プロローグ

吉川せいじ@teamリッピン♡

第1話 前篇 グロウライブとみかんの子

「ありがとうね?」


 彼女がそう語りかけるように礼を告げるときに、前髪をかけた方の耳を見せるようにした小さく首を傾げる癖があることに気がついた吉川聖司はほとんど無意識に身を乗り出していた。


 彼女。名前は相原みゆ。愛称は〝みゆん〟〝みーたん〟〝みかんの子〟(年明けのメンバー全員配信の際、ずっとみかんを食べていたことに因む)。


 北関東を拠点とするローカルアイドル「Lipp'inリッピンガールズ」のメンバーで、最年少メンバーだった佐伯りさがこの夏に学業に専念することを目的に卒業したため、現在ではグループで最年少の十五歳。四期生。


 口(Lip)から生まれたおしゃべりガールというコンセプトの彼女たちは活動の一環として、自分の部屋やスタジオからファンとコメントのやりとりが可能なグロウライブというアプリを使ったライブ配信を毎日行なっている。

 毎日継続して配信をすることで、自身のライブランクを上げることができ、ライブランクが上位になると「アプリ起動時に目につく部分におすすめ配信として表示される」「視聴者からの有料ギフティングやスーパーチャットの還元率が上がる」など、さまざまな恩恵を受けることができるのだ。


 だが、それは容易なことではない。その他のSNSと学校生活を合わせれば、日々のほとんどすべてを曝け出すことになる。よほど狡猾でない限り、嘘をつけばすぐにぼろが出る。



「せいじさんも風邪とか引かないでね」


 だから反対に言えば、こと彼女に関しては、そんなふうに心配するのも、あるいは今にも消えてしまいそうなほど白くて華奢な頭を傾げるようなあの仕草も、あざとく狙いすました行為ではないのだ。


 聖司の手元にはスマートフォンのアプリストアで使えるギフトカードがある。すでに裏面に印字されたコードを入力し、チャージしてあるのであとはアプリ内で課金処理をすればいいだけだ。


《ありがとう》×10


 画面の中、心から聖司を心配している少女の顔の周りに丸くて可愛らしい文字の「ありがとう」のギフトスタンプがいくつも浮かんで消える。画面下部に表示されている聖司の保有ポイントが9000ポイントになる。


 タイムラグがあるのか、やや遅れて、別の誰かが同じように今度は


《かわいい》×10


のギフトで反応をしたあとで、〝みゆん〟は「うそ……っ」と心底驚いたように小さな口を小さな手で覆った。


 元々綺麗な形をしている目がくっきりとまんまるになる。画面の向こう、何かのステータスをちらっと確認したあとで彼女はまた例の礼を告げた。



「ありがとう? せいじさん、はくさん。たまにはみゆんも応援してね」


 白さんという人物が【白@teamリッピン♡きりえ推し】というユーザーネームだからなのか、〝みゆん〟がくすくすと笑ってまた首を傾げる。


「えーでもイベント中でもないのにほんと嬉しいなぁ」


 と、ふいに


《かわいい》×10


 が、また画面に投げられる。投げたのは【マキノ@みゆん激推し垢】。今は〝みゆん〟推しだが、聖司の知る限り〝みゆん〟加入前からの最古参のファンのひとりだ。

 以前にライブでも会ったことがある。アカウントのアイコンは〝みゆん〟の満面の笑顔なので勘違いをしてしまいそうになるが、確かとても恰幅のいい40代の男だ。



「えっ、待って待って。マキノさんまで? 何この連鎖反応? え、やばっ」


 アイドルとはいえ、まだ十五歳。この春に(リーダーである〝きりえ〟曰く)高校に合格した彼女は予期せぬファンの応対に戸惑いを隠せず、眉根を寄せてカメラを見ている。


 なんて無垢なのだろう。その明け透けな表情を、画面越しに一体何人の人々が見守っているのか。


 せいじはふいに思って画面の端、驚いたまましばらく動かない〝みゆん〟の右上を見ると同時接続人数はなんと1000人を超えていた。



「え、待って。ほんとに? なんか人数もすごいし……ふふふ、なにこれガチイベ最終日だっけ? ってくらい。えっうそ、たみるさんも? えーありがとう〜」


 ついには笑い出してしまった〝みゆん〟の周りにはなおも 《かわいい》 や 《いいね》 の文字が浮かんでいる。


 そのおかしな連鎖反応はとうとう、同じLipp'inガールズのメンバーである〝あーちー〟や〝きりえ〟にまで伝播し、その日の〝みゆん〟はわずか十五分の配信で都合12000ものポイントを手に入れた。




 グロウライブアプリがファンとアイドルを繋ぐ画期的なツールとしてリリースされたのは二○一三年のことだった。


 それまでも海外を中心に多くのライブストリーミング(放送局を介さない個人的な映像配信)のアプリはリリースされていたものの、アイドルやアーティストとファンとのやりとりを主にしたものはほとんど存在しておらず、いわゆる「投げ銭」や「スパチャ《スーパーチャット》」と呼ばれる課金を容易に行うことができる機能はアイドルにとってもファンにとっても大変ありがたいものだった。


 とりわけ、Lipp'inガールズをはじめとするご当地アイドルや地下ライブアイドルの場合、CDやグッズの売り上げそれ自体よりも実際のライブにきて物販でそれらを購入してくれる一人ひとりのファンとの交流を重要視しているグループも多く、その点に置いてグロウライブアプリと〝お喋り大好き〟のLipp'inガールズは相性が抜群だった。


 もちろん、普段から一度の配信で数万ポイントを集めることができるわけではない。また、すべてのポイントがそのまま現金としてアイドルに還元されるわけではない。ファンももちろんそのことは分かっているが、より確実に推しているアイドルにコメントを拾ってもらうため、または単に喜ばせるために投げ銭ギフティングを繰り返すので、その場を提供するアプリ運営とアイドル、ファンの関係は概ねWin-Win-Winなのだった。



 そんなグロウライブを空き時間のたびに見ているのが聖司だった。彼の残りのGP(グロウポイント。アプリ内の通貨で1GPにつきおよそ1.18円)は9000ポイントだが、メンバーの配信をすべて追っていれば、数週間ともたないだろう。


 〝みゆん〟だけではない。彼女たちは誰をとっても一生懸命で、美しく、ときに面白く、可愛らしい。ファンだからそう思うのではない。花が儚く美しいように、火に触れれば火傷するように、影が太陽と反対側にできるように、それはこの世の理のようにごく当たり前の、紛れもない事実なのだと聖司は最近そんなふうに考えている。

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