第10話 再戦の火蓋
エイニケの村を森の中から望んだ。遠くに煌めく光を目視するのではなく、気配を探るためだ。
「数が増えている。応援を呼んだのかな」
――正。村を占拠したのは、我らを誘き出す策。総勢で415名。
「村の皆はどこだろう。無事なんだよね?」
――正にして否。緑地園に集められている。手当は最低限、遅れれば命に関わる模様。
「どうやって助けたら……痛ッ!」
その時、鋭い頭痛が脳裏を焦がした。大いなる力を扱うには、クエスタの幼い体では負荷に堪えられないのだ。全力で活用しようものなら、確実に命を落とすだろう。その手触りだけは強く自覚できた。
「こうなったら、智慧を絞るしかないね」
クエスタは相棒の首筋にふれ、たてがみを撫でた。
「ごめんね、クルル。またキミの力を借りる必要があるんだ」
「グルルル」
「ありがとう。村の反対側から襲ってくれないか。敵を倒すよりも、引き付けるように」
そう告げると、クルルは闇に躍り出た。しばらく待てば、静かな村は一変して騒がしくなる。
「敵襲! また獅子が襲ってきたぞ!」
見張りが叫び、村中に潜んだ兵士たちも迎撃に飛び出した。しかし、クルルはそちらには見向きもせず、本隊が待ち受ける緑地園まで駆け抜けた。
「そっちへ行ったぞ、団長と人質を守れ!」
村の中央付近に開けた場所がある。普段は憩いの場であるのだが、今ばかりは囚われの魔人と軍勢がひしめく戦地であった。
そこへ1頭の獅子が猛然と突っ込み、防備の兵を蹴散らしていく。10、20と甲冑兵が暗闇に舞い散る。早くも軍団は算を乱し始めるのだが、指揮官が優秀だった。
「盾を揃え爪打を凌げ! そしてすかさず剣撃を浴びせよ!」
カウンター戦法は効果的だった。獅子の腕力に飛ばされる兵は居たが、一斉に繰り出した剣先が、細かな手傷を与えた。顔に、前足に赤い筋が走る。それを脅威に感じたか、獅子は1度後方に跳んだ。
シューネントはひとまず安定を見た。だが、そこで考えを止めない所に彼の非凡さが窺える。
(なぜ敵は一匹で突出したか。こちらを殲滅する動きじゃない。恐らく揺動だ。となると狙いは人質?)
真っ先に思いついたのは魔人の救出だ。しかし何百と捕えたのだ。これを助け出すには少なくない軍勢を必要とするのは明白だ。
では狙いは何か。そう考えた矢先、背後からの圧力に振り向いた。
「だったら、狙いは僕って事になるよねぇ!」
上半身を反らし、拳を避けた。その風圧は凄まじく、擦れた肌が赤くなるほどだ。
「クエスタ君。まるで別人だよ、何があったのかな?」
シューネントは笑っていた。ほんの僅かな時間で、異常とも思える成長を見て取ったからだ。意思の鮮明な瞳、迷いのない拳、何よりも全身から漂う闘気には刮目すべきものがある。歴戦の勇将であっても震えを発する程だ。
これなら一軍を任せても良い。叡智の光という予知スキルも併用すれば、際限なく進撃する事だろう。かつて見ない逸材に、舌なめずりが止まらなかった。全世界に自国の旗が上がる日も、夢物語ではないと確信して。
「皆を解放し、地上に消えろ。さもなくばお前らに未来は無い」
ほとばしるクエスタの闘気。それは大火が行き場を求めて猛るかのようで、立ちはだかる者を焼き尽くす気配すらあった。しかしシューネントには、薄ら笑いを浮かべるだけの余裕を見せた。
「その要求は欲張りだねぇ。とてもじゃないが受け入れられないよ」
「だったら力づくで従わせるまでだ!」
クエスタは駆けた。いまだに丸腰で、ナイフの1本すらない。しかし精霊神の力を得た体は、一時的な強化状態にある。振るう拳も蹴りも、鎧の端を吹き飛ばし、少しずつ防備を剥がしていく。
しかし1打として直撃しないのは経験の差だ。闘う術に疎いクエスタは、どれほどの力を誇ろうとも技術に不足している。その相手が達人であったなら、戦の天秤は緩やかに傾いた。
「どうしたんだい、少しずつ鈍くなってるよ。もしかして持続力が無いのかな?」
「うるさい、黙れッ!」
クエスタは幸運にも、足元に転がる剣を見つけた。そしてここが機である。握る柄に、駆ける足先に渾身の力を込めた。血反吐を伴う頭痛に晒されながら、一撃を食らわせた。
その神速は他の追随を許さない。歴戦の猛者の剣を跳ね飛ばすと、刃を首に突きつけた。チェックメイトである。
「勝負あったな。死にたくなけりゃ、部下共々引き揚げろ!」
「参ったね、想像以上だ。じゃあ殺して良いよ」
「えっ……?」
「キミねぇ、これは調練じゃないんだよ。戦なんだ。勝者は敗者を討ち、望みを叶える。当然じゃないか」
シューネントはこの期に及んで、尚も微笑んだ。その背後に無数の躯(むくろ)が見えるようである。
「ほ、本気だぞ! 脅しだと思ったら大間違いだ!」
「だったらすぐにやりなよ。簡単だ、横に薙ぐだけで良い」
シューネントが一歩、また一歩と迫り寄る。
「来るな、来るんじゃない!」
「やっぱりね、キミは人を殺せない。でも僕は違う。人殺しのプロだからねぇ」
クエスタの頬に鉄甲が突き刺さり、その場に倒された。そしてシューネントが腹の上に跨るのを許すと、剣までも奪われてしまった。今度は逆に、クエスタが脅される番になる。
「形勢逆転、だね。このままキミを拐えば作戦成功なんだから、願ったり叶ったりだ」
「お、お前だって僕を殺せない! このスキルがある限り!」
「そうそう、その通り。だから手足を縛ったらお終いさ。僕らは別に魔人なんかどうでも良いからね」
縄を用意しろ。シューネントが横を向いて叫ぶと、その頬に温かいものが飛んだ。血飛沫だ。地面に寝転されたクエスタは、口に溢れる血でむせたのだ。
「うぅん、ちょっと強く殴りすぎたかな? でも躾だからね、仕方ないって事で」
「ふふ、アハハハ」
「何がオカシイのかな。それとも観念したのかな?」
「シューネント・ヨウテル伯。齢47歳、魔法学院を主席で卒業し、剣術をも極め、若き頃より戦果を積み上げた。平民には異例の、北面司令官にまで出世してみせた」
「……何の真似だい?」
シューネントは纏わりつく様な言葉に怖気を覚えた。身上を明かした機会など稀であり、少なくともクエスタに語った事は一度もない。
「果敢にも小勢で魔界に乗り込むも、あえなく惨敗。配下は散り散りに、力も魔法で制約を受け、元長官であっても下働きを強いられ日々。地上へ通じる穴も魔王軍によって塞がれてしまい、帰還も閉ざされた。そうして絶望を味わうと、いつしか酒に逃げるようになった」
「やめてくれないか。戯言にしても不愉快だ」
「魔王より慎ましい暮らしだけは保証された。しかしかつての栄光を忘れられず、5年と待つこと無く反乱を企てた。万全の策は諸々看破され、何も変えられずに失敗する」
「……やめろよ」
「待っていたのは追放刑。無明の闇を、頼る宛も無くさまよい続けるんだ。これまでに奪い続けた亡霊に怯えながら、少しずつ狂気へと落ちる。最後は泥と糞尿に塗れながら死んでいくぞ。誰にも看取られず、気遣われる事さえ無く!」
「やめろって言ってんだろクソガキがぁ!」
シューネントの鉄甲が何度も何度もクエスタの頬にめり込んだ。逆上した怒りは際限を知らず、ただ感情の向くままに拳は振るわれた。
「ふぅ、ふぅ、調子にのりやがって。もう許さんぞ。手足を切り落としてやる。口さえあれば他はどうでも良いんだ」
「フフフ、アッハッハ」
「脅しじゃないからね。軍人の本気を甘く見るんじゃないよ」
「フフッ。司令官殿、お前の負けだよ。魔族の粘り勝ちだ」
「何……!?」
その頃になってシューネントは、状況を理解した。気づけば空は、闇を埋め尽くす程の軍勢が展開していたのだ。
「いつの間に、これほどの軍が!」
「人殺しのプロが聞いて呆れるよ。周りが見えなくなる程に怒り狂うんだから」
敗因は、冷静さを欠き、私情に走った事。そして以前に村を焼き払ったのも悪手で、侵略の狼煙をあげたようなものだった。
総勢5千も数える龍騎兵団が周囲を埋め尽くす。それを率いるのは、魔界が誇る最強の男である。
「テメェら……オレの仲間に手をかけるたぁ、覚悟は出来てんだろうな!」
その気迫は当代一。余波だけで騎士団の全てが、そして暴虐の獅子までもが闘志を奪われ、呆然とする程である。
しかしシューネントだけは体の自由が利いた。そして悪知恵を巡らせ、クエスタを抱えては盾とした。喉元に剣を突きつけるのも忘れない。仲間意識の強い魔族には、人質作戦がよく効くのだ。
「動かないで貰えるかな。さもなくば、この少年の生命が……」
「やってみろよウスノロ」
「なっ……!?」
魔王ナミディアスは既に眼前から消えており、声は真後ろから聞こえた。遅れてやって来る暴風。影すら追えぬ速度は、シューネントの想定を遥かに上回っていた。
「茶番は終いだ。お前の企みと共にな!」
「は、離せ。人質が……ギャァァーーッ!」
ナミディアスの手が苦もなくシューネントの腕を握りつぶした。粉々に骨を砕かれれば、後はのたうち回るだけ。
縛めから逃れて、崩れ落ちそうになるクエスタ。その体を支えたのは、ナミディアスの優しい手付きだった。
「遅くなって済まねぇ。侵攻なんて一度も無かったもんだから、つい手間取っちまった」
「助かりました、魔王様……ゴホッゴホ!」
「今、手当をさせる。詫びは治ってからゆっくりとな」
その頃には制圧は完了していた。龍騎兵団が魔法の網を使い、騎士団をまとめて捕えたからだ。血を伴わない戦法に馴染みの薄い人族は、抵抗する間もなく全てが拘束された。こうして、魔人に襲いかかった災禍は収束を迎えたのだ。
安全の確保が終われば、事態の収拾である。狐耳の軍団が、主の号令により一斉に動き出した。
「よしシルメリアよ。急ぎ怪我人を治して回るのじゃ!」
「はい、コリーナ様。これを機に恩義を割高で売るお積もりでしょう。私は知恵者なので、それが分かります」
「たわけ! それを聞かれたら無意味ではないか!」
方々で厚い手当が始まる。その気配を、クエスタは薄れゆく意識の中で感じ取った。
「これで、争いは終わったのかな」
返答には、薄い頭痛を伴った。
――正。被害はあれど、迎撃には成功。
「そっか。なら良いや」
安堵の息を漏らすと、続けて頬に舌がなぞる感触があった。顔を見ずとも誰なのかは分かる。
「ありがとう、クルル。キミが居なけりゃ、僕は今頃は囚われの身だったよ」
「クルルゥ……」
「僕なら平気。ちょっと疲れただけだから」
クルルは傍に腰を降ろし、クエスタを守るように寝そべった。そして頭や頬をひっきりなしに舐め、快復の念を込める。
そんな彼らのもとへもう1人現れた。すすに塗れたミアである。
「クエスタ、終わったのね!」
「その声はミアだね。そうだよ、お終いだ」
「あのね、私ね、髪を焦がしちゃって。汚くなっちゃったけど、笑わないでね」
年頃の娘にとっては一大事だ。クエスタの評価を気にする彼女にとっては、開口一番に告げねば気が済まない。
しかし事態はそれどころでないと、すぐに理解した。
「ごめんよ、何だか眼が開かなくって見えないんだ」
「どうしたのその顔は! パンパンに腫れてるじゃない!」
「あぁ、散々殴られたから?」
「シルメリアさん、こっちにも重症者が居ます! 早く来て!」
クエスタは足音を聞くと、閉じられた目蓋の向こうに光を感じた。温かで、安らぎを覚えるものだ。そうして心が解れるのを感じると、強烈な睡魔の渦に飲み込まれていった。
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