第12話 ボーイ・ミーツ・ガール
日付が跨ぐ前、葵は新生活に向けて教科書やノート、文房具の類をまだ独特な臭いがする学校カバンに詰めていった。
本当はこんなこと明日にでもやればいいのだが、風呂あとの時間は何事にも集中しやすいので今やることにしたのであった。
それに、手を動かしてないと何となく落ち着かなかった。
「起きてる?」
机に向かっている正にその時、ドアの向こうからくぐもったか細い声が聞こえてくる。
亜妃乃も透もまだ二階にいるだろうから声の主は間違いなく柚香のはず。
だからこそ、一瞬ドアを開けるのを躊躇ってしまった。
「・・・起きてる」
葵は開けるかどうか逡巡したあと、昨日とは違いゆっくりとノブを下げ、引く。
「ん」
廊下にはもじもじと恥ずかしそうにしている彼女の姿があった。
もう完全に就寝前のサッパリとした肌の煌めきに体温を調節するための服装。
母でさえこんな薄着で過ごすことはなかったし、ましてや年の近い義姉なんだ。
「入っていい?」
「あっ、うん」
そんな葵を気にもせず、身を引く彼とドアの間を縫うようにして部屋に入る柚香。
周囲を軽く見回したあと、ぽすんとベッドの上に腰掛けた。
「来なよ」
「えっでも」
少年は臆病な犬のように机に備わった椅子の背凭れに手をかけそちらに座りたがっている。
「いいから」
「・・・」
押しの強い柚香に負けすんと隣に座る葵。
その距離は大分離れていたが彼女は隙間を埋めに寄る。
「話がしたいんだ」
部屋の壁をぼけっと見ながら呟く柚香。
それを黙って聞く葵。
「もちろん今日のことでさ、私デリカシーないっていうか・・・余計なお世話し続けて―――」
「葵に迷惑だって思われてるよね、きっと」
肩から指先まで力が抜けているのか、だらっと太ももの間に置かれる彼女の両手。
その影響でキャミソールに目立つ影が浮き出ていた。
ベージュ色のパンツもそうだが、先端に伸びるにつれ色濃くなる張り詰めた両足にも意識がいってしまいそうになる。
「・・・正直な意見聞かせて?」
「僕は―――」
馬鹿なことを考えるなと脳を落ち着かせて、柚香に対し意見を言うことに。
「僕は・・・今までが多分、柚香さんと違って孤独で寂しい人生だったと思うよ」
「僕的にはそんな風には思わなかったけど、周りからしたら寂しい奴だなーって思われてたかも」
「でもさ、それが楽な人もいるんだよ」
率直な彼の言葉、柚香は傾聴する。
「水と油とまではいかないけどさ、十五年近く歩んだ道が違うわけでして―――」
「少なくとも今日みたいな話は、僕にはわからないからしないでほしいなって思った」
両手を後ろに置き足先をはためかせる葵。
その憂う視線はもう数十回は見ている。
そして見るたびにキュンと、胸の奥に言いようのない不安感が吊り上げられる。
「女子って恋の話好きだよね?それは全然否定しない」
「三次元でも二次元でも魅力的で、恋してる女の子って輝いてる」
「素敵だなって思うよ」
「でも男子は全員が全員そうじゃない」
「女の子以上に苦しんでさ、多分相談もあんまりできないんじゃないかな?」
「クラスの隅で観察してると色々見えてくるんだ」
「彼と彼は同じ子が好きなんだなだとか、あの子はあんな風に振舞ってるけど辛いんだなって」
「その点僕は恋なんて知らなくて―――しなくてよかったって思ってる」
ニコリと笑いかけられるが、本当に心の底からそう思っているような笑顔だった。
「傷付かなくて済むし、苦しくない」
「もし例えば、例えばの話だよ?」
「僕のことを好きな女の子がいるとするじゃない?」
「その子が告白してきて断ったら彼女は傷付くよね?」
「でも僕に恋人がいた方が、もっと傷付くんじゃないかな?」
「だから僕は―――選ばない」
「高校に入っても、友達は作りたいけど―――」
「選ばない」
「ね?面倒な人間でしょ?」
表情も声のトーンも一切崩さずに話し終えた葵。
その何とも言えない深淵の底を覗いてしまった恐怖に私の心は支配された。
話が通じない。
悪い意味ではなく、例えば日本人と外国人に於ける言葉が通じないと同義の意味合い。
私と彼は同じ世界で別の道を歩んできたから、わかり合えない。
共通点も性別も趣味も何もかも重ならない平行線が続くばかりで、今のままではどうにもできない。
だがそれでいいじゃないか。
世の中そんな人達で溢れてるんだ、わざわざ私が無理にこれからのことを口出しする必要もあるまい。
ましてや恋のことなんて。
それでも夢見がちな乙女はちょぴり傷付いたわけで、言い返したくなったわけで、宮村柚香という人間は高遠葵ほど我慢強くはないから、言ってしまう。
「逃げてるだけじゃん」
チクッと、ボソッと、けれど釣り針は大きく。
「えっ」
「それはさ、葵がそう思ってるだけなんだよ、葵の中だけで」
「パパとママ見てみ?一度は愛してる人に裏切られたんだよ?」
「それなのにしょーこりもなくまた傷付くかもしれないのに―――」
「人を好きになった」
「・・・」
「恋するのとか愛すのって、そういう当事者にしかわからない魅力を持ってるんじゃないの?」
「じゃあもし葵がこれから生きてまさかの一目惚れしちゃったらどうする?」
柚香の片手は彼の太ももの上に置かれ、必死に訴えるような顔つきになる。
「どうしても付き合いたい手に入れたいって思ってチャンスがきたら?」
「みすみす逃すわけ?」
「だからっ、その時はその時って―――」
「ハッキリ言うけど、多分このままカッコつけた考え方してたら私の二の舞になるよ!」
説得力を孕んだ眼差しに気圧される。
「私さ、今日あんたに一番言われたくないこと言われた」
「ごめん」
「でもそれはっ!誰かに一番言ってほしかったことでもあるの!」
「だって図星だったから」
どんどんとお互いの顔と顔が近づいてゆくが目を離せない、逸らしてもいけない。
「まだ私、あいつのこと好きだもん」
「だから忘れたくて、もう一生話さない関わらないって決めてた」
「けどそれはきっと、ずっと辛いことだろうし―――」
「葵の言うことは外野目線のピーチクパーチク五月蠅い正論だとしても」
「(そんな風に思ってたの!?)」
「正しいことなんだと思う・・・」
言い終えた柚香はおでこを撫で肩に乗せた。
彼の鼻先には彼女の頭頂部がきていて、眼前いっぱいに赤黒い茶髪が広がっている。
「葵も手遅れになる前に、言いたいことはちゃんと言わなきゃ駄目だと思う」
表情は読み取れないが確かに伝わってくる、彼女の想いが。
「きっと葵は優しいから、抱えちゃうと思うから」
「一人で悩まない方がいい」
「それが―――私からのたった一つの提案」
いつの間にか彼女の片手と彼の片手は絡み合っていた。
でも下心だとか厭らしい気持ちからくるものじゃなくて、もっともっと尊いものだった。
「・・・胸に刻んでおきます」
正直、どちらが正しいのかわからない。
どちらも正しくてどちらも間違っていて、詭弁でまとまりのない一方的なエゴにしかなっていないかもしれない。
けれど少年と少女が出会ってしまえば何かしらの化学反応は生まれる。
それは幾千通りにも小規模な結果を生み出し、大きなうねりとなって波乱を巻き起こすかもしれない。
完璧な答えを見出せぬままお互いの芯を残しつつ信念を突き付け合った二人。
腹の内はもう見えた、あとはどういう風に変わっていくかだ。
しかし恋愛というものは奥が深いようで、浅い。
そのことに気付けぬまま、二人は握り合った手を暫く緩めることはせず、
静寂と、仲良くなっていく。
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