お前、文芸部入れ
「あ、こらッ!」
一ノ瀬が慌ててこちらを追いかけ始めたが、この図書館は存外と狭い。
走りだしたままの勢いで、図書館を飛び出し、すぐ目の前にある一階にだけ繋がる階段を下りて、そのまま真っすぐ走る。
途中、一人二人の生徒とすれ違ったが、気にすることなく赤月の手を引いて、本校舎から渡り廊下を通って北校舎まで連れて行った。
「ふう……。ここまで、来れば大丈夫だろ」
もっとも、まだ昼休みの終了を告げるチャイムは鳴っていないし、図書館大好きなあいつが仕事ほっぽり出してまで追いかけて来るはずがないから、こんなところまで来る必要はなかったのだが。
勢いって恐ろしいな。
「ねえ……」
久しぶりに走ったこともあって、上がっていた息を整えていると赤月が声をかけてくる。
「ん?」
「手……」
「あ……」
言われて、繋いだままの手を慌てて放す。
「わ、悪い」
「いいけど……」
赤月は俺と繋いでいた方の手を確かめるように何度か閉じたり開いたりしてから、いやに真剣な顔でこちらを見る。
「けど、どうして逃げたの?」
「……言わなきゃダメか?」
正直、口に出すの結構恥ずかしいから嫌なのだが、赤月はそんな俺の思いなど知ったことかとばかりに、首を振った。
「ダメ」
「……左様でございますか」
普段の赤月とは違う雰囲気に敬語で返事をしながら、何度目かもわからないため息を吐いた。
「だって、お前言いたくなかったんだろ。一ノ瀬の威圧感は半端なかったが、あの場は退散出来ないわけでもなかったしな」
それに、と俺は言葉を続ける。
「お前、安心するって言ってただろ」
言い切って、俺はそっぽを向いた。
我ながら柄じゃないのだ。こういうの。
「なんで……」
「なんでって言われてもな。そうしたかったからとしか言えねえよ」
何故そう思ったのかは、自分でもわからない。
あの時の赤月の表情に絆されたのかもしれないし、ただ単純にそういう気分だったのかもしれない。
気の迷いから出た行動だろうということは間違いない。あの時、俺は赤月を差し出したってよかったのだから。
「でも、日向くんと一ノ瀬さんの関係が悪くなっちゃうかもしれないのに……」
「……馬鹿だろ、お前」
「ば、馬鹿って! だって、一ノ瀬さんあんなに怒ってたし、あんな風に逃げ出したら日向くんのこと嫌いになっちゃうかもしれないじゃん!」
まくし立てるように赤月がそんなことを言うが、俺はその様子を見て、笑ってしまう。
「くふっ、はははッ!」
「な、なんで笑うの!」
「はっ、いや、だってもっと心配することあんのに、俺とあいつの心配してんの面白くて」
普通、こういう時って自分ことを真っ先に考えるだろうに、変な奴だ。
「で、でも、だって、わたしのせいで……」
「まあ、確かにそうだな。そうかもしれない」
「ならッ!」
「まあ待て、聞け」
続けようとする赤月にそう言うと、不承不承という感じで彼女は黙る。
「確かに一ノ瀬は怒ってたし、あんなことになったのはお前が原因だ」
「じゃあッ!」
「だから待てよ、まだ話は終わってねえよ」
「でも今、わたしのせいって言ったでしょッ!」
どうして赤月はそう自分のせいにしたがるのだろうか。
まあ、赤月のせいではあるのだが、結局、あの場で逃げる選択をしたのは俺なのだし、もし一ノ瀬と仲が悪くなったとしても責任の一端はこちらにもあるのだから、そこを突いて素知らぬふりをすればいいのに。
もっとも、だ。
「こんなことで一ノ瀬は俺のことを嫌ったりしねえよ」
「え……?」
俺の言葉に必死な顔をしていた赤月が、一転してきょとんとする。
こいつって、アホな顔をするととことんアホっぽく見えるのすごいな。美少女だからいいんだろうが、俺の顔で同じことするとそれだけで批判が殺到しそうだ。
「付き合いがない期間もあったが、何だかんだ俺とあいつは知り合ってから長いんだ。話せない事情があることぐらいわかってくれる」
お互いがお互いをまるっとお見通しなんて、そんな気安い関係ではないが、それでも付き合いが長いだけでわかることもある。
少なくともお互いの性格ぐらいは最低限、理解し合っているつもりだ。
なら、基本的に面倒臭がりである俺が、誰に強制されるでもなく赤月花蓮などという、一緒に居るだけで気苦労が増えそうな相手と、理由もなく関わらないことぐらい、向こうはわかっているだろう。
「つーか、こんなことで嫌われるならもうすでに取り返しのつかないことになってるわ。それに、本気であいつが許してくれなさそうなら俺は迷わずお前を差し出す」
今まで、あいつに怒られている最中に逃げた回数なんて両手の指じゃ足りないし、なんなら足の指も入れたってやはり足りないのだ。
それを赤月に伝えると、今度はジトっとした目で睨まれた。
「どうすればそんなに怒られるのかわかんない」
「さあ、俺もさっぱりだ」
「絶対わかってるやつじゃん……」
嘘つきを見るような目をされても、本当にわからないのだから仕方がないだろう。
まあ、俺が悪いことだけは確かだけど。
「ま、そういうことだから気にすんな」
「うん。ていうか、本気でやっちゃったって思って、心配してたわたしの気持ちを返して欲しいなあ」
「そいつは無理な相談だ」
俺があっけらかんとそう言うと、赤月は大きく息を吐いた。
「日向くんのことは話すようになってから、結構普通だな、なんて思ってたけど、なんか本当に残念な人だったんだね」
「今更だな」
「なんでそんなに堂々としてるのかなあ……」
心底呆れたように赤月は言うが、別に堂々としているわけじゃない。性格を直す気がないから、開き直っているだけである。いや、わかってるんだろうけど。
それに、それを言うなら赤月だって同じだ。
「お前だって、大概残念だろ。男を脅して抱き着いて、挙句の果てに安心するとか、誰が聞いてもビッチだからな」
「そ、それは日向くんにだけなんだからいいじゃん!」
「別に人を限定すればビッチじゃないとかそういうことはないと思うんだが……」
振る舞いがビッチ臭いって話だし。
「うう……そんなに日向くんはわたし嫌いなんだ」
「おう、嫌いだぞ」
「わかってはいたけど、そこは普通、否定するところじゃないかなあッ!」
「俺、高校に入ってから嫌いな奴には嫌いって言うことにしてんだわ」
「小学生かな⁉ 思っててもいいけど、言っちゃダメなことだと思うだけど!」
ぷりぷりと怒る赤月を見て、小さく笑った。それにまた赤月が文句を言って来るが、適当に頷いて対応する。
しばらくそうしていると、程なくして赤月は落ち着きを取り戻して、今度は肩を落とした。
「初めて人に嫌いって言われた……」
「奇遇だな、俺も高校に入ってから初めて人を嫌いになった」
嫌いになるほど関わる相手が多いわけじゃないしな。
「それ、日向くんに嫌いって言われたの実質、わたし一人ってことじゃん……」
実質も何も、そういうことである。
それに、俺だってクラスの人気者とここまで関わることになるとは思わなかったし、ましてやこんな関係になるなんて想像もしたことがなかったので、今までの分とこれでお相子だ。
「ま、そんなことはどうでもよくてな」
「どうでもよくないんだけど……結構、わたし的にショックなんだけど……」
落ち込んでいるところ悪いのだが、それよりも大事な話なので、ぶつぶつとうるさい赤月を無視して、話を続ける。
「話は変わるんだが、どうやら俺とお前が二人で部室に入るのを見て、それをチクッたやつがいるらしい。それで昨日、職員室に呼び出された時、顧問に注意されたんだが、これからどうする?」
「ほんと、急に話変わるのなんなの? もしかして日向くんって、会話苦手?」
「お前と限定で苦手だ」
つーか、なんか今の赤月がすごく面倒臭かった。
「で、どうすんだ」
「ど、どうするって言われてもさ……」
わからない、と赤月は言う。
「ま、だろうな」
こういった事態を想定はしていても、それについて詳しい話をしたことはなかったし、基本楽観的な赤月に、何か考えがあるとも思えなかったので、そう答えることはわかっていた。
しかし、俺には一つだけ当てがあった。
元々、取れる手立てなんて分かり切っているし、結局、今ある最善の道は一つしかないのだと思う。まず噂がなくなることはないだろうが、それでも教員の懸念を消すことは出来る。
あのガサツなうえに、妙に陰湿なところがある性悪教師の思惑に乗るのは癪だが、仕方がないだろう。
あの人、絶対こうなること見越してただろ。俺が保留にしといてくれって言った時、めっちゃニヤニヤしてたし、本当に性格が悪い。
「なあ、赤月。俺から提案がある」
「なんでそんなに嫌そうに言うの……」
だって嫌なんだから仕方がないだろう。
それでも、どうにかしないといけないことだ。
不満そうな顔でぶつくさ言う赤月を無視して、俺は彼女に伝えるべき言葉を紡いだ。
「お前、文芸部に入れ」
その言葉に赤月はポカンと口を開いてフリーズする。
今日二度目だぞそれ、と呆れつつその様子を眺めていると、とうとう鳴った昼休みの終わりを告げるチャイムと共に、彼女はアホ面のまま言った。
「やだ」
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