ステラカリタス

逢人会

プレシャスフール  ~褐彩の英知とスピードスター~

プロローグ/王道とは



「この世に道はそれこそゴマンとあるけれど、王道ほどに歩みがたい道も無いよね」

 果たして、本当にそうなのだろうか?

 王の道。

 この場合は「正攻法」や「定石」と謂うような意味ではなく、「王としての生き方」を意味するのだろうけれど――ともかく、そんな大それた道を、現在いま今日いまに至るまで微々として志した覚えの無い僕には、だから、自分とはまったく関係のない事柄に思えて、その言葉に真実味を感じられないのだった。それどころか、今の僕には、人の道のほうがよっぽど歩みづらい道に思える。奇しくも人の道を外れ、図らずも王の道に迷い込んでしまった今の僕には、既に歩めなくなってしまった人の道の方が、よほど茨であるような気がしてならないのだ。

 些細な切欠で――見も知らぬ第三者の気紛れで、いとも容易く踏み外してしまうような人の道なんか、道として、ずっと破綻している。

「第三者とは他人行儀だね、君と私との仲じゃないか――まあなんにせよ、間違っているよ。君は人道を踏み外してはいない」

 半笑いの否定は、思いの外、迅速だった。

「しかるに、人道もまた修羅の部類ではあるだろうさ。そうでなきゃ、この世に悪人と悪貨が蔓延っている理由を正統化できないもんな……、けど、やっぱりそれとこれとじゃあ、根本的に話が違う。王とはそもそも、欲深き人間様の頂点みたいなものなんだぜ? 王道にはあらかじめ、包括的に人道も含まれていると考えるのが、この場合はベターさ」

 王とは人の頂点。

 言わんとするところは、分からなくもない。

 人を統べる者の称号が〈王〉であるとして、愚かにも、我こそが王たらんと名乗りを上げるのならば、羊飼いが羊の生態を熟知しているが如くに、王は、人の道理に精通していなければならず、また同時に、統べるべき人をあらゆる点において凌駕した存在でなければならない。

 つまり。

 王には、隣人と超人を使い分けるだけの甲斐性が必要なのだ。

 ――でも、だとすれば、王道とは随分と愚かしい道である。

「くく、自分で言うのかね」

 彼女の笑顔は、やはりどうにも意地が悪そうに見える。

 美人だからだろうか?

「しかし、そうさ。君の言う通りだとも。愚の骨頂たる人様の頂点だぜ? 愚かでないわけが無いじゃあないか。むしろ、愚かでなきゃあ、それは王の道とは言えない」

 酷い言い草だった。

 君こそ神代を終わらせる選ばれた王の卵だ――とかなんとか嘯いて、僕の居場所を奪った女の口ぶりだとは思えない。順風満帆とは云えないまでも、無知蒙昧のまま、時代の大きなうねりの中で誰にも記憶されず、むざむざと、村人Fくらいの端役として死ねるはずだった僕を、その「愚かしい王道」とやらに引きずり込んだ元凶こそ、お前だって云うのに。きっと、僕の王道のラスボスはお前だ。

「ずいぶんと乱暴なメタ読みだがね、君。何度も言う通り、君が王になることは元より定められていた約束シナリオだったんだよ。私が居場所を奪おうと奪うまいと、君は結局、遅かれ早かれ、王を目指す羽目になっていたんだ。そして――」

 表情から笑みを取り払い、僕を、真っすぐに見据えた彼女は恐ろしく綺麗だった。

「神の時代を終わらせ、人の時代を始めるために君は――神秘と共に死ぬのさ」

 王道の果てに、僕は死ぬ。

 そりゃあ、諸行無常という言葉があるくらいだ。形あるもの皆いつかはこの世から消えて無くなってしまうのだから――人であろうと王であろうと、僕の終わりが死に帰結することなんて考えるまでも無いことだし、それを、やんややんやと否定してごねるようなみっともないマネはしないけれど、でも、死ぬのはやはりどうしたって怖いものだ。

 なにより、〝王としての死〟がいかほどのモノなのか、人でもなく王でもなく、未だ王の卵にしか過ぎない――無精卵なのか有精卵なのかさえも判然としない――未熟な今の僕には、どうにも想像の手立てがなくて、やはりどうしようもなく恐かった。

 怖ろしく恐ろしくて、足元が――道が、揺らいでいるような気がする。

 本当に、僕は、王道を歩まなくちゃならないのだろうか。

 王道ってクーリングオフ出来ないの?

「まあまあ、そう悲観するなよ。他の〈予言の仔〉らと比べれば、君なんかよっぽど恵まれている方なんだぜ? ……中には、誠心誠意、青春も何もかもを投げうって、理想の為に絶えず愛し、限りなく慈しんできた民草に、あろうことか裏切られ、喝采と共に首を刎ねられる憐れな奴も在るんだ。その点で君は――二律背反という宿業を背負う君は、いまだその、道の果てフィナーレだけはちっとも定まっていないんだから、まだ夢があるってもんさ」

 それなら僕は、もう少しだけ、故郷で平和に暮らす夢を見ていたい。

「はあ、懲りないね、君も……、それこそ懲りずに何度も言うけれど、君の故郷は、そう遠くない未来で滅んでいたんだ。そして――いやだからこそ、生き残った君は、二度と同じ悲劇を繰り返さぬよう、遍く諸人を正しく導ける偉大な王になるため旅立つ――と云うのが、私の観た未来シナリオだったんだよ。それを私は、本来レギュレーション違反であるとは承知しつつも、君の我儘を尊重して因果シナリオを捻じ曲げ、君の故郷の滅亡だけは回避してやったんだ」

 だから、そんなに恨みがましく見ないでよ。

 そう口にした彼女は、一呼吸を置き、呆れたように微笑んでから空を見上げた。

 釣られて見上げた空には、満点の星空が広がっている。

「ねえ、知ってるかい? 死した英雄は宇宙そらの向こう――〈座〉に還るって」

 改まって今度は何を語りだすのかと思えば、恋に恋する乙女だって裸足で逃げ出しかねないほどにロマンチックな迷信だった。砂糖よりも甘ったるくて、歯が浮くどころか、悪くなってしまいそうだ。

「迷信だなんて、君は捻くれた奴だな。まるで何千年も先の未来人みたいだ」

 魔法使いの洒落は、僕には分からない。

「それに、迷信と伝説は全然違う。どちらも眉唾であり、合理性を欠くという点においては似たようなものだけれども――でも、やはり本質を異にしている」

 たしかに、迷信と伝説が異なるというその言い分には一理あると思う。迷信と伝説とでは形式が――あくまでも「事実」として語り継がれるのか否かと言う点において――全く異なるのだ。

 迷信が〈根拠を必要としない信仰〉であるとするならば。

 伝説は〈根拠があるかも知れない信仰〉だ。

 であればやはり、この二つの口伝は形式的に異なるのだと思う――が、しかしその本質と言われると、素直に肯定は出来ない。何せ、仮に僕の主張を真だとするのならば、その二つの口伝に共通する本質とは「信仰」ということになりかねないのだ。換言すれば、心の薬である。神様も宗教も、あるいは科学だって、全ては心の健康を保つために用意された歴史的かつ文化的な社会システムでしかないのだから。

 どれもこれも、人間が空想し得る全ての本質は同一だ。

「君は――やっぱり捻くれてるなあ。まるで、裏切られた少年のようだ」

 ならば僕はもう、大人と云うことになるのだろうか。

「いいや違うね。大人は〈裏切られた青年〉の蔑称さ。君の場合は〈裏切られた少年〉なのだから、少なくとも大人ではない。強いて言えば、王の卵……かな?」

 ……どうしても王道を歩まなくちゃいけないんだな、僕は。

「そうだとも。君にはもう退路なんて在りはしない」

 前進あるのみ――それでこその王道。

「おお! 分かってきたじゃあないか。そうだとも、愚直に前へ進むしか無いのさ」

 けれどその果てに僕は、神代を終わらせるための生贄にならなくちゃいけない。

 どうにも報われない話だ。

「だからこその伝説さ。伝説が、語る者達の心の健康を保ち、同時に奮い立たせてくれるものならば、語られる者をもまた、伝説は救うのさ」

 肉体は滅んでも存在した事実だけは永久に生き続けると云うのは、なるほど、永遠ならざる命を持つ僕らにとっては唯一の救いなのかもしれない――けれど、僕なんかに、そんな――伝説として語り継がれるほどに偉大な生き方が出来るのだろうか。

 偉大な王に成れるのだろうか。

「ああ、きっと――死してなお、誰かの記憶として生き続けられるような偉大な王に、君なら成れるよ。なんたって君は、魔王にも覇王にも成り得る逸材なんだから」

 人道も。

 魔道も。

 覇道も。

 なべて王の道であるならば――ねえ、と彼女は僕の名前を口にした。

 そして。

「――は、どんな風に語られたい?」

 そんな風に投げかけられた問いは――しかし、今の僕はこれといった答えを持ち合わせていなくて、だから、ただ黙って星空を見上げるしかなかった。宇宙の向こうに還ったのかも知れない偉大な英雄たちの残滓を、そこに幻視するより他に、僕は、僕の行末を案じる方法が思いつかなかったのだ。

 如何なる王に成りたいのか。

 如何なる死を迎えたいのか。

 僕はきっと、この先の旅路でその答えを――王たる僕の行動原理とも云うべき命題を、見つけなくちゃあならないのだ。確かな足取りで王道を歩むために、道標たる命題を求道する――最終的には王の道に収束するのだと分かっていながら、道を求める旅に出るだなんて、これじゃあまるで戯言だけれど――でも――これはそう言う類の物語だ。

 人の頂点――愚の極致たる王様に成ろうと言うのだから。

 ――僕の旅路は、きっと、類まれな戯劇になる。



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