第6話 王の報酬

 王宮のダイニング。クエスタはもちろん、ミアやヨハンも初めて足を踏み入れる場である。煌々と輝く灯り。床と壁は全てが黒石仕様で、窓の向こうの闇と混ざり合い、それが無限の広さを感じさせた。大きなテーブルと床に敷かれた絨毯だけが黒い世界に浮かび上がり、まるで絶海の孤島の様にも見える。


「さぁ食ってくれ。勝ち戦なんだからパァーーッといこうぜ!」


 部屋の隅には楽隊が控えており、ハープやフルートの優しい音色が耳をくすぐる。そんな上質な音曲も、主のバカでかい声が台無しにするのだが、わざわざ直言するものは居ない。この城はこういうものなんだと理解する方が簡単なのだ。


「いやいや、それにしてもクレスタ! お前が居てくれて助かったぜ。オレの武力とお前の知力が合わされば、何も怖くねぇわ!」


「お、お褒めに与りましてぇ……」


「なんだよ飯が進んでねぇな。もっと食え食え、デカくならねぇぞ」


 クエスタが手を休めてるのは、気不味さからだ。魔王ナミディアスの隣で、酒ばかりを煽る女性が気がかりで仕方がないのだ。その人物は、彼自身が倒した相手となれば尚さら気の毒になる。


「おのれ……。こんな阿呆の家来になろうとは、納得いかぬわ」


「コリーナ様。飲み過ぎは体の毒です。私は知恵者なので、それが分かります」


「やかましい。飲みたい夜もあろうが」


 コリーナは髪を振り乱しながら瓶を呷った。グラスも用いず、喉を鳴らしながら。そして口の端から溢れるワインを手の甲で拭い去り、深い溜め息を吐いた。


 そんな主従を横目に、ナミディアスはフォークを肉に突き立てて持ち、豪快にかじりついた。そして「勝利の飯は旨い」と追撃に煽る。それがまたコリーナの怒りを買うのだが、気遣いもなく宴は進んだ。


「さぁてとクレスタ。そろそろお前らが地上落ちした理由を教えてもらおうか」


「クエスタです。魔界へやって来た経緯ですよね。もちろんお話しますよ。これは一週間くらい前の事で……」


「待て、話を聞く前に確認だ。その話、血とか死人とか出てくるか?」


「いや、出ませんけど」


「そうかそうか」


「ええと、僕達の住んでいた村は、食べるものにも困る様な……」


「待て。その話、可哀相な子供とか動物は出てくるか?」


「いや、大丈夫だと思います」


「そうかそうか。言っとくがな、怖いわけじゃねぇぞ。ただなんつうか、心構えってもんが必要なんだよ」


「はぁ、そうですか」


 やっと話す許可を得たクエスタは、包み隠さずに告げた。果てのない労働と貧しい日々、そして命を容易く奪う慣習。よどみなく綴られる物語は、ミアと魔界で合流する所まで語られた。


 しかし、話途中のクエスタを遮ったのは、やはり魔王ナミディアスであった。


「お前この野郎! よくも騙しやがったな!」


「えぇ!? 全部事実なんですけど!」


「そこじゃねぇよ、ガッツリ可哀想な子供が出てきてんじゃん! 前もって確認したろうがよ!」


 そして声をあげて泣き出してしまった。魔界屈指の強者であり、更に大身である大男がだ。


 幸いな事に彼には有能な従者を多数抱えている。メイドの1人が主人の料理を手早く下げ、もう1人は高速の動きでハンカチを操り、全ての涙を拭き取った。最後に鼻に当てて鼻水を排出させると、彼女たちは何事も無かったように壁際まで戻った。


 これで醜態も終わりだ。青白い顔に赤い鼻先が浮かぶくらいになる。


「クレスタ、そしてミニャア。お前ら苦労したんだな。たくさん辛い想いをしてきたんだなぁ……」


「クエスタです。その時は実感がありませんでした」


「ミアです。私達が特別貧しかった訳じゃなくて、地上の子供たちは大体そんな感じです」


「よし決めた。お前らには最高の暮らしを用意してやる。さっきの礼もあるしな」


「えっ、そんな、悪いですよ」


「遠慮すんじゃねぇって。魔人は仲間を決して見捨てたりはしねぇ。ましてや子供は一族の宝なんだよ」


「はぁ、でも良いのかなぁ?」


「ちなみに都住まいと田舎、どっちが好みだ?」


「どうせ暮らすなら、元いたエイニケ村が良いです」


「任せろ。すぐに手配してやる」


 ナミディアスは羊皮紙を一枚メイドに持たせて、急ぎと伝えた。メイドは恭しい仕草の後、術式を展開して姿を消した。


「さてとクレスタ。余興じゃねぇが、1つ見せちゃくれねぇか」


「見せる……ですか?」


「地上人は稀に、スキルっつう能力を持ってるよな。それは魔人にとって、ありきたりな力って事もあるが、超絶レアな事も少なくない」


「それで、見せるとは?」


「鑑定だよ。うちのお抱えに、お前らの能力を調べさせてくれ」


「構いませんが、大丈夫ですか?」


 2人は鑑定と聞いて嫌な想像を浮かべた。腹を裂いたり、謎の薬を飲まされたりと、漠然とした不安が過ぎるのだ。


「怖がる事ねぇさ。ババアとお手々つないでジッとするだけで良い」


 ナミディアスが手を打ち鳴らすと、虚空に黒い霧が生まれ、そこから1人の老婆が姿を現した。白髪で腰の曲がった姿は、マージンよりもずっと高齢に見えた。


「お呼びでごじゃいますか、魔王様」


「こいつらの能力を見てやってくれ。頼んだぞ」


「お安い御用にて。では娘御の方から」


 老婆はシワだらけの口元を優しくし、ミアの両手を包むように握った。怖くない、すぐ終わると告げながら。


 そして言葉通り、両手はすぐに離れていった。


「こちらの娘御は、智慧の神より加護を授かっております。魔術に適性がありますゆえ、中々の遣い手になると思われます」


「分かった。そんじゃあ次は本命だな」


「では失礼して……」


 老婆は続けてクエスタの手を握りだした。しかし、様相はミアの時とは一変してしまう。


 両手に加わる力は強く、そして老婆の顔も近づいたり、遠ざかったりを繰り返す。そして長い間考え込むと、やがてその場に跪いた。


「なんと、もったいない事じゃ。ありがたや、ありがたや……」


「何やってんだ。拝む前に説明しろ」


「ハッ!? とんだ失礼を。あまりの事に我を失いましてごじゃいます」


 そう口では言うものの、老婆は膝を折ったままだ。ナミディアス相手よりも、ずっと恐縮しているようにしか見えない。


「んで、何が見えたんだよ?」


「この御方は、精霊神様に連なるお方。あるいは、御本人やもしれませぬ」


「精霊神!?」


 その言葉は衝撃をもって伝わった。精霊神とは万物の頂点に立ち、有史以来の長きに渡って現世に介入した事のない存在である。スキルを授ける智慧の神や、破壊の神などの存在さえ遥かに凌駕する、唯一無二の君臨者。それが精霊神なのだ。


 この診断には、さすがのクエスタも大声で否定した。


「違います、絶対違いますよ!」


「ご謙遜を。あるいは、記憶を無くされておるのやも……」


「僕は普通の地上人ですから。ちょっと不思議な声が聞こえるだけですって!」


「その脳裏に届く人物が、何者かはご存知ですかな?」


「いや、それは知りません……」


「恐らく、御神託ですのじゃ。貴方様は少なくとも、最高神に愛されしお方であることは間違いありませんぞ」


「僕が、神様に……?」


「こいつはめでてぇ! 精霊神に愛される坊やがウチに来たんだ、こりゃあ魔界は繁栄間違いなし! お前らまだまだ飲むぞぉ!」


 それからは上も下も無かった。大勢が肩を抱いて輪になると、高らかに歌い上げた。酒も過剰なまでに足りており、ヨハンはここぞとばかりに高級酒を堪能した。クエスタはミアと並んで城仕えに捕まり、大仰な挨拶とともに蜂蜜ジュースを振る舞われた。次から次へと杯を重ねるハメになり、水っぱらを重たくした。


 やがて腹ごなしだと、コリーナのワイン芸やらシルメリアの剣舞などが披露され、城の夜も深くなる。クエスタ達が解放されたのは翌日、しかも昼過ぎとなってからだ。


「なんだか、凄い事になっちゃったね」


「そうね。驚きの連続だわ」


 彼らは既にエイニケの村に戻っている。激しい二日酔いに見舞われたヨハンは、既にマージンの元で安静にしている。


「結局、魔王様は名前を覚えてくれなかったわね」


「うん。何度訂正しても響かなかったよね」


「思い込みが激しいタイプなのかしら」


「そんでさぁ、信じられないんだけど、これが僕達のお家なの?」


「そうらしいわ。だって皆が言うんだもの」


 王から授かったのは豪邸も豪邸。顔を上に左右にと向けても端が見えない。しかも新築。魔法を用いる事で、宴の時間のみで建てる事に成功していた。


 そして庭も、個人が所有するには広く、もはや領土と言っても良いくらいだ。暴虐の獅子が駆け回っても余る程のスペースで、一体何をしろと言うのか。花壇にしろ菜園にしろ、一大事業を為し得るだけの敷地面積であった。


「これって、逃さないぞっていう意思表示かな」


「そうなのかも。まぁ、私達に逃げる宛なんか無いけどね」


「とりあえず中に入ってみようか」


「確かに。ここで突っ立ってても仕方ないし」


 ドアノブに触れた途端、取っ手が煌めき、ガチャリと解錠する音が聞こえた。識別の術式が施されており、鍵を必要としない造りになっていた。


 それから出迎えたのは豪奢なエントランス。据え置きの家具は、灯りから花瓶に至るまで意匠が美しく、眼に休まる暇すら与えない。目利きにとっては垂涎モノの光景だが、彼らには価値が理解できない。


 調度品の数々よりも気がかりになったのは、物言わず控える少女たちの姿だ。丸みを帯びた短めの髪が幼さを連想させるが、それでも主の2人よりは大人である。測るような視線を送ってみると、静かなる3人が動き、頭を下げた。


「お初にお目にかかります。私共は魔王陛下より、クエスタ様のお世話を仰せつかりました。メアリです、以後お見知りおきを」


「ミシェルです、お見知りおきを」


「マリアンナです、宜しくどうぞ」


 クエスタ達は揃って絶句した。3人に目立った差分を見いだせなかったせいだ。強いて言えば赤いリボンの位置くらいで、メアリが中央、ミシェルが左側頭部でマリアンナが反対、という事くらいだ。


「えっと、君たちは何をしてくれるの?」


「メアリです。私の眼が黒いうちはお屋敷にチリ1つ残しません」


「ミシェルです。私の手に掛かれば、どんな粗末な食材も絶品料理に昇華してみせます」


「マリアンナです。主に身辺警護をやります」


「お目障りかと存じますが、誠心誠意務めますゆえ、ご容赦願います」


 3人が声を合わせて頭を下げた。寸分の狂いも無い。まるで見えない糸で繋がってるかのようだった。


「ではこれより勤務を開始したく……」


「待って、悪いけど見分けがつかないんだ。もっとこう、分かりやすくして貰える?」


「承りました」


 その言葉とともに、ミシェルとマリアンナは布を取り出した。それをブラウスの中に盛り込み、程よく形を造る。すると胸元の膨らみが大中小の3種類に分かれた。


「ではこれより勤務を……」


「待って! 今のが結論なの!?」


「おや。年頃の男子たるもの、胸の形で個人特定が出来ると聞いておりましたが、誤解でしょうか」


「うわぁクエスタ。控えめに言って最低よ、それは」


「待ってミア。仕組まれた裁判でも、もう少しは話を聞いてくれるよ!?」


 この有様なので、館の日々はひどく混乱した。それは1日経とうが、2日経とうが変わることはない。


「あのぅ、ミシェルさん。ちょっと聞きたいことが……」


「メアリです。ただいまミシェルを呼びつけます」


「ねぇマリアンナさん、昨日の話だけど」


「ミシェルです。ただいまマリアンナを呼びつけます」


 名前当ては困難を極めた。正答率はせいぜい2割。期待値すら下回るほどで、彼らには不都合さと同時に罪悪感までもが過ぎるようになった。


「名前を何度も間違えるだなんてね。これじゃ魔王様と変わんないな」


「いやいや。あの人は覚える気がないだけだから。私達とは違うのよ?」


 2人はテラスに並んで座り、紅茶を愉しんでいた。視界の先は広大な庭で、そこでは暴虐の獅子が蝶を追って駆け回っていた。それなりに平穏な光景である。


「ずっと、この平和が続けば良いね」


「そうだね。いつまでも続いたら嬉しいね」


 クエスタは甘い紅茶を、大事そうに飲み、静かに飲み干した。そして脳裏に過ぎる言葉で、思わずむせた。そして再びハズレを引いてしまった。祈る気持ちを込めた選択肢は、小憎らしい子供の声で否定されたのだった。


 その不吉な予言が1つの記憶を呼び覚ました。赤い蝋に王国騎士団の印で封された手紙。それが荷物袋の奥底で眠っている事を。




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