第23話 ≒ (ニアリーイコール) -1
強い日差しは嘘のようになりを潜め、日陰に入ると少し肌寒さを感じる初秋の午後、一姫は境内をぼんやりと眺めていた。街中の神社とはいえ、歴史が古いという以外に話題性のない
その御神木の化身、
鳥居の前で一礼して見慣れた青年が顔を出した。彼は参道の端を通って拝殿へと向かう。今時の青年にしては参拝の作法を良く知っている。彼はひと月ほど前から毎週水曜日の午後に姿を見せるようになった。一姫に気付く事なくその前を通り過ぎる。
一姫は今、その姿を人の目に映らないようにしている。今の一姫を視認出来るのは
なかなかに整った容姿をした青年だ。少年の面影を残す顔だちに、長めの前髪が影を落とす。背丈は青より少し低いくらいか。薄いジャケットにジーンズというシンプルな服装はわりと万人の好むところだろう。青年は拝殿の鈴をガラガラと鳴らし、手を合わせた。
真剣に祈るその様に興味を引かれ、一姫が立ちあがった。少女の姿を人に見えるように視覚化する。暗い緑の地に大輪の菊が咲く着物は、コンクリートばかりの街中には少しだけ不釣り合いだが、神社のなかでは不思議と溶け込んでいた。
一姫が拝殿に近づくと、参拝を終えた青年が振り返った。一姫に気付き目を細めたが反応は無い。当然だ、二人に面識はない。
「お兄さん、ここのところ良く来るよね」
余所行きの笑みを浮かべて一姫が話しかける。青年は少し驚いたようだが、一姫の十二、三歳の外見の所為か警戒する様子は無かった。
「きみ、この神社の子?」
「そんな感じ」
一姫が頷く。正確では無いが嘘も言っていない。そもそも一姫が真実を話したところで信じる人間がどれだけ居るのか疑問だ。
「ねえ、お願い事は声に出さないと神様に届かないよ」
「そうなの? 普通は人に知られたらいけないって言うよね」
「だって、一日に何人も、それこそお正月だったら何千人もお願いに来るんだから、いくら神様だって全部聞いてられないよ。だったら目立つ方法を考えなきゃ」
「なるほど。それは一理あるな」
青年が納得したように頷く。
「なら、次に来た時はやってみるよ」
「うん、そうして。じゃあね、バイバイ」
一姫が手を振ると、青年は軽く笑んで参道を戻っていく。青年が鳥居から出るのを見送って、一姫はまた姿を消した。
ガラガラと重い鈴の音が響く。青年は賽銭箱の前で手を合わせて目を開けた。少し考えて辺りを見回す。人が居ないのを確認して、早口に何事か呟いた。
「お兄さん、意外なお願い事だね?」
背後からの声に振り向いた青年は、一姫に気付き驚いた様子で目を瞬いた。どうやら聞かれていたらしい事を知って口を押さえる。手から上の顔半分が赤くなっている。それには気付かない振りをして一姫はにっこりと笑った。
「お兄さん、あっちで少し私と話そうよ」
「え、ちょっ」
一姫が困惑する青年の腕を引く。青年は引っ張られるまま一姫に着いてきた。参道を外れ、玉砂利を鳴らして歩く。すぐに拝殿の裏側についた。
「ここ、座って」
言いながら、一姫が拝殿の廊下によじ登る。拝殿をぐるりと囲む張りだした外回廊は外から簡単に腰掛けられる。しかし一姫の身長には少し高い。腰を落ち着けた一姫に、再度隣に座るように促された青年は少し戸惑っているようだった。ここは神様にお目通りする場所だ。
「気にせず座っていいよ。ここ私の家だし」
「そういえば、ここの子って言ってたね」
促されて青年は一姫の隣に腰を掛ける。
「お兄さんお名前は?」
「
「下は?」
遠慮のない一姫に、青年は少々面食らっているようだ。
「
「ふぅん、友哉さんね。私は一姫っていうの、よろしく」
「一姫ちゃんか、可愛い名前だね」
「一姫ちゃんって呼びづらいでしょう。一姫だけでいいよ」
友哉と名乗った青年は一姫を見て、少し笑った。一姫が首を捻る。
「綺麗な着物で、神社に居ると本当にお姫様みたいだね」
今日の一姫は深い紺に露草の柄を配した振袖でもみじ色の帯だ。この着物は一姫が自分で選んでいる。一般には公開されていないが本殿には一姫専用の衣裳部屋がある。
「そうだ、」
似合うだろう、と言いかけて、一姫は慌てて口を閉じた。
あえて普通の少女のように振舞っているのに、いつものように話しては台無しだ。初対面の人間に尊大な態度を取って許されるのは漫画のキャラクターだけだ。現実なら普通に引く。それを自覚しているからわざわざ猫を被っているのだ。
一姫の変に途切れた言葉に友哉が不思議そうな顔をする。
「や、なんでもない」
一姫がひらひらと手を振って、話題を変える。
「それより『恋愛が出来ますように』って可愛いお願い事だね」
「うあ、やっぱり聞こえてた?」
友哉が気恥ずかしげに顔を歪める。
先ほど友哉が呟いた願い事を一姫は姿を消して聞いていた。青が知ったら「悪趣味だ」と怒りそうだが、友哉はこの神社の神に願掛けをしている。その神様であるところの一姫が聞くのは問題ない、はずだ。
そもそも一姫は友哉の願いを叶えるために話しかけた訳ではない。長い時を過ごす一姫だが、他の生き物と一日の長さ、一年の長さが違う訳ではない。秋の穏やかな陽気の中、欠伸を噛み殺し日々流れゆく時を過ごす。その毎日には少々刺激が足りない。
そこへ面食いの一姫好みの青年、友哉が顔を出した。まさに暇つぶしの格好の獲物だ。しかしそんな本心は一切表に出さず、一姫は善良に微笑んだ。
「ごめん、他の人には内緒にしてもらえるかな?」
口に人差し指を立てて、友哉が内緒のポーズを作る。暇つぶし、とはいえさすがにプライバシーは尊重する一姫は素直に頷いた。
「友哉さん格好良いから彼女くらいすぐできそうだけど」
「うん、いや、まあ彼女には困ってないんだよ」
友哉から苦い笑いがもれる。言葉だけを追うと自惚れた台詞だが、本人からは軽薄な雰囲気は感じない。
「それは好きではないけど恋人はいたってこと?」
「あ、と、変な話をしたよね。ごめん。忘れて」
一姫の問いに、友哉が立ち上がった。気まずそうに瞬く。さすがに十二、三歳の少女にする話ではないと思ったのだろう。立ち去ろうとした友哉の腕を一姫が掴む。
「私、見た目ほど若くないから平気だよ」
「いくつ?」
「千と六十五歳」
至極真面目な一姫に、同じく真面目な顔をしていた友哉が一拍遅れて吹き出した。一姫が先ほどの友哉と同じように口元に人差し指を立てて、ウインクする。
「内緒だよ」
「確かに、すごい年上だ」
一姫が友哉の腕を引く。ほんの少し考えて、彼はまた隣に腰を掛けた。
「さっきの話。友哉さんは彼女はいたけど好きではなかったってことだよね。いや、お願い事からすると『好きになれなかった』ってことかな?」
あまりの直球に友哉はいささか戸惑っているようだ。こんな子供にして良い話かどうか考えているに違いない。一姫が友哉の瞳を覗きこむように見つめると、その目をじっと見つめ返した彼はひとつ息をついた。
「そう、今まで付き合った子達には申し訳ないと思うけど。そもそも恋愛感情が分からない。女の子はみんなそれなりに可愛いと思うけど、それだけだ。とりあえず付き合ってみたけど、相手が俺の事を好きになればなるほど遠ざけたくなる」
「ふぅん。じゃあ、男の人が良いんじゃないの?」
「それも考えた。でも同性とどうこうしようと思った事もない。女でも男でもどっちでも良いんだ。好きにさえなれれば」
随分と投げやりに聞こえるが、本人はいたって真剣だ。一姫はぶらぶらとつま先を遊ばせながら友哉を見る。先週より深まった秋に、着物から覗いた素足が少しだけ冷える。
「なんでそんなに恋がしたいの?」
「だってそれが普通だろ」
「普通って?」
「今時、小学生だって好きな人のひとりやふたりいるだろう?」
同意を求める声にわずかに苛立ちが滲む。おそらく本人も気付いていないに違いない。一姫が外見通りの少女であれば気付かないほどの変化だ。
「確かに、大多数の人は恋愛をするね。本もテレビも恋愛が主題で、今クールのドラマの宣伝には『初恋の痛みは誰もが知っている』って書いてあったよ」
一姫は飛び降りるようにして地面に下りる。友哉の前で振り返って挑むように笑った。風が出て来たのか冷たい空気が頬を撫でる。敷地を囲む鎮守の森がその風に煽られてざわりと音を立てた。
「世の中は、恋愛をしないと人格まで否定される。恋愛が出来ないのは精神が幼稚だから、人の心を失っているから、とかね」
「……一姫は大人みたいな話し方をするね」
「だって千六十五歳だもの、友哉さんよりよっぽど大人だよ」
「そうだね」
「あ、信じて無いね?」
ぷうっと一姫が頬を膨らませる。言葉とは反対のその子供じみた態度に、硬かった友哉の表情が緩む。
「でもさ、恋愛が出来ないのが幼稚なら、恋愛に溺れて身を滅ぼすのは愚かだよね」
硬質だった友哉の瞳がありありと驚きを映したのを見て一姫が笑った。
「普通と違うのは『変』かもしれないけど、『変』はイコール『悪』ではないよね。貴方が恋愛をしない事で誰かに迷惑が掛るの?」
「それは無い、とは思うけど、親が泣くかも?」
「そんなの、そういう風に友哉さんを産み育てた自分たちの責任だと思って諦めて貰えばいいよ。子供は親を選べないけど、親は相手を自分で選んだんだから」
あっさりと言った一姫に、友哉が瞬く。呆れているようでもあるし、納得しているようでもある。
「あ、でも勘違いしないでね。これは親側の心持ちの話であって、親を恨めってことではない。自分の『性質』を誰かの所為にするのは辛いよ。貴方の『性質』は貴方自身のものだ」
一姫がぴっと指を立てる。それを見て、思いついたように友哉が続けた。
「少子化に拍車を掛けるのは良くない、とも言われるな」
「その理屈で行くと同性愛は『悪』になるね。同性婚が認められる時代に、その考えはナンセンスだと思わない? それに恋愛しなくたって子供は作れる」
「それは子供が可哀そうじゃないか?」
「恋愛と家族愛と親子愛は違う。親同士が恋愛をして子供が生まれたからって子供が幸せになるとは限らない。世の中はそんなに簡単に出来てない。愛があれば全て上手くいくなんて信じられるその単純な思考が子供を不幸にするんだよ」
「……すごい、厚みを感じる言葉だね」
目を丸くする友哉に一姫がふふんと笑う。
「なんたって、千ろく」
「六十五歳だからね」
一姫の言葉に友哉が重ねる。途中で黙った一姫に、悪戯が成功した顔で友哉が笑った。一姫が口を尖らせる。友哉が立ち上がり、屈んで一姫と視線を合わせた。
「ありがとう、一姫。なんかすっきりしたよ」
「お礼を言われるような事は言ってない。今のはただの私の『一意見』だ」
「何度か人に話してみた事があるんだけれど、みんな『そのうち本当に好きな人が出来るよ』って言うんだ。気を使ってくれているのが分かるから何も言わなかったけれど、そんないつかの未来の話をされたって嬉しくなかった。だって苦しいのは今なのに」
友哉の目には水気が増している。そんな自分に驚いているのか友哉が瞬いた。
「こんなことで悩むのは俺だけだと思ってた。そんなに気にしてないつもりだったけど、まさか肯定されただけでこんなに感情的になるなんて」
格好悪いな、と友哉が呟く。
「恋愛感情が分からないなんて、まともに取り合ってくれる人はいなかったからさ。大げさかもしれないけど、少し救われた。結局今の自分を誰かに認めて欲しかったんだろうな」
ありがとう、ともう一度友哉が礼を言う。
「誰もが皆、自分や先人の経験で話をする。普遍的に『有る』と思われているものを『無い』と言うのが理解されないのは仕方がない。友哉さんが『恋愛感情』を感覚で理解できないように、『恋愛感情が無い』のが相手には理解できない。ゆえに過去例が多い方が優勢になる。いつの時代も世間は少数派に優しくない。でも理解は出来なくてもお互いに『知る』ことは可能だ。それが人間だろう?」
湿った強い風が通り抜ける。気がつけば先ほどよりも雲が厚くなっている。薄着の一姫が身を縮めると、友哉が言った。
「冷えてきたね。そろそろ帰ろう」
「そうだね」
頷いた一姫に、友哉が少し考えるように目を泳がせる。
「一姫、また来ても良いかな?」
「うん。いつでもおいで」
一姫が穏やかに微笑む。その日は軽く手を振って別れた。
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