第33話 ポンポコスリーピング

(ん……んん?)


 頭がぼんやりする。


(あれ? 俺、どこで何してたんだっけ……?)


 夢と現実の境がハッキリしない状態で必死に頭を回転させるが、全然ダメだ。


(目開けぇ、目開けぇ)


 非常に重たい瞼を必死に持ち上げる。ゆっくり薄く光が差し込んできた。なんとか焦点を合わせると、そこには──。


(え、えぇ?)


 一ノ瀬さんがいた。めっちゃ近い。手のひら一つか二つ分の距離だ。まつ毛の数まで数えられる。一、二、三、一気に目が覚めた。


(ッハ!? 確か、今ダンジョン攻略中で、お昼ごはん食べて、それから──って、こ、この感触は……)


 右腕は自分の頭の下に入れて枕にしていた。左腕は俺と一ノ瀬さんのちょうど真ん中あたりで、一ノ瀬さんの右手を握っていた。


 ドッドッド。動機が激しい。


(な、なぜっ、こんな状況に!?)


 ◇


 時は僅かに遡る。


 実は獅堂辰巳が起きる何十分か前に一ノ瀬ヒカリは一度起きていた。


「ふぇ……」


 起きた原因は単純だ。自身の涎が今にも零れ落ちそうだったためである。普段から品性を重んじる一ノ瀬ヒカリにとって、涎を垂らすなどもってのほか。どんなに眠りが深かろうが、反射的に目を覚ますよう日頃の弛まぬ努力により、その特性を開花させたのだ。


(ふぅー、危ないところでした)


 その一ノ瀬ヒカリをもってしても、今回は危なかった。なぜなら今日という日に寝坊をしないために早起きしてお弁当を作ったため、睡眠時間は僅か四時間。今朝は日も昇りきらない五時から起きている。その状態でダンジョンで戦闘を繰り返していれば疲労も併さり、眠りこけてしまうのも無理はないだろう。


(ん……これはっ……)


 なんとか涎を処理して事なきを得た一ノ瀬ヒカリは辺りを見渡した。そこにはピクニックシートの隅っこで丸まって眠る獅堂辰巳の姿があった。


(か、可愛いっ……。普段はちょっと目つきが悪いのがチャーミングですが、寝顔はまるで純粋無垢な子供のようで、まるで、まるで──弟っ)


 むふーっ。実はこの一ノ瀬ヒカリは弟に憧れを持っていた。少し生意気で不器用で、でもすごく優しい、そんな弟に憧れていたのだ。獅堂辰巳が一つ年下だということも大きかったのだろう。彼は一ノ瀬ヒカリのスイートスポット(弟)にぶっ刺さっていたのだ。


(んしょ、んしょ)


 そして一ノ瀬ヒカリは獅堂辰巳が寝てるのをいいことに真正面から距離を詰める。そして──。


(えいっ)


 その少し硬い黒髪をさわさわと撫でた。


「んんー」


 少しくすぐったいようにむずる獅堂辰巳。起きてる時には絶対見せないあどけない仕草に一ノ瀬ヒカリの母性ならぬ姉性は暴走していく。


(フフ、大丈夫ですよー怖くない、怖くない)


 左手で頭を撫でながら、遂にはそのしなやかなのに男らしい大きな手に自分の右手を重ねてしまう。


 ガシッ。


 だが、触れていた手は逆に掴まれる。それはまるで姉に置いていかれたくないと縋る少年のように。


(かっ……、可愛い……)


 そして一ノ瀬ヒカリはそんな獅堂辰巳を姉の如く優しく見つめていると、次第にまたまどろんでいき──。


 今に至る。


 ◇


(……ど、どうしようか)


 困惑する俺の中に悪魔と天使が生まれた。


『おい、辰巳ぃ、こんな機会二度とねぇぞ。こんな美人とこんなに近くで寝れて、しかも手まで握ってやがる。断言するね、こんな奇跡は二度と起きない。堪能し尽くせよ。なんならもっと近付いてしまえ』


『黙りなさいっ、この悪魔っ! 辰巳ダメよっ、ヒカリちゃんが起きる前にそっと手を放して離れるのっ! これが原因で気まずくなってデュオ解散なんてなったら元も子もないわっ! ヒカリちゃんは清らかなアナタだからこそ、こんな無防備になってるのっ、それを裏切っちゃダメ!』


『うるせー!! バレなきゃいいんだよ!! ほら、寝相が悪かったってことで乳でも触っとけ!』


『このっ、バカバカッ、女の子はそういうの分かるんだからねっ! バレるんだからねっ!!』


 俺の中の天使と悪魔はまさに聖戦……ならぬ性戦を繰り広げていた。


(あと、どうでもいいけど、なんで俺の中の天使はオネェなんだよ……)


 動揺しすぎた頭が生み出した俺は自分の中でも見たことのない部分だった。


(……んー、でももう少しだけ……)


 とりあえず天使も悪魔も不採用にし、現状維持を選択する。いや仕方あるまい。恋人もいたことがなければキスも何もしたことない俺にとって、この状況は甘美すぎた。


 俺はこの胸のキュンキュンに身を任せ、しばし寝たふりをした。だが──。


「……タツミ、起きてるでしょ」


 ………………。ネテルヨ。


「心拍数が二十上がった。タツミ、今の心拍数聞きたい? ひゃくさんじゅー、びーつ、ぱー、みにっつだよ? 知ってる? 安静時に百二十を超えると頻脈だって。心臓大丈夫かな?」


 ぬっと、俺の顔の上に影が落ちる。


「ふぅーぁー、良く寝た。お、アンナおはよ。アンナも寝れたか? って、まだ一ノ瀬さんは寝てるのか。ハハ、朝が弱いって言ってたから無理してたんだろうなー」


 無理だ。これ以上寝たふりは無理だ。そう悟り、俺は今起きたことにする。


「タツミ邪魔したこと怒ってる?」


「ナ、ナンノコトかな? 別に怒るようなコトナンテナイヨ?」


「そ。良かった。怒ってたらお詫びにヒカリとタツミが仲良く手を繋いで眠ってる写真を送ってあげようと思ったけど要らなかったね。じゃあ消──」


「くれ」


「ん?」


 目をクルクルと回すアンナ。こーいう時はなんて言うんだっけ、というヤツだ。


「……ぐぬぬぬぬ。下さい……」


「何を?」


(こ、こいつぅううう!!)


 アンナは白々しい顔で口をパカパカ開けて煽ってくる。だが、その写真は欲しい。俺もダンジョンモーラーである前に十八歳の男の子なのだ。一ノ瀬さんと仲良く眠りこけてる写真なんか何度見たって心拍数百三十オーバーさせる自信がある。


(べ、別に好きとかやましい気持ちがあるとか、そういうわけじゃないんだっ。ただ、あまりにもそういう経験がないから、その貴重な青春の一ページをメモリーに刻んだってバチは当たらないだろ!!)


 俺は誰に対するわけでもなく心の中で言い訳をした。


「……アンナ、頼む。俺はこんなことでマスター権限を使って、無理やり命令したくないんだ」


「え、いやマスター権限とかないけど?」


 ないのかっ!?


「……えと、うん。じゃあ、その、お願いだ。灰色の青春を送ってきた俺に一度くらい甘酸っぱい思い出があったという証を残させてくれよ……」


 神話級に小生意気なオートマタによって俺のプライドはズタズタだった。


「タツミがそこまで言うなら仕方ない。大事にするんだよ」


「ありがとうっ、ありがとうっ」


「ふぇ、何を……大事にするんですかぁ?」


(!? こ、このタイミングで!?)


 一ノ瀬さんが起きてしまった。あんな状態での写真を俺が欲しがったとなれば確信犯だと疑われる。いや、タヌキ寝入りしてそのままでいようとしたのだから確信犯なのだが。


「ほわっ、そ、そりゃ、このアンナという掛け替えのない仲間をこれからも大事にするって改めて、な! もちろん、一ノ瀬さんのことも大事な仲間だ。ハハ、ハハハハハ」


「フフ、それは素敵れす」


 寝ぼけている一ノ瀬さんをなんとか誤魔化せた。


「タツミ、良かったね・・・・・


「お、おう」


 ダンジョンで昼寝。想像以上に心臓に悪いイベントだった。次からはもう少し気を付けようと思う。


 ◇


 などと、無事乗り切ったと思っている辰巳だが、一ノ瀬ヒカリは──


(フフ、慌てる辰巳君も可愛いですね。あとで私もアンナさんにお願いして写真を送ってもらわないと)


 辰巳より余程したたかであった。

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