おばさんをからかうんじゃありません!

バナナたるもの

第1話

 人生は、ままならない。

それなりに高位の貴族家系に生を受けてから、早二十数年。

一家唯一の娘として三人の兄と二人の弟に囲まれ、すくすくと成長した私は、今人生最大と言うべき難題に直面していた。

箱入れにし過ぎたと頭を抱える父と兄。

弟たちに支えられながら、よよよと泣き崩れる母。

そんな家族たちを前に、私、ローゼ・うんちゃらかんちゃら・アルムホルトは瀟洒な椅子の上で身を小さく縮めた。

どうでもいいが、自分の苗字を全部覚えられないってちょっと悲しい。

若干遠い目をする私に、父がげっそりとした面持ちで声をかけた。


「愛しい、我が娘よ……。お前が断った縁談の数は、もう百を下らん……。全員が全員、良い家柄の優秀な若者だった…。私とお前の兄たちが厳選しているのだから、それだけは間違いない。しかし、幾ら我が侯爵家の能力を動員しても、もうこれ以上優秀な適齢期の男は見つからないと思うのだ……。たった一人の可愛い娘を行き遅れさせるのは私も本当に忍びない故、どうか嫁に行ってくれぬか……。頼むから……」

「父様、失礼ですが、些か語弊がございます。姉様は今年で御年二十六。我が国の水準を顧みるに、もう行き遅れどころか中年女性に差し掛かろうとしていらっしゃいます」


泣きそうな調子で紡がれた父の言葉に、末の弟ヴァイスのツッコミが容赦なく刺さる。

あどけない顔で吐かれた毒に、部屋中の空気がぴしりと凍った。

この被害はとてつもなく大きい。

私の心をぐっさりだ。それだけでなく、母もばったり。末っ子って怖い。


「いや、ローゼは身内の贔屓目を抜きにしても美人ですし、その上気立ても良いです。流石に貰い手が無くなるって事はないと思いますよ。母様や父様がご心配なさる事はないでしょう。きっとすぐに良い人が見つかります。ほら、ヴァイスもそんな事言っちゃだめだろう?ローゼや母様に悲しそうな顔をさせるんじゃない」


青い顔で地面に倒れ込んだ母を支えながら、三番目の兄、ブラウは慌てて取り繕う様に笑った。

流石真ん中っ子、フォロースキルはピカイチである。

しかし兄の言葉にヴァイスは無邪気な様子で、こてんと首を傾げただけだった。

大きな青の目が瞬いて、非常に可愛らしい。誤魔化す気満々なのが見てとれる。


「でも、今まで姉様に良い人が現れるって言葉をブラウ兄様は何度も仰られましたけど、現れたためしがないじゃないですか。僕、姉様が十六の時からずっとそんな言葉を聞き続けている気がします」


ヴァイスの言葉にブラウ兄様はグッと息を飲んだ。

思い返せば、私がまだ花盛りだった十年前、ヴァイスは四歳の可愛らしい子供だった。

今やすっかり少年らしくなったヴァイス。

彼の成長に比べ、姉の私は年々肌の質が落ちていくくらいしか変化がなく、十年前と同じ様にお見合いをし続けている。ああ、時の流れがただただ虚しい。


「ううっ、どうしてこうなってしまったのかしら…。きっとわたくしが育て方を間違えてしまったのですわ!どうかお叱り下さいまし、あなた!」

「そんな事を申すな、エーデ!お前は何も悪くない!娘の婿すら見つけられない私が無能なのだ……」


一層酷く泣きじゃくる母を、父が急いで抱きしめる。

ふんわりと漂い始めたバラ色の空気に、私たち兄弟は慣れた動作で遠巻きに集まった。

結婚してもう長いのに、未だ仲の良すぎる両親。

すぐさまベーゼを始めない辺り、随分自重しているのだと思う。


「なぁ、ローゼ。どうしてお前は中々結婚しないんだ?今までかなり良い奴とかいただろ、公爵家のシュヴァーン公とか、俺の上司である王立騎士団長シュテルンとか。特に団長は国一の剣使いだし、ちょっと堅物だけど、律義で絶対に浮気の心配はない男だ。本当に何が駄目だったんだ?もし後悔しているなら今からでも遅くないぞ?団長はまだ独り身だ」


二番目の兄であり、同時に王立騎士団副団長でもあるロートが訝しげに問いかけて来る。

その言葉に、私は首を傾げながらぎこちない笑みを浮かべるしか出来なかった。


「……えっと…。波長が合わない、とか?」


まさかロート兄様の親友である騎士団長が遠国に婚下した姫に未だ操を立てているとは言えないし、名宰相と名高いシュヴァーンが貧民街で拾ってきた幼妻をせっせと育てているとは口が裂けても言えない。

そんなのが何故自分とお見合いをしたのか正直甚だ不可解だったが、偶然知ってしまったとは言え、本人たちすら他言しない事ペラペラ喋る程私は口が軽くないのだ。というか後が恐そうだし。

しかし、兄弟たちは私の返答に途轍もなく不満だった様で、全員揃って見事に「はぁ?」という表情を浮かべて見せた。


「…と、とにかく!合わないと感じたのよ!結婚ってこれから一生を共に過ごすのでしょう?なら、妥協は出来ないじゃない!」

「……お前はもっと妥協すべきだと思うぞ……。こういうのはタイミングを逃すともう中々チャンスがないんだ……」


長兄のグラウがぼそりと呟く。

流石、三十三年間独身を貫き続けて来た男の言葉には哀しい重みがあった。


「でも、グラウ兄様もロート兄様もまだご結婚なされてらっしゃらないじゃない……。私だって、まだ大丈夫なはずよ……」

「男と女では全く勝手が違うだろう。ほら、お前の友人のお嬢さん方は皆結婚しているじゃないか。お前の年ごろなら、もう大勢の子供に囲まれていてもおかしくないだろう」


兄弟の中で唯一の既婚者であるブラウ兄様は、厳しい面持ちでそう言った。

その言葉に思い当たる所があり、私は鬱々とこみかみを抑えた。

貴族令嬢の間で時折開かれる、お茶会。

子供の話や夫の話ばかりする友人たちの会話に全くついて行けず、私は毎度端の方でしょぼしょぼと紅茶を啜っている。

昔はこうじゃなかった。

独り身は楽でいいわねぇ、なんて憐憫と嘲笑が混じった友人の呟きを思い出すだけで頭が痛くなった。


「……次こそは、何とかするわよ」


渋々そう口にすれば、ブラウ兄様は言質を取ったと言わんばかりの表情を浮かべた。嫌な予感がする。


「その言葉に偽りはないな?実は、もう次の見合いを手配してあるんだ。お相手は現国王陛下の叔父上である摂政王のペルレ様だ。日時は一週間後の午後三時、ハクア離宮庭園。それまでに、衣装や装飾品を見繕っておきなさい」


……嫌な予感、的中。

しかし僅かに身を引いた私の手を逃さないとばかりに、ブラウ兄様がっし!と掴んだ。


「逃げるんじゃ、ないぞ?」


私と同じ濃い亜麻色の目で覗き込まれ、私はそろりと視線を泳がせた。

ああ、明日からインフルエンザにかからないかな。今、春だけど。切ない気持ちで、私は渋々頷いた。


***


 白を基調に整えられた自室に戻ると、侍女のグラースが薔薇茶を入れてくれた。

ほんのりと甘い香りが体を癒し、私はほっと息を漏らした。

別に、結婚自体が嫌なんじゃない。

ただ、裏切られる事が恐いだけだ。

もう殆ど覚えていない前世の記憶を辿る。

前世、私は日本と言う異世界に生まれ、小さい時に父の浮気が原因で両親が離婚してしまった。

大きな声で言い争う両親。割れる食器の音。ばら、ばら、ばら。

だから、自分は、絶対両親の様にはなるまいと思っていた。

その決心の元に見つけ出されたのが私の前世の夫で、彼は非常に義理堅く誠実な人間だった。

けれど、ある日、突然突きつけられた離婚届。


「好きな人が出来たから、もう君の事は愛せない」と彼は短く言って、申し訳なさそうに頭を下げた。

誠実だった分、心変わりを黙っていられなかったのだろう。

ただ、生まれ変わった今でも、離婚届の白さが目の奥で焼き付いていて。

覚えているのは、元夫と役所に離婚届を届けに行く最中、突進して来たトラックから彼をつい反射的に庇ってしまうくらい好きだったという事だけだ。


もう忘れてしまっていても、きっと優しい思い出や幸せな思い出はあったのだろう。

しかしほとんどの愛は、時と共に変質してしまう。

なら、初めから無い方が良い。特に、裏では奔放な貴族男性の愛が変わらない確証など何もないのだから。

ぬるくなった紅茶を口に含んで、私はそっと目を閉じた。


***


 敏腕と名高い摂政王、ペルレとのお見合いは嫌になるくらい晴れた日に行われた。

まだ十四の年若い王を支える、前王の弟。

兄たち曰く「最終手段」である執政王は、百花咲き乱れる庭園で、身分にそぐわない程穏やかに微笑んでいた。


「紅茶のおかわりは如何ですか、ローゼ嬢?」


品のある動作で手を組みながら、私のテーブル向かいに腰かけるペルレは小首を傾げた。

何故今まで独身だったのかというくらい端正な顔の傍で、射干玉の様な黒髪がさらりと揺れる。

不覚にもドキッとしてしまい、私は急いで取り繕う様な笑みを浮かべた。


「……いえ、結構ですわ。ペルレ様がお出しになる紅茶があまりにも美味しいので、つい飲み過ぎてしまいました。尿意が近くなってはいけませんから、このカヌレでも頂きますわ」


嫣然と言って、カヌレにブスリとフォークを突きさす。

今までのお見合いで適用されてきたこの手段で、引かなかった貴族男性など殆どいなかった。

しかし、私の予想に反して、ペルレは相変わらず優美な笑顔で頷いただけだった。


「そうですね。ここからご不浄は大分離れておりますし、不便でしょう。このカヌレはウチの料理長自慢の品ですから、どうぞお好きなだけ召し上がってください。こちらのポンヌフも美味しいですよ。宜しければ、お一つどうぞ」


……手ごわい。

ぎこちない笑みを浮かべながら、私はテーブルマナー何それ美味しいの?と言った具合にカヌレを口に運んだ。

勿論、わざと指につけたチョコレートを舐める事も忘れない。

庶民の女性でも無い様な行儀の悪さに慄くと良いさ、と私は密かに邪悪な笑みを浮かべた。


「はは、美味しそうに召し上がって頂いて何よりです。他にも何か食べたい物がありましたら、ぜひ仰ってください」

「……ありがとうございますわ」


笑みが固まるのを感じながら、私は摂政王のハートの強さに心底慄いた。

こんな強敵、シュヴァーン公爵以来だ。もっとも、彼の場合は全く私に興味がなかったせいだったのだが。

めげずに、引き続きペルレの忍耐力に挑戦し続ける。

しかしペルレは穏やかに笑うばかりで、私は殆ど必死になってドン引きを誘う行為を重ね、ひたすらに下世話な話題を振った。

その結果。


「へぇ、ローゼ嬢は奴隷娼館にも行かれた事があるのですか!民の生活にそれ程関心を向けられる方に出会ったのは初めてです。それでこそ貴族の有るべき姿。感服いたします」


……キラキラした視線を向けられた。

もはや泣きたい様な気持ちになってしまい、私は半分やけっぱちで席を勢い良く立った。


「お便所に行ってまいりますわ!大の方ですので、暫く戻らないものと思って下さいまし!」


テーブルの端で縮こまっていたすぐ下の弟・シュバルツの手をむんずと掴み、私はドスドスとヒールを踏み鳴らしながら逃走を図った。

家族代表として同席した弟(みはり)がついているため本当に逃げる事は出来ないが、せめて崩れかけそうな陣形を整えたい。

侍女たちを振りきり、私は周囲に人がいないのを確認してから、大きな花壇の影で足を止めた。


「……ねぇ、あの人一体なんなのっ?普通、あんな女性がいたら殿方はドン引きするでしょう!殿方って皆、おしとやかで上品な方を好むんじゃないのっ!?」

「ああ……。俺も、あんたが実の姉じゃなかったら全力で引いていたと思うよ……。姉様、今までのお見合いであんな事してたんだね……。そりゃあ、貰い手が中々現れない筈だよ……。いや、俺、濃いのも結構イケる口だけどさ……。ていうか、奴隷娼館に行ったってなんなの……?特殊性癖の博覧会みたいなとこじゃん……。母様が聞いたら卒倒するどころか、俺でも行った事ないよ……」


何故かマスクで顔を隠したシュバルツがげっそりと肩を竦める。

都一チャラい貴公子としてかなり広いストライクゾーンを有する彼にここまで言わしめるのだから、貴族令嬢的には相当ヤバいのだろう。

いや、幾らチャラくてもシュバルツは坊ちゃん育ちだ。

前世、十八禁ゲーム会社に勤めていた私や同僚たちと比べれば、まだまだではある。


「べ、別に娼館うんちゃらの下りはどうでもいいじゃない!それより、あの摂政王、趣味がちょっとおかしいんじゃないの?兄様が最終手段とか言っていたけど、確かに普通じゃない気がするわ。手ごわすぎて、逆に私の心がぽっきり折れそうよ……」

「いや、俺たちとしては、寧ろ姉様の心がぽっきり折れてくれたら助かるんだけど……。でも、そうだなぁ。ちょっと変な噂は聞いた事がある」


肩を落とした私の前で、シュバルツが考え込む様に首を傾げる。やっぱり、という気持ちで、私はシュバルツの言葉を待った。


「俺も小耳に挟んだ程度だけどね?……何でも、ペルレ公は男色を好まれるらしい。まぁそれ自体は珍しくないんだけど、でも、やっぱり摂政王だから色々問題があるみたいだよ。でも、もう年齢とか条件的に良い人がいないしねぇ」


声を潜め、少し苦笑交じりにシュバルツが呟く。

その言葉に一瞬「ペルレとは気が合うかもしれない」なんて思ってしまった私は、ちょっと前世の人格に引きずられ過ぎな気がする。


「……だからこその、最終手段なの?」

「うん。兄様たちも、流石にそういう噂がある人に、姉様を嫁がせるのは気が引けたみたい。それに……ここだけの話、兄様たち全員何かしら被害に遭いかけたらしいよ」


シュバルツの言葉に、私は道理で顔を隠しているわけだ、と一人納得した。

美形揃いの兄弟の中でも、一際華やかな美貌のシュバルツ。

もし彼が男性の嫁を娶る様な事があったら、都中の令嬢たちが泣くと思う。


「まぁ、取りあえず事情は理解したわ。でも、やっぱりかなり精神的に摩耗してしまったから、少し一人で考えさせてくれない?ちょっとこの辺りを散歩でもして、考えを纏めたいの」

「うん、分かった。でも、くれぐれも逃げたりしないでね?もう本当にこれが最後のチャンスなんだから。確かに色々引っかかるとは思うけど、ペルレ公ご本人はそう悪い感じには見えないし。全力で前向きに考えておいて」

「ええ、分かったわ。真面目に考えてみる。シュバルツも気をつけてね。要領の良いあなただから、きっと逃げ切れると思うわ。ペルレ様には体調が悪くなったとでも伝えておいてくれる?暫くしたら戻るから」


私に逃走の意が窺えない事を再度確認してから、シュバルツはフォローのため渋々ペルレの元へ戻って行った。


 広い庭園の中を、一人あてもなく散策する。

王家の離宮であるだけに、庭園の中は恐ろしく広かった。

ペルレとの事を本気で真面目に考えながら、十分、二十分と歩を進める。

しかし流石にもうこれ以上待たせてはいけないだろう、と思った頃には、もう帰り道がどこだか分からなくなっていた。

……私の悪い癖である。考え事をしていると、無性に彷徨いたくなるのだ。

自宅なら良かったが、ここは初めて来る離宮。

いつの間にか眼前に広がっていた桜の木々を前に、私は悄然と項垂れた。

取りあえず、人を見つけて道を聞こう。

そう思って踵を返そうとした時、不意に突風が吹いた。

流れる桜の花弁と私の帽子。

反射的に手を伸ばせば、涼やかな声が降って来た。


「あなたが失くしたのは金の帽子ですか?銀の帽子ですか?それともこの地味なライトスカイブルーの帽子ですか?」

「ええ、ちょっと生意気だけど可愛い弟のヴァイスが十二の時に初めて稼いだお金で買ってくれた質素だけど品の良い、ライトスカイブルーの帽子だわ。キャッチしてくれてありがとう。一番のお気に入りだから、返してくれると嬉しいわ」


一等高い桜の木の枝に腰かける声の主を見上げて、つい一気に言い切る。

すると彼――枝の上でハイソックスに包まれた細い足をぶらぶらさせている少年――は、艶やかな黒髪を揺らして、悪戯っぽく笑った。


「お姉さんは正直者ですね。正直者には望んだものを返してあげましょう。おまけと言っては何ですが、金と銀の帽子の代わりに僕なんて如何ですか」

「ごめんなさい、生意気な弟はもう間に合っているの。帽子、ありがとう」


ひらりと木の上から舞い降りた少年から帽子を受け取りながら、私はにっこりと笑った。

年の頃は、ヴァイスと同じくらいか。

恰好を見るに、どこかの高位貴族のお坊ちゃまなのだろう。

もう少し大きくなったら、都中の令嬢を騒がせそうな顔立ちをしている。黒い髪。猫の様な金の瞳。短いショートパンツから覗いた太ももは非常にけしからん白さである。


「あなた、お名前は?もし良いのなら、近々お家に窺ってお礼がしたいのだけれど」

「僕は桜(チェリーブロッサム)の精ですよ。家はこの桜の木です」


……そういう設定が好きな年頃なのだろう。

生ぬるい笑みを浮かべて、私は弟にする様な要領で少年の頭を軽く撫でた。さらさらした髪が指の隙間で零れる。


「なら、せめて名前は教えてくれない?それくらいなら良いでしょう?」

「だから、桜(チェリーブロッサム)の精ですよ。固有名称なんてあるわけないでしょう。それとも、お姉さんはお花とかにも名前をつけちゃうタイプの人?」

「……じゃあ、チェリーくん。帽子を拾ってくれたついでに、ここがどこだかも教えてくれない?薔薇園まで行きたいの」


精一杯チェリーという部分に力を込める。


「……何だか、底知れぬ悪意を感じるんですけれど。まぁ、良いでしょう。薔薇園は、この道を真っ直ぐ行った突き当りの曲がり角にありますよ。でも、薔薇園に行きたいって事は、お姉さんが摂政王様のお見合い相手ですか?」


小さく肩を竦めて、少年は小首を傾げた。

意外と話が広まっているのかと、内心冷や汗がドバっと流れる。


「……まぁ、そんなものよ」

「へぇーそれは、奇特言いますか、特殊と言いますか。でも、驚きました。摂政王様のお見合い相手は随分な年増だと聞いていたんですけどね。お姉さん、年の割にはお若くいらっしゃる。それとも、単に若作りしているだけですか?女性はそう言うのが得意だと言いますから」


私の胸元に結ばれたフリルのリボンを指で救い上げて、少年が無邪気に笑う。

その手をやんわりと叩き落としてから、私は嫣然と笑って見せた。


「チェリーくん、レディの扱い方をまだ良く分かってないのね。そんな無遠慮に手を伸ばしたら、セクハラだって紅葉を貰っちゃうわよ?まぁ、お姉さんは寛大だから、お子ちゃまに手を上げる様な事はしないけれど」

「へぇー、一つ勉強になりました。流石お年を召してらっしゃるだけあって、経験豊富なんですね。僕も敬意を込めて、お姉さんではなくおばさんとお呼びした方が良いですか?」

「……私、十八まで御前試合で一度も負けた事がないの。あなたの様な坊やは知らないでしょうけど、アルムホルト家の絶剣姫と言えば諸外国まで名が響いていたのよ。愛剣がなくてもそれなりに強いから、一戦交える気ならお相手しましょうか?」

「ああ、だから貰い手がなかったんですね。納得です」


笑みを深めた私に、少年は「怖い怖い」とこれ見よがしに震えて見せた。

七センチのヒールで踏んづけてやろうかと思った。


「……チェリーくん、私が寛大な大人である事を心から感謝すると良いわ。でももうそろそろ大人げない事をしそうだから、その前に帰るわね。道を教えてくれてどうもありがとう。日が暮れる前に帰るのよ」

「だから僕の家はこの木なんですって。まぁ無事に摂政王様と結婚して、独身貴族を卒業できる事を祈っていますよ。さようなら、おばさん」


ぼそりと呟いて踵を返した私の髪を一房手に取り、そっと口づけながら、少年はにやりと笑った。

瞬間、顔がカッと熱くなる。

それが怒りによるものなのか、羞恥によるものなのか分からず、私はひび割れした笑顔を何とか浮かべながら少年の手を振り払った。


「チェリーくん、大人をあまりからかっちゃ駄目よ?特に、おばさんという生き物は執念深いから。また会える日を楽しみにしているわ。次こそは、愛剣のクロスフォードくんも忘れずに紹介するわね?」

「ええ。期待してます」


にっこりと、無垢な顔で少年が笑う。

その顔にもう一度執念深い微笑みを向けて、私はどすどすと桜吹雪の中を闊歩して行った。

乱れた感情のまま、見合いの席に戻る。

私にショタ趣味断じてない。

まだ、頬の熱が消えないのは気のせいだという事にして、私は扇でそっと顔を隠した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る