記憶のない少女 #3
魔獣の死体は、火事で燃えていた家と共に燃やす事になった。
村の自警団である若い衆が総出で作業に取り掛かったが、巨大な魔獣の体は、ほとんどサラが一人で引っ張っていって火に放り込んでいた。
その後、燃えるのを見守るのは自警団に任せると、サラは村長の厚意で湯浴みをして新しい服に着替え、その夜はベッドに入った。
翌朝、太陽が山の頂から登る頃、サラが目覚めると、魔獣の体はすっかり焼かれて、火事を出した家の建材と共に黒い消し炭となっていた。
サラは、村の中央の一番大きな建物である村長の家で、村人達に囲まれて、祝いの料理を振舞われる事になった。
「うーん。私も理由は知らないんだけどー、魔獣の死体って本当にすぐに腐るんだよねぇ。中にはねぇ、まだ生きて動いてるのに、もう体の一部が腐ってるのも居たよー。ウジが湧いてたりー、肉が崩れ落ちて骨が見えてたりねー。」
サラは、大きなテーブルの上に並べられた料理を、好き嫌いなく片っ端からモグモグムシャムシャと凄い勢いで食べていった。
村長は、村の恩人であるサラに気を遣って、貴重な陶器の食器や鉄製のナイフとフォークを用意してくれていたが、サラは特に気にかけず、途中から面倒になったのか、ナイフとフォークを投げ出して、手掴みでガツガツ食べていた。
サラの獣のような猛烈な食べっぷりに、魔獣が倒されて喜んでいた村人達の笑顔が若干引きつっていたが、そんな事にサラが気づく筈もなかった。
「あ! 後ねぇ、魔獣は絶対食べちゃダメなんだよ! 魔獣は体が大きいから、殺したら凄い量の食料になるかもって思うかもだけどー、聞いた話によるとね、魔獣の肉を食べると、毒に当たったみたいに泡を吹いて死んじゃうんだってー。怖いよねー!……だから、私も、どんなにお腹が空いても、魔獣の肉だけは食べないようにしてるんだー。」
サラは、殺伐とした内容の会話を至って楽しそうにニコニコ話しつつ、祝いの料理を次々と平らげていっていたが……
「ん!」
ブブッと、羽音を立ててどこからか大きな蜂がテーブルの上に飛んできたのに気づくと、シュバッと片手を伸ばして捕まえた。
目にも止まらぬ速さだったにも関わらず、きちんと蜂の羽を指で摘んでいた。
「村長さん、この虫って食べられる? 毒とかあるの?」
「毒はないですが、食べたりはしませんな。刺されると痛いので、気をつけて……」
「あーん!」
サラは村長の話が終わる前に、大きな口を開けて、パクッと手に摘んでいた蜂を放り込んでいた。
ニコニコ笑いながら、生きたままの蜂をモグモグと噛み締め、ゴクンと吞み下す。
「うん、ちょっと酸っぱくて美味しい!……あ、もちろん、村長さん達が用意してくれたお料理も、とっても美味しいよ!」
「……サ、サラ殿のお口に合ったようで、良かったです。」
村長をはじめ、周囲に居た村人達の顔がいっせいに凍りついていたが、これにもまた、サラは全く気づいていなかった。
□
サラが四日前に、この村にフラリと姿を現した時、村人達は一体何があったのかと集まってきた。
元々山奥の寒村を訪れるのは、年に何回か塩などの必需品を売りに来る行商人ぐらいのものだったが、そんな場所に、なんと、小柄で華奢な、光り輝くような美しい少女がやって来たのだ。
これが騒ぎにならない筈はなく、村人達は畑仕事や家事の手を止めてゾロゾロやって来た。
サラは町へと続く街道からではなく、深い山の中からひょっこりと現れた。
村人達は、こんな可憐な少女が山の中から出て来たのには、どんな事情があるのかと心配した。
おそらく、その美しさから盗賊に目をつけられ、どこかに高値で売られそうになっていた所を、命からがら逃げ出して来たのではないか、と人々は考えた。
(可哀想に、何か力になってやりたいものだ。)と、サラの儚げな外見を見て皆が思っていた。
しかし、サラは、特に怯えるでも泣くなくでもなく、ケロッと明るい顔をしていた。
「ムカデだ! 刺されると危ない! 動いちゃダメだ!」
突然、誰かが叫び、サラを見に集まっていた村人の輪に緊張が走った。
ある子供が座っていた岩に大きなムカデが這っているのに気づいた若者が声を上げたのだ。
ムカデを刺激しないよう、そうっと子供をその場から引き離そうと大人達が考えている内に、サラが動いていた。
「えい!」
軽い掛け声と共に、サラの拳が岩を殴りつける。
メキメキッという不快な音を上げて、岩にヒビが入っていた。
サラが拳を離すと、その小さな握り拳の形がくっきりと岩に刻まれ、パラパラと壊れた岩の破片が粉になって落ちてくる。
当然の事ながら、ムカデは体の真ん中を潰され、真っ二つになって死んでいた。
サラは、ポロリと岩から落ちてきたムカデを、素早く捕らえて手に握りしめた。
「この虫、刺されると痛いよねー。私も最初刺された時はビックリしちゃった。でも、それからはちゃんと気をつけてるんだー。」
サラは無邪気な笑みをその愛くるしい顔に浮かべてそう言うと、潰したムカデをポイッと口の中に放り込んで、ムシャムシャと食べてしまった。
この瞬間をもって、村人達の心から、正体不明の儚げな美少女に対する憐憫の情は跡形もなく消え去った。
サラが森の中からひょっこりと現れてから、ものの十分ともたなかった。
(……違う。この少女は、盗賊にかどわかされた訳じゃない。……)
サラの驚異的な強さと、悪寒を覚える程の悪食を目の当たりにした村人達は、彼女が一人で森の中を歩いてこられた理由を知った。
「私、サラ! 旅の剣士なんだー!」
程なく、サラはそう名乗り、マントの下に二振りの剣を提げている所を自慢げに見せたのだった。
□
「しかし、本当に、サラ殿がこの村を訪れて下さって良かった。このままあの巨大な狼の魔獣に襲われ続けていたのなら、早晩この村はきっと滅んでしまっていた事でしょう。」
村長が、微妙な空気の漂いだした祝宴の場を盛り上げようと、笑顔作ってサラを褒め称えた。
「領主様に助けを求めましたが、兵士を派遣してはもらえず、皆で途方に暮れていた所でした。大きな街ならいざ知れず、このような山奥の小さな村では、あのような魔獣が出れば、なすすべもなく襲われるだけです。」
村長は、長く伸ばした白いヒゲを撫でながら、しみじみと語った。
「よもや、クリスタリオンの魔道士様が助けに来てくれる筈もありませんからなぁ。」
「くりすたりおん?……って、何?」
ほとんどテーブルの上の料理を平らげて、少し落ち着いてきたらしいサラが、村長の言葉にキョトンを首を傾げた。
「おや、サラ殿はあの有名なクリスタリオン魔法共和国をご存知ないのですかな?」
「え!……あ、え、えーと……どっかで聞いた事があったかも知れないけどー、ちょっと忘れちゃってー。」
「なるほど、そうでしたか。」
「あ、あの、そのなんとかって国の話、教えて欲しいな! みんな良く知ってる話なんだよね?」
サラは、身を乗り出して村長に訴えた。
サラは実はまだ、この世界の事をあまり良く知らなかった。
こういった機会には、なるべく人の話に耳を傾け、この世界についての知識を身につけておきたいと思っていた。
「ええ、とても有名な話ですよ。とは言っても、実際にその国を、その国に住むという魔導士様を、見た者はまずおりませんが。」
そう前置きして、村長は快くサラに説明してくれた。
□
この国はナザール王国と言って、世界で最も大きな中央大陸の南東に位置する小国との事だった。
同じ中央大陸ではあるが、遠く離れた北西の半島に、その「クリスタリオン魔法共和国」なるものはあるらしい。
国の名前に「魔法」とつくのにはれっきとした理由があり、なんとその国に住む「魔導士」と呼ばれる人々は、魔法を使えるのだと言う。
「え? でも、魔法って、確か……凄ーく昔の人達はみんな使えたけどー、今の人達は全然使えなくなっちゃったんじゃなかったっけ?」
「その通りです。およそ三千年前『世界大崩壊』により古代魔法文明が滅んだのを機に、この世界から魔法の力は失われたと伝えられています。……しかし、クリスタリオンの魔導士様達は、その古代人の生き残りなのですよ。そのため、現在でも魔法が使えるのです。」
「へー! 魔法が使える人達が生き残ってたんだー! 凄ーい! 私も魔法見てみたいなー!今度その国に行ってみようかなー?」
「いや、おそらくクリスタリオンに行く事は出来ないでしょう。」
「ええ? な、なんでー?」
クリスタリオン魔法共和国は、世界大崩壊後に建国された非常に古い歴史を持つ国であったが、建国当初から一貫して他国との交わりを断っていた。
つまり、三千年も鎖国状態を続けている稀有な国でもあったのだ。
それには、クリスタリオンが、周囲を万年雪をいただいた険しい山脈と、荒波で有名な複雑な岩礁に囲まれた、まさに天然の要塞とも言うべき土地に位置していた事も大きかった。
交易のために、山脈の僅かな隙間に街道は設けられていたが、途中には人の出入りを厳しく監視する堅固な関所があり、限られた人間しか通行を許されていなかった。
「大きな国、例えば、この中央大陸一番の国土を誇る強国アベラルド皇国のような国は、クリスタリオン魔法共和国とは古くから親交があると聞きます。互いの平和のために不可侵条約を結んでいるとか。」
「ふーん。」
「そのような国からの要請があれば、クリスタリオンの魔導士様達も助けに来て下さる事もあるという話です。長く続く日照りに苦しんでいた時、魔法で雨を降らせて人々を救われたと聞きました。」
「へー。」
「しかし、我が国のような辺境の小国に来られる事は、ありますまい。まして、このような山奥のさびれた村に訪れる事など。」
「うーん。」
「そういった訳で、クリスタリオン魔法共和国に他国の人間が立ち入る事も、魔導士様達の姿を見る事も、無理なのですよ。」
サラは腕組みをしてしばらく考え込んでいたが、ふと非常に素朴な疑問を口にした。
「ねえ。なんでそんなに魔法の国の人は、自分達の国から外に出てこないの? すっごい魔法が使えるんだったら、もっと世界のいろんな所に行って、たくさんの人達を助けてあげたらいいのに。」
「さあ。魔導士様達がなぜ自国内からかたくなに出てこられないのか、三千年もの長きにわたり他国との国交と断っているのか、それは私には分かりません。……しかし、まあ、古代人の血を引く偉大な方々の考えられる事は、我々のような下々の人間には計り知れないものなのかも知れませんな。きっと、何か深遠な理由があるのでしょう。」
サラは、一通り村長の話を聞き終えて、その未知なる魔法の国に対する興味をフッと失っていた。
(……なーんだ。入れないし、見れないし、出てもこないなんて、つまんないのー。そんなの、ないのと同じじゃない。……)
サラは、気を取り直して、皿の上に残っていたキノコを指で摘んで、口に放り込んだ。
(……まあ、いっかー。魔法なんて使えなくても、なんにも困らないもんねー。……)
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