滝野森高校

「木嶋さんありがと。助かったよ」

「どういたしまして」


 スクールバスに乗る前に木嶋が酔い止め薬をくれたおかげで、ガタガタの林道も事を起こすことなく無事に滝野森高校に到着することができた。


 正門をくぐると、花道のように部活動勧誘が待ち受けていた。

 滝野森高校は運動部系が大会でいくつかの快挙を成し遂げたらしく、やはり勧誘もそれらが場を埋め尽くしていた。

 文化系もそれなりに数はあるらしいので、目当ての部があることに多少の期待はしている。


堂城どうじょうさんは何部に入る予定なの?」


 隣を歩く木嶋が弾んだ声で私に訊ねる。


「天文部かな」


 答えると、彼女は「あぁ」と息を漏らした。


「この高校、確か天文部はなかったと思う。パンフレットになかったもん」

「あ、そうなのか」


 高校のパンフレットなんて一切いっさい見ていなかった……。

 落胆はあれど、絶対に入りたいというほどでもなかったため特に気にはしなかったのだが、彼女はまるで私の気持ちを汲んだように俯いてがっかりしてくれた。


「木嶋さんは何か部活、入るのか?」


 訊ねると、彼女はふっと顔をあげる。


「うん。私はね、か──」

「華道部?」


 木嶋の言葉に重ねるように背後から声がした。

 振り向くと、なぜか青ざめた顔をした朝芽野が立っていた。


「びっくりした! あんたどっか行ったと思ったら後ろにいたのか」

「……悪徳業者の勧誘を受けていた」


 おそらく部活動勧誘のことだろう。

 上級生を悪徳業者呼ばわりとは……。


「す……っごい。大当たりだよ朝芽野君」


 感嘆して小さく拍手をする木嶋の反応に、朝芽野は満足そうな笑みをみせた。


「なんで分かったんだ?」

「木嶋さんの手が荒れていたから」


 いきなり失礼なことを言う朝芽野に悪気はないだろう。しかし、それがなぜ木嶋が華道部に入ることに繋がるのだ?

 木嶋は気にしてか、自身の手のひらをじっと見つめていた。


「全く意味が分からないんだが」

「ほら、花の手入れって基本水を使うだろう? だから手が荒れやすいのかと思って……」


 全く要領を得ない。


「つまりは?」

「つまり、木嶋さんは花屋の娘ってことだよ。だから華道部に入る予定なのかと思ったんだ」


 こいつは『つまり』の意味をちゃんと理解しているのだろうか。

 話が見えてこない私を他所よそに、隣の木嶋は目を瞬いて呆けた状態だった。


「朝芽野君……どうして分かったの? 私の家が花屋さんだって」


 どうやら、彼女が花屋の娘だというのは本当らしい。


 ……この男、本当に何なんだ。


「手が荒れていたからっていうのと、あとは木嶋さんの顔色が良かったから」

「顔色? それ、なんか関係あるか?」

「大ありだよ。花屋の朝は早い。顔色が良いってことは早起きな証拠だから。因みに堂城さん、今日何時に起きた?」

「……8時すぎだけど」

「でしょ? 目にくまができて老けて見える」


 ……こいつ。

 デリカシーという言葉を知らないのか。


 しかし、今の朝芽野の話からでは木嶋の家が花屋であると絞るにはあまりにも情報不足ではないだろうか。


「朝芽野……、他には?」

「え、何が?」

「そんな情報だけで彼女の家のことが分かるわけないだろ」


 そう言うと、彼は目を泳がせた。そしてか細い声で、


「木嶋さんから花の香りがしたから」


 と、呟いた。なぜか顔が真っ赤である。


「えっ、そ、そうかなぁ」


 木嶋は頬が緩み、身体をモジモジとくねらせた。

 確かにそう言われれば、彼女からは花の良い香りが漂っていた。


「この香りは、ラベンダーだね?」


 朝芽野が得意げに言うと、


「あ、惜しい! 今日お手入れしたのは主にチューリップだよ」


 ……全然惜しくない。



 正面に本校舎があるが、新入生はまずは右側に建つ大きな建物、体育館に集まる。

 生徒と保護者で埋め尽くされた体育館は息苦しく狭く感じた。

 私の兄は仕事で来れず、聞くと朝芽野と木嶋も家族は来ていないそうだ。


 2人と別れて指定された席に座る。

 校長の長い挨拶と校歌、国歌斉唱。諸々を終えると退場し、本校舎前に置かれたホワイトボードでクラスを確認する。


「堂城さん! おんなじクラス!」


 ボード前から木嶋が走ってやってきた。

 クラスを確認すると、私達は2組だった。何の縁か朝芽野も同じ2組だ。

 1年は全部で7クラス。1クラス大体30人ほどである。

 中学の時は3クラスだったのに比べると、高校の大きさがより際立って感じられた。


 本校舎に入ると左右に廊下が伸びており、正面には観音開きの鉄扉が閉ざされていた。木嶋曰くそこは中庭へと続いているらしい。


「木嶋さん、ここ来たことあるのか?」

「うん。学園祭によく来てたの。ほら、ここって部活動多いでしょ? 学園祭もかなりの規模で地元じゃ有名だよ?」

「そうだったのか……。知らなかった」

「案内、してあげよっか?」


 方向音痴の私にはとてもありがたい提案だ。

 私の顔を覗き込み首を傾ける彼女に、頷きを見せる。


「お願いします」

「うむ!」


 彼女も乗り気で頷いた。


「まずは右手にありますのは、図書室でございます」


 まるでバスガイドのように姿勢を正して案内が始まった。校舎を入って右……つまりは東向きに廊下を進んだ先を指し示して、彼女はそう言った。

 そしてその反対、西向きに廊下を進みながら案内は続く。


「あちら、廊下の突き当たりに見えますのは職員室、先生方のいこいの場でございます。入るとき、ちょっとだけ緊張します……。そして、右に曲がりますと……」


 突き当たりを右に曲がり、先の廊下を指差しながら言葉を紡ぐ。


「えーっと、長い廊下が……あります」


 案内はだんだんと雑になってくる。

 うんうんと唸る木嶋は、次の言葉を考えている様子だった。

 と、廊下を曲がったすぐ右に中学にはなかったものが目に留まり、思わず立ち止まる。

 赤茶色の無機質な把手とってのない扉、真ん中でスパンと切れ目が入っている。その扉の右下辺りに銀色のパネルがあり、三角形のボタンが付いていた。


「これって、エレベーターか?」


 人が2、3人入れるほどの小さなエレベーターがそこにはあった。

 確かに小さいが、これがあれば階段を使わなくても……、

 なんて考えていると、木嶋が怪訝そうな顔でエレベーターに近付いてため息を吐いた。


「あー、やっぱり。ここに鍵が付いてるよ。きっと先生がいないと使えないようになってる」


 よく見ると、三角のボタンの下辺りに小さな鍵穴があった。


「ふむん、そっか……」


 ふと視線を感じ目を向けると、隣で木嶋がニタニタと笑っていた。


「な、なんだよ」

「堂城さん、これがあれば楽できるとか思ってたでしょ」


 ……図星だ。


 彼女の視線から目を背けると、エレベーターの左隣にスライドドアの付いた男女共用トイレがあった。

 おそらく、このエレベーターもトイレもバリアフリーとして取り付けられたものなのだろう。


 本校舎はL字型をしており、西の縦長の廊下のちょうど中心辺りに生徒用のトイレが東向きに男女並んでいる。そして、同じく西の廊下に2つ渡り廊下が設置されていた。それぞれの渡り廊下に面して北階段と南階段があり、階段横はそれぞれ出入り口になっている。渡り廊下は中庭を突っ切って特別棟へと繋がっているらしく、特別棟はI字型の主に家庭科室や理科室といった特別教室が並んでいる校舎になっている。

 つまり本校舎と特別棟を上から見ると『凹』のような形になるわけだ。因みに、本校舎と特別棟はどちらも4階建てである。

 私達のクラス、1年2組は本校舎4階にある。


 私と木嶋は、北階段を使って4階まで上がった。

 4階が最上階のはずだったのだが、更に上へと続く階段がそこで視界に入った。


「上は何だろ」

「多分屋上じゃないかな」

「屋上の階段が校舎内にあるのか。中学の時は外階段しかなかった」


 屋上は自由に出入り出来るのだろうか。出来るならば行ってみたい、という衝動に駆られてしまう。


 1年2組は階段を上がったすぐ右の教室だった。

 中に入ると、黒板に座席表が貼られており、それぞれの席に座る。

 名簿順なので、木嶋は黒板から見て右から2列目の先頭。私は右から3列目の後尾だ。朝芽野は右端の先頭だったが、どうやらまだ来ていないようだ。


 しばらくして担任と思われる女性が教室に入ってきて自己紹介やクラス委員決めなどが始まったが、パーマ少年が顔を見せることはなかった。

 さりげなく担任の『中内なかうち早苗さなえ』に訊ねたところ、入院中の妹の容態が悪化したらしく急遽早退することになったそうだ。


「朝芽野君、妹がいたんだね。しかも入院中だったなんて」


 木嶋は重いため息を吐いて言った。


「10年間も昏睡状態らしい」

「……そう、だったんだ」


 その人の言動で多少の性格を読み取ることができたとしても、背負っているものや過去まではどうやったって読み取ることはできない。

 だから人間には言葉が必要なのだ。他の生き物に言語が存在しないのは過去を見る必要がないから。


 かつて父の言動に違和感を感じた時、なぜ私は父に言わなかったのか。一言「ひとりで抱えないで」と言えば話してくれたかもしれないのに。

 話してくれていれば、少なくとも死の覚悟ができていたのに……。

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