第28話  青の駅伝



関西駅伝大会の日がやってきた。


チームメンバーは、調整やコース下見も含めて2日前に現地入りしていた。

日本海側の宮津で行われる関西最大の駅伝大会は、毎年シード校と予選突破校との22チームで戦い、関西ナンバーワンを決める。

この大会を足掛かりに、全日本駅伝へステップアップする大学もある。


陸上部の中長距離班上げての応援団は、貸切バスで約2時間半の道のりを駆けつける。

一年生は、各中継点にのぼりを立て応援することになっていて、給水係は二年生が担当する。


夏海が上手く調整してくれて、瑠里は青の走る区間の応援隊に配置して貰えた。

海岸線を走るコースと田園地帯や峠を走るコースが組合わさっており、青は住宅街の細いアップダウンと田園地帯のコースの約12キロを走る。

5区 6区 7区 は、エース区間と言われ距離が長い。

どの大学も、この区間に実力者をぶつけてくるので、順位も変わりやすく、むしろ、この区間を制したところが優勝する可能性が大きいと言われている。


応援団バスは、夜明け前の出発となったが、瑠里は昨夜からワクワクが止まらなかった。

東の箱根、西の丹後と呼ばれるくらいの大きな大会だ。

駅伝を実際に生で見るのも初めてだし、青の颯爽と走る姿を見られると思うと居ても立っても居られない。


レース中、箱根駅伝のように監督が選手を車で追尾して声掛けするようなやり方は無い。

各校応援メンバー達がタスキを繋いだ後の選手のケアをしたあと、一緒に最終ゴール地点へ大会移動車に乗り込んで向かうことになっている。


スタート地点の浜公園には、参加校の選手が一斉に集まってスタートを待っている。

11月半ばを過ぎた日本海側の朝は、冷え込みも強く、海風が肌に刺さるようだ。


各大学カラーの防寒着上下に身を包んだ選手達の中に、ようやく青を見つけると、各校の人員で入り乱れている中をスルスルと抜けながら、瑠里は青に近づいた。

どうしても、頑張ってを伝えたかった。


「 月城さん!おはようございます!」


瑠里が後ろから声を掛けると、青は振り向いた。


「 来たな。」


「 はい!来ました!」


まるで自分が走るかのように嬉しそうにニコニコしている瑠里に、青の表情も緩む。


「 鼻の頭が赤いぞ。」


「 寒いですもん!激寒です!」


風に晒され赤くなった頬や鼻を、両手で包みながら笑う。


「 どこの中継点の応援だ?」


瑠里は、ニヤリと笑うと眉をわざとらしく上げる。


「 当然、第6中継点に決まってるじゃないですか!待ってますよ、月城さんが到着するの!」


「 区間賞どころか、区間新で繋ぐから、待っとけよ。」


青が自信たっぷりな表情でそう言うと、瑠里は、例の人差し指を立てる仕草で左右に振って見せた。


「 駄目ですよ、気負っちゃ。無駄な力が入ります!記録なんて後から着いてくるんですから!」


瑠里のいっぱしの意見に、青が吹き出す。


「 まさか、おまえにアドバイスされる日が来るとはな!」


「 だって、いつも言われっぱなしなんで、こういうチャンスは逃しません!」


得意気な顔でそう言うと、青は尚更大笑いした。

そして、笑いが収まると


「 なんか変な肩の力が抜けたわ。」


そう自嘲した。


「 緊張してたんですか?」


「 二年振りの駅伝レースって皆に言われるが……二年前のこの大会直前に事故にあったから、実質俺にとっては初めてだからな。」


そっかぁ……青は、この大会の為の練習で事故にあったんだ……

瑠里は小さく頷くと、励ますようにニッコリ笑った。


「 三年越しの夢が叶ったんですね。なら、区間賞でも区間新でも、なんでも好きなだけ狙っちゃって下さい!」


「 なんだ?さっきと意見が真逆じゃないか?気負いは駄目なんだろ?」


「 いいんですよ!この二年間、死ぬ程頑張ったんですから。その頑張りは月城さんだけにしかわからないんだから、爆発しちゃいましょ!」


さも当たり前のようにそう言ってニコニコ笑う瑠里に、青は呆れたように笑う。


「 爆発ねぇ。高宮が言うと何でもお気楽に聞こえるな。」


「 はい!不思議ちゃんの極楽とんぼですから!」


再び始まった青の大笑いを楽しそうに眺めながら、瑠里はとても幸せだった。

青の本当の意味での復活に立ち合えたこと。

こうしてまた大好きな青の大笑いが見れたこと。

全部が幸せなことだった。



レースは、号砲と共にスタートした。

1区は、9キロの海岸線通り。

2年生が担当する。

最初はさほどアップダウンが無いコースの為、上位チームは団子状態で2区になだれ込む。


うちの大学は、3位通過だった。

といっても、トップから6位までのタイム差はほぼ無いに等しかった。

2区は、約7キロで短めだが、第3中継点手前が七竜峠というかなりキツイ登りのコースが待ち構えている。

この最後の坂で、徐々に順位が別れていく。

この2区は、1年生ルーキーが任された。

彼は、昨年の高校生駅伝の全国大会でエース区間を走って区間賞を獲り、鳴り物入りで入部した特待組だった。

ところが、大学初めての大きなレースで緊張し、大会前の調整を失敗し、ピークに持ってこれなかった。

最初から本来の力を発揮出来ずに、最後の坂では完全に失速し、順位を7位まで落としてしまった。


トップから1分以上の差を開けられ、7位で受け取ったたすきを3年生が繋ぐ。

昨年も同じ3区を走った彼は、安定した走りで順位を2つ上げ、4区に繋げた。

ただ、タイムは思ったよりも縮まらず、まだトップとは1分開いていた。

トップを走る大学は、この大会2連覇中の強豪校で、当然3連覇を狙っている。

4区から田園地帯に入り、細かいアップダウンのあるコースとなる。

ここは、経験豊富な4年生が担当する。

昨年のシード落ちの悔しさを知っている選手の一人で、この1年でしっかりとタイムを上げてきた一人だった。

学内の記録会の1万メートルで青を振り切ってゴールした1人だ。

その実力の通り、着実に順位を上げ、タイムも徐々に縮め、トップから35秒の3位で青に襷を渡した。


各レースの様子の中継は、地元ケーブルテレビの撮影隊が解説付きで各中継点のモニターにライブ放送されている。

青が3位の35秒差で襷を受けてスタートした姿を瑠里は息を呑むように見守った。

この区間は、35分台で走れば、おそらく区間新を狙える。

昨年度の大会で2連覇したチームの区間新を出した選手が、今年も5区を走っていると他の人の話から知る。


大丈夫!

青は、きっと動じない。

自分のリズムで自分のペースで前にある背中を1つずつ追いかけるはず。

調整も調子も完璧だと言っていた彼の言葉を、信じる。


それでも瑠里は中継点のモニターを誰よりも食い入るように見ていた。

爪が食い込むほどの力で両手を固く握りしめても痛さを感じないほど必死だった。


前半5キロ過ぎで青は3位を抜き去り、2位に上がった。

2位に上がったことを確認すると、瑠里達1年生は、ソワソワしだす。


いったい、何位で戻って来るのか?

トップとの争いはどうなったのか?

中継点のテントから選手が走って来る後方には、長い緩やかな坂が遠くから続いている。

中継車が見えればその後にトップの選手が見えてくるはずだ。


次の選手達が中継車の連絡を受けて次々とスタートラインに並ぶ。

応援隊の1年生は、中継点の百メートル程コースを戻り陣取る。

殆ど直線の緩やかな坂の向こうに中継車が見えてきた。

先頭の選手が来たのだ。


濃紺のユニフォームなら青で、えんじ色のユニフォームなら、連覇中の強豪校だ。


1番先に確認出来たのは、えんじ色のユニフォーム姿だった。

だが、そのすぐ後ろにピタリと着く紺のユニフォームが見えた。

青だ。

残り三百メートルで、青が一気に先頭に出た。

いつもの美しいフォームは、崩れていない。

顎も上がらず、頭の位置も左右に動いてない。

腕の振りとストライドの回転の速さが、ラストスパートを物語っていた。

相手の選手も着いていこうとスピードを上げたが、一気にフォームが乱れた。

青が襷を外しながら、みるみる内に引き離しに掛かる。


「 月城!!来い!来い!来い!」


次に走る4年生が大きな声を掛けて両手を高く突き上げて振る。


瑠里達が銘々に声援を送る中を、青は短距離走かのようなスピードで一瞬で通過する。


「 行けーー!!行けーー!!行けーー!!」


瑠里は一瞬で走り去った青の背中に叫んだ。

青は、スピードを落とすことなく、4年生に襷を渡すとその勢いのまま反対側の道を暫く走った。


「 月城!ナイスラン!!」


襷を受け取った4年生は、そう声を掛けてスタートを切った。

トップ争いをしていたえんじ色の選手は、15秒遅れで襷を繋いだ。


その青が仕掛けた大逆転劇に、瑠里は感動と興奮で、泣きそうだった。

全身の毛という毛が逆立つような、全身を流れる血液がフツフツと沸き立つような……

なんとも表現しきれない感覚に包まれ、皆が急いでテントに戻り始めているというのに、瑠里は暫く動けないでいた。


そうこうしている内に、後続の選手達が次々と中継点に襷を握りしめながら走ってくる。

瑠里は突然我に返り、大慌てでテントに走り出した。


青は、肩からグラウンドコートを羽織り、水分補給していた。

まだ完全に呼吸は戻らずに肩や胸が大きく上下している。

普段から、後輩とも同期とも先輩とも絡むことが無かったが、今回ばかりは、皆が青に「ナイスラン!」を次々と声掛けしていく。

だが青は、それに応えるでも頷くでもなく、水を飲みながら呼吸を整えていた。


だが、大慌てでテントに戻った瑠里に目を止めると、その切れ長の目でジロリと睨んだ。

瑠里は、青の視線に飛び上がると、急いで走り寄る。


「 お、お疲れ様でした!!」


「 …なんだ?…他校の…チームの応援でも…してたのか?」


青は、興奮冷めやらずの上気した顔の瑠里を見ながら、まだ乱れている呼吸の合間にそう皮肉った。

瑠里は、首をブンブンと振る。


「 感動し過ぎて、動けなくなっちゃいました!本当にナイスランでした!」


ニコニコ笑う瑠里に、青は鼻先でふんと笑って応えた。

その時、突然、あっ!となって瑠里が離れた。

大会役員の記録係のところに行って、何かを確かめると、再び走って戻って来た。


「 おめでとうございます!!なんと!35分13秒の区間新だそうです!」


「 だろうな。俺の時計でもそうなってた。」


驚きもせずに、少し首を傾けた涼しげな顔の青に、瑠里は苦笑いする。

クールというか、ドライというか……。


「 ちょっとくらい喜びましょうよー!誰でも獲れるものでもないんですからー 」


「 なら、 万歳でもするか?」


「 え!?あ、 い、いえ、やっぱりいいです!」


ちょっと悪そうな顔をした青に、瑠里は降参して笑った。



軽くクールダウンを済ませた青と、上級生を先に乗せ、移動車はゴール地点へと出発した。

瑠里達1年生は、のぼり等を折り畳み片付けて、後続の移動車でゴールに向かった。


第6区、7区は、4年生が走り、

二人にとっては最後の駅伝となる。

予選会でトップのタイムを叩き出した3年生が、第8区アンカーを務めることになっていた。


だが、当然連覇を狙う相手もこの区間には、実力揃いのエースを投入してきている。

青がひっくり返した15秒のタイム差は、あって無いようなもので、そこからは抜きつ抜かれつのデッドヒートになった。


最終区では、20秒差で相手チームがリードして襷を繋いだ。

そして、そのまま差は殆ど縮まることなく、天の橋立を抜け、宮津市役所前のゴールを迎えた。


冷静に考えても、昨年はシード落ちのチームが準優勝なのだから、大躍進ではあった。

コーチ陣や監督も、選手達も円陣を組んで好成績を称えあった。

当然だが、青はその輪に入ることなく、喜ぶでもなく、落胆するでもなく、淡々と遠目に眺めていた。


そしてもう一人……

2区を走ったルーキーの橋垣はしがきが、肩を落とし皆の輪から外れていた。

自己嫌悪と後悔と、あらゆるマイナス感情に囚われていた。


輪には入らないでいた青に、橋垣はそろそろと近づいた。


「 ……月城先輩……すいませんでした…」


辛そうな顔で、橋垣が頭を下げた。


「 僕が…僕が、崩れなければ……」


絞り出すような声でそう言ったとき、青が冷たい眼差しを向けた。


「 なぜおまえに謝られなきゃいけない?何のために謝る?」


「 いえ、せっかく月城先輩が区間新まで出してくれたのに……」


「 おまえ、頭おかしいのか?」


青が冷たく言い放った時、選手達に配る温かいお茶の入ったポットと紙コップを持って瑠里は青のすぐ後ろに来ていた。

二人の微妙な雰囲気を悟り、瑠里は足を止めた。


「 どういう意味ですか?」


橋垣は、青の言葉に驚いたように顔を上げた。


「 別におまえのために区間新出したわけないだろが?おまえが調整ミスしようが崩れようが、俺の知ったことか。」


出た!青の言葉のナイフ!

瑠里は、ちょっと気の毒そうに橋垣を見た。


「 おまえが崩れなければチームが優勝してたと本気で思ってんのか?本気でそんな自惚れたこと考えてんのか?」


青の突き放した言葉は、橋垣の表情をこわばらせた。


「 ……そんなつもりでは……」


「 じゃぁどんなつもりだ?おまえが謝って気が済むのは、おまえ自身だろが?そんなくだらないことに時間掛けてるくらいなら、スクワットの1回でも始める方がマシなんじゃねぇの?」


とどめの言葉だった。

橋垣の顔は青ざめ、口元がわなないた。

青の言葉は、厳しく冷たいものだったが、正論だった。

自分が許されて楽になるための謝罪などするな、という正論。


瑠里は、ポットから温かいお茶を紙コップに入れると、青を追い越してそっと橋垣に差し出した。


「 まずは、体温めましょ。今はそれが1番大切。」


橋垣は、青ざめた顔で目の前に出された紙コップを見て、それから瑠里を見た。

同じ1年生だが、殆ど話したこともない瑠里の名前を、彼は思い出せない様子だった。


「 はい、どうぞ。温かいよ!」


「 ……あぁ……サンキュ…」


橋垣は、瑠里からコップを受け取り僅かに立ち上る湯気を力なく眺める。

瑠里は、青にもお茶を注ぎ、ハイッと差し出した。

だが、青の視線は瑠里を通り越して橋垣を睨んだままだった。


「 とっとと失せろ。俺の視界から出ていけ。」


「 月城さん!もういいですよ!」


瑠里は、咄嗟に青を制止した。

青の正論は、もう十分に橋垣に届いているのだから、これ以上の言葉は要らないと思った。


「 は?なんだおまえ?」


瑠里の制止に、青の冷たい視線は瑠里に移った。


「 月城さんも、 お茶どうぞ!」


瑠里は、ニッコリ笑ってあらためて紙コップを差し出した。

だが、青は受け取ろうとしない。


「 なんでおまえがこいつ庇ってんだ?」


なぜか、青の苛立ちが瑠里に向いた。

庇う?そんなつもりはないけどな……

瑠里がキョトンとしていると、橋垣が瑠里に話しかけた。


「 えーと……高宮さん…だっけ?」


彼は、瑠里のウエアの腕の名前の刺繍を読み取りながら、手にした紙コップのお茶を飲み干した。


「 お茶、ありがとう。」


空になったコップを受け取りながら、瑠里はあらためて微笑んだ。


「 明日からのことは、明日起きてから考えたらいいよ。私も失敗した時はそうしてる。」


秋季大会で棄権してしまったが故に、橋垣の気持ちが少しわかる瑠里なりの励ましだった。

強張っていた橋垣の表情が、ふっと緩んだ。


「 ……ありがとう、そうするよ。」


そう言って、その場を離れる橋垣を見送ると、瑠里はもう一度、青を見上げた。


「 お茶、温まりますよ?」


「 そんな二番煎じ、要らねぇ!」


それは以前の冷たい蔑むような眼差しだった。

瑠里は、なぜ青がそんな反応をするのかわからずに、手にしたポットを見た。


「 まぁ、入れたての高級なお茶じゃないですけどね……」


瑠里の的外れな言葉に、苛立った青は、差し出されていた紙コップを奪うように取ると、瑠里の目の前で中身を捨て、コップを握り潰した。


それはいつかの光景を瑠里の脳裏に思い出させた。

ようやく再会を果たした時の青の態度……

水を頭からかけられて、目の前でペットボトルを握り潰された光景。

瑠里の顔から笑顔が消えた。


「 おまえも失せろ。あの見当違いのルーキーを慰めにでも行けよ。」


ショックな言葉だった。

また、拒絶された。

瑠里の顔が苦痛に歪む。

青が何に苛立って、何に怒っているのかがわからない。


瑠里は、初めて青の態度に苛立った。

もう避けるのは無しだと言ったのに!

もう消えろとか言わないって言ったのに!


今度は瑠里が、握り潰された紙コップを青の手から強引に引ったくると、ぐっと睨んだ。


「 ……もういいです!お望み通り消えますから!」


そう言い捨てると、くるりと背を向けて、その場から足早に立ち去った。


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