第21話 コギト・エルゴ・スム

「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis 、羅: Cogito ergo sum)は、デカルトが仏語の自著『方法序説』で提唱したとされる命題の事だ。


 ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。


 しかし、“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)とし、哲学の第一原理とした。

 これが絶対の真理であり、この絶対の間違いのない事実から、諸処の問題を解決していったとされる。


 ここまで、あのウイキペディアがそう説明してるのだ。

 私が自分の記憶力と想像力で、デカルトの第一原理を説明し、ラテン語やフランス語を紡いだのではない!


 しかし、ここで、考えようではないか!


 存在、それは、なんとも。


 そして、自分の存在としての、「思う」とは?に想いを馳せた。


 自分の存在とは、思うことであるのなら、その思いは、どういう働きをするのか?

 何を、どのように思うのか?


 その思いは、いったいどうなるのか?


 そう考えた時、次のような詩が浮かんだ。


 私は、思う。

 自分が楽しく、幸せなら、周りの人も、少しは影響して幸せになるのではと。


 私は、思う。

 自分さえでなく、自分が!より良くなる事が、周りをより良くする事になると。


 私は、思う。

 自己の勉強や努力は、自分の為だけでなく、他者に還元できるのではないかと。


 そして、私は、自分の存在は、他者と共にあると思うのだ(๑˃̵ᴗ˂̵)



 毎日、世界平和を考えさせられるTV報道やニュースが報道される。


 だったら、自分たちに出来る事は何なのか?

 それは、思う事。

 平和を思うことだ!


 つまり、それは、祈る事と、同義となる。


 ここに、祈りが世界中を駆け巡り、行動変容を起こす起爆剤となるのが、お分かりいただけるだろうか?


 思いは、ヒトを強くする。

 これは、ラノベで良く使われるロジックの一つだ。


 それを、今やらないで、いつやるのか?


 祈りましょう!

 思いましょう!


 世界の安寧と、人類の平安を!





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