ナイト・ミーツ・ムネシゲ




「ブギャアアアアア!」

「くっ!?」

「ヨハン!? このっ!」


(奴らは簒奪者さんだつしゃだ。許してはならない、絶対に許しちゃいけない……けど――)


「プギャギャギャギャギャ!!」

「っ!?」


(この理不尽な強さだけは、認めざるを得ないっ!?)


 中級の緑魔法であるエアブレイドを放った少女ティアナは、、込み上げてくる悔しさにまみれながらも、怨敵おんてきである巨体のオーク――デラルスハイオークをにらみつけていた。


 ガルディアナ大陸西部に位置する、長い歴史を有する騎士国家、ナヴァル王国。かの国を取り巻く状況は、楽観できるものではない。

 その理由を大別するなら、2つ。


 東側から、侵略戦争を仕掛けてくる敵国。

 西側には、建国以前から存在している大森林地帯。


 特に近年、王国が頭を悩ませているのが、国土の3割を占める、広大な森林地帯。そこに住まうのは、動植物が変異的進化をとげた――魔物と呼ばれる存在。

 この地の魔物は、国土と主張しているナヴァル王国のみならず、他の国々からも、危険な魔物が数多く闊歩かっぽする魔境――魔物領域であると認識されている。




 それが、デラルス大森林である。




「このっ!」

「ティアナ、無理をするな!」

「ブギャアアアアア!」


 そんなデラルス大森林にて窮地に陥る3人の騎士が相手取るのは、二足歩行する豚としか言いようがない見た目の、オークの総称で知られる魔物。

 だが、彼ら彼女らの前にいる者は、通常のそれと比べ、些か厄介な存在である。

 というのも、通常のオークが、平均的な人族の成人男性よりも小さな体格であるのに対し、デラルス大森林に棲息するオーク――デラルスオークは、通常のオークに比べて一回り以上の大きさ、倍近くの体格であり、それらの進化体であるハイオークともなれば、実に4m近い大きさにもなる。


 そして今、騎士達が相手にしているのは、まさにそのデラルスハイオークなのである。


 デラルス大森林に棲息するハイオーク、その危険度はかなり高く、冒険者ギルドと呼ばれる組織が定めた討伐難易度は、上から数えて3番目の金等級。

 金等級で代表的な魔物といえば、下級の竜種ドラゴンであるワイバーン。そして、ワイバーンは、辺境の小さな町程度ならば、一晩で滅ぼす。


 デラルスハイオークとは、それだけの脅威を秘めた魔物であるということだ。


「ハァハァ……」

「まだ……いけるか、ヨハン」

「ギリギリ、なんとか、な……」


 だからこそ、精強で知られるナヴァル王国第2騎士団に所属する騎士達ですら苦戦を強いられるのであり、いまだに誰一人殺されていないのは、充分に健闘しているとすらいえる。

 その要因は、第2騎士団に数人しかいない魔法騎士の内の1人、ティアナの存在だ。


「なっ!? まずい、ぐあああっ!?」

「ゲオルグ!?」


 しかし、残念ながら、3人が懸命に作り出した均衡きんこうは、それほど長くはもたない。

 ティアナの魔法によるダメージ、それが痛痒つうようじみた痛みでも、何度も続けばわずらわしく感じる。

 そのイライラを晴らすかのように、周囲に数多く存在する樹木、その1本を強引に引き抜いたデラルスハイオークは、力任せに投げつけるという荒業を披露、ティアナたちの必死の抵抗を無かったことにする。

 迫り来る危険を察知した騎士ゲオルグが、その身を挺したことにより、ティアナは難を逃れた。

 だが、なおも投擲とうてきしようとする敵の姿に、ティアナの心は悲鳴をあげていた。

 さらには、負傷した身体を引きずりながらも盾をかまえる騎士ヨハンの姿を視界に捉えていたティアナは、残酷ざんこくすぎる未来を、半ば無理やり、脳裏へと映されてしまう。


(私のせいだ……私が、もっとうまく魔法を使えていたら、もっと強かったら――)


 限界だった。

 16才の少女にとって、目の前の現実は地獄でしかなく、冷静さも闘志も失ってしまった今の彼女は、最早ただの無力な少女でしかない。


「いやぁぁぁぁっ!?」

「グギャギャギャギャギャギャギャ!!」


 ティアナから奏でられる音色は、とても心地の良いものだったのだろう、醜悪しゅうあくで、悪辣あくらつさを感じさせる表情は、デラルスハイオークの凶悪さをうかがわせる。

 いびつに持ち上げた口角と同時に、喜悦の声をあげるデラルスハイオークは、無造作に手を伸ばしては樹木を暴力の塊と化し、翠髪の少女めがけ、全力で投げ放つ。

 無力感が絶望をもたらし、心も身体もすくみ上がった今のティアナには、目を閉じるという選択肢しか与えられず、嫌が応にも選ばざるを得なかった。


 ――だからこそ。


 そう、だからこそ、その不可解な現実を、騎士ヨハンとデラルスハイオークだけが、目の当たりにした。


(私に、庇われる価値なんかないのに……ヨハン……ゲオルグ……)


 ティアナは、力なく地面にへたり込んでいた。

 彼女は、自身の末路を理解している。

 自分がオークに殺されることはない、苦痛に次ぐ苦痛を屈服するまで与えられる、ただそれだけ。

 そう、女である以上、殺されることはない。

 オークの所有物になった女性が、死んで楽になることはない。殺された方がマシなほどに利用されるのだ。


 ――母胎として。


 オークという魔物は、他種族の女性を母胎にして繁殖する。それは、人族も例外ではない。

 なにもかもを諦めた彼女の自意識、その大半は、恐怖から逃げるように閉じかけていた。


 だから、彼女は気づかなかった。


 あまりに大きな音がひびく。

 確認するまでもなく、巨大な樹木がなにかに激突したことで発生した音である。そして、それはきっと自分なのだと、考えることを放棄していた少女は、そのように決めつけていた。


 痛みがないことにも気づかずに。


「ふぅ、危機一髪だな」


 だから、今の声の主も、その言葉がなにを意味しているかもわからない。ティアナには、声を発した彼が誰なのかわからなかった、わかるわけがない、当然だ。


 異世界へと連れてこられた大男に、初めて話しかけた人族が、他ならぬティアナなのだから。


 少女にとっての幸運。

 デラルスハイオークの犯したミス。


 少女の、助けを求める声が。

 デラルスハイオークの、心汚い嘲笑が。


 創世されし神代からつづく異世界召喚、歴代最強たる彼を、この場所へと導いた。


「またオマエか、豚――」


 デラルスハイオークが気付く。

 種族特有の優れた嗅覚が気づかせた、その事実に気づかされてしまった。

 その男から漂ってきた、そのにおい。


 あまりにも濃厚すぎるの、死の香りを。

 

 それと同時に香る、別の匂いをも嗅ぎ分けたことで、深刻な程に思考が混乱してしまっていた。

 その匂いは、デラルス大森林の過半を牛耳るオーク達の集団――カイゼルオーク軍に屈しない、唯一の存在が放つ、忌々しい匂い。

 それは、カイゼルオーク軍の大敵である、討伐難易度――星銀ミスリルに認定されし存在。


 デラルス大森林の支配者――蒼竜ファクシナータである。


 つまるところ、この場、この空間の支配者が、たった今、変わったということである。

 デラルスハイオークは、すでに限界だった。

 その人族から漂ってくる死の気配は、デラルスハイオークの心を、デラルス大森林の支配者の一員というプライドを、ものの一瞬で粉々にしてしまったからだ。

 ならば、今のデラルスハイオークは、二足歩行が取り柄のただの大きい豚である。


 いな――


「プギャアアアアアアアアアアア!?」

「プギャプギャやかましい!」


 最早、ただの食材でしかない。




 命を散らす音がひとつだけ鳴り、その場に、本来あるべき静寂が訪れていた。





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