第76話


 それと同時に関所へと駆けつけてきた兵士たちに矢の雨が降り注ぐ。

 ルナン軍が温存しておいた矢だった。

 退却していた兵力はエルヒートのスキルに驚いて及び腰になり、そこに矢の雨まで降り注いだことで兵士たちが入り乱れて大混乱となった。

 エルヒートはその前で巨大な槍を握りじっと立っていた。


「閣下、あの者はルナンが誇る武将デマシン・エルヒートです!」


 エルヒートに気づいたルカナの家臣が叫ぶ。

 その名前を聞いたルカナはむしろ笑みを浮かべた。

 ルナンで戦うだけの価値がある人物がいるとすれば、それはエルヒートただひとりだったから。


「エルヒート? あの有名な男か? イスティン隊長に引けを取らぬほど寡黙だって男だろ? それは興味深い。もちろん、寡黙さで隊長に勝る者はいないと思うがな」


 ルカナがそう言って事態の収拾に駆けつけようとした瞬間、


「敵将は聞け。俺はデマシン・エルヒートだ。いつまで後方から見守ってばかりいるつもりだ。そなたも武将なら前に出て戦おうじゃないか。一騎打ちこそが血生臭い戦場の唯一の楽しみだろ?」


 エルヒートが大きな声でそう叫んだ。


「え?」


 エルヒートが呼びかけた相手は誰がどう見ても隊長のイスティンだった。

 イスティンのことを見ていたルカナはその言葉に呆れた顔で愚痴をこぼした。


「いや待ってください、隊長! 興味が湧いてきたからって戦うんですか? なんてことを言うんですか! ルナンの武将と戦ってみたかったしちょうどいいだなんて! 笑えませんよ、あんなふうにひとりで乗り出してきたところを包囲して殺すのが一番手っ取り早いってことは知って……」


 周りの兵士にはイスティンが何も言っていないように見えたがルカナはひとり聞こえるかのように話していた。


「待ってくださいよ! ちょっと、一緒に行きましょう!!」


 ルカナは気が狂いそうだった。あえて敵将と戦う必要はない。

 イスティンが負けるとは思っていなかったが、兵力の規模からして相手にもならない状況で敵将と一騎打ちをするなんてとんでもない。

 もし負けることにでもなれば士気は一気に下がる。

 それに応じたという事実ひとつでフランに大きな叱責を受けることになりかねない。

 しかし、イスティンはかなりプライドの高い男だ。

 一度決めたことを覆すことは絶対にないということをルカナはよく知っていたため首を横に振りながらイスティンの後を追った。

 新たに投入したナルヤの兵士たちがふたつに分かれて道を開けた。

 イスティンはゆっくりと馬を走らせて兵士たちの前へ辿り着いた。50メートルほどの距離を置いてふたりの武将が対面したのだ。

 もちろん、イスティンの後ろには5万の大軍。

 エルヒートの後ろには関所とその上に3000の兵士だけだった。


「そなたは誰だ?」


 エルヒートの質問にイスティンはやはり何も答えなかった。まるで通訳をするように乗り出したのはルカナだった。


「ナルヤ王国の十武将序列3位のイスティン伯爵閣下です!」


 ルカナのその言葉にエルヒートは嬉しそうに笑い出した。聞き覚えのある名前だったからだ。

 あれほど強い男と戦えるなんて。

 最高な終わり方だと思った。

 もちろん、その相手が誰だろうと簡単にやられるつもりはない。

 しかし、関所にいる兵士たちの疲労は最高潮に達していた。5万の大軍を交代で送り込んで休息を与えるナルヤ軍とは違って、3000の決死隊であるルナン軍はろくに休めていなかったのだから。

 エルヒートはナルヤの隊長と戦闘を繰り広げることで兵士たちが休める時間を作ってあげたかったのだ。


「対決を引き受けてくれたことに感謝するよ。俺の最後となる戦争でそなたのような強い武将に会えるとはな。ハハハハハッ! 運が良いのか、悪いのか。まあとにかく会えて嬉しいよ。戦おうじゃないか、イスティン。そなたが真正なる武将なら一騎打ちで俺の槍を受けてくれないか?」


 エルヒートの言葉にその寡黙さに劣らぬほど重みのありそうな大剣を手にしたイスティンがうなずいた。


「待ってください! 隊長! そんな時間はありません! 早く関所を突破して総大将と合流しないと! 何ですと? 男の対決に理由はないですって? ふざけて……いや、違っ、あーっ、まったく!」


 ルカナは結局イスティンを止めることができずに呆れ顔で後ろに引き下がった。

 もちろん、それでもイスティンが負けるとは思ってもいない顔。だが、あまりに無意味な戦闘だった。

 こうしてふたりの武将の対決が始まった。


 ***


「あの化け物は何なんだ!」


 ナルヤ王国軍は舌を巻くだけ。余裕でイスティンが勝つと思っていたが対決は大接戦だった。


「エルヒート閣下……!」


 どんな気持ちでひとり乗り出したのかをよく知るエルヒートの家臣たちはその張り詰めた対決に息を吞んだ。

 一歩間違えれば死ぬ。

 エルヒートはそんな対決をしていた。

 ナルヤの十武将序列3位。

 十武将は大陸でも有名だ。実際にもイスティンはエルヒートよりも多少武力が上だった。

 イスティンの推定武力値は97。

 そして、エルヒートの武力は96。

 この程度の武力差では勝敗はわからない。お互いに命がけで戦ってこそ勝者が決まる数値だった。

 さらに、エルヒートには後がなかった。体力の備蓄なんて考えている余力はなく、とにかく時間を稼ぎたい一心で戦いに臨んでいた。だからこそ、ふたりの戦いは拮抗したものだった。

 戦いが長引けば時間も稼げるし兵士たちが休める。

 エルヒートはそんなことばかり考えていた。

 もちろん、武を磨き上げて数十年。

 敗北など考えもしなかった。時間も稼いで戦いにも勝つ。

 対決で勝って敵を混乱に陥れ、さらに時間を稼ぐという考えしかなかった。

 敵将を倒しても勝利は収められないことは誰よりもよくわかっていたがそんな意思で戦っていた。

 当然にもそれはすべて自分のため。


 ブォォオオオオオ!


 エルヒートが使ったスキル[鬼槍]の爆裂がイスティンを襲った。イスティンの周りが巨大な爆発に巻き込まれる。

 イスティンは大剣でマナを発生させて保護膜を形成しエルヒートのスキルを阻止した。

 だが、エルヒートはそれに留まらなかった。

 そのまま空高く舞い上がると生涯磨き上げてきた槍術の結晶体である[ゲスティンバーグ]を発動させた。

 空から投げ込まれたエルヒートの長い槍が燦爛たる光を放ちながら、まるでレーザーのようにイスティンに向かって飛んできた。

 槍の周りに発生した強力なマナの光は見た者の目をつぶらせるほどだった。

 鬼槍の爆発でイスティンの周りを搔き乱し、彼が爆発を大剣で阻止しようと気を取られている時。

 爆発の煙がまだ残る中すぐに[ゲスティンバーグ]を使って槍を投げつけた状況だった。

 イスティンは爆発を阻止しながら彼の力を実感した。目前に迫ったエルヒートの長槍!

 避ける速度より長槍の方が速いことを一瞬で把握して大剣にマナを吹き込んだ。

 イスティンが振り回す大剣から強力な光が放たれると、ただでさえ巨大な大剣が2倍以上も大きくなってしまった。

 イスティンはその状態でエルヒートの槍を受け止めた。


 ギィイイイインッ!


 ふたりの力が激突する。地響きが鳴るほどの振動と共に周辺が光に染まった。


 無口で有名なイスティンは全力で気合を入れると、さらに巨大化した大剣を振り回した。

 その一振りがエルヒートのスキル[ゲスティンバーグ]を弾き飛ばしてしまったのだった。


 グァアアアンッ!


 またもや轟音を立てながら飛んでいったエルヒートの槍は関所の城壁に刺さってしまった。

 地面に着地したエルヒートは城壁に刺さった槍を引き抜くため再び空へ跳び上がる。

 当然ながら、イスティンはそのチャンスを逃がさずに飛びかかってきた。

 エルヒートは城壁の目の前に陣を取っていて、イスティンはスキルを阻止しようと後ろに押しやられていたため、一瞬の隙をついてなんとか槍を抜き取りイスティンの大剣と空中で衝突した。

 ふたりは再び地面に着地して戦いを続けた。

 互いに自分の最も強力なスキルを使ってしまった彼らは終わりなき体力争いに突入した。

 最初は余力を残そうとしていたイスティンだがそうもいかず張り合いは続いた。


「クハッ、すっかり戦闘に没頭されている……」


 ルカナは額を押さえた。

 ここで自分が割り込めばこの無意味な戦いはすぐに終わるかもしれない。

 実際にもイスティンがやられそうな時には介入するつもりではいた。

 だが、それは最後の手段だった。

 戦いに介入すること。それはイスティンが最も嫌うことで彼はプライドを傷つけられる恥辱だとまで思っていた。

 だから、ルカナは介入することができなかった。

 化け物たちの戦いはなんと6時間も続いた。

 結局、陽は沈んで周囲が闇に染まる。

 ふたりの男は暗闇の中で決闘を中断し互いに顔を合わせた。


「明日、決着をつけないか?」


 エルヒートの提案にイスティンはうなずいた。すぐにルカナの方を見るエスティン。


「撤収ですか?」


 イスティンの命令にルカナは首を横に振った。そんなのありえない。

 だが、イスティンの眼差しにはこの男に勝って関所を乗っ取ってやるという強い意志が込められていた。


「ルナン最高の男から勝利を勝ち取るだなんて……」


 ルカナは小言を浴びせたかったが我慢した。イスティンがこんな男だからこそ幼い頃からそばにいたのだ。

 そうしてイスティンの大軍は真後ろにある駐屯地へ退き、敵が撤収する姿を立ったまま最後まで見守ったエルヒートは関所の中へ復帰すると倒れ込んだ。

 エルヒートの家臣が全員駆けつけて脇を抱える。


「平気だ。兵士たちが休む時間を稼げたではないか」


 家臣たちはその姿を見て握った拳を震わせた。

 自分たちの無能さに身震いがしたのだ。

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