あの噂って本当なの?
結局、赤月を部に勧誘するかどうかという話は保留になり、俺は職員室を出た。
保留になった理由としてはもし生徒から俺がそこまで嫌われているのなら、例え勧誘し、彼女が正式に部員になったところで、妙な噂が立つのは止められないということを俺が主張したからだ。
そこまで嫌われるようなことしていただろうか、とも思ったが、クラスメイトたちが赤月を中心に足並みを揃えようとしている中で、一人だけその輪から外れて行動をしていたのだから、まあ嫌われても仕方がない。
積もり積もった不満が俺と赤月の関わりを見た時、爆発したのだと考えれば、その反応は当然も当然だ。しかもそれが、放課後に、部室で、二人きり、という状況ならなおさらである。
誰が悪いのかと問われれば、「お願い」のことを考えると原因は赤月にあるように思う。しかし、それは俺と赤月にしかわからないことだ。
なら、この場合、責めるべきなのは、やはり俺なのだろう。
あー、やだやだ。
なんでこんなことで悩まなければいけないのか。明日、赤月に文句を言ってやる。
別に嫌われるのは良いが、嫌な噂を流されるのは勘弁だ。普段は空気みたいに扱う癖に、こういう時だけ目立たせて来るのはあんまりではなかろうか。
そんなことを考えながら廊下を歩いて、目的の場所に辿り着くと扉を開ける。
紙の匂いとわずかな人の息づかいを感じながら、中に入ろうとするとこちらを恐ろしい顔で睨む少女がいた。
赤茶の長い髪をツインテールにまとめている彼女は、何度見てもこの場所に似つかわしくない。今の表情なんかが特にその印象を加速させる。
その表情の原因は俺にあるんですけどね。
「何しに来たのよ、日向」
こちらに噛みついて来そうな勢いだが、場所が場所ということもあって比較的小さな声でそう言った彼女を無視して、中に入る。
「ちょっと!」
「なんだよ、一ノ瀬。図書館に来るのに理由が必要か?」
声を荒げた彼女、「知人」である一ノ瀬伊月に、仕方なくそう返事をすると彼女は貸出しカウンターから出て、ずかずかとこちらへ向かって歩いてくる。
「他の生徒には聞かないわよ。あんたが特別なの」
「おー、そういやそうだったな」
わざとらしくそう言ってやると、一ノ瀬は俺の足を踏んだ。
「いってえッ!」
「ちょっと声、大きいわよ。図書館ではお静かに、基本でしょ?」
煽るような表情でこちらを見る一ノ瀬に、少しばかり腹が立った。
「お前が踏んだからだろうが」
「ふん、あんたがふざけるから悪いのよ」
「だからってお前なあ……」
足を踏むこたないだろうがよ。
恨みがましく一ノ瀬を睨むが、彼女はどうでも良さそうな顔をする。
「で、なに、今日こそ本を返しに来たの?」
「いや、今日はあれだ。本を読みに来た」
「……借りさせないわよ」
「借りないっつの。あと借りてた本は明日、文庫の分は持ってくる」
俺の返事に、一ノ瀬は怪訝そうな顔をした。
「あんたが本を返すなんて、どういう心境の変化よ」
「おい、それどういう意味だ」
「そのまんまよ」
こいつ、俺が心変わりでもしなければ本を返さないと言いたいらしい。
「冬に借りた分、ようやく全部読み終えたんだよ。やっぱあれだな、専門書の類は読むの大変だわ」
「あー、なるほどね。民俗学だっけ? なんか、七冊ぐらい借りていってたわよね」
「そうそう。ま、次からは調節するから大目に見てくれよ」
「それ、去年も言ってなかった?」
そうかもしれない。
「あー、じゃああれだ。今度こそちゃんとする。図書館寄り付けないの辛いしな」
昼休みとか妙に眠気が冷めるし、そういう時にただ教室で突っ伏しているだけの時間は退屈で仕方ないからな。
「……持ってくれば貸出し延長ぐらいしてあげたわよ」
「ああ、そっか」
そういやうちの学校って予約は言ってなかったらいくらでも延長して貰えるんだったな。
「んじゃ、次からそうするわ」
「そうしなさい。ただでさえあんたは未返却多いんだから」
一ノ瀬はやれやれと肩をすくめる。
「それじゃ、私は仕事あるから」
「ああ、悪かったな」
「今に始まった事じゃないしいいわよ。明日、ちゃんと持ってきなさい」
そう言って、一ノ瀬はカウンターの中に戻っていく。
怒りはするがしつこくないのが、彼女の良い所だ。
もっとも、俺以外に怒ったところなど見たこともないが。
帰ったらカバンに本を入れておかないと、などと考えながら俺は文庫の置いてある本棚の前に向かい、適当に小説を一冊取ると、その辺りの席に腰をかける。
部室に行く気も帰る気も起こらない時は、やはり図書館が一番落ち着くというものだ。これからは小まめに本を返すことにしよう。
ま、思ったところでやるかはわからないんですけどね。
しばらくそんな調子で、何にもならないことを考えながら本読んでいると、前の席に誰かが座った気配がして顔をあげる。
「おい……」
「なによ」
俺が声をかけると、対面に座る相手は本に目を落としたままで返事をした。
「仕事があるんじゃなかったのか」
「あんた以外の生徒はみんな帰っちゃったんだから、別にいいでしょ」
一ノ瀬の返答に、まあそれなら、と俺も本にまた視線を移した。
またしばらく静かな時間が続くと思ったが、意外なことに口を開いたのは彼女の方だった。
「ねえ」
「なんだ」
「あの噂って本当なの?」
「俺が校内の噂なんて知ってるわけないだろ」
「あんたの噂なんだけど」
「……は?」
覚えのある話題に思わず顔を上げるが、一ノ瀬は相変わらず本を読んだままで言う。
「最近、赤月さんと仲良いんでしょ」
「あー」
予想していたものとは違う答えに、少し安堵する。
「どういう風に?」
「放課後よく一緒にいるって、クラスの子が」
「なるほどな」
納得して、視線を文字列に戻す。
「まあ、放課後に話すようになったのは否定しないが、仲良くはないな」
「ふーん」
一ノ瀬の興味なさげな返事で、会話は途切れる。
今度こそ次は無くて、あとは図書館の閉館時刻まで紙をめくる音とわずかな呼吸の音だけが、ただただそこに響いていた。
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