睦月戦
睦月戦――これより始まる戦いの一年を占う緒戦である。
親手はM、花ヶ岡では親手を持ち回りで闘技を行う為、奇数月は物言わぬ彼女が司る形となった。即席の目付役となった小美優はチラリとMを見やるが、依然黙したまま手札を、それから場札を観察していた。
桜に幕 桜のカス 藤のカス 芒に雁
芒にカス(二枚) 桐に鳳凰 桐のカス
《三光》の接近を小美優は悟った。場に露出した桜と桐の光札は
今回気にすべきは芒の三枚か……見習い目付役は思った。
五秒後、Mが動き出した。記念すべき第一手目は《桜に幕》を短冊で合わせるという、実にセオリー通りの手であった。続いて起こした札は《藤に郭公》と、各種札を一枚ずつ揃えて手番を終えた。Mの一手は《三光》《赤短》への道筋を照らしただけでなく、後手のUに対する牽制にも繋がる。
相手の手を壊し、此方はいけしゃあしゃあと上がり切る――花ヶ岡で最も打たれる技法の常套句であった。
Mが取り札を並べ終えたと同時に、後手のUは迷う事無く手の内から《芒に月》を、場に積まれた三枚へぶち当てる。
(どうして放って置かないの? いつでも取れるのに……)
闘技を見守る手前、首を傾げたり打ち手に「今の手の意味は?」などと訊ねる事は出来ない。彼女に赦されている行為は立ち会い、札を撒き、結果を書き留めるだけである。
Uはそのまま札を起こす。起きた札は《菊のカス》。菊の札程に場を賑わす――或いは惑わすものは無い。
《桜に幕》を持つM、《芒に月》を持つU……。早ければ次の手番で睦月戦が終わる事も充分に有り得る現況を、二人の打ち手は表情一つ変えず、「あぁそうですか」とでも言わんばかりに静観している。
(わぁ、菊のカス札! 私、二人みたいに平気な振り出来ないよぉ!)
二手目。Mは手札の右端を一瞥し、それから正反対――左端の札を取り上げ、出たばかりのカス札へ叩き付けた。現れた札は《菊に短冊》、《青短》へも一歩先んじたMは、そのまま山札へ手を伸ばし、引き当てたカス札を《桐に鳳凰》へ重ねた。
《三光》へリーチを掛け、《青短》に歩み寄り、加えて相手の《月見酒》を遠退かせる。ごく短い手番に三種の動きがあった事を、小美優は辛うじて理解した。
次はUの手番だが、実に場は閑散としている。使い道の無い桜と桐のカス札が二枚、寂しげに咲いているだけの「枯れ場」であった。Uの取り札は芒のシマ(同月札四枚の意)、対するMの懐は実に温かく、また冷徹な様相を呈した。
枯れ場に華を添える為か、Uは《牡丹のカス》を軽やかに打ち出す。起きた札は《桐のカス》、カス札を回収するだけという地味な展開となった。続く三手目にMが《牡丹に蝶》を打ち、起こしたもう一枚の《牡丹のカス》で場を再現した形だ。
先程と変わり映えしない場面を前に、ここでUが数秒手を止めた。間も無く《牡丹に短冊》をカス札に合わせ、起きた《桜のカス》でいよいよ場を空にする。
一切の札が無い《こいこい》の場は、何ともうら寂しく、また不気味である。
空の場が回ってきた打ち手は否が応でも手札から一枚、それも無防備に出さなくてはならない。他の場札があれば相手は「出すものが無いのか」と誤解してくれるかもしれないが、空の場に限り、希望的観測はかなぐり捨てるべきである。
何も無い場、ここにポツンと打ち出された札を相手が注視する時間は、通常と比べて何倍にもなる。その分、相手は抱いた誤解にかぶりを振り、取り札を見やり、手札を透かそうと牙を剥く。たとえ本当に出したい札が無いとしても、相手の注意を引くような札打ちは避けるべきである。
枯れ切った四手目、Mは少し前に出すのを止めた右端の札――《藤のカス》を打ち出した。古くより伝わる「困った時の藤打ち」とはまさしく金言で、役への絡みが少ない藤の札、または菖蒲の札(この場合は葱打ち、となる)を窮地で捨てれば、その場を凌ぐのに大変役立つというものであった。
(もしもの時に取って置いた……って事かな)
Mの真意は分かりかねたが、それでも小美優は「今度やってみよう」と新しい作戦を思い付けた。彼女が頭上に電球を灯らせていた頃、Mは山札から《柳に短冊》を起こして手番を終えた。
続くUはやはり迷いもせずに《萩のカス》を打ち出す。俄に小美優は「猪でも持っているのかな」と推測しつつ、起こされた《柳に燕》を眺めていた。再び場は二枚のカス札、俗に言う「黒豆」「赤豆」だけとなった。
五手目、Mは《梅のカス》を捨て、《紅葉に鹿》を起こす。最初は飛ばしていたMの取り札が、次第に……速度を落とし始めていた。
代わって勢いを付けていたのはUの方である。先程出したカス札に小美優の推測通り、《萩に猪》をぶつけた。この瞬間、互いに《猪鹿蝶》の完成機会は失われた事になる。その後は《菖蒲に短冊》を起こし、Uの五手目は終了となった。
六手目――睦月戦はようやく終わりを迎えた。Mは手出しの《梅に鶯》を回収し、繋ぐようにして起き札の《紅葉のカス》で鹿を捕まえた。
このまま打ち別れだろうか……小美優がペンを手に取った瞬間、Uがポイッと《菊のカス》を捨てた。そのまま山札に手を伸ばし――。
「目付役さん」
「は、はい……?」
Uが口を開いた。
「占めて六文。下の子達は嫌がるようだけど、私達はこの数え入れを好むのよ」
快音と共に場へ叩き付けられた札は《菊に杯》、Uの出来役は《月見酒》、加えて《カス》であった。
現在、花ヶ岡では《菊に杯》がカス札にもなるという事を嫌う生徒が多い。唯でさえ強い札への更なる優遇を厭う為だったが、上級生――特に手練れと呼ばれる打ち手達は、杯の一層の格上げを喜んだ。
勝つ時は大きく、対価として負ける時も大きく……。
祝い酒を崖上で呷るような姿勢を、果たして次代に受け継がれていくのか。神ならぬ、札のみぞ知るところであった。
睦月戦終了。
Uの獲得文数は現時点で六文。対するMの獲得文数は〇文と相成った。
一寸先の暗鬼を斬るか、光明を映す妖刀に斬られるか。《こいこい》とはそういう技法である。
信じられるものは一つだけ、それは己が得た取り札だけであった。
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