第十一話「欠片、打ち断たれた自分」

「下山」

……………。


 意識を取り戻した時に。…俺は、目の前に立っている人物が誰なのか、

 ————…まったくもって分からなくなっていた。


 


「———う……あっ…?」


 『自分は今まで、何をしていたのだろう』という衝撃とも、おのれへの失望ともつかない感情が、もやのように頭に浮かび、そして慣れないなりに動き出した身体は、加減が分からないというようにベッドから勢いよく起き上がる。


「…目が、覚めたかい」


「……」


「ああ…誤解してくれるなよ? 君はこれでいい。君はこれでいいんだ。君はこれで、また一歩完成へと近づいた。…なあ、”現代の英雄”よ」


 考えが定まらない。怒ればいいのか、泣けばいいのか、怯えればいいのか。

 以前の自分なら、どうしていたのか。


「誰なんだ! あんたは…? なんで…僕は、こんな所にいる!?」


「………」


 わけもわからないままに爆発する感情に任せて投げかける質問に、白衣の男は答えない。それどころか、立ち上がり、身を翻して部屋から出て行こうとする。


「おい…待てよ、待てって!! 何か答えてみろよ、おいっ!!!」


 ガタン。…


 スライド式のドアが閉まるのと同時に、俺の身体はベッドから転げ落ちる。

 フローリングは、埃にまみれていた。——それどころか、何度も物を落としたような凹み、水滴が放置されて乾いたような跡、…また、血痕のような物で汚れていた。


 …どうやら、俺が眠っていたここは病院ではないらしい。


 窓はない。明りは小さな豆電球だけ。狭い部屋の隅までも、見渡す事は出来ない。


「……俺は……何をしていたんだ…?」


 …知りたい。男を追わなければ。

 …立ち上がっても、胸元や頭を触っても、体に異常はない。

 ただ、脚に違和感がある。…筋肉痛か、肉離れか。歩きにくい。


「動けない…わけではないか」


 ガラ…


 ドアを開ける——その先には、延々と続く廊下が、薄暗い中広がっていた。


***


 …しばらく歩いて分かった。


 やはり、ここは病院なんて健全な施設ではない。否、施設と仮称するのにも値しない。ここは言わば、アジトとでも言うのか…見て回ったそれぞれの部屋に、日本国の法律を逸脱したような物品が必ず在中した。それだけではなく、よくわからない臓器のような肉の塊が浮かぶ水槽や、顕微鏡や、試験管などが並んでいた。


 間違いなく、が陣取る居所としか思えない。


 ——俺は、例の男のいる部屋へと、あっけなく辿り着いた。

 数えきれないほどのディスプレイが並ぶ、機械に溢れた部屋だった。


 ただ、見つけたというようなニュアンスとは違う。初めて見るような世界を見回しているうち手を掛けたドアの向こう側に、たまたま男がいただけである。


「やあ、…藤岡ふじおか齋兜さいとさん。ここまで来たね」


 なだらかな目つき。白衣に身を包み、緋色のネクタイをした、ボサボサ髪の男。


「……な、何から聞けばいいのか…。あんたは、僕に何をしたんだ」


 目覚めたて、久しぶりに声を発するのか、言葉の全てが相手に伝わるとは思えない不本意な小声で尋ねる俺に対して男はゆっくりと口を開く。

 口角が上がる…喜々として、喋り始める。飄々ひょうひょうと発声する。


「——記憶を消した。しかし全てではない。君のここ四年間の、エピソードを司る記憶だ。君は今、”君としての色”が真っっっっ白だ。完璧なる無垢だ。私がそうしてやった。だが、その前の君は、実に中途半端で、矛盾に溢れていた。どの色にも染まらない…曖昧な、無色。…しかし、君は、私の手で…変わったんだ」


「……よく、わからない…あんたが何を言っているのか」


「不完全な君を、私が進化させてあげたと言っているんだ」


「僕は…以前の僕は…そんなにも、あんたがそこまで言う程に、不完全だったのか…? そんなにも、劣悪な人間だったのか…? 僕は…?」


「ああ、そうだ。他にも増してね。ただ、君のそんな状況が好転するチャンスを、私は作れる。……聞け。私は君に、”超人”を教えよう」


「………」


 —————————。


***


 間もなく俺は、そのアジトを出た。解放されたのである。あまりにもあっけなく。

 「さあ、このことを私から教えられた君はどうするのか」、…と。叩き出された。


「どうする…だと。…僕は、何をすればいいんだ…?」


 アジトの外は、日が出ていた。街並みは、当然見たことがない…ただ、海が近い事だけはわかった。山並みはというと…遠い。信号機の色が縦に並んでいるため、雪深い地域なのだということもわかった。


 ここが日本のどこかもわからず、ただ歩き回ることしか出来ない。


 標識を見ても、見知らぬ地名。


「………」


 大きな駅へ行こうとしても、どこにあるかわからない。


「………」


 通行人には…平日の昼なのか、全くというほど出会わない。


「………」


 …アテも無いままで歩き、段々疲れてくる。


「…………?」


 そして俺は、ひとつの小さなバス停に通りかかった、その時だった。


 …とても大きなバイクが、俺の前に止まったのだ。

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