15曲目 あなたに③
★
俺が初めて伊吹と言葉を交わしたあの時も、伊吹は高橋達と一緒に居た。
話を聞くと、伊吹と高橋は元々同じバレーボール部だったらしい。当時二人はそこそこ仲が良かった、とバレー部のとある他のメンバーは言っていた。
つまりは部活仲間、チームメイトだ。
今で言う俺と小川と伊吹みたいな関係だったってことだ。
じゃあ、なんで今、高橋は伊吹をいじめるんだろう?
今の二人の様子を見ると、昔仲良しだったようにはとてもじゃないけど見えない。
高橋は息吹を虐め、伊吹は高橋から逃げる。
元、チームメイト。元がついても、仲間だった人をそんな簡単に殴れるだろうか。蹴れるだろうか。罵ることができるだろうか?
仲が良かったなら、なおさら。
一体何が、あの二人の関係性をぐるりと百八十度も変えてしまったのか。
★
俺………栗原明石はただいま白仙学園内を爆走中でございます。
「ちょちょ、栗原くん早すぎっ!!」
後ろから聞こえるのは同じクラスで同じく学級委員の八頭の声。
「八頭と石川さん、はやくはやく!!次どこ曲がるの?こっち!?」
「ちがう!そっち中等部の方!高等部は東!」
「東ってどっち?!左右で言って!」
「左右!?じゃあ進行方向から見て左ー!!」
白仙学園は広い。迷路みたいだ。
二年前に転校してきた俺は、未だに初等部の構造さえよくわかっていない。さっき偶然出会った八頭と石川さんに道案内を頼んだものの、それでも分からない。
もう、道に迷ってる暇なんかないのに!
早く息吹を見つけないと。
高橋たちの手から、解放しないと。
そして、早く小川の元へかえらないと!!
気持ちばかりが急いで、なかなか高等部の方にたどり着かない。
「やがしらーっ!次の角どっちー!?!?」
もう一度俺がそう叫んだ、その時だった。
「………ったく、ギャーギャーギャーギャーうるせぇな」
高等部の敷地へとつながるフェンスの前に、見覚えのある後ろ姿が見えた。
あ、あれは………
「佐々木?」
彼はゆっくりと振り返った。
あ、やっぱそうだ。
高身長だが威圧感を感じさせない、細身の身体。短髪の隙間から覗く、存在感のある額の切り傷の痕。
同じクラスの
「あ、佐々木くんだ」
俺にようやく追いついた八頭と石川さんも、彼の姿を見て足を止める。
「………なんだ、栗原じゃん」
佐々木はぶっきらぼうにそう言うと、再びフェンスに向き直った。
俺はごくりと唾を飲む。
佐々木翔太。
この学園で、彼を知らない人は多分居ない。
白仙学園初等部のバレーボール部のエース。
その小学生離れした図体と、圧倒的なパワーは相手だけではなく味方さえも恐怖に陥れるほど。
小学生ながら中学生や高校生と同等に張り合える技術とパワーの持ち主で、その唯一無二の才能から、数々の強豪私立中学や有名バレーチームからのスカウトが絶えないらしい。
どおりで………
近くで見るとオーラからもう違う。
強者の風格。
他を寄せ付けない、圧倒的な強さを持った“怪物“。
びゅう、と強い風が吹く。
彼は普段、あまり人と話さない。というか、学校に来ない日も多い。
クラブチームの練習や大会で、欠席せざるおえない日も多いかららしい。
そんなthe・孤高の天才みたいな彼がなぜここに。
「佐々木くん、フェンスなんか覗いちゃって何してるの?」
八頭が佐々木に訪ねる。
おお、よく普通に話しかけられるな………
例え相手が猿だろうと怪物だろうとこういう風に誰にでも平等に接することができるのは、八頭の長所の一つだ。
「高みの見物」
なんか強そうなコトバ出ちゃったよ。
「
「いや、そういう言葉があるんだよ楓ちゃん」
八頭のボケに石川さんが丁寧に対応する。
「た、高みの見物 って何の?」
俺の問いに対し、佐々木は一瞬口を紡いだのち、こう言った。
「………高橋たちの、アソビ」
ん、高橋?まさか………
恐る恐る佐々木の視線の先をたどる。
そこには、六、七人で群がる高橋達と、
地面に転がる、伊吹の姿があった。
最悪の未来が、俺の瞳に突き刺さる。
「伊吹!!!」
ああ、やっぱり高橋達に手ぇ出されてたのか!
いや、ショック受けてる暇はない。
俺は小川と約束したんだ。
「何があろうと必ず伊吹を連れ戻す」って。
今、俺たちと伊吹達の間には、高等部と初等部の敷地を分ける高いフェンスが立ち塞がっている。高さは見た目三メートルくらいか。これを超えるか、もしくはぐるっとまわって高等部の正門から入り直すかしか、今俺が伊吹のところへ行く方法はない。
今から正門に行く時間なんてない。
俺は迷わずフェンスに手をかけた。
乱暴な方法だってのはわかってる。でも今手段を選んでる暇はないんだ。
このフェンスを越えて、伊吹を助ける!
そんな俺の様子をみた佐々木が俺の制服の裾を掴んだ。
「待て栗原。さすがにその高さは危ねぇ。落ちるぞ」
「わり、俺今そういうん気にしてる暇ねんだわ」
構わず俺はフェンスをよじ登る。
ゔ、登ってみると意外と高い。怖い。足が震える。
でも、
「伊吹!」
助けなきゃ。
連れ戻さなきゃ。
「伊吹!!」
もう一度叫ぶと、伊吹はようやくこっちを見た。
弾かれた様に地面から起き上がる。
「明石!?」
「伊吹、帰るぞ!小川が待ってる!!」
その時、俺は伊吹の痛々しいほど腫れた顔が微かに歪むのを見た。
あれ、もしかして伊吹、泣いてる?
伊吹は驚くべき運動神経でフェンスを駆け上がってきた。
「明石!手、貸して!!そっちに行く!」
伊吹が手を伸ばす。
「おうよっ!」
俺はその傷だらけの手を、しっかりと握った。
もう二度と離れぬよう。
もう二度と、離さぬよう。
彼の体を力づくで引っ張り上げる。
さあ、彼の体がフェンスを越えれば………
だけど、
「うおっ!?」
足元でガリ、という嫌な音がして景色が反転する。
足場を失った足が宙を泳ぐ。
あ、落ちた。
そう思った時には、さっき真下にあったはずの伊吹の顔が真上にあった。
世界がスローモーションで周りだす。
空、フェンス、コンクリート、ぐるりと世界ごと回転する。
し、死ぬ!!
その時、俺は伊吹の口が微かに動いているのに気がついた。え、なんか言ってる?
なになに、
お お は ら せ ん せ い ?
「………ったく、白仙生ならもっと頭使いなさいよ。先生の仕事増やすなっての」
これからくるであろう衝撃と激痛に怯えていた俺は、ぼすっという何かに受け止められたような感覚に驚いた。
「ぐへっ」
続いて伊吹が俺の上に覆いかぶさる様にして落ちる。
あれ、確かに落ちたよな、俺?でも、痛くない………?
恐る恐る、目を開ける。
そこには、ミルクティー色の頭をした、変質者もどきの軽音楽部顧問の顔があった。
にやぁ、とその顔にいつもの笑みがひろがる。
「ほーんとヒヤヒヤするわーもう。小学生男子ってのはなんでこうも無茶するのかねぇ」
「………!!大原先生!」
突然どこからから現れた大原先生は、その驚異的な腕力と瞬発力で落下する俺ら2人を受け止めたのだった。
た、助かった………
あちー、と言いながら長髪を搔き上げる大原先生は、俺と同じく伊吹を探して学園内を駆け回っていたのだろう。首筋がうっすら汗ばんでいる。
「お前さんたち女の子一人ステージに置き去りにして何チャンバラごっこしてんのよ」
大原先生が伊吹の頭にデコピンをぶつける。
「心配かけんな」
「いでっ」
「そんで明石、おめーも」
「いでっ!なんで俺も!?」
「さ、お前らはさっさとステージ戻れ。早く戻んねぇとせっかくの記念館ホールライヴが光の弾き語りショーで終わっちまうぞ」
大原先生はしっしっと手で俺らを追い払った。
「伊吹、蒼井先生に予備の制服貰ってその泥だらけの服を着替えろ。あと一応顔も洗っとけ。それと」
「そ、それと?」
大原先生はいつになく真剣な顔をしていた。
いや、真剣というよりは………少し傷ついたような、悲しそうな顔。
「………ライヴ終わったら、お説教な」
★
「よかった伊吹が無事で!いや、無事じゃなかったけど!」
高等部の中を通り、記念館ホールへ急ぐ。
伊吹は口の中を切ったのか、少しくぐもった声をしていた。
「………俺が居なくても、ライヴ始めたんじゃなかったんだ」
「?そんなことするわけないじゃん。つか、ヴォーカル無しでライヴとか有り得ないから!」
「………いや、歌なら小川も歌えるじゃん………ヴォーカルなんだからさ………別に歌える奴なら俺以外でもいいじゃん………」
もう、伊吹はなにごにょごにょ言ってるんだ?らしくないなぁ。
「伊吹がなに考えてるのかわからないけどさ、ヴォーカリストって“歌を歌う役割の人”って意味じゃないよ。”その音楽を一番魅せることができる人”だって、大原先生言ってたじゃん」
記念館ホールのステージ裏へ続く通路を二人して駆けていく。
「俺ら三人の音楽を魅せられるのは、伊吹だけだ」
機械室から蒼井先生が顔を出し、「あ、近藤くん。やっと来た」と驚いたように瞳を大きくした。
「よかった、無事………じゃあ、なさそうだ」
蒼井先生は伊吹の腫れた頬を見てしばし黙り込んだ。
「………お、遅れてすみませんでした!あの、俺をステージに上げさせてください!!」
一瞬気まずくなった雰囲気を、伊吹が全力の謝罪で一掃する。
そのあまりの馬鹿でか声に蒼井先生は「言われなくとも」と笑った。
「じゃあ一旦幕下ろそうか」
ちょうど小川の曲が終わった。
突然降り始めた幕に観客席がざわつく。
なにかを察した小川がステージ袖を振り向く。
三人の視線が、今日初めて交差した。
伊吹の顔を見た小川はぶっきらぼうに言う。
「遅い。大遅刻」
「ごめん………」
「小川!ちゃんと俺、約束守ったぞ!」
「栗原は黙って」
小川が自身の首からギターを外す。
「はい。あんたのギター、勝手に借りた。結構良い音するね」
「………ごめん。あの、俺、」
「言い訳なら全部後で聞く」
伊吹は俯いていた。
俺はそんな小さな背中を力一杯叩く。
「うおっ、ってえ!!!!おい明石!?暴力!?!?」
「今からライヴなのになーんでそんな暗い顔してんの!!前向け!前!」
「おまっ、背中叩く必要ねぇだろ!?本格的な脳筋か!」
よかった、戻った。いつもの伊吹だ。
俺は笑いながら、「その調子!」と親指を立てる。
三人、いつもの定位置に着く。
「準備オッケー?」
蒼井先生の呼びかけに3人とも拳を振り上げて答える。
「………小川、明石。俺を待っててくれて、ありがとう」
幕が上がる直前、伊吹がこう呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
多分、小川も。
再び幕が上がった。
ざわついていた観客席が一気に静まり返り、
そして
突然のヴォーカルandドラムの登場に過去最高の歓声が応えた。
俺は一生忘れない。
ドラムセット越しに見た、あの景色。
狭くて広い、記念館ホール。
天井からカッと照らす照明。熱気。
この、興奮。
そしてステージのど真ん中に堂々と立つ、小さなヴォーカリストの後ろ姿を。
伊吹が言う。
『えー………諸事情によりお待たせしてしまって?大変申し訳ございませんでした!それじゃ、こっからが本番です!一緒に盛り上がっていきましょー!MONGOL800で、』
「「「【小さな恋のうた】!!」」」
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