第1章 謎多き変人たち
奇妙な少年【前】
4月5日木曜日、初春の風は暖かく新しい出会いを祝福してくれているように、陽光が私を照らし出してくれる……なんてことはなかった。
「まいったな……。土砂降りだ」
遅刻だと騒ぎ立てていたくせに窓の外を眺めた途端にフリーズした兄が呟く。
「……急げよ」
「雨の日は何か起きそうで怖い」
現場での兄を見たことはないが、家では心配になりそうなほど頼りない男である。どんよりとした空気を吸い込んで真っ青なオーラを出しながら、兄は家を出て行った。
滝野森高校は坂の上にあり、森林に囲まれた学校である。家からは自転車で20分弱。今日みたいな雨の日はバスを使うしかない。乗り物酔いの激しい私には最も苦痛なマシンだ。
市バスは林道に差し掛かる手前の公園前に停車する為、公園から学校までを行き来するスクールバスに乗り換える必要がある。私が最も苦痛な時間なのはその林道である。何せ工事がろくに行き届いておらず、ほぼずっとガタガタの坂道なのだから。
「あの……大丈夫ですか?」
満員の市バスの中、吊り革に身体を預けた状態の私に心配してくれる女の人がいた。しかし、今の私には相手の顔すらも見る余裕はなかった。
入学早々こんなんじゃこの先思いやられるな、と心中で不安を感じてしまう。それも、まだ最も苦痛とされるスクールバスですらないのに。
辛うじてその彼女にコクコクと頷きをみせてから、外の景色に視線を移す。道路沿いを流れる泥色の川が増水して今にもこちらに流れてきそうだ。
雨の香りと感触が恋しくなったのは初めてだった。雨に濡れることも、冷たい風に体温を奪われることもなく、ただじっとしているだけで目的地付近に到着するこのマシンから今すぐにでも降りてやりたい。
そんなことを考えていると、後ろの方から突然……、
「その鞄ですよ。その鞄が不自然なんですよ」
と、妙な台詞が飛んできた。
辺りがざわつき始め、皆の視線が一点に注目する。混雑する人の隙間から覗き込んでみると、その視線の中心人物を捉えることができた。
そこにいたのは、ひとりの少年だった。
栗色で外国の子供風のパーマをかけた髪に、何かが物足りない薄い顔。見た目は明らかに日本人だった。髪と顔の雰囲気がミスマッチな少年である。
胸元には黄色と赤色のネクタイ。そのネクタイには見覚えがあった。
あいつも新入生か……。
滝野森高校は学年によって、男はネクタイ、女はリボンの色が異なる。一年は黄色と赤色である。
私と目的地が同じパーマ少年は、近くの席に座っている誰かに語りかけている様子だった。
「どうもあなたにその鞄は似合わなすぎる。そもそもその鞄、女性ものですよね?」
相手からの返事がなく、側から見れば独り言だ。
「それにファッションもなってない。その茶色いコートと、その……変な……ズボンと服が合ってない……気がする」
一見それっぽく語っているが、内容はただのファッションに対するダメ出しだった。一体彼は何を言っているのか、恐らく誰も分かっていないだろう。
すると……、
「さっきからいい加減にしろ! 俺に何の用だクソガキィ!」
バス内に響く男の怒声が空気を凍らせた。辺りが静まり返る中、彼は気にせず畳み掛けていく。
「口が開きにくそうですね。首元の手術痕は整形の痕か何かですか? 顔そのものを変えたんですか? 自分の顔が嫌いだったとか? もしくは……犯罪を犯したから……とか」
急に声音を変えたその少年の言葉はバス内を更に凍りつかせた。
そして、車内の後方にいたひとりの中年男が前方に移動したのを合図に、次々と後方にいた人がこちらへ流れ込んできたのだ。バスという密室状態の中だからこそ、人は恐怖に敏感になるのだろう。犯罪という言葉を投げかけられた男から、すぐにでも逃れたい一心で前方に流れ込む人々の行動は、私の酔いを更に悪化させた。
……吐きそう。
これも全て、あのパーマ少年の
彼は一体何者だ。
バスの運転手がアナウンスで落ち着く様促すも誰も耳を貸さない。そうこうしている間にバスは停留所に停車した。次々と降車していく人達の、果たして何人がその場所で降りる予定だった人だろうか。気が付けば満員だったバスは、片手で数えられるほどにまで人が減っていた。
「逃げられてしまった」
ぼそりと呟いたその声の主は、あのパーマ少年だった。見ると後方には彼以外誰もいなかった。あの怒声の主もだ。
「まいったな」
わざとらしく頭をぽりぽりと掻いてため息を吐いている。つられて私もため息を吐く。スカスカになった席のひとつにゆっくりと腰を下ろして深呼吸をする。
「びっくりしましたね」
真横からの不意打ちの声に、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
「ご、ごめんなさい。驚かせちゃいました」
「……あっ」
深々と頭を下げていたのは、先ほど私を心配してくれた親切な彼女だった。
酔いと必死で戦っていたからか、彼女の服装までも認識できてはいなかった。紺色のブレザー、深緑に青い線の入ったスカート、そして黄と赤のリボン。私と同じ制服を身に付けていた。彼女も滝野森高校の新入生だったのだ。
「あの、さっきはありがと。心配してくれて」
「え、あっ、いえそんな!」
慌てふためく彼女は、ショートボブの髪をゆらゆらと振って顔を真っ赤に染め上げた。整った眉とくりっとした目はまるで人形のようだった。
そんな彼女の目線は、私よりも上の部分に注がれた。そこで気が付く。
「あー。気になる? 私の髪」
「え、あっ、いえそんな!」
先ほどと同じような反応をする彼女は耳まで赤くなっていた。
中学生の頃、私には友達がいなかった。元々人付き合いが苦手だったのも原因のひとつかもしれないが、一番の原因は私が友達を作ろうとしなかったからだ。
結果、私の周りには誰も近寄らなくなった。何をするにもひとり。誰とも接しない。いや、私に声をかけようとしてくれる人はいた。しかし、私がそれを拒んでいたのだ。
そんなある時、ひとりの上級生が私に声をかけてきた。
「あなた、綺麗なオーラしてるのね」
明らかに変な人に絡まれたと思った。普段同様突き放すような態度をとっていたのだが、それでも懲りずに彼女は私に絡んできた。
そんな日が何日か続いたある日、家に誘われた。もちろん私は断ったのだが、
「いいからいいから」
と、手を引っ張られ、半ば強引に家へ連れて行かれてしまった。そこで突然、私の髪を染めたのだ。
「元気が出るおまじないかけてあげる」
そう言って。
元々の黒髪に赤を交互に入れたツートンカラーヘア。
本当にめちゃくちゃな人だった。有無を言わさずに突然染め出したのだから。
しかし、そのおかげか私は不思議と元気が湧いてきたのだ。先輩は私の知らない事を色々と知っていた。基本的には天体について。星に興味を持っているらしく、天文部の副部長を受け持っていた。誘われるままに私も天文部に入部し、そして学校生活も、皆の私を見る目も徐々に変化していった。兄に「笑顔が増えた」と言われてしまうほどに。
先輩が卒業してからもその髪を変えることはなく、今では自分で染めている。
そういえば、先輩はこの赤色を『茜色』と言っていた。
「あなたにぴったり」と。
バスに揺れる中、彼女はまじまじと私の髪を見つめると、
「素敵なスカーレットですね」
そう言って微笑んだ。
スカーレットと言われたのは初めてだ。思わず私も笑みを漏らす。
「僕は
後ろからパーマ少年が呟いた。
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