第13話  青の現実



瑠里は、考えた。

とてもとても、考えた。

青と再会することが、ゴールだとずっと思っていた。

それを信じて疑わなかった。

その為のこの激動とも言える半年間だったのだから。


だが……

状況は、一変した。

青は、自分を覚えていない……らしい。

必ず迎えに行くと、約束してくれたけれど、その約束どころか、自分の名前も存在すらも覚えていないようだった。

やはり後遺症だろうか?

記憶障害とか?

だが……瑠里の考えは、ハタと止まる。

記憶とは、何の記憶だろう?

眠り続けていた間の体を抜け出していた時の記憶?

眠っている間の記憶?

普通なら、眠っている間の記憶は無いはずだ。

あるとしたら、それを『夢』と呼ぶ。

普段ですら、覚えている夢と殆ど覚えていない夢、途切れとぎれのあやふやな夢。

そこで瑠里はブンブンと激しく首を振る。

あれは、夢なんかじゃない!

あの青との四ヶ月の日々は、途切れ途切れでもあやふやでもない時間だった。

だとしたら……

やっぱり青に頑張って思い出して貰うしかない!

突然、本来の単純でお気楽な瑠里が頭をもたげた。

それには、作戦を立てよう!

この前の様に、知り合いのていで話しかけるのではなく、とりあえず陸上部の一年生として、近づくことから始めよう。

名前も、『青』ではなく『月城さん』にしよう。

でないと……今度、名前で呼んだら殺されるらしいから。


瑠里はあの時の青の恐ろしく冷たい眼差しを思い出した。

口の悪さは知っている。

怒りっぽいのも、怒ると目が怖くなるのも、知っている。

でも……あの時の青は、知らない青のような気がした。

あんな眼の青は見たことがなかった。

現実世界での青……

まだまだ知らない青が居るのかもしれないと、瑠里は小さな溜め息をついた。



瑠里が立てた作戦は、早速次の日から実行に移した。

とはいえ、青はなかなか捕まらないのが現実で、二回目の再会まで一週間以上の時間を費やした。

青は、まだグラウンドには現れない。

ひたすらトレーニングを積んでいるらしく、不定期に北別館のトレーニングルームに姿を現した。


瑠里は瑠里で、びっしりトレーニングルームに通えるほど暇ではなかった。

一年生としての色々な準備や片付けがあったし、合同ランニングには絶対参加だったし、他にもグラウンドで行うアスレチックトレーニングもあった。


そんな合間を縫いながら、トレーニングルームに顔を覗かせると、ようやく青を見つけた。

まずは、この前の助けて貰った御礼を言おうと決めていた。


お礼の差し入れのミネラルウォーターを手に、青がいるマシーンの側までそろそろと近づく。

心臓は、今にも飛び出しそうなほど跳ねている。

もちろん、どんな状況であれ、青に会えることは何よりも嬉しいことだ。

だが、その反面、この前の最後の冷ややかな眼差しと捨てゼリフが頭から離れず、不安を駆り立てられる。


青は膝下のトレーニングをしているようで、邪魔をしないようにトレーニングの合間を待って、思いきって声を掛けた。


「 つ、月城さん!この前は…失礼しました!」


つかえながらも、ハキハキと頑張って話し掛けた。

タオルで汗を拭っている青は、横に立つ瑠里を見もしない。


「 ……それから!この前は、助けてくださって、ありがとうございました!」


瑠里はそう言って頭をしっかり下げると、手にしていたミネラルウォーターのボトルを差し出した。


「 よかったら、これどうぞ!ほんの、気持ちです!」


だが、青は瑠里を無視したまま、再びマシンを動かし始めた。

ガチャンガチャンというマシンの音が鳴り始め、瑠里はそろそろと顔を上げた。

無視された……。

というか、まるで自分が透明人間になった気分だ。

瑠里はどうしていいかわからずに、ペットボトルを両手で大切そうに持ちながら、その場に立ち尽くした。顔中に困惑を浮かべながら、トレーニングをする青を見つめる。


次にマシンの音が止まった時、固まったように動けないでいた瑠里に、青はようやく目線を移した。

その眼差しは、前回と同じで、とても冷たく苛立ちを浮かべていた。

瑠里の着ているウエアの胸元の刺繍に目を止めると


「 ……おまえ、陸上部の一年か?」


初めて青が質問を口にしたことに、瑠里は飛び上がった。


「 は、は、はい!陸上部に入部したばかりです!い、一年です!高宮…瑠里です!」


「 おまえの名前なんて聞いてねえし、どうでもいい。」


青はあたふたする瑠里を睨むように見た後、タオルで顔の汗をひと拭きすると


「 鬱陶しいんだよ。二度と俺に話しかけるな!」


瑠里はショックで目を見開く。


「 ……で、でも!この前助けて貰ったので…御礼を…」


「 だから!」


なんとか気持ちを伝えようと必死に喰い下がる瑠里に、青は再び吐き捨てた。


「 俺はおまえなんて助けてねえよ。ごちゃごちゃ言われるのは迷惑なんだよ!」


「 ………そんな……」


瑠里は、ショックで瞬きも忘れ、再び立ち尽くす。

そんな瑠里に青は追い打ちをかける。


「 なんだ?またその水、頭からぶっかけて欲しいのか?」


「 え!?い、いえ!」


瑠里は思わず反射的に後ろにぴょんと飛び退いた。


水かけたことは覚えてるんだ……


瑠里の驚きとおののいた動作に、青の乾いた笑い声が響いた。


「 それそれ!そうやって俺から離れといてくれ!」


顔は笑ってはいたけど、その目は全く笑ってなかった。

むしろ蔑むような冷たい笑みだった。


「 わかったら、とっとと失せろ!」


止めの一言だった。


どうにか小さくペコリと頭を下げてくるりと背中を向けると、瑠里の瞳から涙がポロポロ零れた。

あんなの……青じゃない!

青はあんな笑い方しない!

青はもっと笑い上戸で、こちらまで笑ってしまうように楽しく気持ちよく笑う。


青……どうしちゃったんだろう?

なんだか別人みたい。

顔も声も、確かに青なのに、中身だけ違う人になっちゃったみたい。

陸上部のウエアの袖口で涙を拭きながら、瑠里はしょんぼりとトレーニングルームを後にした。



二日後、瑠里はクラブ後に、神崎に呼び出された。

庶務室をノックして中を覗くと、金沢はすでに居らず、神崎が待っていてくれた。


「 失礼します……高宮です。」


神崎は、にこやかに微笑む。


「 お疲れ様、どうぞ入ってくださいな。」


「 ……はい。」


呼び出されるような何かをしたのだろうかと、瑠里は不安げに部屋に入った。


「 どう?トレーニングや練習には少しは慣れた?」


「 あ、はい。一週間のサイクルはなんとか……」


「 キツくない?」


神崎の質問に、瑠里は正直に白状した。


「 キツいです。こんなに本格的にトレーニングや練習するのは初めてなので……」


神崎は、正直な瑠里にフッと笑った。


「 高校と大学では、練習もトレーニングもレベルが上がるから、最初は皆そうよ。推薦で入ってきた子達でも根を上げたりするわ。」


「 ……そうなんですか……」


これは新入生の個人面談なのだろうか?と、瑠里が内心首を傾げていると、突然神崎が本題に入った。


「 高宮さん、貴女にクレームが入っているの。今日来て貰ったのは、その事を伝える為と、事情を聞きたかったから。」


「 クレーム……ですか?」


「 月城君には、会えたかしら?」


また質問が変わった。

青の名前を出され、瑠里は動揺する。


「……はい。」


神崎は、瑠里の不安げな様子に少しためらいながらも、意を決したように口元を引き締めた。


「 その月城君から、クレームなの。一年の高宮という部員を自分に近づけさせるなと。リハビリに集中したいからと。」


神崎の言葉に、瑠里はスーッと目の前が暗くなったような錯覚に陥った。

自分を近づけさせるな……

今現在の青なら、言いそうな言葉だ。

なんなら、直接言われた。

俺に話しかけるなと。


「 月城君との以前の経緯を聞かせて貰ってもかまわない?」


経緯いきさつ……

瑠里は途端に困り果てた。

何をどう説明出来るだろう?

青が事故にあってから目覚めるまでの間に実体のない彼に会っていたとか?

その彼に陸上の指導を受けたとか?


「 高宮さん?大丈夫?」


困り果てて考え込んでいた瑠里の様子を心配して、神崎が声を掛けた。


「 あ…大丈夫です… 」


「 高宮さん、以前、月城君に陸上の指導を受けたって言ってたわよね?」


「……はい。」


「 それは、事実?」


「……はい。」


「 それって、いつ頃のことかしら?当然だけど、事故に合う前よね?」


ピンチだった。大ピンチだ。

だが、そのピンチは、次の神崎の言葉によって思わぬ救済を受けた。


「 実はね、貴女のフォームが月城君にとても似ているってコーチが話していたらしいの。私も……同感だった。」


自分のフォームが青のフォームに似ている……

青の綺麗なフォームは、誰より知っている。

何度も何度も一緒に走った。

その青が手取り足取り、腕の振り方足の蹴り上げ方まで教えてくれたのだ。

元々決まったフォームを持たなかった自分が青そっくりのフォームになったとしてもおかしくない。


「 だから、高宮さんが最初に話してくれた月城君に指導を受けたという話、信憑性があるなと思って。」


信用されてなかったんだ。

瑠里はそっちの方に少し驚いた。


「 あの……それって、信用して貰えなかったってことですか?」


「 あぁ……それはね……」


珍しく神崎が、言いにくそうに口籠った。


「 月城君は、ちょっと特異なタイプでね…人とのコミュニケーションが苦手というか、人とつるむのを嫌うというか…」


それって、今ならわかる気がする…瑠里は、ちょっと頷いた。

そんな瑠里に神崎は苦笑した。


「 だからね、その彼が誰かを個人的に指導するとは考えにくくて。」


なるほど……

瑠里は、持てる限りの思考を働かせ、本当の事を言わずに済む逃げ道を必死に探した。

だが、元々すらすらと嘘がつけるタイプでもなく、作り話を簡単に作れる才能も持たない。


「 あ、あの……私は、月城さんの高校の後輩とかではないんですけど……個人的に走り込みの練習中に…たまたま…偶然に…ひょんな事から教えて貰って……」


上手く言葉が繋がらなさすぎて、瑠里は口唇を噛む。

神崎は、そんな瑠里に笑った。


「 貴女が彼の高校の後輩でないのは知ってるわ。彼は他府県からの推薦入学者だから。でも、たまたまの偶然だったとしても、奇跡的な事よ、彼が誰かを教えるなんて。」


神崎はそこでふと眉を潜めた。


「 奇跡的な事だからこそ、今になって高宮さんを近づけるなというクレームが不自然でしょう?だから事情を聞こうと思って。」


瑠里は、ここまできて、ようやくまともな作り話を思い付いた。


「 なぜかは、わからないんですけど……月城さんは、私のこと覚えてないみたいなんです。事故の……影響でしょうか?」


神崎は、瑠里の疑問に、あぁ!と頷いた。


「 彼、貴女のことを覚えてないの?貴女を指導したのに?……いえ、うん、そっか…それで納得がいったわ…」


神崎の一人で何度も頷く様子に、瑠里はキョトンとなった。

でも、なんとなく逃げ道は見つかったような気がした。


「 今回の月城君からのクレームは、高宮さんを自分が教えたことがあると認識しているようには全く感じなかったの。そっか……だから近づけるなか……」


近づけるな、の言葉は、やっぱりショックな言葉だと、瑠里は胸にズキンとした痛みを感じた。


「 高宮さん、もしも……月城君の記憶の中から高宮さんとの事が抜け落ちていたとしても、それが事故の影響かは、私達では判断出来ないことは、わかるわよね?」


神崎は冷静に、噛み砕くように問いかける。


「……わかります。」


瑠里の返事を待って、神崎は済まなそうに微笑んだ。


「 理解出来るのなら、暫くは月城君のクレームを受け入れて貰える?」


クレームを受け入れる……

つまり、青には近づかないということで……

瑠里の答えは、全力でNOだった。

なのに、口をついて出た答えは


「……わかりました……」


の小さな声だった。


「 ありがとう。そのうち、高宮さんとの事を思い出すかもしれないし……その時は、こんなクレームも無くなるだろうしね?」


神崎の慰めは、瑠里の心には届くこと無く虚ろに響いただけだった。




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