この関係の名前は、そう簡単に見つかるものではない
沈黙。
俺の決死の言葉に、赤月から返って来たのはそれはそれは長い沈黙であった。
完全にやらかしたと思った俺は、俯いた赤月から顔をそらした。
「や、悪い。忘れてくれ」
「え、なんで?」
不満一杯の顔で、赤月がそう返事した。
「いや、お前が黙ってるから、その、ミスったかと思ってな」
「……違うよ。どうして、そうネガティブな勘違いをするかな」
「や、そんなこと言われてもな」
自分的には正直ないなーって感じの誘い方だったわけだし、昨日と同じように「やだ」と言われるものだと思ったんだが、違ったのだろうか。
「……入る」
「……は?」
「だから、文芸部。入るよ」
「い、いいのか?」
不安からか、そんなわかりきっていることを聞くと、赤月はこちらをジロリと睨んだ。
「日向くんが入って欲しいって言ったんだけど?」
「ああ、いやそうなんだけどよ……」
つっても、確認は大事だろうに、そんなに怒るこたあないじゃねえかなと思う。
「少なくともお前は一回やだつったんだぞ」
「そんな昔のこと忘れた!」
「昨日のことなんだけどな……」
まるでそれが、ずいぶん前のことかのように言わないで欲しい。
なんなら、抱き着かれたのに気付いてからまだ一月も経ってないはずだ。
そう考えると、この一週間はずいぶんと濃かった。
「つーか、お前なんで昨日いやだって言ったんだよ」
「それ、普通に考えたらわかるでしょ?」
……確かにそうだ。
どこの誰に同じことをやっても、同じ答えが返って来るだろうな。
今のは馬鹿な質問だった。
「まあ、もういいけどね」
だから、日向くんも気にしないで、と言って赤月は笑った。
「それじゃあ、お言葉に甘えることにする」
「うん、そうしてくれると助かるかな」
だってさ、と彼女は続ける。
「これからは、同じ部活の部員でしょ? 部長さん?」
「……おう」
確かに部長ではあるのだが、部長さんって呼び方は勘弁して貰えないのだろうか。普通にむず痒いし、違和感しかない。
そんなことをそれとなく赤月に伝えると、
「え? じゃあ、わたしが部長やろうか?」
「……それはやめて欲しいが、部長さんはやめろ」
「じゃあ、優斗くん?」
「何故そうなる」
どうして急に呼び方を変えようとする。落ち着かなくなるだろうが。
「今まで通り日向くんでよくないか?」
「別にそれでもいいんだけどさー。なんかそれだと、味気ないじゃん」
「そういう問題じゃないだろ」
「そういう問題だよ。だって、もうわたしたち名字で呼び合うほど、知らない中でもないじゃん」
「話すようになってからまだそんなに経ってないだろ」
「時間は長さじゃなくて、濃さだよ?」
ああ言えばこう言う赤月に、ため息を吐く。
とことん考え方が合わないというか、そもそも真逆というか……。こっちが言いたいことを全部わかったうえで、自分の意志を頑なに曲げようとしないのはなんなんだ。
本当に我が強いし、距離感の詰め方が暗殺者のそれだ。それ、下手したらさっくりと惚れられるぞ。
こいつ、部活に入れて大丈夫だろうか。乗っ取られたりしないよね? 部員が俺一人だから、乗っ取られるもクソもないが……。
なんだか倉橋先生と馬が合いそうだ。一人でも手に余るのだから、せめて共謀して俺を追い詰めるのだけはやめてくれないだろうか。勝てるビジョンが浮かばない。
「……好きにしてくれ」
「言われなくても、好きにしますよーだ」
そう言って、赤月は立ち上がる。
「そろそろ、帰ろっか」
もう真っ暗だしさ、と赤月はこちらに手を伸ばしながら言った。
手を取れ、ということなのだろうが、俺はそれをスルーして立ち上がる。
「あっ、意地悪!」
「いや、普通に立つだけなのに支えとかいらないから」
「……そういうつもりじゃなかったんだけど」
じゃあ、どういうつもりなんだよ、とは聞かず歩き始めた。
いや、意図は全くわからないし、少しばかりの興味はあったのだが、なんとなく聞かない方がいい気がした。
別にそれで何かが変わるとかじゃないんだろうが、まあ気分的な問題だ。
むすっとして、不貞腐れる赤月を見る。
改めて、いい顔をしていると思う。どんな顔をしても可愛い顔に見えるというのは、それだけで才能と言っても良いだろう。
コミュ力と顔面と性格と頭の良さは、人生を生き抜くうえでどれか一つでもあれば良いわけだが、そのうちの三つを持っているこいつはさぞ、生きやすいだろう。天は二物も三物も与えるらしい。いったい、前世ではどれほど得を積んだのだろうか。
ちなみに、四つ挙げた中で一つないのは頭の良さである。寝てるやつに急に抱き着くやつの頭が良いわけないだろ。
まあ、そういった欠点があるからこその赤月なのだろうとは思う。
面倒臭いことに、世の中完璧な人間よりもどこかに欠点がある方が、愛嬌があると言われて、人に好かれるのだ。
「あ、今馬鹿にしてるでしょ!」
若干呆れた顔をしていたからだろうか、まるで俺の考えを悟ったかのように赤月がそう言って来る。
「馬鹿だとは思ってるが、馬鹿にはしてない」
「それ、馬鹿にしてるじゃん……」
「ちげーよ」
世の中、頭の良さが全てではない。
勉強が出来ても仕事が出来ないやつはいるし、その逆もまた然りだ。というか、勉強は出来るに越したことはないが、それだけが出来ても仕方がない。
むしろ赤月のようなタイプの方が、社会では重宝されるはずだ。
つーか、なんでこんなこと考えてるんだっけ。
脇腹を小突いてくる赤月を手で払いながら考える。
ああ、そうか。
「いや、お前って本当に可愛い顔してるよなって考えて……」
そこまで口にして、不味ったと思う。
「……へ、へぇ~、そ、そうなんだ。へぇ~」
「悪い、今のこそ忘れてくれ」
「……うん」
最後の最後で、本当にやらかした俺のせいで気まずい空気のまま、地下鉄までの道を二人で歩いた。
「あのさ」
改札を抜け、ホームについた時、突然赤月が口を開いた。
「なんだ」
それに俺は立ち止まって、振り返る。
「これからよろしくね、優斗くん」
今更な言葉だと思った。
それは普通、最初に顔を合わせた時に言うような言葉だ。たったの数週間。されどもその時間の積み重ねは、確かに俺と彼女の間にあった数週間だ。
だが、それは普通ならの話だ。
今日までの間、俺と彼女はそもそもの話、ちゃんと出会えてすらいなかったのだ。
人に聞かれれば、散々接触しておいて何を言うのかと、言われるかもしれない。
酷く感覚的で、それは俺と彼女にしかわからないものなのだと思う。言葉にすることすら難しくて、そんなところがどこか俺たちの関係性に似ている。
いつも、本当に大事なことは言葉に出来ない。
それがもどかしくて、それでも嫌ではないのだから不思議だ。
「ああ、よろしく赤月」
「……名前」
「俺は呼ぶなんて言ってないぞ」
俺がそう言えば、彼女はまた不貞腐れた顔をして、
「いつか絶対に呼ばせてやる」
「そうかい」
出来るといいな。俺は意地でも呼ばないが。
「わたし、しつこいから覚悟してね」
知ってるよ。
最初の時、脅しまでして来たやつがしつこくないなんて思うわけがない。
「はいはい、つーかお前方向どっち?」
「あっち」
赤月の指差した方向を見て、安心する。
どうやら、ここでお別れらしい。今後部活の時も、最後まで一緒ということはなさそうだ。まあ、ホームまで同じ時点で下校の半分の時間は、一緒に居ることにはなるんだけど。
そこまで考えて、赤月に向かって口を開いた時、ちょうど構内アナウンスが鳴った。俺の方の電車がもう来るようだ。
「……んじゃ、逆だな。気を付けて帰れよ」
「うん、そっちもね」
「じゃあ、また」
「またね」
そう言って、俺は赤月から離れた。
それからちょっとしてやって来た電車に乗り込んで、数分揺られながらぼんやりと考える。
結局、俺と彼女の関係性の名前はわからなかったが、まあそれでいいのかもしれない。
求めれば求めるほどに、答えから遠ざかるなんてことはよくあることで、けれども今回に関して言えばむしろ進展したのだから、上々の結果だと言えるはずだ。
遠ざかっていないなら、それでいい。一歩ずつでも、確かに答えに近づけるなら無駄じゃない。
時間はある。少なくとも、あと二年近くあるのだからその間に見つかればいいと思うことにしよう。
それまでの間は、一先ず「部活仲間」ということでいいだろう。
きっとこの関係の名前は、そう簡単に見つかるものではないのだから。
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