迷信聖女は不要らしいので、私は騎士と幸せを探しに行きます。

銀杏鹿

第1話 アイ・アム・ア・ロック◇

 宮殿を抜け出した筈の私は、外へ続く橋を渡り切れずに、背中から落ちていた。


 もうすぐ私の人生は終わる。


 耳には、激しく風を切る音。


 橋が遠ざかり、髪は激しく揺れてなびく。


 白い雲が空を覆って、その先は何も見えない。


 体の自由は効かず、掴める物は何もない。


 世界にあるものは全て、あるべき姿に戻ろうとする。


 石は空にあるべきものじゃない、だから地面へ向かって落ちる。


 私も落ちて、あるべき場所へ行くのだろう。


 私はずっと、ただの石ころだったから。



◇◇◇◇◇◇◇◇



『……神の御加護を』


 今日もまた、一人で祈祷を終える。


『……はぁ』


 寝転がると、頬には柔らかい草花の感触。横目には床一面を覆っている緑の葉や白い花。


 見上げたステンドグラスの丸い天井からは、冷ややかな光が差す。


 窓のない室内庭園には、甘い香りの煙が漂う。


 その景色は今日も、何も変わらない。


 この庭園にあるのは、昼か、夜か、という違いだけ。


 外では"季節"ごとに咲く花は違うと言うらしいけれど、私は見たことがない。


 たとえば、"夏"というのは"暑い"から、"海"という果てしないほど大きな水溜りで泳いで涼を取る……らしい。お父様はそう言っていた。


 いつか、外へ出て泳いでみたいとお願いしたけれど、それは許されなかった。


 病気だから外に出すわけには行かない、と。


 お父様……皇帝陛下は…陛下だけじゃない、私の知る人は全員、私のことを病気だと言う。


 確かに、薬のお香が無いと本当に頭が痛くなるし、吐き気もしてくる。


 けれど、薬が効いている間は目が回って、まともに考える事もできない。


 物心ついた時にはもう、そうだった。


 お父様が私に与えたのは、聖女としてこの庭園で祈る役目。


 そしてお母様の形見、暗い虹色の宝石。


 私の現実は何も変わらない、何も起きない。


 唯一の楽しみは寝ること、夢を見ること。


 見る夢も毎日変わらない、話でしか知らない海の夢。


 夢の中で私は、海を回遊する大きな"鯨"になって、青く広がる世界を泳ぎ続ける。


 壁に遮られることなく自由に。


 色取り取りの魚達や、珊瑚達を横目に、ただ深く、深く泳ぎ続ける。


 私とは違う鳴き声で歌う鯨の群れを眺め、私は一人、泳ぎ続ける。


 夢の中でさえ私は一人だけれど、そこに僅かな幸福と自由があった。


 それしか、私にはなかった。

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