Calling ~夜の感染病棟~

ぽんぽこ@書籍発売中!!

深夜に奏でるは誰が為に

 幻覚――あるはずのないモノが見えたり、聴こえたりすること。


 いわゆる幻視や幻聴の一種である……が、案外これらは身近に起こり得る事象だ。



 ちなみにだが、そういったものが見えてしまう体質、又はオカルト的なことを言っているのではない。



 ここに現実的な例を挙げよう。


 事故や出血などにより、脳に物理的な損壊が起きたとする。


 脳というのは物事を見て、聴いて、考えるなどと、ありとあらゆる感覚を司っている部分である。では視覚や聴覚を担っている箇所にダメージを負ってしまうと、はたして人はどうなるか。


 そこにエラーを生じ、誤作動を起こす。


 つまり本人の意思とはまったく別のところで、幻覚や幻聴を生じてしまうことがあるのだ。



 これは医学的には、脳血管障害と分類される。


 国が発表しているデータを見ると、なんと年間百万人以上が患っている疾患だ。

 もちろん、発症した全員が幻覚を見る、というわけではない。ただ、それだけの数の人間が幻覚を見る可能性がある、ということは紛れもない事実なのだ。



 さぁ、想像してみて欲しい。


 居るはずのない人物が見えた。

 居るはずのない人物から呼び掛けられる。


 食事をしていても、道を歩いていても、夜寝ようとして目蓋を閉じていても。

 それらはいつでもやってくる。


 幻覚や幻聴が続くことで精神が苛まれ、命を絶つ者もいるほどの苦痛を……はたして貴方は、どこまで耐えられるだろうか。





 ◇



 俺はとある病院の脳外科病棟で、病棟の薬剤師として働いている。

 そして今日は深夜から朝まで勤務する、夜勤当直の日だ。


 深夜23時。俺は薄暗いナースステーションの隅っこで、看護師たちから頼まれた調剤業務をしていた。



『~♪ ~~♪』



 あぁ、もう。うるさいな。

 さっきからコール音である“エリーゼのために”がひっきりなしに流れている。音を止めてしまいたいが、このコールは看護師にしか解除できない決まりになっているため、俺にはどうしようもできない。看護師も患者の元へ出払ってしまっているため、何度も音楽がループしている状態だ。


 呼び出している患者には悪いが、これでは集中して作業ができない。



「まぁ、今日は死人が出た日だしな」


 この病棟は度々、おかしなことが起こる。

 入院患者が亡くなると、その患者がいたベッドからナースコールが鳴らされるのだ。


 通称、『亡霊の呼び声ナースコール


 それはまるであの世に渡った患者が、看護師に助けを呼ぶように。


 誰もいないベッドから何度も呼ばれるのだから、そりゃあ誰だって対応したくはないだろう。どの看護師も、亡くなった患者の呼び出しから逃げていた。



 そんなことを考えていたら、ようやく看護師の一人が帰ってきた。

 見るからに疲れ切った顔で、ステーションに入って来るなり、俺がいるにもかかわらず大きな溜め息を吐いた。



「お疲れ様です。今日も大変そうですね」

「え? あぁ、薬剤師さん居たんですか……チッ、だったらコール止めておいてくれればいいのに」


 俺が社交辞令のあいさつをすると、小声で文句を言われた。


 ――コイツは馬鹿か。

 看護の出来ない俺が、そんな勝手なことを出来るわけがないだろう。


 そう内心で反論するが、同時に彼女たちに対して同情をしていた。向こうも向こうで、俺が何もできないことぐらいは分かっているはずだ。だが言わずにはいられないほど、ストレスが溜まっているのだろう。


 なので俺も大人しく口をつぐんだ。



 この病棟は、職員の入れ替わりが非常に激しい。

 もともと看護が重労働だということも原因だが、さっきも言った『亡霊の呼び声ナースコール』が相当なストレスになっているようだ。


 特に新人なんか一年ももたずに辞めていくせいで、既存の職員たちは一向に業務が楽にならないという悪循環に陥っている。



「今日はホント最悪……マジ何なのよ、あの患者……」

「……どうしたんですか? 自抜じばつの患者でも出ました?」



 自抜とは、自分で勝手に点滴を外してしまう患者のことだ。刺していた針穴からは当然のように出血するので、看護師としては後始末が非常に手間となる。


 特にこの脳外科病棟ではそういった患者の割合が多い。脳に障害を負うと理性のたがが外れて攻撃的になったり、暴れやすくなったりするためだ。


 だがこの看護師が言いたいのは、そのことではないようだ。



「ううん。それよりも最悪。ねぇ……アレ、聴こえなかった?」

「アレ? ナースコールですか?」


 俺はそう答えたが、彼女は首を横に振った。


「今日亡くなったAさんと同室の人の話よ!! あの人、誰かが亡くなる度に念仏を唱え始めるの……しかもこんな深夜に。感情も抑揚もない声だから、めちゃくちゃ怖いのよ……」

「あぁ……Kさんのことですか。もう長いこと入院している患者さんですし、お経も何度もやっている内に覚えちゃったんでしょうね」


 この病棟には、時間を掛けて退院を目指す患者さんもいる。

 深夜になるとお経を唱えだすK婆さんも、そのうちの一人だ。


 日中は本当に気の良い婆さんなのだが、なぜか誰かが亡くなった夜に念仏を唱えだす。うるさいと注意して一度は止めさせても、看護師がいなくなるとまた始めてしまうのだ。



「やめてって何度も言ってるのに……他の子は全然助けてくれないし!! ああっ、またナースコールが鳴り始めた!!」


 思い出すことで、更に苛立ちが湧いてきたのだろう。看護師はボブカットの頭を掻きむしると、悲鳴に近い声を上げながらステーションの外へと出て行ってしまった。



 ――おそらく、彼女も長くはもたないだろうな。


 長い髪を揺らしながら廊下を歩いて行くナース服の女を見ながら、そんなことを考えた。


 残念ながら、俺の予感は良く当たる。


 少なくとも、この一年で二十回近くは当てただろうか。二十人いたうちのほとんどを当てたので、かなりの的中度だと言えるだろう。この病院にある他の病棟に移った者が大半だが、中には精神を乱して仕事を辞めたり、消息を絶ったりしている者もいるらしい。


 さっきの彼女は、俺を除けば一番の古株なのだが……。




 ふと、窓の外を見る。

 嵐のように激しい雨風が窓を叩いている。どこかでカミナリが落ちたのか、雷光が見えた。


 そういえば去年の今頃も、こんな嵐の夜があったっけ。


 あの日のことは今でもよく覚えている。同じく大荒れの天気の夜。この病棟の看護師が、病院の屋上から投身自殺をした。


 あのときも、俺はこうして窓越しに外を眺めていた……。




 彼女は、運の悪い子だった。

 あの子が夜勤に入ると、担当している患者が亡くなることが多かったのだ。


 ひと月のうちで、四人ほど連続して看取った頃。その子が担当すると、患者が死ぬという噂が立った。



 もちろん、そんなオカルトみたいな話を本気で信じる看護師などいなかった。だが五人目、六人目と続きだすと、不穏な雰囲気が漂い始める。


 夜勤の間に状態が急変し、亡くなるというのは、その分だけ仕事が増える。彼女と一緒にシフトに入ることを嫌がる職員が、遂に出てきてしまった。



 さらに追い打ちをかけるようにして、亡霊のナースコール事件が始まる。

 そう、最初に亡霊に呼ばれ始めたのは、彼女だったのだ。



 彼女が夜勤に入ると、空になったベッドからナースコールが押される。


 ――何度も、何度も。


 どこにいても、あの“エリーゼのために”が流れ、彼女に付きまとうのである。



 一ヶ月もしない内に、彼女は壊れてしまった。日中でもあの音楽が聴こえる、死んだ患者が私を呼んでいると言い始めるようになった。


 心配した周囲も、できる限りのフォローをした。しかし……残念ながら、誰も彼女を助けることはできなかった。



 当然だろう、相手は心霊現象なのだから。


 彼女は、憧れだった看護師を続けられなくなった。




 そして一年前の今日。

 彼女は屋上に上がると、仕事に使っていた愛用のボールペンで両耳の鼓膜を破り、さらに目をえぐった。


 そして……楽しそうにあの“エリーゼのために”を唄いながら、満面の笑顔のまま身を投げたのだ。


 ――次の日から、亡霊のナースコールはピタリと止んだ。



 後で分かったことだが、彼女はこの病棟の看護師からイジメられていたらしい。


 キッカケははたして、なんだったか。

 綺麗な長髪をしていたとか、顔がちょっと良かっただとか、医師からのウケがいいとか、そんなことだったかもしれない。


 女が多い職場ではよくある、なんてことのない嫉妬からくる悪戯が始まりだった。



 幻視や幻聴は、心霊現象では起きないのだ。


 事故や、病気や……そして人間の悪意によって脳が壊されて生じる、ただの生理的な現象。


 たった、それだけのことなのだ。




 彼女が自殺したことで、この病棟に平和が訪れた……かのように思われた。

 しかしひと月ほど経つと、状況が再び変わった。


 誰もいないベッドから、再びナースコールが鳴らされるようになったのだ。


 当然、自殺の真相を知っている者たちは発狂した。



『亡霊が帰ってきた』



 そんな妄言を口にする者が現れた。何人かは精神を病んで、仕事中にエリーゼのメロディを聞くだけで嘔吐した。中には、死んだはずの彼女が病棟内を歩いているのを見たと言い出した。そう時間が経たないうちに、バタバタと人が辞めていった。


 そうしてこの病棟に残った当時の職員は俺と、あの短髪の女看護師だけ。




 だけど、まだだ。


 あの女を極限まで追い詰め、同じように命を絶たせるまで、俺は絶対にやめない。

 俺の愛する人を裏で傷つけ、自殺まで追い込んだコイツらを、絶対に許しはしない。




「――なぁ、お前もそう思うだろう?」


 俺は目の前に佇む、愛する人に語り掛けた。



『~♪ ~~♪』



 亡霊の呼ぶ声が、今もナースステーションに鳴り響いている――。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Calling ~夜の感染病棟~ ぽんぽこ@書籍発売中!! @tanuki_no_hara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ