記憶のない少女 #7
「お嬢さん。お嬢さんも良かったら、どうぞ。」
「え?……あ、ありがとう……です。」
サラは、話しかけられてハッと我に返った。
王都に行く途中の馬車でたまたま相乗りになった人物。
靴屋を営んでいて、少し離れた町に住む自分の親に生まれた子供を見せに行くという男とその家族だった。
反射的に差し出したサラの手に、男は人の良さそうな笑顔で焼き菓子を一つ乗せてくれた。
小麦粉と蜂蜜を使用したお菓子はこの辺りではなかなかの貴重な物で、男と家族はその身なりからも、田舎の町住まいとしては比較的裕福な生活を送っているのだろうという事が知れた。
「美味しい!」
「それは良かった! フフ、私の妻は料理が得意なんだよ。」
男の小さな娘もサラが貰ったものと同じお菓子を手に持って夢中で食べていた。
どうやら、子供が長い馬車の旅で少し飽きだしていたのをなだめる意味があったようだ。
そのついでに、サラにもおすそ分けしてくれたらしかった。
「暗い顔をしていたけれど、何か心配事でもあるのかい?」
「あ、えっと……ううん、特に何も。」
「大丈夫! その歳で一人旅は不安かも知れないけれど、無事に王都に辿り着けるよ。君を待っている人に、もうすぐきっと会えるさ。」
男はそう言って、ポンとサラの肩を叩いた。
確かにサラは、それまでしばらく昔の事を思い出して黙り込み、珍しく暗い表情を浮かべていた。
その様子を見て、男は心配してくれたらしかった。
が、サラが思い出していたのは、森の中で迷った時、知らぬ間に沼地に入り込んでしまい、身体中を覆い尽くす程の大量のヒルに吸いつかれた事だったのだが……
それは言わない方がいいんだろうな、と判断し、サラは黙って貰ったお菓子を食べた。
□
「パパ! パパ! お話して!」
お菓子を食べ終わった小さな女の子は、父親である男の服の袖を引っ張ってねだってきた。
余程退屈しているらしい。
大人にとってはたった一日の道程も、子供にとっては長過ぎる時間だ。
ずっと大人しく狭い馬車の中で座っているのは無理というものだった。
「そうだねぇ、なんのお話がいいかな?」
母親は乳飲み子を胸に抱いているため、女の子の相手は自然と父親である男がするようになっていたが、まだ幼い娘に「パパ! パパ!」とせがまれて、男はむしろ嬉しそうだった。
幼い少女はよそ行きの服を着て、髪をおさげに結い、リボンをつけていた。
胸には、母親の手作りらしいウサギのぬいぐるみを抱きしめている。
両親に可愛がられているのが良く分かる。
娘を見つめる男の目も、まさに「目の中に入れても痛くない」といった様子だった。
「じゃあ、この世界のどこかにあるという凄いお宝の話をしようか。『なんでも願い事が叶う』っていうお宝だよ。」
「ええ!? おじさん、それ本当? そ、そんな凄いお宝があるのー?」
馬車に揺られながら、すぐ隣に座った親子の会話を聞くともなしに聞いていたサラは、男の言葉に、ガバッと詰め寄った。
男は、サラの期待に満ちたキラキラした眼差しに見つめられて、少し困ったように笑い、子供には聞かれないようにそっとサラに小声で囁いた。
「……ハハハ。そういう伝説だよ。私も子供の時は信じていて、友達と一緒に探し回ったりしたものだけれどね。……」
「なぁんだ。ただの伝説かぁ。」
サラは、ガッカリしてため息を吐いた。
しかし、伝説や古い言い伝えといった真偽の著しくあやふやなものではあったが、男の話はなかなか面白そうだったので、サラも、男の小さな娘と一緒になって耳を傾けた。
「そのお宝の名前は『虹の秘宝』と言うんだよ。」
サラは、空想の物語を聞くような気持ちで、一生懸命想像力を働かせながら聞いた。
「『虹の秘宝』は、虹のようにいろいろな色を持った宝石なんだ。キラキラ輝くとても美しい宝石さ。見方によって、赤色にも、黄色にも、青色にも、どんな色にも見えるんだ。……そして、なんと『虹の秘宝』を手に入れた者は、たった一つだけだけれど、どんな願い事でも叶える事が出来るんだよ。どうだい、凄いだろう?」
サラは、小さな娘と一緒になって、「へー!」と感心した。
「世界一のお金持ちになりたい。物凄い美人になりたい。素敵な王子様と結婚したい。……どんな夢でも叶うんだぞ。」
「パパ、私、美味しいお菓子がいっぱい、いーっぱい食べたい!」
「ハハハ。そうかそうか。それは叶うといいなぁ。」
娘の無邪気な願いを聞いて、男は微笑ましそうに笑っていた。
(……『虹の秘宝』かぁ。もし本当にそんなものがあったら、私の失った記憶も、元に戻ったりするのかなぁ。……)
サラはフッとそんな事を思ったが、伝説などという不確かなものにすがる事に虚しさを感じて、すぐに考えるのをやめてしまった。
□
それから小一時間程、サラは、男の娘と一緒になって、男の話に夢中で聞き入っていた。
男はなかなかに話し上手で、その話は、風景を眺める事以外する事のない馬車の旅の暇つぶしにはピッタリだった。
どんなものでもスパッと真っ二つに切れるという剣。しかし、その剣は目に見えないので誰にも見つけられないという「不可視の剣」の話。
それを身につけると、触れたものをみな金に変えてしまう、そんな不思議な指輪。「金華の指輪」の話。
そして、この世界が誕生してから今までに至るまでの全ての出来事が、世界の全ての秘密が、そこに記されているという本。「全知の書」の話。
それらが人々の空想から生まれたものだと分かってはいても、サラはワクワク心が弾んだ。
冒険心がくすぐられる。それこそがまさに、長く世間で語られてきた有名な伝説となった理由なのだろう。
「『虹の秘宝』『不可視の剣』『金華の指輪』『全知の書』……これらはみんな、古代魔法文明が生み出したの傑作中の傑作なんだ。古代文明の最高峰の遺産なんだよ。」
「そうして、世界中の冒険者はみんな、これらのお宝を必死に探して続けているんだ。でも、未だに、これらのお宝を見つけた者は、誰も居ないんだ。」
□
「それじゃあ、気をつけて、お嬢さん。良い旅を!」
「いろいろありがとう! おじさん達も元気でねー!」
空がうっすらと茜色に染まる頃、サラは、目的の町に着いて馬車を降りた靴屋の一家と別れた。
すっかり仲良くなった小さな女の子は、父親に手を引かれながら振り返り「お姉ちゃん、バイバイ!」と何度か言っていたが、やがては前に向き直って、家族と共に町並みの中に消えていった。
(……こんなふうに、今まで何度、出会った人達と私は別れてきたんだろう?……)
到着した人と荷物を降ろしきり、新たな乗客と荷を慌ただしく積み込んで走りはじめる馬車の中で、サラは一人膝を抱えて座り込み、そんな事をぼんやり考えていた。
夜になるまでに次の町に辿り着こうと御者は馬達を急かし、先程通り過ぎたばかりの町並みが、のどかな春の田園風景の中にみるみる遠ざかっていく。
時間の長い短いに関わらず、自分に良くしてくれた、仲良くなった人達との別れを、サラはいつも少し寂しく感じていた。
けれど、それは、後ろに小さくなっていく町と同じく、すぐにサラの中で過去の出来事となり、微かな痛みはあっという間に消え去っていった。
(……家族かぁ。家族ってどんなものなんだろう? 本当に、この世界のどこかに、私を待っている家族なんて居るのかな?……)
サラは、先程の仲の良い一家を思い出して考え込んだ。
『……お嬢ちゃんの事を探している家族が、どこかに居るかもしれんからなぁ。……』
森の中で目覚めたばかりで右も左も分からなかったサラを見つけ助けてくれた、年老いた猟師の言葉が蘇ってきた。
けれど、サラは、未だ実感が全くないままだった。
(……もし、さっきの小さな女の子が突然居なくなったら、あの家族は、お父さんもお母さんも、必死に探すんだろうなぁ。私に家族が居るとしたら、今頃私の事を探してくれてるのかなぁ? 心配してくれてるのかなぁ?……)
今のサラには「家族」なるものは、自分とはとても縁遠い存在で、懐かしさや恋しさのような感情は何も湧いてこなかった。
家族は特に居なくても困らない。それが正直な気持ちだった。
(……別に全然平気だもん。だって、私ってば、超強いし!……)
□
サラは、森の中で一人、一糸まとわぬ姿で目覚めた時、自分の名前以外の事を全く思い出せなかった。
それでも、言葉はしゃべる事が出来て、出会った人達と意思疎通が可能だった。
火や水、天候、動物、食べ物、そういった一般的な事は、大雑把ではあるが大体把握出来ていた。
ただ、目覚める以前の記憶がゴッソリ抜けおちていただけで、最低限生きていくための知識は身についている状態だった。
それは本当に最低限であって、サラは平気で手づかみで物を食べたし、食べられそうなものなら植物も虫も小動物も、片っ端から捕まえて口に突っ込んだりもしていた。
平気で草や土の中に寝転んで、あるいは木によじ登ってその枝の上で、夜を明かした事も数えきれない。少し綺麗な川や泉を見つければ、ジャブジャブと入っていって体を洗うついでに魚を捕まえて食べた。
サラは、その可憐で儚げな美少女である見た目に反して、人間文化に酷く疎い野生児だった。
それでも、サラが大きな問題もなくここまでやってこれたのは、ひとえにサラが強かったからだ。
大きな岩を難なく持ち上げる驚異的な怪力と、ずば抜けた運動神経の良さだけで、何の訓練も受けずとも、森の中で襲ってくる野生の獣を難なく素手で倒す事が出来た。
町に降りてからも、そんなサラの強靭な肉体とそこから繰り出される人間離れした力は、たびたびサラを助けてくれた。
盗賊や暴漢に襲われそうになった時は、危なげなく身を守る事が出来た。
それだけでなく、サラは旅をする内に、自分のこの強い力でお金を稼ぐ事が出来る事に気づいた。
どうやら世の中には、悪事を働く人間がいろいろと居るらしい。
おたずね者の犯罪者や盗賊を捕まえて役人に突き出すと、いくばくかの報奨金が貰えた。
更には、村や町が襲われているので助けて欲しいと、個人的に依頼を受ける場面もあった。
世界各地で魔獣の被害が増えてきている不安多き現状は、サラにとっては不幸中の幸いと言うべきか、あちこちの旅先で魔獣討伐の依頼を受ける機会ができ、路銀を稼ぐのに困らなかった。
そんな生活を続ける中で、サラはいつしか自分の事を「旅の剣士」と名乗るようになっていた。
もっともそれには「世界最強の美少女」という修飾語が、サラによって勝手に足されていたが。
そうして、「失った記憶を取り戻す」以外特に目的もないままに、あてもなくサラは旅を続け、フラリと立ち寄った町や村において、その自慢の腕力で問題を解決し、旅を続けるのに必要な金を稼いでは、またフラリと旅立っていった。
(……まあ、別に、お金も無いなら無いで、何も困らないんだけどねー。地面に寝っ転がって眠ればいいしー、虫とかネズミとか適当に捕まえて食べればいいしー。……)
そんなふうに、目的地のないその日暮らしの気ままな旅を、サラは三ヶ月以上続けきたのだった。
□
しかし、三ヶ月経った今も、サラの記憶は全く戻っていなかった。
「自分の名前はサラ」で「自称十七歳」という所から、自分自身についての情報はこれっぽっちも増えていない。
それでも、サラには、あまり悲壮な気持ちはなかった。
(……えーっと、私は過去の記憶をなくしちゃってる訳だから、思い出さなきゃいけないんだよね?……うーん、でも、本当に、思い出す必要ってあるのかな? なんか、特に過去の記憶がなくても困らないような?……)
サラは、なんら問題なく旅を続ける内に、フッとそんな事を思ったりもしたが……
(……って、ダメダメ! それじゃあ、私が旅を続ける意味がなくなっちゃうもん!……)
(……旅は、続けなきゃ! うん! なんだか良く分かんないけど、旅は続けなくちゃいけない気がするんだよねー!……)
サラは、自分の心のどこからか生まれてくる不思議な焦燥感と義務感に駆られて、酷い方向音痴に悩まされつつも旅を続た。
新しく訪れた土地では、自分の事を知っている人間が居ないか、聞いて回った。
思い出したように、森の中で目が覚めた時自分が唯一持っていたくすんだ赤い石のついたペンダントを、出会った人達に見せてみたりもした。
しかし、サラの事を知っている、あるいは、突然失踪したというサラと同じ年齢や見た目の少女について何か噂を聞いた事のある、そんな人間は、誰一人として見つからなかった。
ペンダントに関しても、見せた者は皆一様に首を横に振って「知らない」と答えた。
誰の目にも、それは、ただの古びたガラスの欠けらのようなもの、なんの価値もない、これといった特徴もないものに見えるようだった。
これが高価な宝石か何かだったとしたら、それを狙って襲われる場面もあっただろうが、そんな心配は一切なかった。サラにとって、それが幸か不幸かは分からなかったが。
(……まあ、でも、王都かぁ。そんな大きな街に行くのは初めてだなぁ。きっと人がたくさん居る賑やかな場所なんだろうなぁ。……そんな場所だったら、私の事も何か分かるかもしれないよね!……)
サラは、靴屋の家族が降り、再び一人になった馬車の中で、いつもは服の中にしまっている首飾りをそっと紐を引っ張って取り出してみた。
いつもと変わらない、鈍い小さな赤色がそこにはあった。
その半分に割れたような形の赤い石を、サラはしばらく、華奢な白い手の平にギュッと握りしめていた。
□
(……ウサギのぬいぐるみかぁ。女の子って、ぬいぐるみが好きだよねぇ。……)
サラは、先程別れた靴屋の小さな女の子の事をなんとなく思い出した。
小さな子供、特に女の子が、ぬいぐるみや人形を大事そうに胸に抱きしめているのは、今まで通り過ぎてきた町や村で良く見かける光景だった。
サラは特にぬいぐるみに興味がなかったので、羨ましいとも可愛いとも思わなかったが、時折、何か不思議な感情が胸の中に小さく灯った。
(……胸のこの辺、スースーする。なんだろう? この感じ?……)
サラは、首にかけているペンダントをしまった辺りを服の上からそっと手で押さえた。
実際には、特にサラの肉体に穴が空いている訳ではないし、病気などでもないと分かっていたが……
それはまるで、胸のその辺りに、ポッカリと穴が空いているような感覚だった。
微かな痛みを伴う、サラには理解不可能な、なんらかの感情だった。
(……私も、あんな風にぬいぐるみを抱きしめたら、ホッと安心するのかな?……)
そんな風に、チラと思ったりもした。
けれど、それは、小さなトゲが刺さるよりも些細な痛みだったので、サラはいつもすぐに考えるのをやめてしまった。
(……記憶が戻ったら、自分がどこの誰か分かったら、この変な気持ちもスッキリするのかな?……)
柔らかな茜色の春の夕焼けが辺りに満ちたかと思うと、すぐにみるみる夜の青い闇が空から降りてくる。
ガタゴトと揺れながら進む幌馬車の荷台で、サラは自分の膝を腕で抱え込み、静かに目を閉じた。
王都は、馬車の進みゆく一本道の街道の先に、もう後一日の所まで迫っていた。
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