第19話
*
リノン城の後方に位置する補給基地内の補給部隊。
百人隊長のユセンはここ数日ろくに眠れずにいた。理由は一つ。父に先立たれた母を思う気持ちからだった。病気になってしまい死の淵に立っている母。いっそ最期を看取ってから戦争が起こったなら気が楽だったのに。
最前線ならすべてを忘れて国を守るが、後方に来てむしろ母親への思いはいっそう切実になっていった。
女手一つで育ててくれた母親はユセンのすべてともいえるから。
「隊長、大丈夫ですか? このところ顔色がよくありませんが……」
「大丈夫だ。心配ない」
温厚な性格でいつも部下たちの面倒見がよかったユセンだ。そんな彼がリノン城の外に駐屯している間ずっと表情が暗いせいで部下たちも心配をしていた。そのやり取りを見守っていた他の兵士が質問をした兵士の脇腹をつついて首を横に振った。その話は切り出すなという合図。
物資の整理を終えて休憩時間になるなり、彼は質問をした兵士を連れ出した。
「何だよ」
「ギブン、隊長にあんなことを聞くのはよせ」
「いや、俺は心配して」
「おまえ……。母親がもう長くない体ってことくらいわかるだろ」
その言葉に目を丸くしたギブンと呼ばれる兵士。まったく知らなかった様子だ。
「そうだ、確か他の場所に派遣されてたんだったな」
「ああ。それより、それ本当なのか?」
「ただでさえ孝心深い方なのに気の毒なことになったもんだよ」
ドネの言葉にギブンは苦渋の表情を浮かべた。派遣に行く前お金に困っていたのを助けてくれたのはユセンだけだった。それも3か月分の給料を何も言わずに快く貸してくれたのだ。
「何か方法はないのか? 休暇だとか……」
「戦時中だぞ」
首を横に振るドネ。
それにため息をつくギブン。彼としては何とか助けたかったが方法はなかった。
ユセンも方法を探していなかったわけではない。
覚悟を決めて現在の補給部隊を指揮する副指揮官ハダンのもとを訪れた。当然、幕舎の前では彼の部下たちが行く手を遮る。この日、副指揮官のバダンは相当機嫌が悪かった。指揮官が最前線に移動となってから、その後任は当然自分だと思っていたのだ。
ところが、どこか田舎のぼんくら領主が指揮官の座に就くだなんて。ハダンは外が騒がしいことでなおさら苛立ってきた。
「何事だ」
「副指揮官に会わせろとしつこいもので……」
「中に通せ」
ハダンは腹いせでもするつもりで、騒ぎ立てるユセンを自分の幕舎に通した。
「どうした」
ハダンと顔を合わせたユセンは突然跪いた。そして、床に頭を打ちつけると事情を話し始める。
「一日だけ……。一日だけ休暇をください。あとは命を捨てて戦います!」
自分の本分を忘れるなんてことは微塵もない。ただ、最後に見たいだけだった。生前最後の母親の姿を。
「ハッハッハ」
話を聞くと大きく笑うハダン。その反応に戸惑ったユセンは首を傾げた。
「そんな事情を抱えた兵士はお前だけじゃないんだ。一介の兵士でもなく百人隊長ともなるやつが情けない! おい! こいつを連れ出して鞭で打ちまくれ!」
ハダンがストレスを発散するかのように豪快に叫ぶとユセンの顔はすっかり歪む。もちろん、それは鞭で打たれるということよりも、完全に希望が絶たれたという絶望感に襲われたからだった。
鞭打ちを受けた姿で幕舎に復帰したユセンを見て、部下たちは戸惑った表情を見せながら次々に不満を吐き出した。
「こんなの酷いですよ」
「シッ! 聞こえるだろ」
そんな中、ユセンは兵士たちに静かにしろと人差し指を口の前に立てた。
ユセンの百人隊の中で彼に恩のある兵士は数えきれないほどいる。それ以外にも彼の人間味を尊敬している兵士が大勢いた。そこで、鞭打ちの痛みに苦しむユセンを差し置き、ギブンは兵士を集めて会議を開いた。
「俺はまだ隊長に金も返せてない」
一人の兵士が言った。
「俺もだ。それでも隊長はゆっくり返せばいいと言ってくださった。自分も余裕がないはずなのに」
他の兵士もそう言いながらうなずく。
「金ばかりが恩じゃないだろ。隊長は普段から俺たちを一番気遣ってくれたじゃないか」
あちこちからそんな話が出ると、
「……」
集まった兵士たちの間には沈黙が流れた。
そんな中、ギブンが率先して口を開いた。
「とにかく……。実質的な方法を考えないと。実質的に隊長の力になれる方法……」
「何か案はあるのか?」
ギブンの友人である十人隊長のドネが聞き返すと、ギブンにみんなの耳目が集まった。ギブンはしばらく黙り込むと頭を掻きながら話し始めた。
「補給に出る時は複数の百人隊と合同で動くから他の百人隊長ともずっと一緒に行動することになる。だから、そこでは人目をごまかせない。チャンスは補給から帰ってきて待機状態にある今だ。待機状態では警戒任務の部隊が編成されるだろ?」
ギブンの言葉にドネがうなずきながら言った。
「そうだな。俺たちは行ってきたばかりだし、今朝また十個の百人隊が補給に出たから、その部隊の持ち場で警戒任務をする番だ。確かに。そうなるとチャンスは今しかないな」
「確かに!」
「そうだな!」
それに他の兵士たちも相づちを打つ。
すると、ギブンは続けて計画の説明を始めた。
「間もなく12区域を俺たちが任される。警戒任務もすべて俺たちの百人隊。だから、その時がチャンスだ。こっそり抜け出せるようにする。それに……。これは朗報だが」
ギブンが少しもったいぶると、全員がもどかしそうな表情を見せる。
「まだ何かあるのか? 何だよ? 早く言ってくれ!」
急かされたギブンはすぐに話を続けた。
「ハダンの幕舎の方で勤務する友人に聞いた話だが。ハダンが参謀に呼ばれて明日会うことになっているようだ。本人は何か任務を任されるのだろうと喜んでいたらしいが。まあ、ハダンは参謀側の人間だし、何か大きなことがしたくてあれだけ司令部に入り浸っていたのは事実だからな。とにかく、ハダンが部隊にいなければ、なおさら絶好のチャンスだ。指揮官もいない刹那にこっそり抜け出せるチャンスはもうないだろう」
ギブンの言葉に兵士たちが突然立ち上がった。全員がその方法、そしてこの機会しかないということに共感したからだった。
もちろん、ハダンが呼ばれたのは指揮官に赴任したエルヒンを罠に嵌めるための陰謀のためで、新しい指揮官がここ補給部隊にやってくるということを知らずにいることに彼らの敗着があったのだが。
*
補給基地はリノン城の後方に位置し首都への要路にあった。首都と各領地からの補給物資が届いたら一時的にこの補給基地で保管しておき各戦場に物資を分配する。
臨時司令部のあるリノン城に補給基地を置くと?
リノン城が陥落したら一時的に兵糧と補給路をすべて失う。
補給基地が他の場所にあるのは当然のこと。
[ルナン王国軍補給部隊]
[兵力:10000人]
[訓練度:40]
補給基地の兵力は1万人。
多くはない。
5000人は補給基地を守る兵力。あとの5000人は補給物資を各戦線に運ぶ人員だった。
だから、戦闘兵力は約5000人ほどがすべて。
訓練度は悲惨だった。訓練度の低さは事実上ルナン王国軍全体の問題だ。まともに訓練された部隊など無いに等しい。だから、戦えもせずに国を奪われてしまったのだろう。
訓練度が50を超えないお粗末な補給部隊。最悪なのは訓練状態だけではなかった。俺は赴任するなり指揮官用の幕舎の案内を受けた。そこまではいいのだが。その幕舎に突然入ってきた副指揮官のことがまったく気に入らなかった。
[ハダン・ゲルディック]
[年齢:40]
[武力:50]
[知力:25]
[指揮:35]
ひどい能力値だ。男爵という爵位ゆえに副指揮官という肩書きがついているだけ。
もちろん、気に入らないのは能力ではなくその態度だ。
「赴任おめでとうございます。副指揮官のハダンです」
「エルヒンだ。よろしくな」
「それはそうと。この補給部隊のことは私が一番よく知っています。だから、ここへは休みにきたと思っていただければよいかと。まあ、何もしないでくださいってことです」
突然そんなことを言われたのに腹が立たないわけがない。
「何だと?」
そんな気持ちで反問すると、むしろハダンは戯言をぬかし始めた。
「参謀がすべて私に任せるとのことですので」
横柄な口を聞きながら参謀の話を持ち出すざまが癪に障る。
どうやら俺を監視するために参謀が手を回したのだろう。この男、参謀のことを余程信用しているようだが。
「参謀がお呼びなのでリノン城に行ってきますが、その間は何もせずにゆっくりしていてください。いいですね?」
生意気な警告をすると俺の返事は聞きもせずに出て行ってしまった。
呆れて失笑が漏れた。
何なんだあいつは。
無視しよう。
参謀の命令だろうがもちろん無視。
ゲームの歴史によれば間もなくリノン領地が戦場となる。
参謀が俺にかまっていられるのもあとわずかだ。
滅亡の主犯である参謀の言いなりになれば共に滅亡することになる。
だから無視してもいい。むしろ、その時までに補給部隊を掌握しておけば、俺もその戦場に参戦できるはず。
だから、何もするなという警告は完全に無視してすぐに百人隊長を招集した。
ひとまず人材から調べてみるつもりだ。
「俺が今日から君たちの指揮官を務めることになった。指揮官が変わっただけで他に変更点はないから、補給計画に狂いが生じないよう忠実に任務を遂行するように!」
そう言った俺をあからさまに嘲笑するやつがふたり。おそらくハダンの直属部下だ。
残りは強ばった表情を浮かべた。ハダン側の人間はあまりいなそうだ。特に人望はない模様。
それは俺にとって好材料だった。
見渡すところ百人隊長の中に優れた能力値を持つ人材は一人だけ。
[ユセン]
[年齢:39歳]
[武力:82]
[知力:60]
[指揮:90]
百人隊長は平民が就くことのできる最高位の地位。つまり、彼はもう長いこと軍にいるということ。そこに能力値までよければ欲が出て当然。
指揮能力が高いほど兵士の訓練度を迅速かつ効率的に高められる。
その指揮がなんと90だった。
土の中の真珠を発見した気分だ。
やはり戦場には優れた人材がいる! それを再確認した瞬間だった。
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