日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
拝読させていただきました。
自分の母方の家族が茨城出身で、戦中、満州にいたので、この話に奇縁も覚えました。
作者からの返信
隠井さん
お母様のご家族が茨城だったんですね。戦中、満州にいらしたご親戚の方もももしかしたら、私の祖父と会っていたかもしれませんね。
こちらもいつも作品読ませていただいております。ありがとうございます🙇♂️
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
こんにちは。貴重な戦争体験談。カクヨムでまさか読めるとは思いませんでした。我々も英霊に感謝しないとダメですね
作者からの返信
小林勤務さん
感想ありがとうございます!
祖父の話は幼い頃に聞かせてもらってました。
特に「祖父の考えとテレビや学校の考えの違い」というのは、本音と建前を使い分けるテレビや学校に対して疑問を持つきっかけができたと考えてます。
勿論、祖父の話でも?と思うこともありましたが、それら込みで話を聞かせてもらったのは非常に良かったと思ってます。
ありがとうございました!
編集済
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
貴重な戦争体験のお話ありがとうございます。
恐らく大分昔にお聞きになられた話かと思いますが、時系列や状況が詳しく書かれており、感服いたしました。
私の祖父もシンガポールの空港の開発でシンガポールに行ったらしいですが(軍人ではなく土木工学の学者として)、オランダ人捕虜が土足で作業するのに慣れてなくて衛生面で亡くなる事が多くて苦慮したらしく、地元民から鶏を分けて貰ったりしていたらしいです。
ですが、戦後軍人でもないのにも関わらず祖父は捕虜虐待の疑いで裁判を受けて、捕虜によれば食事に出されていたゴボウを木の根っこを喰わされていたと主張したとのことです。
あやうく祖父は処刑にされるところでしたが、コックに雇っていた華僑が、祖父が苦心して鶏を調達していた件について発言してくれたり、祖父と一緒に居た部隊にたまたま僧侶が従軍しており、死んだ捕虜を弔っていた事から死刑を免れたという出来事があったそうです。
私の場合、祖父から直接聞いたのではなく、幼い頃に祖父は亡くなり、父から伝え聞いたので何処までが事実か分かりませんが、直接聞いてみたい話でした。
この時、祖父が死んでいたら今の私が居ないと思う気持ちは同じで、感慨深いですね。
作者からの返信
麗玲 様
返信ありがとうございます!!
祖父からの話は、何度も何度もよく聞いていたので覚えておりましたw
麗玲さんの
「オランダ人捕虜が土足で作業できずに病気になる」という話は、現場にいた人ならではの話ですね。
戦争で敗れた側は容赦なく「処刑」されることがままありますが、お爺さんも完全に巻き込まれそうな危ない状況でしたね。
日頃の行いが、華僑の方と僧侶の方に響いて助かったので何よりです。
おっしゃる通り、あの時代は死が隣り合わせだっただ、生き抜いた人たちの子孫であることが何やら感慨深いものを感じます。
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
価値のある凄い話ですね。
私は祖父母に戦争の話は聞けなかったです。
祖父は中曽根康弘と同じ船に乗っていたと言ってました(青葉??)
祖母は広島の県庁に勤めていましたが、8月6日にたまたま遠い親戚の葬儀の為に仕事を休み、山の方へ行っていた為に命拾いしたそうです。
原爆で県庁は吹き飛び、一緒に働いていた人達は皆いなくなったと聞きました。
偶然が重なって、みんな生まれたんだろうと思います。
作者からの返信
塩塚様
いつもありがとうございます!またツイッターでの励ましもありがとうございました。
お爺様、青葉の乗組員とはすごかったんですね。海軍は撃沈されれば確実に死と言われてたようですから本当に運が良かったんですね。
しかもお婆様も、その親戚の方のご葬儀がなければ原爆投下に見舞われ…
あの戦争がいかに凄まじかったのかを感じずにはいられません。
貴重なお話、ありがとうございます。
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
貴重なお話です。
実際にご本人からお聞きになったというのも貴重な体験と思います。
笑いながらとか、その場で聞かないととても書けない記述だと思います。
「ロシア人は良い人がいっぱいいた」
ご本人からうかがわないと、このようなことはわからないですよね。
大変興味深く読ませていただきました。
作者からの返信
ありがとうございます。
私が祖父から聞いた「当たり前の話」も伝えていかなければ「誰も知らない話」になってしまうんですよね。
そのために今回筆をとらせていただきました。
しっかりと読んでいただきありがとうございます!
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
三権が未分立で問題であったというのは、当事者らしいなるほどと思える話でした。
作者からの返信
感想ありがとうございます。
他にも色々と話してくれたのですが別の機会にでも書きたいと思います。
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
ああ、あそこで死んでいたら自分はいない。
私の祖父も北京周辺で戦闘し足を撃たれ部隊が全滅した話を聞かされていたので他人事ではない話に感銘を受けました。
戦後に作られた薄っぺらい概念にとらわれないお話、素晴らしいと思いました。
作者からの返信
郭隗の馬の骨 様。
ありがとうございます。
郭隗様のお爺様も壮絶な経験をされていたんですね。お互い「あの時代を生き抜いた人達」の子孫であることを思うと不思議な気持ちです。
戦争の話は現代の政治も絡んでくるため、書くのを迷ったのですが、等身大の話を皆さんに知っていただきたく筆をとりました。
感想、ありがとうございます🙇♂️
日ソ開戦より終戦までの思い出への応援コメント
私も幼い頃、戦場に臨んだ祖父の話を聴きましたが、ヨシダケイ様のように大系的に聴き留めていなかったのが、悔やまれます。
>黒河よりすぐに十五キロの道を自動車で山>神府憲兵隊に戻った。
私の祖父は、当時から車の運転や整備が出来、重宝されたと話してくれたことを思い出しました。
作者からの返信
秋山文里さん
返信遅れてすみません。
感想ありがとうございました‼️
秋山さんのお爺さんは、車の運転や整備ができたということは、優れた整備士だったのでしょう。おっしゃるように当時、車の運転が出来る人は少なかったと思いますので。ちなみに、祖父は満州では「馬」を移動手段としてたとも語ってました。まだまだ語らなきゃならない話がたくさんありますね。