第2話 あの日のこと

あの日のこと 








えーと、どこまで話したっけな。


ああそうだ、俺が無職になった顛末だった。




好き勝手に暴れた俺に残ったのは、結構な額の退職金と、激務ゆえにほぼ手つかずだった貯金。


俺一人なら何年かは暮らしていける金額だった。




前会社の独身寮から出た俺は、その後実家へと身を寄せることにした。


一人暮らしも少しは考えたが、この土地から一刻も早く逃げたかったのだ。


フラフラ出歩いているときに、元同僚などに見つかったら気まずいことこの上がない。


あの糞社長の取り巻きには恨まれていることだろうし。


因縁をつけられたら最悪もう一回警察沙汰になってしまう。


俺は好戦的ではないが、殴られたら殴り返すくらいの心意気はあるつもりだ。






そんなこんなで、何年かぶりに生まれ故郷の地方都市へと帰ることになった。


しばらくはのんびりして、その後適当に仕事を探そう。


それなりの資格は持っているし、『書類上は』円満退職した身だ。何も問題はない。




母親には退職したことに対し、散々小言を頂戴したが女性を救ったことは褒められた(厳密に言うと救ったわけではないのだが)


俺と同じく能天気な父親には、これで釣りの仲間兼運転手ができたとのんきに喜ばれた。


就職して家を出ていた妹には、ため息をつかれもしたが、丁度いいからと両親の世話を頼まれた。






無職になった俺は意外と忙しく過ごしていた。


正直、一日中ゴロゴロしていたかったがそうもいかない。


実家に金を入れているとはいえ、無職に対する風当たりは結構強いのだ。


積極的に外に出て家の周りの掃除をしたり、近所の爺さん婆さんの話に付き合ったり、時には買い出しの代行もしてやる。


町内会のドブ掃除には率先して参加し、ゴミ捨て場にカラス除けネットをかける。


こうすることで俺は、




『〇〇さんちの何してるかよくわからない無職の息子』




から、




『○○さんちの休職中のよく働く人当たりのいい息子』




という得難い地位を手に入れたのだ。


とかくこの世は住みにくいものであるなあ。






それから何事もなく二か月が過ぎた。




俺はごく一部の住人を除き近所から一定の信頼を得るに至った。


俺以外の状況は移ろいゆくもので、妹はいつの間にか交際していた、会社の同僚である人のよさそうな青年と結婚することとなった。


二回ほど顔を合わせたが優しそうでなかなかいい青年だった。無職に触れてこなかったし。


あの気の強い妹の相手もこれならできるというものだろう。


未来永劫円満に過ごしてほしいものだ。




それなりの結婚式の後、妹夫婦はハネムーンになんとかという南の島に行った。期間は2週間。


お互いの両親を招待するというおまけつきで。


おいおい結婚式にハネムーンとそんな大金を一気に使ってもいいのかと一瞬心配したが、二人ともそれなりの高給取りだった。


正直、会社員時代の俺よりもだいぶ多い気がする。


世は不平等である。






その後、俺は実家で自由を満喫する日々を送ることとなった。


近隣との付き合いはあるものの、家の中では誰の目も気にしなくてもいい!


朝から寝間着で過ごしていいし、居間の大きな机の上でプラモデルを好き放題組んでもいい。


宅配ピザ片手にゲームの世界を思う存分堪能していい。


積んでいるDVDを片っ端から見てもいい。


眠くなったら寝て、起きたくなったら起きる。




最高だった。




そして、やはり家族はいいと再確認できた。


何故なら一人暮らしでこの環境だと、おそらく俺は一生働かなくなってしまう。いや働かないだろう。


一日過ぎ、二日過ぎ、一週間が過ぎた。








その日は突然やってきた。








縁側で一服しながらボケっとしていた俺の耳に、どこからか何かの動物のような声が聞こえてきた。




時刻は昼すぎ、近所の住民は仕事やら買い物やらでほぼ無人。


爺さん婆さんたちも、地域の敬老会かなにかの行事があるらしく、珍しく外出。


近所に犬を飼っている家はいないはずだし、猫もいない。


野良犬か何かかな?と考えていた俺に、もう一度その声が聞こえた。




「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」




うるせえ。


何だこの声、犬がこんなこの世の終わりみたいな声で鳴くか?




「うううううううううううううう!うううううううううううううう!!!」




これは犬というよりとち狂ってわめいてる男の声・・・かな?


さっきより近い。隣の家の前からだ。




隣、隣かあ・・・




実を言うと近所で俺が唯一苦手とし、唯一俺という無職を認めようとしないのが隣に住んでいるオヤジだ。


高校の教師だかなんだか知らないが、顔を合わせる度に「就職しろ」だの「フラフラするな」だのとキツく絡んでくるのだ。


無職の分際で、特に焦らずヘラヘラ過ごしている俺がとにかく気に入らないらしいのだ。


奥さんと高校生の娘さんはいい人たちなのに、なんであのオッサンだけがこうなのだ。


俺はあんたの生徒じゃないやい!と胸倉でも掴んでやりたいが、悲しいかな近所付き合いは大事である。


すいませんすいませんハハハ、などと毎回大人の対応で流している。


無職なのにストレスがすごい。




しかしオッサンは仕事のはずだ。


だがよく聞くとやはりあの聞きたくもないオッサンの声のようだ。


急病か何かで早退してきて、玄関先で痛みのあまり倒れて叫んでいるのだろうか。


ありえる、あの人血圧高そうだしいつも怒ってるもんな。




正直死ぬほど面倒くさいしワンチャンそのままくたばってくれるとたいへん嬉しいが、嬉しいが!残念ながら近所付き合いの悲しさよ。


武士の情けで救急車を呼んでやるとしようか。




外出用スリッパを履いて道に出てオッサンを探す。




いた。




家の前にうずくまってうーうー叫びながら門を叩いている。




「あのー坂下さん、大丈夫ですか?」




声をかけると不思議なことに呻き声がピタリと止まった。




「あれ?坂下さーん、俺ですよ、隣の田中野です。具合が悪いんですか?」




若干不気味に思いながら再び声をかけると、オッサンははじけるように立ち上がり、俺の方を向いた。


あの光景はなかなか忘れられそうもない。






不自然なほどの白い肌。


あちこち破れたボロボロのスーツ。


全身に付着している赤黒い液体。


飛び出した右目。


明らかに折れている左腕。


口の端からダラダラとこぼれる涎。






どう見ても尋常な人間の姿ではなかった。


アレだ、俺が大好きなジャンルの映画に出てくる・・・




そう、『ゾンビ』にしか見えない。






「ううううううあああああああああああああああああああああああ!!!」






そう思った瞬間、オッサンは俺に向かっていきなりダッシュしてきた。


早い。


中年の動きじゃない。




実家と隣家の距離はおよそ20メートル前後、このままではすぐにたどり着かれてしまう。




あれがなんにせよ逃げるべきだ。


だがどうしても体が動かない。


あまりのことに頭がパニックになっているのか、足が地面に張り付いたように動かない。


喉がカラカラで声も出ない。




嘘だろ、俺はこんなにもヘタレだったのか。


散々馬鹿にしてきたパニック映画のアホ登場人物たちと同じじゃないか。






オッサンが迫る。


もう距離は10メートルもない。


飛び出ていない左目もよく見える。


真っ赤だ。


瞳どころか目全体が。




あと5メートル。


噛みつくつもりのようだ。


大きく開けた口から涎がほとばしる。




あと1メートル。


やつが折れていない手を俺に伸ばす。




俺は――――






オッサンの鳩尾目掛けて右の前蹴りを叩き込んだ。






足の裏に嫌な感触があった。


狙いは若干ズレて胸を直撃したようだ。


だとしたら、あの何とも言えない感触は肋骨の折れるものだったのだろうか。




オッサンは1メートル程吹き飛び、仰向けに倒れた。




死を覚悟した俺が咄嗟に選択した行動は、逃走ではなく戦闘だった。


よく動いたもんだ、もう道場にも通っていないし、通信空手はやめたというのに。


昔取った杵柄というやつか。


体は覚えているっていうもんな。




軽く現実逃避していると視界の隅でオッサンが立ち上がる。


結構な威力だったと思うが、あまり効いた様子はない。


まあスリッパ履いてるしな。




やっぱりアレは『ゾンビ』なのか?


死人が生き返って人をバクバク食ったり嚙んで感染したりするあの?




そこまで考えて俺はその思考を放棄した。


今考えても答えは出ないし無駄だ。


大事なのは今この時だ。




オッサンは俺を喰おうとした、殺そうとした。


俺は喰われたくない、殺されたくない。


じゃあ・・・






殺すしかない!!!






我ながらアレな考えだと思うが仕方ない。


博愛主義を語っても喰われたらどうしようもない。


もし間違ってオッサンがゾンビじゃなかったとしても、俺に噛みつきに来たのは事実だ。


話も通じないし。




あ、でも一応声はかけておこう。


いつか裁判になった時に正当防衛を主張できるかもしれない。




「坂下さんやめてください(棒読み)」




「あああああああ!!!うううううあああああ!!!」




「はーいわかりました畜生!」




返答は叫び声と再びのダッシュであった。




蹴りは効果が薄かった。


噛まれた時のことを考えるとパンチはリスクが高い。


唾液で感染する場合、口に当たったら最悪それで詰む。




武器だ、武器が必要だ。




向かってくるオッサンに再び前蹴りをぶち込む。


オッサンは倒れる。


何の回避行動もしなかったところを見ると、頭の程度は動物以下らしい。


俺は振り返って実家の庭に飛び込み、そこにあるプレハブの倉庫を開けた。


母親の使う園芸道具、父親の日曜大工道具が見える。


用途不明の長い木の棒をひっつかみ、後ろから迫ってきていたオッサンに振り返ると同時に叩き込んだ。




上手いこと脳天にヒットした。


オッサンはまた倒れる。


まだ動いている。






そこからは単純作業の繰り返しだった。






立ち上がるオッサン。


頭をぶん殴る俺。


倒れるオッサン。


世界一不毛なルーチンワークが始まった。






何度繰り返しただろう。


もはや生前の面影すらなくなったオッサンが音を立てて庭に倒れこんだ。


顔面はうっすらとパーツの場所がわかるほどグシャグシャになっている。


一度びくりと痙攣した後、永遠に動かなくなった。




俺もまた、どさりと庭に腰を落とした。


息が荒い。


両手も鉛のように重い。


木の棒はオッサンの血で真っ赤に染まっている。




元社長の時とは違う、初めての殺意を込めた暴力。


初めての殺人。


しかも相手は近所の住人。




先ほどまで熱をもったように高揚していた精神は急速に冷え、俺に若干の罪悪感を覚えさせた。


それよりも全身の倦怠感が勝っていた。




胸ポケットに入れたままだった煙草を取り出すと、震える手で火をつけて吸い込む。


初めて吸った時のようにせきこんだが、気を取り直すと胸いっぱいに煙を吸い込み、盛大に吐き出す。




染みわたるような旨さだった。




後にも先にも、あんなに旨い一服はないだろうと思えるほどの。






「うぁ、あと3本しかねぇ・・・」






俺の『ゾンビアウトブレイク』一日目はそうして終わった。

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