第30話 お願いだから
瑠里は、運ばれる救急車の中で息を吹き返した。
救命士による心肺蘇生を後方で座りながら見つめていた青は、恐怖にガタガタと震えていた。
瑠里を失ってしまうのではないかという恐怖。
もう二度と瑠里に逢えないのではないかという恐怖。
その最中、心電図の音が振れ、瑠里の心肺が戻ったのだ。
青は、殆ど息を止めた状態で見守っていたせいで、救命士の「 戻りました!」の声と同時に、クラクラとした目眩に襲われ台のような椅子から崩れ落ちるように沈み込んだ。
「 後ろの君!大丈夫ですか!?」
ズルズルと床に沈んだ青に、救命士の声が飛んだ。
「 ………はい、大丈夫……です。」
時間の感覚は、もうとっくに無くなっていた。
そこから先の光景は、無声映画か何かのように、流れていく。
1番近い救命救急センターに運ばれ、瑠里はストレッチャーで看護師や救急医数名に囲まれ、運ばれていった。
青は、救急処置室前の待ち合いの椅子で待たされた。
頭が割れるように痛い。
目眩も収まらない。
だが、やることがあることにぼんやり気付くと、ポケットから携帯を取り出し電話をかける。
「 ………神崎か?」
マネージャーの神崎にこれまでの経過と、現状の報告、瑠里の家族への連絡を頼んだ。
「 ………瑠里………頼む……頼むから………」
青は震えながら、祈るように頭を抱えた。
くだらない嫉妬心だった。
瑠里が橋垣を庇うように自分を制止したことがムカついた。
あいつに優しく微笑み、励ますのが許せなかった。
感情のコントロールが利かなかった。
そもそも、人と関わらないで生きてきた中で誰かに感情が左右された経験が殆ど無かったのだ。
そしてまた、瑠里に当たり散らしてしまった。
その結果が、こんな始末だ。
彼女に謝ろうと思ったのに、自分を嫌って雷雨の中に逃げ出した。
なぜ、雷に打たれたのが自分ではなかったのか!?
なぜ、瑠里だったのか!?
皮肉にも、あの落雷の瞬間の衝撃で、青は全ての記憶を取り戻したのだ。
1年半以上前の5月のあの日……
瑠里が彷徨い続けていた自分を見つけてくれた、あの神社。
実体の無い……現実ではあり得ないような自分を怖がらず、受け入れてくれた瑠里。
明るく前向きで天然な彼女に、どれほど救われたのか……
二人で過ごしたかけがえのない数ヶ月……
果たせなかった大切な約束……
絶対に忘れてはいけなかった約束……
青は、待ち合いの椅子で、倒れるように意識を失った。
瑠里は、心肺こそ戻ったものの、意識は失ったままだった。
3日経ってもまだ戻らない。
自発呼吸は出来ているから、人工呼吸器の必要はなかったが、心電図や酸素マスク、点滴などを装着され、個室に横たわっていた。
連絡を受けた瑛子は、到着当時、半狂乱だった。
瑠里の名前を呼び続け、瑠里の側を片時も離れなかった。
夏海は、あの後神崎と共に泣きながら駆けつけた。
その後も、毎日瑠里の様子を見にやって来ては泣きべそ状態で帰って行く。
青は、あの後、病院の治療室のベッドの上で意識を取り戻した。
極度の緊張と落雷の衝撃波を受けて打撲を負っていたとのことだったが、軽症だったのですぐに解放された。
その後は、毎日朝から夜の面会時間終了まで、瑠里の病室の外の椅子で、瑠里の意識の回復をひたすら待ち続けた。
「 君は……瑠里の大学の人?」
3日目に、瑛子が病室の外の椅子に座り続ける青に気づいた。
気丈には振る舞っていたが、彼女の顔は憔悴しきっている。
青は、ゆっくり立ち上がると、丁寧に頭を下げた。
「 陸上部の、月城といいます。」
「 貴方が!!月城さん!」
瑛子は、声を上げて驚く。
「 貴方が瑠里を助けて下さったんですね!!病院の方から聞きました!」
瑛子は、涙目で青の手を取った。
「 ごめんなさい!御礼も言えなくて!本当に、本当に、ありがとうございました……貴方が瑠里を見つけて処置をしてくれたから助かったと……そうでなければ……瑠里は今頃……」
瑛子は、青の手を取りながら、顔を歪めて泣いた。
彼女の痛みのようなものが、青にも伝わってきた。
「 御礼なんて、言わないで下さい……俺に…そんな資格はないですから……」
あんな目に合わせた原因は自分なんだと、深い後悔にうなだれる青の手を瑛子は引いた。
「 3日間、ずっとここに座ってくれていたんですね?どうか、瑠里に声を掛けてやって下さい。顔を見てあげて下さい 」
瑛子に手を引かれるまま、病室に入った青は、あの救急車から処置室に運ばれた時振りに、瑠里を見た。
緑色の酸素マスクを着け、静かに眠っている。
顔は青白く、口唇の色もあまり無い。
ベッド横に心拍や血圧を表示したモニターが置かれ、規則正しい音を刻んでいる。
左腕には点滴が施され、右腕は包帯が巻かれている。
右耳にもガーゼが当てられ塞ぐようにテープで止められていた。
無言で問いかけるように瑛子を見た青に、瑛子は弱々しく微笑んだ。
「 ……右腕から、雷の衝撃を受けたらしく、火傷を負ってるの。その時の衝撃波を受けて右耳の鼓膜が破れたらしくて……不幸中の幸いは……右腕からの感電だったことみたい。左腕なら……心臓をやられてただろうって……感電も、直撃ではなかったから助かったんだろうって……」
ならば、なぜ目覚めない……
不幸中の幸いだったのに、なぜ意識が戻らない……
痛々しい瑠里の姿を見つめながら、青の手が細かく震えた。
瑛子は、青の打ちひしがれる様子を見て、
「 月城さん、ちょっと瑠里の傍に居て貰ってもいいかしら?」
「 ……はい。」
「 私、ちょっと仕事場に連絡を入れないといけなくて。」
「 ……俺でよければ……」
弱々しく答えた青に、瑛子は微笑んだ。
「 お願いしますね 」
瑛子は、携帯を手に、静かに部屋を出ていった。
部屋に二人きりになると、青は力無く椅子に腰を落とした。
「 ……瑠里……」
記憶を取り戻した瞬間から、何度呼び続けたかしれない名前を呼んだ。
「……全部、思い出したよ。瑠里のこと、瑠里と過ごした時間も、全て……」
穏やかに眠り続ける瑠里に話しかける。
「 約束……守れなくてごめん……。迎えに行けなくて……ごめん。瑠里が、俺を迎えに来てくれたのに……思い出せなくてごめん……」
青の瞳が哀しげに揺れた。
「 瑠里を……いっぱい傷つけて、ごめん……。酷い態度だったよな……思い出せなかったとはいえ、本当に酷かった……ごめんな……」
青の記憶は、全て繋がっていた。
意識を取り戻せなかった時の記憶……
目覚めてから、瑠里と初めて会った時の記憶から、何度も彼女を拒絶した記憶……
一緒にサブトラックを走った時に、瑠里が突然泣き出した記憶……
瑠里から、彷徨っていた時の二人の様子や出来事を打ち明けられた時の記憶……
瑠里は、約束のことを言わなかった。
言えなかった彼女の気持ちを思うと、尚更自分が最低に思えてくる。
青は拳で涙を振り払った。
医者の言うには、MRIやCT検査では、脳にダメージはみられなかったという。
ただ、激しい衝撃が脳にとって強いストレスとなり、そのストレスやショック性の物から守る為に一時的に目覚めないケースがあるらしい。
その後も、青は通い続けた。
病室前の椅子で身じろぎもせずに瑠里の回復を待ち続ける青に、瑛子は何か不思議なものを感じ取り、病室で瑠里に付き添って貰う時間を増やした。
その間、瑛子は席を外し、眠り続ける瑠里と青を二人きりにした。
青は、瑠里に話しかけ続けた。
1年半前の二人で過ごした時間を、遡るように話した。
ひとつひとつ、丁寧に青自身が記憶を辿り、復習するように、話した。
そして……
ちょうど6日目に、青が話しかけている最中に、瑠里の閉じられた瞼から、スーッと一筋の涙が流れた。
青は、反射的に立ち上がった。
「 瑠里!!瑠里!!瑠里!!」
必死に呼び掛ける。
大声で名前を呼び掛ける度に、瑠里の酸素濃度測定器で挟まれた指先が、ピクッと反応した。
青は咄嗟にナースコールを押した。
「 はい、どうしました?」
「 すぐに来て下さい!!すぐに!早く!!」
青の切羽詰まった声に、「 行きます!」という答えと共にコールは切れた。
看護師が走るように駆けつけ、直ぐ後を担当医が入ってきた。
実は病室外の椅子で、二人の時間を作るために待機していた瑛子も、青の大声に、血相を変えて飛び込んでくる。
「 瑠里!!瑠里!!起きて!!瑠里!!」
瑛子が叫び、看護師がバイタルをチェックしながら声を掛ける。
「 高宮さん!!高宮さんーー!!」
医者も声を掛けながら、火傷を負っていない方の腕や、肩を軽く揺さぶり刺激を与える。
すると、瑠里の口が小さく開き、酸素マスクが一気に白く曇った。
瞼が痙攣するようにピクピク動くと……
うっすらと開いた。
だが、直ぐに閉じられ、再び痙攣し、また薄く開かれた。
そして、瑠里は、ようやく眠りから覚めた。
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