第17話 本当に惨めだ

 咲那さなを乗せた救急車を見送って十数分。

 地面に座り込む私の正面に、咲那のお姉さんが駆け付けた。

 きっと必死になって駆けて来たのだろう。

 汗をかきながら呼吸も酷く乱れている。

 私はその姿を見上げたまま、涙を止められずに打ちひしがれていた。

 

三隅みすみさん! 救急車ってどういうこと!?」

「咲那ちゃん、がっ………川に、飛び込ん……だって……いっ、言われ……て……」

「嘘でしょ………?」

 

 たちまち顔面蒼白状態になっていくお姉さん。

 しかし私みたいに取り乱したりはしていない。

 口元を抑えながらも、深呼吸をして落ち着こうとしている。

 それに比べて私は何をしているんだ。

 まともな会話も出来ず、ひたすら泣き続けるだけ。

 大切な人を守れないままで終わらせるのか。

 その程度の気持ちだったのか。

 立ち上がろうにも、脚に力が入らない。

 泥まみれの下半身が言うことを聞かない。

 涙で曇って前も見えない。

 本当に惨めだ。

 

「ほら、行くよ!」

「え……?」

「早くして! 救急病院でしょ!?」

 

 目の前に手を差し伸べられて戸惑った。

 立ち上がれもしない腰抜けを連れて、なんの役に立つというのか。

 いやそんなことを考えてる暇は無い。

 無力感に悩むのは後でだって出来る。

 今動けなきゃ、私は恋人どころか友人すらも失格だ。

 急かす手を強く掴み、汚れた脚で地面を思い切り踏み締める。

 二人で救急病院への道のりを急いだ。

 

 院内に入ると、咲那の処置室はすぐに発見出来た。

 部屋の外には手術中のランプが光っている。

 まだ息はしているということだ。

 だが目覚めた彼女にどんな顔で会えばいい。

 そもそも私に会う資格があるのだろうか。

 彼女は自分から命を絶とうとした。

 追い込まれている姿に気付けなかった。

 そんな彼女に対してどう接すればいいのか。

 私にはまるで検討も付かない。

 部屋の隣の長椅子には、俯いたお姉さんが座っている。

 祈る様に両手を一つに握り締め、額に当てながらまぶたを閉じている。

 私もなんとなく隣に座った。

 私の場合はただ悲しみと不安感に飲み込まれているだけだった。

 

 一時間も経たずにランプが消える。

 部屋の扉が静かに開き、中から執刀医が出てくる。

 マスクの上からでは表情が読み取りにくい。

 落ち着いてるようにも、心苦しいようにも見える目をしていた。

 咲那は助かったのか。

 心臓の鼓動だけが激しく結果を催促していた。

 

八巻やまきさんのご家族の方ですか?」

「はい、その子の姉です。妹の容態は……?」

「妹さんの処置は無事に成功し、幸い命に別状はありません」

 

 私はその言葉が引っかかった。

 命が助かったのはもちろん嬉しい。

 だけど彼女は救われてなどいない。

 ただ死にきれずに脈が続いているだけだ。

 私は医師に詰め寄っていた。

 

「何が幸いなんですか!? 命を拾ってくれた事には感謝します。でもあの子の心は救われてなんかいない! 死んでしまったままです!」

 

 理不尽な言葉を投げ付けているのは分かっている。

 でも自分への怒りが収まらない。

 幸いという表現が納得出来ない。

 ほとんど我を忘れて八つ当たりをしている。

 今の私は本当に惨めだ。

 

「我々に出来るのは命を救うまでです。お気持ちはお察ししますが、これ以上はお手伝いし兼ねます」

「そんな無責任なこと言わないで下さい!! 私はこれからどうしたら………!」

「三隅さん、もう辞めなさい。ここから先はあたし達の問題よ。あの子の心を救えるかどうかは、あなた次第でしょ?」

 

 その日、咲那が目覚めることはなかった。

 心拍は終始安定していたが、長時間脳に酸素の供給がされなかったからだろうか。

 眠っているだけなのにまるで生気を感じない。

 深いところに自分の心を閉じ込めている。

 私の顔を見るのを拒んでいるようにも思えた。

 

 翌朝。

 学校では我が校の生徒が川に飛び込んだという噂が流れていた。

 もちろん私は誰にも話していない。

 周辺地域のニュースにでもなっていたのか。

 それとも目撃者がいたのだろうか。

 とにかくその話題に関して、私には耳障り以外のなにものでもなかった。

 非常に不快で気持ちが萎える。

 

「三隅! ちょっと聞きたいことがある!」

「咲那ちゃんについてなら、たぶんヒロくんの想像通りだよ」

「それじゃ川に身投げしたのって……」

 

 信じられないといった様子の彼に対し、私は黙って頷くことしか出来ない。

 私だって信じたくない。

 でもこの目で見た彼女の姿は、脳裏に焼き付いて離れない。

 あの光景は全て現実。

 彼女は追い込まれ、独りで自殺を図った。

 もう変えようのない事実なんだ。

 

「ヒロくん。咲那ちゃんがそこまで思い詰めてたことに気付けた?」

「いや、さすがに自殺まで考えるなんて思わなかったよ。根本達は確かにエスカレートしてたけど」

「私も全然気が付かなかった。これじゃ恋人失格だよね」

「三隅に責任はねぇよ。全部根本が悪いんだ」

 

 ため息混じりに教室の前まで行くと、隣のクラスから気味の悪い笑い声が聞こえてきた。

 その声は明らかに根本達のものだ。

 自分のクラスへ向かう足を止め、廊下で聞き耳を立てる。

 

「すんごいねあいつ! まさか身投げするなんてさ! もう少し救助が遅れたらやばかったらしいよ!」

「マジで? そんなにキツかったんなら、先にあたしらにブチ切れればいいのに」

「あいつには無理だよ。いつもいい顔してないとみんなに嫌われちゃうってビビってんだから」

 

 本当に惨めな連中だ。

 咲那がどんな想いで笑顔を作っていたかも知らないで。

 どれだけ一生懸命気持ちを伝えてたかも理解出来ないで。

 ただ上っ面の部分だけを拾って、悪く印象付けようとしている。

 解ろうともしないで、自身の優越感にだけ浸っている。

 今までの私ならその愚かさに、目も当てられない奴らだと鼻で笑っただろう。

 でも今の私は我慢の限界だった。

 

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