夏知らずの花園

桜庭きなこ

第1話 はじめてのぼうけん!

初仕事


 ここは、ハーヴェス王国、首都・ハーヴェスに存在する冒険者の宿〝まじないの向日葵亭〟。

 今日もまた、冒険者が集い、物語が始まる。


 *


 朝を迎え、活気に満ちた〝まじないの向日葵亭〟の食堂フロアを、ひとりの小柄な少女が走り抜けていく。

「おはよーございまーす!」

 たどり着いた四人掛けのテーブルで元気よく挨拶を宣った少女は、そのテーブルでひとつだけ空いていた椅子に、勢いよく飛び乗った。

「おはようございます、ルアンさん」

「おはよー」

 挨拶を返したのは、そこで食事をしていた修道女の姿をした女性と、頭にターバンを巻いている、大きな犬耳が生えている男性。そしてもう一人、ローブをまとった女性は、挨拶の代わりに信じられない、とでも言いたげな表情を少女に寄越した。

「キミ、朝からよくそんなに元気に動き回れるね……」

 ルアンと呼ばれた少女は、その言葉に全力の笑顔でもって返事をする。

「だって、みんなにあうのたのしいもん!」

「ソウデスカ」

 ローブの女性は理解不能、という顔でため息をつきつつ、食事を再開した。それと時を同じくして、犬耳の男性が食事を終えたようで「ごちそうさま」と手を合わせた後、隣に座るルアンに向き直る。

「今日も元気そうで何よりだよ、ルアンさん」

「ダビさんも!」

 ルアンは、男性を見上げて言った。彼の名はダビといい、故郷で開かれたボクシング大会で優勝したことをきっかけに、冒険者の宿を訪れるようになったのだという。だからなのかは分からないが、朝食の前から何かしらトレーニングの類を行っている、というのは昨日か一昨日に聞いた話である。

「きょうのあさは、なにしてた?」

「相手を投げて転ばせる練習。今度一緒にやる?」

「やる!」

 ルアンとダビの二人が筋肉的な話で盛り上がっていると、修道女姿の女性も食事を終えたようで、その会話に加わった。

「ルアンにとっては、受身の練習になりそうですね」

「そうだね。ルアンさんとおれだと、身長ですら五十センチほど違うし」

 ルアンとダビで投げのトレーニングを行うとなれば、体格差からして、ルアンが投げられる一択になる。そして、ルアンはおそらく投げる側を習得したところで使いどころがないので、そっちをやる気は端からない。

「シアさんもやろうよ~。たのしいよ、たぶん」

「あ、いえ、私は大丈夫です。間に合っていますので」

 修道女姿の女性、ことシアは全力で遠慮した。投げられることを遊び感覚で楽しめるのは、ルアンくらいのものである。

「そういえば、ルアンは朝ご飯を食べてきましたか?」

「たべてきた! でも、まだたべれるよ!」

 ルアンはやはり元気いっぱい、といった様子で答えた。すると、ひとり黙々と食事を続けていたローブの女性が、その手を止める。

「……じゃあ、これ食べなよ。ボクはもういいし」

 と、ルアンの方へ自分の食事の残りを差し出そうとしたが、それはシアによって阻まれる。

「それは良くないですよ、フェンネル」

 フェンネルと呼ばれた彼女は、顔を顰めてシアを見た。

「ボクがボクの分をどうしようと勝手じゃないか」

「ダメです、ちゃんと食べないと」

「ボクだって食べてないつもりはないよ、シアの基準量が多いんだ」

 もうすっかり見慣れてしまった、シアのおせっかいが今日も始まる。フェンネルは面倒くさい、という感情をそのまま態度に表して、しかしルアンに横流しをするのは諦めたようで、残りを食べ始める。なんだかんだと言われつつも、「食べきれないから残す」という選択肢がないのがフェンネルだった。

「シアさん、お母さんみたいだね」

 向かいでシアとフェンネルのやりとりを見ていたダビが、朗らかに感想を述べた。

「職業病ですね、つい」

 シアは苦笑いで応じる。シアは、とある孤児院に身を寄せており、人の世話を焼くことが骨身に染みてしまっている。しかし、フェンネルの出身地はかなり遠くの、聞いたこともない場所で、彼女が一人で旅をしている途中であることもシアは知っている。つまり、本来フェンネルはシアの世話になどならなくても十分やっていける人だと分かっている。それでもつい世話を焼こうとしてしまうのは、職業病に他ならない。


 そんな見慣れた光景が繰り広げられるテーブルに、ひとりの女性が近づいてきた。

「おはよう、新米ちゃんたち。今日も元気そうね」

 その声に反応したのは、ルアンとシアだ。

「おねーさん!」

「おはようございます、ビアンカさん」

 ビアンカと呼ばれたこの女性は、〝まじないの向日葵亭〟の店主である。ビアンカは、機嫌よくニコニコしたままそちらを見上げるルアンの頭を、ペットにするそれのように一撫でして、こう切り出した。

「実は昨日、君たちに丁度いい依頼が入ったの。興味はあるかしら?」

 依頼。その単語に、全員の顔に緊張が走る。四人が向日葵亭で出会い意気投合し、一緒に何かしたいね、なんて話すようになってから、一週間と少し。だが誰一人として、冒険者としての経験がなかったため、ビアンカの手解きのもと、これまでは練習がてら、依頼とも呼べないレベルの手伝いや雑用をこなしていた。

「どんな内容ですか?」

 依頼について、口火を切ったのはシアだった。

「お届け物よ。ディガッド山脈に【夏知らずの花園】っていう〝奈落の魔域〟シャロウ・アビスがあるのだけれど、その調査隊本部に物資を届けてほしいの。期限は七日」

 ビアンカは、一行の座るテーブルに地図を広げて位置関係の説明を始めた。綺麗な指が紙上を滑る。

「調査隊本部があるのはディガッド山脈の中腹、ダイケホーンの南東あたり。だけど今は、周辺地域で【夏知らずの花園】を狙う蛮族による襲撃事件が増加していて、たかが荷物運びといえど、商人みたいな一般人に頼むにはちょっと危険。だから冒険者を用立てて欲しい。……どう? デビューには丁度いいでしょ?」

 内容を聞いたルアンが、キラキラした目でビアンカを見上げた。

「たたかえる?」

「蛮族に出遭っちゃえば勿論。本部までの道中には余程の強敵もいないだろうから、君たちが襲われても死ぬことはないと思うわ」

「やったー!」

「それから、私情を交えた条件もひとつ」

 ビアンカは顔の側にぴん、と人差し指を立てて続けた。

「君たちにとってはこれが初めての依頼だから、引き受けてくれるなら前金を支払うわ。準備資金も必要でしょ?」

 今説明できるのはこの辺りまでね、とビアンカは言葉を区切り、四人を見た。情報機密の都合上、依頼を承諾する前に開示する内容は、ある程度制限されている。

 そして「この依頼、請ける?」とビアンカが全員に問う頃には、ルアンはすでにやる気で満ちており、それはシアも同様だった。

「私はやりたいです。困っている方がいれば助けるべき、見過ごすわけにはいきません」

 フェンネルは二人ほど食い気味ではなかったものの、依頼を受けること自体には前向きで、ダビもまた、それに肯定的だった。

「……いいよ、やろう。お金だってあるに越したことはないし」

「おれは、みんながやりたいならやるよ〜」

 四人の返事を聞いて、ビアンカがニコリと笑う。

「それじゃあ、契約成立ということで。これは約束の前金ね、一人あたり百Gだから、合計四百G。念のため、みんなも確認して」

 ビアンカが四人分の前金を入れた麻袋をテーブルに置く。その中身を確認したのはフェンネルだった。

「四百G。合ってる」

「ちょっと多めに用意したから、くれぐれも余裕をもって準備するのよ。邪魔にならなくて使えそうなものは、持っておいて損はないから」

 ビアンカの助言を聞き終えると、フェンネルが麻袋を手にしたまま立ち上がった。

「じゃあボク行ってくるよ。買い物」

「おれも行こうかな。荷物持ちが必要かもしれないし」

 ダビも遅れて席を立つ。

「わかった。お願いします」

「いってらっしゃ~い!」

 ルアンとシアは、二人もいれば十分だろう、とここ向日葵亭で二人の帰りを待つことにした。と、その後ろから「あ、そうだ」とビアンカの声が追いかける。

「拠点までは一週間近くかかるから、道中の食糧なんかも忘れずにね」

 その声にフェンネルが足を止めて振り返る。

「……ご親切にどうも」

「新米ちゃんには優しくするのが私の信条よ。いってらっしゃい」

 今度こそ、買い物組の二人は街へと繰り出した。


 *


 フェンネルとダビが物資調達に行っている間、ビアンカは【夏知らずの花園】の仔細をルアンとシアに語ってくれた。

「一年前に見つかった〝奈落の魔域〟でね。いろんな草花が生えていて、薬の材料になるような、便利なものもよく採れるの。それが最近蛮族にも知れたみたいで、ここを欲しがって、近づく人たちを誰彼構わず襲撃するようになった」

 蛮族にも様々事情があるが、一般人が暮らすような場所に出現する個体は、力が弱いついでに賢くない場合も多い。そういう個体には、単なる通行人などの一般人と、調査隊など【花園】に用がある者との区別をつけることは難しく、無差別襲撃をするしかないのだ。いくら力が弱いと言っても蛮族である以上は、一般人には十分な脅威となる。

「それは穏やかではないですね。周辺地域の治安のためにも、早めに〈奈落の核アビスコア〉を見つけて、消滅させてほしいものですが」

 シアが感想を述べると、ビアンカは「そう上手くいけば単純で良いんだけど」と眉をひそめた。

「〈コア〉はまだ見つかっていないって話だけど、【花園】が素材調達に便利だから、わざと核を探してない可能性もあるのよね~。この調査隊にはハーヴェスの上層部も一枚噛んでいらっしゃるから」

 ビアンカの話を聞いたシアの表情がぴしりと固まる。

「今、なんだかきな臭いこと言いませんでした……?」

「あら、失礼しました。これはオフレコでお願いね」

 ニコリと笑って受け流す。さすがは冒険者の宿の店主、あしらいが手慣れている。

「あの〝奈落の魔域〟を【夏知らずの花園】と呼んでいるのは、夏の草花だけは生えていないから。調査隊の拠点も【花園】の近く。でも、君たちにはまだ【花園】は早いから、拠点まで配達員をしたあとは寄り道せずに戻ってくるのよ」

「はぁーい」

「危ない橋は渡りません。……いろんな意味で!」

 複雑な決意を込めたシアの言葉に、ビアンカは「よろしい」と嫋やかに笑った。


 ほどなくして、買い出しに行った二人が戻ってくる。

「ただいま~」

 ダビの挨拶に、ルアンとシアが返事をする。

「おかえり~!」

「お帰りなさい」

 ダビは、留守番組に向けて買ってきたものを説明した。

「道中で使うテントと保存食と、あとは消耗品を。おれ今ちょっとお金あったから、それを前金に追加してたくさん買ってきた」

「え、個人のお金を? いいんですか?」

「うん。特に使うあてもなかったし、だったら冒険のために使う方がいいかなって」

「すみません、ありがとうございます」

「で、ポーションはみんなそれぞれ持っておいた方がいいだろうから、ハイ。ひとり一本ずつ」

 シアとダビがそんな会話をする横で、フェンネルが買ってきたものの中から、ポーション類を机に出して並べた。それらを各々の持ち道具に収納すれば、準備完了だ。

「いってきまーす!」

 ルアンが元気よく挨拶をする。ビアンカはにこやかに手を振った。

「いってらっしゃい。がんばってね、新米ちゃんたち」

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