弥生戦

 拮抗を見せ始めた如月戦から間を置かず、UとMの闘技は苛烈の香り――もしくは硝煙に似た何か――を強めていく。




  松に短冊 藤に短冊 藤のカス 牡丹のカス

  萩に猪 菊に短冊 菊のカス 桐のカス




 一見は場札の勢いが前局と違って弱まり、スロースタートを余儀無くされるような盤面であった。三回目の札撒きを終え、一旦は休息代わりの闘技観戦を決め込む小美優も「また杯系の役が出るかな」と、緩んだ目で座布団の上を見つめていた。


「……」


「……」


 対する闘技者――UとMの目が俄に鋭くなった。当然ながら、眼光の変化を相手に悟られぬようではあったが、「光札が無く、関わる札も少ない」という場面は得てしての様相を呈する事が多い。


 加えて隅に咲く二枚の菊札、この二枚が実に曲者であった。二枚集めるだけという破格の手軽さで五文をもたらす出来役、《花見酒》と《月見酒》を花ヶ岡では採用する。場札に菊の札が一枚でもあれば、余程の余裕が無い限り事がベターとされた。


 今回……場に現れた札は短冊とカス札である。どちらも奪取する必要は無かったが、「短冊」が好手であった。肝心なのは「如何にして《菊に杯》を手中に収めるか」。山札から起こせば有利、もし手札にあれば――。


 圧倒的有利を得られた。


 理由は至極単純である、手札に杯があれば「《桜に幕》《芒に月》の確保へ集中出来る」、更には「焦っている自分を演出出来る」という詐術が可能となるからだ。


 仮に《菊に杯》を持っていた場合、他の役を作る準備をしても良かった。弥生戦の場札を例に挙げるなら、《猪鹿蝶》と《三光》が見え隠れしている。順風満帆に《松に鶴》《桐に鳳凰》を獲得出来るのなら、後は桜か芒か……どちらかの光札を取れば気楽に《三光》と杯系を完成出来る。


 無論――相手が《こいこい》に然程親しんでおらず、ひたすらに《菊に杯》の在処を探っていれば、の話だが。


 これまで場札を眺めていたMはおもむろに手を伸ばし、第一手の《牡丹に短冊》を打ち出した。この瞬間、Mの手札に《菊に杯》がある可能性は目減りした(彼女が企んでいなければ)。そして起きた札は《桐のカス》、《三光》への道は暗くなった。


 続いてUの手札からは《萩のカス》が飛び出し、駆け回る猪の首へ縄を回した形とを取る。起きた札は《柳に小野道風》と、そこまで場を荒らす顔ではない。


 瞬間、小美優は二人の一手目を見てポン、と手を打ちたくなった。


(あぁ、二人は《菊に杯》をんだ!)




《こいこい》の腕に覚えがある者は、大半が一つの通過点を通るであろう。


「相手はきっとこう来るはず、だったら此方はこうするべきだ!」


 場の流れ、敵の動きや戦略を看破し、これ以上は無い程の最善手を打ったにも関わらず、「そんな単純な手で?」と叫びたくなるような敗北を喫した事はないだろうか?


 勝負の場において、相手の出方や作戦を読み解くのは常道である。だが時として策士は自らの策に溺れ、もしくは首を絞められ昏倒する場合がある。当然ながら運も影響してはいるが、往々にして熟練者が初級者に足下を掬われるのは、このような「相手の力量を見誤る」時だ。


 対峙する敵が自分と同じか、或いは上手うわてであれば深読みも決して無駄ではないが、もし初級者なら――「懐かしいあの頃」に回顧するのが得策である。




 弥生戦は最初に漂う気運通り、六手目まで互いの大きな動きが無かった。勿論、このには「場札の壮絶な取り合い」が含まれていない。何と光札はMだけが取得し、しかも二手目に登場した《柳に小野道風》のみという結果となった。Uは代わりに種札三枚、短冊札を四枚、カス札を五枚集めていた。


「……勝負」


 Uが闘技打ち切りを唱えた。六手目に辛うじて引き当てた《松のカス》が短冊札に合わさったが為に、泥沼化していた第三局は終了したのである。同時に短冊札が五枚となった事により加算役の《タン》が完成、七文以上は倍付けから計一四文の逃げを見せた。


《タネ》《タン》《カス》の加算役は実に使い勝手の良い脇役で、手番によっては続闘宣言こいこいも充分視野に入る。但し、今回に限っては残り二手を残すばかり、更にはMの取り札には《青短》に絡む札が二枚と《柳に短冊》が潜んでいる事から、Uの取った打ち切りは全く理に適った選択、となる。


「……」


 小美優が戦績を書き込む間、Mは散らばる札をボンヤリと眺めていた。一方のUは残った手札を裏向きに置き、ゆったりとした手付きで胸元から――を取り出した。


「あっ、やっぱり出してくれるんですね!? いやぁありがたいです!」


 すかさず小美優は免許の提示を求めたが(名前の欄は親指で隠れていた)、Uは免許証を一瞥しただけでしまい込んだ。


「えぇ……」


「可笑しいわね、後輩さん。こんな紙切れが賀留多の文化保護に繋がるだなんて……」


 三戦目にして文数差を付けた為か、Uは幾分か明るい声色で言った。


「貴女も交付申請は出しているのでしょう」


「は、はい……」


 申請とはいうものの、「免許なんて要りません、私は断固反対です」などと関係部署に直談判でもしない限り、原則花石を受け取っていた生徒は全員がと処理されていた。


「よく考え付くと思うわ。この紙切れで随分と――」


 ……。




 弥生戦、終了。


 Uの獲得文数は現時点で二〇文、Mは五文と相成った。


 時に《こいこい》では運の悪渦に巻き込まれる事がある。自らの悪手や作戦違いに腹を立てがちだが、意外にも本人に咎は無い場合が多い。


 強き打ち手は責を感じない。唯、運気という大河の流れに耳を傾けるだけである。

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