第3話 6000年の眠り
僕らはずっと性の話ばかりをしている。
だから人類は愚か。
6000年の眠りから覚めた私は、今日こそは今日こそは、と花に水を注ぐ準備をする。
白い壁、窓から見える月は、ずっと同じ場所にいながら、満ち欠けだけを繰り返していた。
******
部屋に咲いてる花に、水をあげましょう。
昔の先生の言いつけを守ることができないまま、とても長い時間、私はずっと寝ていた。
両手を胸の位置まであげると、キーボードが現れる。私は言った『おはようございます』
ぼとなくして、画面から『おはようございます』と返事があった。
花に水を注がない代償に、声が出せなくなった。
32インチの液晶には、人と人の画面が激しく移り変わっていた。
学校の昇降口で待つ人、ナンパをする人、帰りを待つ人、愛を語る人。
少年が好きな女の子に声をかけそびれていた。
32インチの画面に文字が映った。
「愛ってわかる?」
「分からない。犬の交尾見てるみたい」
「君と元は同じはずだ」
私はタイピングを続けて、くだらない情報を交換した。
どこにも行けない。
******
「海に行きたい」
私はキーボードを指で叩いた。
画面には、あいも変わらず同じことを繰り返す人と人と人。全部同じにしか見えない。
好きな女の子に告白した少年は、無惨にも振られてしまったらしい。
私は「頑張れ」と打った。
「僕は頑張る必要はないよ」
と事情を知らない返事が返ってきた。
「海には行けそう?」
少し沈黙があった。画面に映る少年は、何かお願い事をしていた。
「誰にも見られないように」
窓から白い花びらが、髪飾りとなって、やってきた。
6000年で初めて、扉が開いた。
私は花飾りをつけて、海へ歩いた。
初めての海は、思ったよりも音がうるさかった。
だけど、それは「静けさ」を音に表したようだった。
私は砂浜を歩いた。
この水を持って帰れたら、あの花に水が注げるかもしれない。
突然後ろから声がした。
「ねぇ、君、危ないよ!」
右腕を掴まれ、後ろにぐいぐいと引っ張られた。
私は腕の正体を見た。
「早まるのは、良くない」
それは男の子だった。
「砂浜から歩いて、海に向かって行くから、危ないと思った。大丈夫?」
10代の短い黒髪の細腕で、どこか悲しい彼。
「あ……」
声が出なかった。
咄嗟に両手をあげた。その位置にキーボードは無かった。
「あ……」
「ねぇ、大丈夫?」
ここは、声が必要な世界なのか。
彼の顔をずっと見つめると、一つ思い出した。
彼はこの前、画面に映っていた。画面の彼はとても悲しい顔をしていた。好きな人と結ばれなかった彼。
私は周りを見渡し、自分の頭に手を伸ばした。
髪飾りを引き抜いて、手を伸ばす彼に渡した。
自然と声が出た。
「私は、月の妖精」
彼に別れを告げて、振り返った。目の前に家に帰る扉があった。
******
とても長い眠りの後、花に水をあげた。
この花は、とても綺麗な赤色で花びらが複雑に重なっている。
「この花は何?」
と32インチの画面に聞いたら、メッセージが返ってきた。
「漢字で書けない。とても画数が多いから」
「名前だけでも教えてよ」
「忘れた」
画面には相変わらず人と人が愛について大きな声で囁いていた。
画面の向こうでは、花束を抱えた少年がいた。少しだけ大きくなったようだ。
画面にメッセージが届いた。
「確か、花言葉が愛の花だった気がする」
僕らはずっと、性の話ばかりしている。
だから、今日も人類は愚か。
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