第28話

*


 ジントはナルヤ王国のある都市でスリをしながらその日暮らしをしてきた。道端に捨てられた孤児が生きていくためには他に方法がなかったのだ。


 そのようにして歳月が過ぎ去っていった。

 子供の頃から喧嘩の才能を見せていたジントはスリ集団をいとも簡単に掌握してしまった。

 スリ集団とはいっても都市のごろつきの組織に上納金を納める下部組織というだけ。

 そんな人生だったが、ジントはひとりではなかった。

 幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた少女ミリネ。彼女がいたから幸せだった。

 何より、ミリネの笑顔だけが彼の生きがいだった。


「おかえり、ジント」


 そう。


「スリをするにしても、人を選んでやりなさいよね」


 こんな平凡な日常。


「あら、ごはん粒がついてるわ」


 それがジントの生きる原動力だった。

 もちろん、ミリネも同じように思っていた。

 ジントと互いに支え合いながら生きてきたのだと。


 しかし、そんな平和な日常が続くことはなかった。

 その禍根となったのはミリネの可愛らしさ。

 15歳のジント。そして15歳のミリネ。

 ある日、幼い彼らに災難が訪れる。


「ジント! 大変だ! ミリネが連れていかれた!」


 一日中働いて帰ってきたアジト。

 ジントが来るなり仲間たちが群がって騒ぐ。

 ミリネが連れていかれた。

 上納金を納めていた組織のごろつきたちに。


 その瞬間、理性を失ったジントは、すぐに武器を持って彼らの溜まり場へ直行した。


「ミリネ! ミリネ―ッ!」


 ドアを蹴飛ばして入ってきたジントに向かって、ごろつきたちは嘲笑を浴びせた。


「ミリネ? フハハ。なかなかいい女だったぞ? それも処女だ。まあ、組織に金が必要だから奴隷商人に売り払っちまったさ。あれだけの女なら大金になるからな。だが、そのまま売り払うのはもったいないだろ? だから味見をしてやったわけさ。わりぃ、お前も混ぜてやればよかったな。プッハッハッハ」


 とても正気では聞いていられない話。

 ジントはナイフを抜いた。

 目からは涙が。

 噛みしめた唇からは血が流れた。

 ミリネの受けた恥辱は考えたくもなかった。

 彼女の笑顔。彼女の思いやりの心。

 あんなに優しい女を。


「クソガキめ。それをしまえ。調子に乗りやがって」


 10人の男たちが椅子を蹴って立ち上がる。だが、ジントは一番手前の男の首を一撃で断ち切ってしまった。

 ジントはマナの才能を生まれ持った存在。

 たかが喧嘩の経験しかないのに彼の能力は異常に発達していた。


 15歳。

 幼い彼だったが、その辺のごろつきが相手にできるようなレベルではなかった。

 自分ではまったく気づいていなかったが。


「あいつを殺せ!」


 驚いたごろつきたちはジントの周りに押し寄せた。だが、ジントの動きは男たちの数倍も速かった。恐ろしい速さの抜剣。

 そして、信じられない力。


「くっ、来るな……!」


 9人の仲間たちが惨死した溜まり場で、残ったひとりのごろつきが恐怖に怯えて跪いた。ジントはそのまま突進して男の顔に無慈悲な攻撃を始める。


「どこだ! ミリネをどこにやった!」

「た、助けてくれ……!」

「だったら、言ええぇぇっ!」

「ヒルオネ商人団……。やつらに売っ……」


 スパンッ


 宙を舞う生首を見てジントはぎゅっと拳を握った。ぶるぶる震える拳。

 人を殺したのは初めてだが、何の感情も湧いてこなかった。

 彼の頭の中はミリネを取り戻すということだけ。

 少年にとって少女は人生のすべてだったのだから。

 無事でさえいてくれれば。

 生きてさえいてくれれば。

 もう一度自分に笑ってくれさえするなら、他のことはどうでもよかった。


 その日からジントは奴隷商団を探し彷徨った。

 そして、おそよ三年の歳月を経てようやく奴隷商団の追跡に成功する。

 それは凡人には想像もできないほどの執念だった。

 そのように嗅ぎつけた奴隷商団はその場で撲殺してしまった。

 三年間数々の実戦を重ねてきたジントは、命など顧みずにもっぱら戦闘に明け暮れた。

 情報を得るためならどんなことでも厭わなかった。雇われた闇の組織。彼らの血なまぐさい区域争いと暗殺。まるで戦鬼のような人生。

 そのせいか、この時すでにジントの武力はB級を超えた状態。


 だが、ミリネを見つけることはできなかった。

 奴隷商団は彼女をすでに地方の男爵に売り払ってしまったのだ。

 ジントはすぐにその都市へ向かった。

 後先見ずに商人が教えてくれた男爵の邸宅へと攻め込むジント。

 たくさんの兵士がジントの前を遮る。


「何だお前は!」


 ジントはナイフを振り回すだけで何も言わなかった。邸宅を守る兵力は30人。


「すぐに応援を呼べ!」


 領地軍が来るまでの時間。

 ジントはそれを瞬時に計算できるような能力は兼ね備えていなかったが、スピードだけは誰にも負けない自信があった。


 破壊しまくる。

 ジントは家の中へ乱入すると、ついにミリネを見つけだした。

 長い歳月が流れたが一目でわかった。


 ミリネを見つけた瞬間。

 彼の目からは一筋の涙がこぼれ落ちた。

 自分なんかどうなってもよかった。

 しかし、憔悴しきった彼女の姿からどれだけ地獄のような日々を送ってきたのだろうかと思うと到底我慢ならなかったのだ。


「ジント? ジントなの?」


 夢にまで見たジントとの再会にミリネの目からも涙が溢れだした。

 彼女も死にたいと思うだけの三年を耐えぬいたのは、いつかジントに会って伝えたいことがあったからだった。ジントにそれ以上を望む資格はもうなくなってしまったと思っていたから。

 彼女は。

 たった一言。

 言いたかったのに言えなかったあの言葉。

 好き……。

 愛してると。

 その一言をジントに必ず伝えたかった。

 その言葉を言えなければ、死んでも目を閉じられそうになかったから。

 何の取り柄もなく親もいない彼らに降りかかったこの暗鬱な試練。


 ジントはミリネの手を強く握った。


「逃げよう、ミリネ!」


 そして、都市を抜け出した。

 領地軍が遅れて動き出したが、盗んだ馬にミリネを乗せたジントは後ろも見ずに突き進んだ。

 追撃隊を何度も振り切って、その都市から一番遠く離れた国境の町まで逃げてきた。国境の近くには戦争で生活の場を失った人たちが集まって暮らす町があるという噂を聞いていたから。


 ここへ来るまでの間もミリネは何度も死のうとしていた。

 夜になると彼女はうんうん唸りながら暴れ狂った。

 だが、ジントはそんな彼女のそばから片時も離れずに一緒に生きていこうと説得し続けた。


「お前がいないと俺は生きていけない」


 ジントのその言葉。

 ようやくミリネは命を捨てようという考えをやめた。

 生活の場を失った人たちが暮らす国境の静かな町。

 ジントはそこで農業を営みながらミリネと静かに暮らしていた。

 一日一食。

 そんな生活でもふたりは幸せだった。ミリネもいつの間にか昔の笑顔を取り戻すほどに。


 だが、再びふたりに試練が訪れた。


 王が変わった。

 平和政策を維持させてきた王が死んで野心に満ちた若い王が即位した。

 そして、総動員令が発令されると各地では無慈悲な徴兵が始まった。

 力のない貧民たちが暮らす国境の町は当然この徴兵を免れなかった。


「ジント、いってらっしゃい。私はここで待ってる。何があっても待ってるから。あなたなら絶対に戦争なんかで死なない。私はそう信じてる。ジントは強いから。だから、これ以上逃げるのはやめよう?」


 結局、その言葉にジントはナルヤ王国軍の兵士となった。

 そして、すぐに偵察隊という名の捨て駒になった。

 指輪はミリネがくれた愛の証。

 あの指輪はジントにとってこの世で二番目に大切なものだった。



 *


「……というわけさ。あの指輪は俺の命よりも大切な物なんだ。本当に取り戻せるのか?」


 事情を話し終えたジントが俺を見上げた。


「そういった事情のあるやつは大勢いるだろうが、君のように大切な人を最後までそばにおいた男はそういない。いや、いないだろう……。どうかしてるというか、すごいというか」


 そう、イカれた奴。

 それが率直な気持ちだった。

 悪い意味ではない。並々ならぬ意志力というか。恋は盲目状態というか。

 俺はなおさらジントという人材が欲しくなった。

 こんな人材はそう簡単には現れない。

 21歳で武力93。成長の可能性は無窮無尽。

 そして、まっすぐな性格。

 強いとはいえ自惚れが過ぎるランドールを登用する気はまったくなかったのとは違い、この男は知れば知るほど手に入れたくなった。


「それなら……。もっと生きたいと思うのが普通だろ。投降するふりをして彼女の元へ逃げるなり、どうにか生き残るために思案をめぐらすべきだと思う。今の君の姿は理解できない」


 そう。

 そんなに大切な存在がいるなら生きようとあがいて当然なのに、ジントの反応はそうではなかった。


「ナルヤの新国王が宣言したんだ。捕まる前にひとりでも多くの敵を斬って死ねと。無様に捕虜となり生きて帰れば家族の命はない」


 捕虜は情報を漏洩する危険がある。

 まあ、それ以前にナルヤの国王は確かにそういう人物だ。

 野心的で国を強力な王権で運営する王でもあった。

 兵士が捕虜になることは許さない。

 壮烈な戦死を遂げれば家族に金銀財宝を与え、無様に命を乞えば家族を殺すほど、戦争で敗北することを嫌った。

 もちろん、中には家族より自分の命を優先する者もいた。

 俺が捕まえた捕虜のうちひとりがそうだった。

 人生への渇望は人間だから当然のこと。

 だが、ジントは真逆だ。


「もちろん、俺は自信があった。誰にも負けない自信が。堂々と戦い勝利を得て帰る自分がいた。だが、あんたに捕まってしまった。だから帰ることはできない。死ぬしかないんだ。そうすれば、ミリネに累が及ばない。仮に彼女と一緒に逃げたとしても、一生隠れて暮らすことになる。俺はミリネがこれ以上怯えながら生きていくことは望まない」


 ナルヤの国王は民衆の感情を操作して互いに疑い合うように仕向けた。自分の政策に背く行動が起きた場合、それを告発すれば金銀財宝で保障する政策。

 つまり、互いに監視させて互いに告発させる政策だ。

 ナルヤ王国軍からの正式な帰隊でなければ、ふたりはまた追われる身となるだろう。

 絶対に誰かしら告発をする。

 平和はない。

 ジントは自分の女がまた追われる身となることを極端に嫌がっているようだった。

 たとえ自分が死んだとしても。

 ミリネという女がその町に定住して平穏に暮らすことを強く望んでいるというのか。


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