第93話 予防接種と自衛隊のこと
予防接種と自衛隊のこと
「いい天気でよかったなあ、サクラ」
「わん!」
「本当によかったわね、サクラちゃん」
「わふ!」
・・・心が痛いなあ。
大木くんの所で襲撃者を撃退した次の日。
俺はサクラと神崎さんを乗せ、軽トラを走らせていた。
行先は隣町の秋月総合病院・・・自衛隊の運営している避難所である。
昨日は3人でひいこら頑張って瓦礫や人間パーツを撤去。
有機的な破片については、奴らの乗ってきたトラックに積み込んで近所の適当な空き地で焼却処分した。
もう夜が近かったので、古本屋の捜索は泣く泣く諦め帰宅した。
そして今日また改めて行こうかと考えていると、友愛で拾った神崎さんが話があるという。
「ちょうどいいので、サクラちゃんも済ませておきましょう」とのこと。
そう、『狂犬病の予防接種』である。
自衛隊には、警備犬と呼ばれる犬たちがいるらしい。
今日は秋月総合病院で、その一斉予防接種が行われるとのこと。
そしてなんと、サクラも一緒にやってくれるそうな。
それは確かにありがたい。
こんな状況で狂犬病にでもなられたらなすすべがないし、人間に感染したら目も当てられない。
ありがたい・・・のだが。
こんな無関係な無職の飼い犬に、貴重なワクチンを使ってもいいのだろうか。
そりゃ今まで何かと仕事はしたが、さすがにワクチンは気が引ける。
貴重だろうし。
辞退しようとすると、神崎さんが理由を話してくれた。
なんでも、このゾンビ騒動によって警備犬が多数行方不明になっているので、ワクチンが余りに余っているのだという。
そういうことならと、お言葉に甘えることになった。
俺みたいに犬を飼っている酔狂な人間なんて、そうそういないだろうし。
というわけで、今こうして向かっているというわけだ。
『おでかけですか?』みたいなキラキラ顔のサクラを見ると心苦しい。
なんか狂犬病の予防接種って、犬が怖がって大暴れするイメージがあるんだよなあ。
友達の飼い犬なんか、ビビりすぎて失禁したらしいし。
「神崎さんの飼ってた・・・ええとノブツナくんは接種の時どうしてたんですか?」
「・・・ノブツナは雌です」
えええええええ!?
今明かされる驚愕の事実である。
「あの、小学2年生だったのであまり深く考えず・・・子犬の時から精悍な顔つきだったので、てっきり雄かと思いまして・・・」
「な、なるほど・・・」
神崎さんは恥ずかしそうに頬を染めている。
小学生の頃にもう上泉信綱を知ってたのかこの人・・・それも驚きだ。
「しかもそう呼び続けていたので、雌だと気付いた時には彼女は既にノブツナを自分の名前だと認識してしまって・・・」
ああうん・・・誰も悪くはないなあ。
「可哀そうなことをしました・・・」
「いやまあ、可愛がっていたなら別に・・・大丈夫じゃないですか?」
俺も子供の時だったら銀とかリキとか付けちゃったと思うもん、サクラのこと。
・・・しっかりと確認しておいてよかった。
「・・・ええと、予防接種のことですよね?騒ぎはしませんでしたが、毎回軽く失神していました」
「失神!?」
「ええ、綺麗なおすわりの姿勢で針を刺された瞬間に失神していたんです・・・ふふ、笑っちゃいけないんですけど今思い出しても・・・」
そりゃまた器用な失神だな。
まあ、そうしておけば注射は認識できないと思うが・・・中々すごい特技?だな。
しかし、果たしてサクラはどうなるものか・・・
神崎さんの膝で寝るサクラを横目で見ながら、アクセルを踏み込んだ。
病院に着くと、いつものように駐車場に車を停める。
サクラはポシェットに入れる。
安全とは言え初めての場所だからな。
用心はしておこう。
「一朗太くんじゃない、それに神崎さんも」
病院の玄関先で、花壇(今は野菜畑のようだが)に水をやっている坂下のおばさんに声をかけられた。
「坂下さん、おはようございます」
「おはようございます、おばさん」
寄っていくと、おばさんはポシェットのサクラに目を落とす。
「あらまあ、かわいらしいぬいぐるみねえ、生きてるみたい」
「わふ!」
美玖ちゃんに続き、おばさんにもぬいぐるみと勘違いされたサクラが可愛く鳴く。
「あらぁ・・・あらあらあらまあ~かわいいわぁ~!ね、一朗太ちゃん!だっこしてもいいかしら?」
「はい、どうぞ。サクラ、この人は由紀子お姉ちゃんのお母さんだぞ~」
サクラに言いつつ、ポシェットからサクラを抱き上げておばさんに渡す。
とろけそうな顔のおばさんは優しくサクラを抱きとめ、頬ずりをするように抱えこむ。
「サクラちゃんって言うの?いいお名前ねえ~・・・よしよし」
「わふ・・・ふぁふ・・・」
おばさんは優しく優しくサクラを撫でる。
サクラの方も、されるがままに目を閉じている。
どうやらおばさんが気に入ったようだ。
由紀子ちゃんと似たものを感じたのかな?
「ん~っ!お日様の匂いがするわ、それにいい毛並み、可愛がってもらってるのねえ・・・一朗太くん、それで、どうしたのこの子?」
「実は・・・」
おばさんに、これまでの顛末とここに来た理由を軽く説明する。
「そうなの・・・サクラちゃん、大変だったのねぇ・・・」
軽く涙ぐんだおばさんは、サクラに語りかける。
「もう大丈夫よ、一朗太くんはきっとあなたを立派に育ててくれるわ」
「ひゃん!」
おばさんの顔をぺろりと舐めたサクラは、その顔を見つめて一声吠えた。
「ふふ・・・まるでわかってるみたい」
「うちの子は賢いですからね!」
思わずどや顔になってしまう、
これが親バカの心境というやつなのかもしれない。
「まあ・・・すっかりお父さんねえ、ふふふ」
「ええ、いいお父さんですね」
神崎さんも面白そうに微笑んでいる。
おばさんが返してきたサクラをポシェットに入れる。
「じゃあおばさん、また。これから予防接種なんで」
「もし怖がったら、いっぱい慰めてあげてね。またねえ、サクラちゃん」
「わふ!」
歩き出したが、神崎さんがおばさんに呼び止められた。
先に行っていて、ということだったので病院の中庭に向かう。
あらかじめ場所を聞いておいてよかった。
「おおー、お兄さんお姉さんがいっぱいだなあサクラ」
「・・・ぁん」
中庭に着くと、そこには自衛隊の人たちと一緒に警備犬がいた。
全部で20匹くらいだろうか。
全てがシェパードである。
パートナーの自衛官の横に、きちっとおすわりして並んでいる。
その先頭には獣医さんであろう、迷彩服の上に白衣を羽織った人が椅子に座っている。
中庭に置かれた机の上に、ずらりと注射器が並べられている。
・・・こうして見ると壮観だなあ。
サクラは初めて見るであろう大勢の同族に気後れしているようだ。
耳がぺたんとしていてかわいそうだがかわいい。
サクラの頭を撫でつつ、最後尾だろう場所へ並ぶ。
「こんにちは」
前の男性自衛官に声をかける。
挨拶くらいはしとかないとな。
「こんにちは、え?子犬・・・?」
振り向いた精悍な顔の自衛官は、俺の胸のサクラを見て目を丸くしている。
そりゃそうだ、警備犬の集団接種に明らかな子犬が混ざってるんだもんな。
加えて俺もどう見ても自衛官ではないし。
脇差を腰に差したよくわからん無職である。
「あ、もちろん花田一等陸尉の許可は取ってありますよ」
「そ、そうですか・・・」
男性自衛官は不思議そうな顔をしているが、なんとか疑問を飲み込んだようだ。
ここにいる時点で許されているようなもんだしな。
不審者ならまず門から中に入れてもらえないし。
「あの・・・撫でてもよろしいでしょうか?」
「どうぞどうぞ」
やはり警備犬のパートナーだけあって犬好きなようだ。
結構ごつい顔をほころばせて、彼は嬉しそうにサクラを撫でている。
サクラも嬉しそうだ。
基本的に人懐っこいしな、サクラ。
そうしていると、彼のパートナーであるシェパードも興味深そうにサクラを見つめている。
「やあ、君はかっこいいね。お名前は?」
「チェイスと言います」
男性自衛官が教えてくれた。
おお、名前までかっこいい。
いかにも速く走れそうだ。
「こんにちはチェイスくん・・・撫でてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
ゆっくりと手を近づけて撫でると、チェイスくんは目を細めて受け入れてくれた。
姿勢は揺るがない、少し尻尾が左右に振れる程度だ。
しっかり訓練されてるなあ・・・
サクラも鼻を突き出して興味津々だ。
「・・・わふ」
「・・・ヴォフ」
お互いに自己紹介のつもりだろうか、鼻先をくっつけて挨拶をしている。
気のせいか、チェイスくんも優しい目をしているなあ。
大型犬は子犬に優しいと聞いたことがある、それだろうか。
サクラ、お前も優しい犬になるんだぞ。
「・・・遅く、なりました」
そうしていると、何故か俯き加減の神崎さんが合流してきた。
・・・おや、どうしたんだろう。
顔が真っ赤だ。
「神崎さん、どこか体の具合でも・・・?」
「にゃ、にゃ・・・なんでも、ありません!」
・・・?
まあ、神崎さんが言うのならいいだろう。
前を向くと、先程の自衛官が驚愕の表情をしている。
どうしたんだろう、神崎さんの知り合いだろうか。
「・・・失礼ですが、お名前は田中野さんでいらっしゃいますか?」
変に改まった口調で話しかけてくる。
「・・・ええ、そうですが・・・」
「・・・あなたがそうですか、なるほど」
何やら勝手に納得されたぞ。
え?なに?俺って有名なの?
それとも見覚えないけど、知り合いだったりする?
「あの・・・それはいったいどういう・・・」
「田中野さん!列が動き出しましたよ!!」
うおお、神崎さんが急に背中を押してきた!
・・・あ、ほんとだ。
ふむ、何か釈然としないがまあいいだろう。
思えば俺も、ここで結構色々やってるもんな。
肩の件で短期入院もしたし。
たぶんそれだろう、それしか思い当たることがない。
前の方から順番に接種が行われていく。
・・・さすが自衛隊のワンちゃんたちだ。
キャンともワンとも鳴かず、粛々と注射されていくな。
これならサクラも怖がらないんじゃなかろうか。
とまあ、そう思っていたわけなんだが・・・
「おい、サクラ大丈夫かおい」
「きゅ~ん、きゅ~ん」
小型の削岩機かってくらいブルブル震えている。
前の様子を確認してからずっとこうだ。
顔をのけ反らせて器用に俺のベストの中に突っ込んで、前を見ようともしない。
「大丈夫よサクラちゃん、大丈夫だから」
俺や神崎さんが背中をさすっているが、獣医さんであろう自衛官に近付く度に震えがひどくなる。
ううむ、かわいそうだが接種は必要だからなあ。
我慢してもらうほかあるまい。
ついにサクラの番が来た。
「おや、これはまたかわいい子が来たね」
50過ぎくらいの獣医さんが、顔をほころばせる。
「今回が初めてなんです、あの、野良犬だったんで正確な年齢がわからないんですが・・・」
「ふむ、ちょっといいかな」
手を伸ばしてくるので、サクラをポシェットから出す。
サクラは俺と離されるのが嫌なのか、耳と尻尾をぺたんとさせながらひゃんきゃん大騒ぎだ。
「はは・・・大丈夫だよおチビちゃん、痛くないからね」
獣医さんは震えるサクラをなだめつつ、机の上に置き、体の各所を撫でながら触る。
「生後・・・約半年未満だね、おそらく」
獣医さんは先ほどとは違う注射器を拾い上げた。
「花田一等陸尉から連絡は受けているからね、子犬用の物を注射するよ」
そう言うと、震えるサクラにさっと注射した。
サクラはまだ震えている。
・・・これひょっとして気付いてないのか?
「おいサクラ、終わったぞ」
「終わったわよサクラちゃん」
サクラを抱き上げて抱っこすると、しばらくして震えは止まった。
『・・・あれぇ?』みたいな顔で俺たちを見ている。
「フィラリアやダニの予防薬はあるかい?」
「ああ、はい、持っています」
「ふむ、でも予備があるから持っていきなさい、腐るようなもんじゃないし」
なんとも至れり尽くせりである。
元から高かった俺の自衛隊への好感度がもうストップ高だ。
「よく頑張ったねえおチビちゃん、はいご褒美」
獣医さんは白衣のポケットから骨の形をしたおやつを取り出し、サクラの鼻先に持ってくる。
サクラはきょとんとした顔でそれを見ている。
「サクラ、食べていいよ」
「わふ!」
俺の許しを得たサクラは嬉しそうに齧りついた。
「子犬はちょっとしたことですぐに体調を崩すからね・・・何か気になったら連れてきなさい、私はここに常駐しているから」
「ありがとうございます、関係がないのによくしてくださって・・・」
礼を言うと、獣医さんはなんでもないと言うように手を振る。
「私は犬が大好きだからね、気にしなくていい。それに君は・・・いや、何でもないよ、うん」
にこやかに答えた獣医さんは、視線を少し動かした後口を濁した。
何かを言いかけてやめるのは気になるからやめていただけませんか・・・?
なんだよ俺どんだけ変な評判なのここで!?
薬を受け取った後、由紀子ちゃんからおばさんに手紙を預かっていたことを思い出した。
今日来る途中に、おっちゃんの家に寄った時に渡されていたんだった。
さっき会った時は予防接種に気を取られてすっかり忘れていた。
「サクラちゃんは私が見ていますので」
という神崎さんの言葉に甘えて、しばし別行動をとることにした。
さすがに病院の中に犬を連れて行くわけにはいかんからな、盲導犬でもないのに。
犬アレルギーの人とか、犬が嫌いな人もいるだろうし。
おばさんに手紙を渡し、少しの間世間話をして別れた。
早く由紀子ちゃんも行き来できるようになればいいのになあ・・・
自衛隊と警察には頑張っていただきたい。
そんなこんなで1階まで階段を下り、もうすぐ出口という所で声をかけられた。
「失礼ですが、田中野さんですか?」
廊下の暗がりから出てきたのはセミロングの女性自衛官である。
キリっとした顔だ、神崎さんにちょっと雰囲気が似ているな。
デキる女性自衛官はみんなこうなのかもしれない。
神崎さんより年下っぽいな。
「ええ、そうですが・・・」
しかしよく知られているな俺も。
真剣に評判が気になってきたぞ、これは。
「やはりそうですか、私は山田と申します、あの・・・少しお話が・・・」
「お話ですか?はい、なんでしょう」
ふむ、なんだろうな。
花田さんからの伝言だろうか。
そう思っていたが、不意に違和感。
・・・殺気!
山田と名乗った女性自衛官は、いきなり予備動作なしの鋭い前蹴りを放ってきた。
避けるにはもう遅すぎる!
咄嗟に腕を出し、俺の鳩尾を狙って放たれた蹴りを交差した両腕で受け止める。
いってえ!骨まで響いた!
なんちゅう重さと速さだ、これが女の蹴りか!?
抗議する間もなく、山田(敬称略)は引き戻した足を軸足にスイッチ。
刈り取るような軌道の下段蹴りを放ってきた。
後方に跳びつつ躱し、構えを取る。
両腕に痺れに似た痛みがあるが、無視できる範囲だ。
「・・・いきなり何なんだ、あんた!悪ふざけはやめてくれないか?」
俺の言葉に対する山田の返答は、踏み込みつつの右正拳であった。
恐ろしい伸びと速度を持ったそれを、添えた腕でいなす。
くっそ、反らしそこなったら結構痛そうだ!
「ああそうかよ・・・そっちがその気ならこっちにも考えってもんがあるぞ?」
またもや無言で前蹴りの体勢に入る山田。
もう何が何やら見当もつかないが、黙ってボコられる趣味は俺にはない。
「ッシ!!」「っぐ!」
前蹴りに合わせて斜めに踏み込み、威力が乗る前の蹴りをいなしつつ膝下に肘を入れる。
伸びた状態の関節に肘だ、さぞ痛かろう。
痛みに怯んだ山田に、体重を乗せた男女平等タックル。
下からかち上げるように、肩を胸に叩き込んだ。
「ごほっ・・・!」
せき込みながら山田は後退・・・へえ、倒れないぞ。
なかなかのバランス感覚だな。
だが膝へのダメージはでかいはずだ。
略奪者が相手ならここで一気に畳みかけるところだが、相手は自衛官。
さすがに殺すわけにもいかんな。
何よりここは自衛隊の駐屯地みたいなもんだし。
だが現状殴り掛かってこられてるのはいかんともしがたい。
仕方ない、正当防衛が成立する可能性に懸けてボッコボコにしよう。
脇差、手裏剣の使用は相手が刃物を出すまで封印。
あくまでも素手には素手。
俺は抵抗するで・・・全身で!
意識を切り替え、拳の握りを変える。
今までの握り拳から柔らかい平手へ。
体重を若干前にかけ、少しだけ前傾に。
南雲流、徒手の型「翡翠しょうびん」
名前がいささか情けないが、これはカワセミの古語らしい。
簡単に言うとカウンター主体の構えだ。
正直剣に比べればあまり慣れてはいないが、それでもかなり(師匠に無理やり)練習させられたので型は覚えている。
攻めの型より分かりやすいし。
じりじりとすり足で距離を詰め、間合いの手前で止まる。
急に構えの変わった俺を警戒してか、山田も動かない。
さあ来い、根競べは得意なんだ。
それに、いつ他の自衛官が来るかもわからんだろう。
この状況では時間は俺の味方だ。
「・・・っ!」
業を煮やしたのか、山田が動く。
素早く踏み込み、左右のジャブを連打してくる。
それを最小限の動きで平手で叩き、軌道を反らせる。
打ってこい打ってこい、いくらでも付き合ってやる。
あっず!顔掠った!
痛い!!!
暗器かなんか握ってんのか!?
連打に紛れ、山田が踏み込む。
大技の予感!
顔への連打で意識を逸らして、本命は鋭いフックか!
だがそれは想定済み!
こいつ、能力は高いが攻めが素直すぎる。
性格の悪さなら俺の足元にも及ばんな!
右フックを、ほぼ山田に密着するように踏み込んで躱す。
ここだぁ!
「はぁっ!!」「~~~~!?」
体重を乗せた右肘を、山田の脇腹に思い切り叩き込んだ。
みしりと骨の軋む感触。
どうだ!この距離じゃあパンチは打てまい!
だが肘なら十分な威力になる。
「~~~~うっ!!!」
山田が後方に下がりながら、苦し紛れに左ストレート。
俺に離れてほしいんだろうが、そうは問屋が卸さんぞ!
さらに踏み込み、勢いをつけた左手の肘で山田の肘を打ち、拳の軌道を跳ね上げる。
「せいっ・・・やぁ!!!!」
がら空きになった鳩尾に右肘での打突。
一拍遅れて胸の中央に左肘を叩き込んだ。
南雲流、『双輪ふたわ』
体重を乗せた肘を、左右2連撃で叩き込む技だ。
本来は2撃とも胸骨の中央に打ち込む。
また、捻るように打ち込めば胸骨にもっとダメージを与えられるが、今回はやめておく。
山田が可哀そうなんじゃなく、背後の自衛隊に遠慮してのことだ。
まともに入れば最悪死ぬしこれ。
さすがにこれは我慢できなかったようで、山田は床に倒れてのたうち回っている。
口から吐しゃ物までまき散らしている。
申し訳ないがわが南雲流は男女平等に暴力を振るう。
殺さなかっただけありがたく思ってもらいたい。
ちなみにお気づきであろうが、翡翠の型は平手で攻撃を反らし、急所に肘か膝か肩もしくは額などの人体の硬い場所をとにかくぶち込む簡単にして物騒なものである。
師匠曰く、連撃をぶち込んで瞬間的に疑似的な心停止を引き起こすのが理想だそうだ。
できてたまるかそんなもん。
あ、でも師匠はできそうだな・・・
「ぐうっう・・・ううううぅうう!!」
そんな風に考えていたら、なんと山田が立ち上がった。
なんというタフネス!
床に唾を吐き、口元を拭った山田は恐ろしいほどの殺気を込めて俺を睨む。
・・・マジでこんなに恨まれる心当たりがないんだけど・・・
アレか?原田か中島の関係者か?
いやでもあの話はこっちに伝わってないしな・・・皆目見当がつかない。
「・・・んで、こんな、やつにぃ・・・」
なにやらブツブツ呟きながら、山田は腰に手を伸ばす。
そこには大き目のナイフが刺さっている。
「・・・やめろ、傷んだ腕と体で抜くより俺の脇差の方が早い。お前は大嫌いだが自衛官を殺したくはない」
言いつつ、鯉口を切る。
これでどうあがいても俺の方が早く抜ける。
間合いも俺の方が長い。
コイツに勝ち目はない。
「どうしてもって言うなら、自衛隊を辞めて街中で襲ってこい・・・そしたら喜んでぶち殺すから」
山田の手は止まらず、ナイフホルスターの留め金を外す。
・・・駄目か・・・
銃殺されないことを祈ろう。
俺はこのレベルの刃物を持った相手を殺さず無効化する自信がない。
・・・バッシング覚悟でさっき膝でも破壊しときゃよかった。
山田の手がナイフの柄を逆手で握る。
俺は右手を脇差に滑らせ、左腰を引きながら抜刀を・・・
「がっ!?」
・・・する寸前で止めた。
山田が手を押さえて震えている。
そこに深々と刺さっているのは・・・
棒手裏剣。
入り口の方向を見ると、逆光になっていてわかり辛いが神崎さんがいる。
サクラは・・・いないな。
誰かに預けたのか?
「・・・」
カツカツとブーツの音を響かせて、速足で神崎さんが近付いてくる。
「ぐううっ・・・!あ・・・せ、せんぱ」
山田が神崎さんを見て顔をほころばせた瞬間。
スパァン!という音と共に、山田は白目を剥いて崩れ落ちた。
・・・右拳、いや掌底打ち・・・か?
視認できるギリギリの速度だった。
おっかねえ・・・山田とは桁違いのスピードと正確性だ。
「行きましょう、田中野さん」
まるで虫を見る目で床の山田を見ながら、俺を見ずに告げる神崎さん。
「いやあの・・・でもこの始末は」
「問題ありません、後で説明します」
「誰か人を呼ばないと・・・」
「問題ありません、このまま寝かせておきましょう」
「いやあの・・・」
「行きましょう、ね?」
「ハイ」
カツカツと歩く神崎さんを追いながら、俺は釈然としない気持ちを押し殺した。
・・・だって神崎さんすっげえ怖いもん。
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