第2話 アイリス姫

 猫たちの言葉を聞く限りでは、ここはクォーツ国と言う国で、俺はそこに遣える銃士らしい。そうして、更に銃士隊一のレイピアの使い手だと言う。それが国王の目に止まり、第一子継承制の決まりから、女の身でありながら次期女王となるアイリス姫の剣術指南役に選ばれた──って、待ってくれ、俺は竹刀すら握った事がないぞ。それにレイピアなんて扱えるのか?!

「ともかく、もう一度稽古つけてみるか?」

「それが良い!」

 俺は言った。まずは自分の実力を知りたかった。

 銃士隊詰所だと言う小屋から出ると、ここが城の一角だと言う事がわかる。重苦しい塀の上に広がる空は晴れ渡っている。

相手をすると申し出た先ほどのキジトラが、レイピアを構えた。俺もそれに倣い、レイピアを握る。案外軽い。振り回してみると、どうもしっくり来る。これは……

「いくぞ、シャルル」

と、キジトラは言うと同時に、斬りかかってきた。

「うわっ」

 勘弁してくれ。そう思った時、身体が勝手に動いていた。ギリギリでレイピアを避け、相手と間合いを取る。どうした事かわからないが、彼の形が見える。力まかせでねじ伏せるだけ──そのまま回り込み、彼の首もとに剣先を突きつけた。

 見ていた周りの猫たちが拍手している。これは……まさかチートと言うやつではないか?!

「これなら大丈夫だな。安心して行ってこい」

 キジトラは笑う。

「ディディエを倒すなんてやっぱり凄いじゃないか」

 と、ハチワレが近付いて来た。名前がわからない。俺がきょとんとした顔をしていると、

「マウロだよ。ほんとに覚えてないのか?」

「あぁ……ごめん」

「気にすんな! 頑張って来いよ」

 背中を叩かれ、俺は送り出された。


 城に赴くと言っても、既に城の中にいるので、裏口から入るのは無礼だと、正面玄関に向かった。玄関には、厳つい犬の門番が右と左に立っている。これならば姫君も、さぞかし毛むくじゃらだろう。彼らは俺を見ると、揃ってうやうやしくこうべを垂れた。

「これはシャルル様」

「おう、ご苦労」

 俺は軽く片手を上げてその横を通り過ぎる。城に入ると、真っ先に目に入ったのは大理石の大階段だった。天井にはシャンデリアが釣り下がり、赤い絨毯が王の間へと導くように目前を走る。おいおい、これは本当に……

「異世界に来ちまった……」

 絶望的に、俺はため息をついた。まぁ、獣人がいた時点で、ここは俺の生まれ育った世界ではないと思い始めてはいたが。

「あぁ、シャルル様、お待ちしておりました」

 被せられた羽帽子を取って、抱き締めていると、従者らしき人間が近付いて来る。口髭が鼻の下で、クルリと円を描いていた。この世界には人間もいるのか……。

「遅くなってすまない」

 記憶が戻る前のシャルルと言う猫が、回りにどんな態度だったかは知らない。俺は俺なりに、他の銃士たちの態度や俺を見る雰囲気から、冷静に言葉を紡いだ。そう、冷静に、冷静に……。

「国王と王妃さま、それに姫がお待ちです。ささ、こちらへ」従者に続き、階段を上る。そうして大きな扉の前まで案内された。従者は扉を叩き、「国王様、銃士隊のシャルルがいらしております」

「入れ」

 低い声がする。

「それでは、失礼して……」

 従者は一礼し、中に足を踏み入れる。回りにわからないように、背中で俺を手招く。俺は慌ててそれに従った。

 そのまま、部屋の奥へとかう。屈んでいるため、見えるのは従者の背中だけだ。そうして、従者にうながされるまま、彼の横に跪いた。うわぁ、絨毯がふかふかしている。

「改まるな。顔を上げよ」

 再び先ほどの低い声がした。恐らく国王だろう。

「は!」

 俺はもっともらしく声を発し、顔を上げた。

目の前には、数段の階段がある。その上に位置する王座に座るのは、毛皮のマント姿の人間の王だ。左へと目を移すと、薄紫のドレス姿の王妃がにこやかな笑みを浮かべている。東洋出身だろうか。黒髪に象牙色の肌は、西洋の空間には、どこかエキゾチックで不思議に思えた。

「良く来てくれた、シャルルよ」と、王は言った。そうして右側に座るもう一人へ視線を遣り、「これがアイリスだ」

「は!」俺は再び声を張り上げた。そのまま、視線をそちらへ向けるとそこには──

「絵美?!」

 絵美だ。薄紅色のドレスをまとっているが、そこには絵美がいた。従者の手を振りほどいて、俺は階段をかけ上がり、彼女の肩を掴んだ。

「絵美だろう? お前もこっちに来ていたのか! さぁ、早く帰ろう」

 しかし返ってきたのは、悲しい言葉だった。

「無礼な。なにか勘違いをしているのでは?」アイリスは俺の手を叩いた。「私はエミと言う方ではなくってよ」

「え……?」

 俺は黙りこんでしまった。王も王妃も不思議そうな眼差しで俺を見ている。何故だ何故だ何故だ。目前にいるのは絵美、お前ではないのか?

「ともかく、退いて下さらない? 口が臭いわ」

「す、すみません」

と、俺はアイリスから身を離した。

「そう怒るなアイリスよ」

 王は豪快に笑う。もし俺がシャルルではなくて、シャルルのふりをした暗殺者だったらどうするんだ。このおっさんに国を任せて大丈夫なのだろうか。

「とにかく、あなたの剣を見てみたいわ。勝負しましょう──レイピアを」

 と、アイリスは立ち上がり、小姓の持ってきたレイピアを手に取った。

 へ……?

 俺は従者のもとへ飛んで帰り、こっそりと話しかけた。

「姫は剣術は初めてじゃないのか?!」

「いいえ、シャルル様の前に姫様は何人もの剣術指南役を倒してしまっておいでで……」

「聞いてないぞ」

「大丈夫です、五人中四人が心臓を突かれて死んでしまったくらいですから」

 おいおいおい、ちょっと待て。俺はついさっきまで普通の高校生だったんだぞ。ディディエとか言うキジトラに勝ったのもまぐれかもしれないんだぞ。

「どうなさったの? 私の姿に恐れをなしたのかしら?」

 ええい、どうにでもなれ。

「いいえ、そのような事は。わかりました。一勝負、お受け致します」

 と、俺はレイピアを抜いた。

「では、審判は私が……」

 と、従者が申し出た。

「早く始めましょう」

アイリスがレイピアを構え、愛らしい声で気合をいれる。剣先が俺のすぐ横をかすった。この姫、容赦ないぞ。

 俺も掛け声を発し、レイピアを突く。カンカンとした剣同士が重なる音が、王の間に響いていた。

 やがて、ディディエの時と同じく、姫の剣が見えてくる。強いが、急所が多い、王族に良くある剣さばきだ。

 でも絵美、お前を傷つけたくはないよ。

シャルルとしての実力と、隼人としての気持ちが、頭の中がフル回転する。ここは一歩引いて、相手が怯んだ隙に、レイピアの剣先をディディエの時と同じく喉元に当てた。

 思い出して来たぞ、俺の名は──

「勝負あり! シャルル・ドゥイエ様の勝利!」

 クォーツ国随一のレイピアの使い手、シャルル・ドゥイエだ──!

従者の声が高らかに聞こえる。ヤバい。つい本気をだしてしまった。

「……くっ」

 アイリスは悔しげな瞳で俺を見遣る。

「これはご無礼を」

 俺は頭を下げた。

「やはりやるのう。さすが国一番のレイピアさばき、見ていて面白かったぞ」

 と、王は手を叩いた。中々うるさい。

「それで、姫様はどうなさるのですか?」俺はアイリスを見た。「私を剣術指南役に選ばれるのか……」

「だ、黙りなさい! もふもふの癖に」

 もふもふは認めるのか。

「そう怒りをあらわにするものではありませんよ、アイリス」

 と、王妃が柔らかに言った。なんて良いお母さんだ。

「とにもかくにも、指南役に任命するかは後程決めるとしよう。銃士隊詰所で待機しておいてくれ」

 王は言った。

「は!」

 俺は答えると、踵を返し、王の間を後にする。

 扉が閉じられた時、緊張の糸が途切れたのか、俺は床に崩れ落ちていた。

「き、緊張した……」

「緊張したのは私ですよ!」と、従者は声を張り上げた。「急に姫様に飛びかかられて……!」

「すまない……つい」俺は羽帽子を被った。「かつての恋人に似ていた、から……」

 涙が目元に溜まる。絵美、お前に逢いたいよ。そのまま、従者と話す事もなく、俺は銃士隊詰所に帰った。

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