感がそう囁いてくる。今すぐにでも中に入り調査すべきだと決断し右足を踏み出した。その瞬間、激痛が走り顔をしかめ止まってしまう。
(そう言えばまだあの魔法少女との負傷が癒えていなかったわね)
骨を削るような鈍い痛みを味わいながらイリステアは悟る。彼女との戦いで負った右足の負傷。それは原初の焔の力ですらすぐに治らなかった。蹴り込む角度も瞬間も完璧だったし相手の防御よりも速く仕掛けた攻撃なのにこちらが傷を負った。向こうも同じように負傷したようだが……自分の方が重傷であったのは間違いない。冷や汗を少しかきながら踞り、上空を見上げるイリステア。
もうすぐ朝日が昇る。自分の分身は未だに雷と交戦中だが、雷の方も全力で攻撃をしている。そろそろ分身が怪しいだろうと思われた。
仕方ない。調査はまた後で他の者達に頼むとしようと。イリステアは巨大な焔の翼をばさりと広げ飛び立つ準備に入る。ふとその時、塀に生えた花が視界に映る。
紅い花だった。一枚一枚がしっかりとした厚さの花弁に黄色い芯が見える。完全に開く形の花ではないのか、ひっそりとしている。しかし存在感はとても強い。この一輪を見落とす事など出来はしない、それぐらいに凛として咲いている花だった。
「……おや、この花。あの娘が好きじゃったのう」
花と一緒に知り合いの顔を思い出し、笑顔を綻ばせるイリステア。瞬間ぽとりと花弁が散らずに花ごとそのまま落下し始める。
「おっと危ないわ」
手を伸ばし花弁を取り、イリステアは安堵の息を洩らす。手にしたそれは濃厚な紅い花だ。一輪でも存在が咲き誇る。
イリステアがじっと見つめたその紅さの中に、あの魔法少女が浮かぶ。あの魔法少女もこの花に良く似ていた。静かだがしっかりした佇まい、凛とした美しさが良く似ている気が。そう言えばと彼女の名前を思い出し、ふふっと笑いが出てきた。
「せっかくの一輪じゃ。貰ってゆくぞ」
羽根を一枚その花に融合させ、イリステアは髪飾りへと使う。同時に雷が分身を振り切ってイリステアを呑み込もうとするが。
「すまぬ。失礼するわ」
翼の一払いで沈黙させた。そのまま雷が再生するより早くイリステアは上空に舞い上がる。
「いきなりの来訪を失礼した。妾とてやらねばならぬ事もあるからの」
謝罪をして一息に加速。暁が燃える空に吸い込まれるように翔んでゆく。
あそこの場所は覚えた、目印もある。妾の種族の戦士と他の魔法使い部隊を女神様に派遣して貰おうと決意を固めるイリステア。
霊峰イリステアの麓、カスタルとオゼル地方の国境付近にある朽ち果てた廃墟。この場所が新たなる戦場になる事は、まだ誰も知らなかった……。
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