第2話
「う……」
意識が浮上する。
気が付けば、気を失う前と同じ場所に立っていた。門の近く。見渡せば、まばらに存在する人たちの顔ぶれも変わっていないような気がする。
だとしたら、そんなに時間は経っていないのか。
数時間前の事を夢に見ていた。男性との会話を思い出す。試練の内容も覚えている。うん、一応。色々、詳しく教えられたが、途中からあまりにも細かいその話に耳が聞くのを諦めた。
『では、次の条項に移ります。【26】迷宮内における自然現象が及ぼす影響について。こちらの赤い冊子の125ページにあるグラフを見てください。これと、この3階の地図を例としながら、説明していきます。補足情報については、この灰色の書類になりまして……』
うん、あの男性――クリケットさん、と名前を教えてもらった――説明ベタだな。間違いない。僕、悪くない。
深く頷いていると、左手首がぶるっと震えた。見ると、手首に巻き付いた時計のような物の表面がチカチカと点滅していた。ああ、そうだ、ダイバーズウォッチというやつだったっけ。
表面のディスプレイが見えるように、目の前に持ってくる。
狭間の世界のこれは、もといた世界のダイバーズウォッチとは似ても似つかない代物だ。ゴツさがない。シンプルで、チタンのような色合いをしている。バンドの部分は、ゴムでも金属でもなく、手首と一体化でもしているかのようなフィット感がある。もしかしたら、これ外せないのか? その考えにすこし不安に思うが、外れて失くしてしまう事の方が大事だと思い出す。
「決して無くさないでくださいと言われたなー」
手数料が余計に発生するのだろうか。なんだ手数料て。どうでもいい事を考えながら、ダイバーズウオッチを眺める。チカチカ点滅していたのは、表面のスクリーンそのものだった。何も映っていない真っ黒い画面が、時折白く光っている。
とりあえず、スクリーンに触れてみた。
「!」
それと同時に、頭に気を失う前に聞いたあの可憐な声が響いてきた。
『
うん、声は可愛い。内容はいまいち意味不明だけども。なんかスワイプしろって事だな。スワイプスワイプ。
二本指を走らせる。
目の前に仮想スクリーンのように、文字が浮かび上がってきた。おお、これは凄い。
迷宮深度:0
潜心:1
潜技:1
潜体:1
うーん、わかんない!
あ、初心者ですね、というのがわかるくらいだ。心技体というのは、スポーツでよく聞くけど、それぞれの項目がどんな意味を持っているのかはさっぱりだ。
いや、クリケットさんがなんか説明したような気もするが、死んだ目で聞いていた僕は聞いてなかった。あの説明で全部理解しろとは無理ゲーすぎる。眠る。絶対。僕は五回起こしてもらった。
「迷宮深度……ってなんだろうなあ一体……」
思わずぼやくがもちろん答えなど無い。ふと、左手首を見る。某林檎社のような見た目のダイバーズウォッチ。
「ヘイ、シリ。迷宮深度って何の事? って、答えるわけな」
『――はい、迷宮深度とは、
「くもなかった! え、そういう意味なんだ! っていうか、答えてくれるのか!」
さすが、シリ。恐るべし。いや、これは林檎な時計じゃないし。
「何で反応したんだろう?」
『シリという単語が私を表す略称であると判断しました。私は、ダイバーズウォッチに搭載された
「せいれいさん」
『精霊名シリエルとお呼びください。私が知り得る限りの事はお答えします』
知り得るから、シリエル? ははは、まさかね。
「ええと、では聞きたいことがあるんだけど」
僕はダイバーズウォッチの支援精霊に思いつく限りの質問を投げかけた。あまりの質問の多さに途中でシリエルさんから『最初に説明を受けているのではないのですか? この程度の情報なら間違いなく説明を受けているはずですが』と不審がられた。苦情はクリケットさんにお願いします。
「潜心」「潜技」「潜体」は、
『さきほど行った初期化により、トオルの精神と身体は、以前とは比べ物にならないぐらいの改変を遂げています。迷宮での経験により、その力はより一層進化していくのです』
「ふむふむ。「潜心」「潜体」はなんとなくイメージがつく。「潜技」、技って言葉からすると、こう何か必殺技とか使えるの?」
『
潜技ヤバイ。
「おおおおおお、浪漫だな潜技……。数値が『1』ということは、何か一つ技を持っているという事?」
『いえ、この数値は獲得した潜技の数ではなく、潜技を扱えるかどうかの才能を表す数値です』
「つまり、レベル?」
『ありていに言えば』
「どうやって増やしていくの?」
『迷宮での活動が影響します』
活動、ね。
「だいたい分かった。後は、その時その時聞いてこうかな」
『必要とあらば、またお声がけください』
脳内からシリエルさんの声が消えていく感覚がする。ちょっと寂しい。
そろそろ行くか。いつまでも、ここに佇んでいてもしょうがない。気が付けば、周りの人数もずいぶん減っていた。
門に向かって歩いていく。
そういえば、服装がいつのまにか学生服から何やら丈夫そうな服に変わっていた。確か、クリケットさんと話していた時は学生服だったので、多分
いかにも初心者っぽいデザインだけども。
「あ、そうだ。武器忘れてた。装備しないと」
先ほど、シリエルさんに教えてもらった通りに、右手の二本指を左から右へ、左手の上をあたかも鞘のごとく滑らせていく。
イクイップ・スワイプだっけか。スワイプスワイプ。
降りぬいた右手には、腕の長さ程の中剣があった。少し重い。でも、そんな重さが安心感ある。
軽く振り回してみる。初めて扱う剣だったけど、思ったよりも手になじんだ。というか、運動神経が前よりも格段に上がっている気がする。さすが
「さすダイさすダイ」
扉の隙間に体をねじ込ませる。中は暗くはなかった。オレンジ色というか、暖色の光が中を照らしている。光源は分からない。
ジャリという音が、足元からする。細かい石の粒というか、砂というか。石畳の床が伸びていて、その先に。
「階段か」
広々した階段がある。ここからが迷宮。この先が迷宮だ。
階段をゆっくりと降りていく。心臓はバクバクしている。冷汗は止まらない。剣を握る手は今にも落としそうだ。
でも、歩くのは止めない。
もう決めた。最深部へと到達してやる。死んだことを無かったことにする。僕は、絶対に試練を突破する。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ああ、そういえば」
説明が終了し、頭が真っ白になっていた僕にダイバーズウォッチを渡しながらクリケットさんが思い出したように話しかけてきた。
「野良猫は助かりましたが、もう一人亡くなった方がいましたね。試練の資格までは得られなかったので、このまま来世へと至るのでしょうが」
「え? もう一人死んだ?」
「はい、貴方の傍を歩いていた人ですね。彼女は、道路に飛び出した貴方を歩道に戻そうとして失敗したようです」
心臓が止まると思うぐらいの衝撃が襲う。
待て。
「二人とも居眠り運転のトラックに轢かれましたから。運が悪かったと言いますか」
待って、クリケットさん何て言った。
「彼女……?」
「はい、ショウコさんですか。貴方の幼馴染みです」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
僕は、ショウコの死を無かったことにする。
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