なーんか、責められてるみたいでやなかんじ


 そんなこんなで今に至るわけなのだが、やはりというか何度思い返してもわけがわからない。


 冷静に考えれば、あの状況から逃げる手立てはいくつもあったように思うし、何故あんな脅しに屈してしまったのかもわからない。


 まあ、誰かに冷静になれと言われても、出来るもんならやってみろという話である。


 ちんけなプライドと、なけなしの理性では表面を取り繕うのが精一杯だ。


 むしろ、押し倒さなかった俺は紳士として褒め称えられても良いと思うだ。


 ヘタレではない。ヘタレてなんて断じていない。


 あの時、もしも俺が赤月を押し倒していたら、待っていたのはブタ箱である。

 これはその後に聞いた話だが、そもそも、あんなことを言っておきながら、赤月は別に俺のことが好きとかそういうわけではないのだ。


 しかし、じゃあどうして俺なのかと本人に問い質しても、理由は教えてくれない。


 赤月が抱き着かせてくれと頼めば、ほとんどの男子が二つ返事でオーケーするだろうに、彼女は何故か俺を選んだ。


 今世紀最大級の謎だ。某見た目は子供な名探偵も匙を投げだすレベル。

 そんなわけだから、謎は解き明かされることなく現実は進んでいく。


「ぎゅうーッ」


 可愛いらしい掛け声と共に、赤月がさらに密着してきた。

 顔が胸板にグリグリと擦り付けられて少し痛い。


 未だにこの状態については納得いっていないし、受け容れているつもりはないのだが、それでも逃げられないのなら慣れるしかない。


 人の慣れとは恐ろしいもので、最初こそドギマギしていたが、二週間もこうして抱き着かれていると、胸の柔らかさにドギマギすることはもうなくなっていた。


 ああ、さよなら俺の日常。そして、こんにちは非日常。お呼びでないから帰ってくれ。


 そんなことを考えながら、俺は引っ付いている赤月を引き摺って、椅子に座る。

 カバンから最近アニメ化して話題になっているラノベを取り出して、それを読み始めるが、赤月はそれでも俺に引っ付いたままだった。


「膝、汚れるぞ」

「ふぇふにひひ!」

「なんて?」


 顔を俺の胸板に押し付けたままで何かを言った赤月に。俺が聞き返すと彼女は顔を上げる。


「別にいい!」

「そうでございますか」


 彼女も彼女で、この状況に慣れ始めたからか、もはや自分の状態など気にしていないらしい。


 だらしないことこの上ないが、本人がそれでいいのなら何も言わない。


 しばらくそのままの状態でラノベを読んでいると、急に赤月が立ち上がった。

 今日は少し長めだったから、これで終わりかな、と思っていると、赤月はブスッとした拗ねた口調で言った。


「……お腹痛い」

「ああ……」


 膝が丁度、赤月の腹に刺さる位置だったのだろう。

 不満そうな顔をした赤月は、さすさすと自分の腹を撫でながら、俺の隣に座った。

 どうやらまだ帰るつもりはないらしい。

 妙に距離が近いが、気にしないようにして本を読んでいると、赤月が覗き込んでくる。


「何読んでるの?」

「ラノベ」


 そう言って、背表紙を見せてやると赤月はあっと驚いた様子で言った。


「これ知ってる! 夜中にやってるアニメのやつだ!」

「そうそう。いやあ、これが傑作でな……」


 って、何? 今こいつなんて言った?


「知ってるのか」

「うん、深夜アニメ? だっけ、妹が観てるんだけど、たまに一緒に観るよ」

「ああ、なんだ。そういうことか」


 びっくりした。それなら安心だ。

 クラスメイトの美少女が、実はアニオタでしたみたいなベタ展開だったら危うくギャップで恋しちゃうところだったわ。


「妹さん、いい趣味してるんだな」

「そうなのかな? うちでアニメ観てるときは、推しのキャラが出て来ると萌えー! って叫んでるけど……」

「……今時珍しいな」

「え、今って萌えって言わないの?」

「ああ、あまり聞かないぞ」


 話を聞く限りだと、イメージ化されたオタク像に近い古いタイプのオタクだ。

 今も「萌え」を使う者はいるが、昨今では「尊い」「てぇてぇ」にその立場を脅かされるつつある。悔しいことに。


「ふーん? そうなんだ。あっ、ねえねえ、そのラノベ? のキャラで、どの子好きなの?」

「そうだな……」


 考えるように呟いたが、その実答えは決まっていた。


「まだいない、な」

「え、そういうの好きな人って、嫁だっけ? いるんじゃないの?」

「確かにそうなんだが、今読んでるのは一巻で、その段階じゃ容姿以外に好みかどうかを判断する基準がないんだよ」

「そういうものなの?」

「そういうもんだ」


 俺に限った話ではなく、大概の人はどうせ好きになるならそのキャラの人格も好きになりたいものだしな。

 その辺りは、意外と現実の人間関係に近しい所があるのかもしれない。

 まあ、俺はろくな人間関係築けてないんですけどね!

 なんか悲しくなってきたな。別に、そんな自分が嫌なわけでもないのに。


 しかしながら、


「よくよく考えずとも、俺ってお前の事何も知らないよな」


 ふと、そんなことを俺は呟いた。


「まあ、そうだねぇ」

「問1、何故、俺はよく知りもしない相手に密室で抱き着かれるような事態になっているのでしょうか。四文字で答えよ」

「……自業自得?」

「誰が四文字熟語で表せって言ったよ」


 そもそも、自業自得からは程遠いだろうに。


「正解は?」

「『私のせい』だ」

「解答者がわたしじゃなきゃ成立しないやつじゃん……」

「この空間にお前以外に解答者がいないんだから別にいいだろ」

「そうだけどさぁ。なーんか、責められてるみたいでやなかんじ」


 そりゃあ、責めているのだから、そう感じて貰わなくては困る。


「そう思うんなら、せめて抱き着く理由ぐらい教えてくれないか。というか、なんで俺なんだよ」

「……」


 ギギギと鈍い音が聞こえてきそうなほど、ぎこちなく顔を逸らす赤月に思わずため息を吐いた。


 そこまで言いたくないならこれ以上聞きはしないが、釈然としないものは残る。


 大抵の場合、物事には理由があって、良いことも悪いことも、元を辿ればそこには「何か」がある。自分に都合が良過ぎることは特にそうだ。

 どう考えても、この状況は俺にしかメリットが無いように思う。


 普通に考えて、クラスメイトのそれも、学内でトップと言っても差し支えないほどの美少女が、俺のような冴えない男子高校生に抱き着くなんて有り得ないのだ。


 まあ、いくつかのデメリットもあるが赤月もそれはだいたい同じだ。


 だが、一見して赤月にはデメリットしかないこの状況は、他でもない彼女が求めて来たものだ。

 だから、俺はこの状況が怖かった。 


「じ、じゃあ、わたしはそろそろ帰るね」

「……おう」


 微妙な空気に耐えかねたように、そそくさと荷物を持って立ち上がった赤月に頷くと、彼女は部室の扉を開いた。


「また、明日ね」


 そう言って小さく手を振り、去って行く赤月。

 そんな彼女を見送ってから、またため息を吐いた。


「もうちょい、単純な性格してりゃよかったのか?」


 そんなもしもは有り得ないと知ってはいるが、人は楽が出来るならそっちの道を行きたいと思うもので、人生にリセットボタンがあったなら、どれだけ良かっただろうかと、ついつい考えてしまう。


 それでも起こってしまったことは起こってしまったことだ。


 どうしようもないのだから、今は気にしたって仕方がない。


 そう思い直して、俺は手に持っていたラノベをまた読み始めた。

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