タルト・ネオーズ その4

 キッチンに戻ったわたしは、事態が上手く飲み込めなかった。


 どうして怒られたの? どうして嫌われなくちゃいけないんだろう……、

 わたし、一体なにをしちゃったんだろう!?


「今の二人になにを聞いても、答えてくれなさそうだけど――」


 でも、ここでもたもたしているよりは、心が楽だった。

 だからわたしはキッチンから部屋に戻ろうとして、


「あれ?」

 気づく。

「キッチンの扉、しまってたっけ?」


 しまっていたなら開ければいい。

 簡単なこと。でも、嫌な予感がした。

 躊躇っている間に、別の異変にも気づく。

 一瞬、眩暈がした。くらっと、足が体を支えられなくなったような――。


「あ、れ……、なに、これ」


 膝から崩れ落ちる。

 体に力が入らず、扉を背に座り込んでしまった。

 ……立てない、力が入らない。

 今のわたしの顔はたぶん、青くなっている。

 目元が、黒く不健康に見えるだろう……。


 助けを求めようにも、ベリーとショコナは扉の先だ。

 声が、出ない。助けを呼ぶこともままならなかった。


「あ……」


 ぷつん、と、なにかが切れた感覚が、胸の奥でした。




「――はっ!?」と、わたしは目を覚ました。


 汗で服がびしょびしょに濡れていた。肌に張り付き、不快だった。


 上半身を起こす。すると、くらっと、眩暈がした。

 ぐわん、と視界がぶれて、揺れる。

 上半身を起こし続けることができずに背中から倒れた。

 ふかふかのベッド。わたしのベッドだ。ここで、眠っていた……。


「嫌な夢、見ちゃったなあ――」


 ベリーとショコナが家にいて、サンドイッチを作ってあげた……、それが夢だったと言っているんじゃなくて。わたしの全身を砕いた、あの骸骨の手の平。

 砕かれた感触。全てが一度、終わってしまった感覚——。


 夢だと、言い切りたい。

 だけど、どうしても――、


「夢じゃない、よね……」


 わたしは死んだ。

 一度、徹底的に、跡形もなく砕かれて、終わったはず。


 原因は意識の混濁だろう。

 いざ死ぬとなったら、魂を持っていく手が現れた。


 わたしはそれを、夢として見たのだろう。


 死んだのは事実だけど、わたしはこうして生きている。蘇生したわけではない。たとえ大量の魔力エーテルを持って、質の良い魔力エーテルを持っていたとしても、死んだ人間を生き返らせることはできない。

 それは、絶対にが許さないからだ。


 じゃあ、なぜ、わたしはこうして生きているのだろう……。


 答えは簡単だった。


 死んだことを体験したのに生きているのは、

 結果が現実に反映されていない、ってことだと思う。


 考えられるのは、一つしかない。


「『条件下空間エゴイスタ』……」


 ―― ――


 森林街が広がる巨木・シャンドラの根元。そこには亜人と人間が住んでいる。

 そして巨木の上に広がるのが、貴族街――【ゴールド・ラッシュ】だ。


 そこには亜人の中でも名高い精霊が集まって住んでいる。そして精霊の中でも、地位の高い名を持つ者でなければ家を持てないという、厳しめの審査があるのだ。


 シャーリック、ナスレード、デスティーノ。

 この三大名家が、今のシャンドラの貴族街を仕切っていると言ってもいい。

 三つとも、ドラゴンドーターだ。


 世界の神として崇められている『竜』の『精霊』というのは、


 ――神の子、という認識をされている。


 自覚しているからこそ、だから偉そうで、竜の精霊以外を下に見て。

 わたしはそれが嫌だった。

 そんなわたしも竜の精であり、名家・シャーリックなのだけど。


 貴族街に住む貴族カルディアは、下界民ニースを見下しているのは、言わずもがなって感じ。中でも亜人は、そうでもないんだけど、人間への当たりがなぜか強かった。


 すぐに武器を取り、暴力を振るってくる人間を野蛮人シミアと言い、近づくことさえもしない。まるで汚物のような扱い方だった。


 何十年も前から、変わっていない。

 実際に会えば、良い人ばかりで、毎日毎日必死に働き、一生懸命に生きているのに。


 武器を取って、暴力で解決しようとするのも、わたしたちみたいに魔力がないから仕方のないことだ。だけどわたしがそれを言っても、誰も耳を傾けない。すー、と抜けていく。


 お母さんもお姉ちゃんも、お隣さんの生意気な同級生も、わたしの話なんて聞いてくれない。


 あそこにいたら腐ってしまいそうだったから、わたしは家を出た。

 理由はそれだけ。

 たったそれだけで裕福な地位を捨てたと知ったら、みんなは笑うのかな?


 お金のために人を見下すことに堪えられなかっただけ。

 わたしは、後悔していない。



 貴族で、しかも【竜の精】というプライドだけは強く持っている。


 野蛮人と同じような、暴力で解決させるという考えを、貴族は嫌っていた。

 だから生まれたのが、『条件下空間エゴイスタ』だ。


 条件を設定した空間に、自分と相手を入れ、平等になった条件下で勝者と敗者を決める戦い。

 中で起こった怪我は、現実世界に持ち帰らない。

 全ては【エゴイスタ】の中で起こったこと。そこだけで完結する、便利な空間——。


 傷痕は残らず、だけど苦痛だけは残るため、拷問部屋にはもってこいではあるんだけど……、

 だからある意味、暴力よりもタチが悪いとも言える。


 そして引き継がない怪我は、死亡さえも当てはまる。

 エゴイスタの中でたとえ死んでも、現実世界で死ぬことはない。

 死ぬ時の苦痛を感じても、死んだことにはならない……。


 まさに、さっきのわたしだった。



「エゴイスタが展開されているってことは……やっぱり――」


 ベッドの上、わたしの足下。

 二人の妹が横向きで、向かい合うように眠っていた。


 胎児のような体勢で、二人、手足を絡ませている。


 さっきは気づかなかったけど、枕の横には乾いたタオル。ベッドの近くにはバケツに、水が半分ほど。二人が看病してくれていたらしい。風邪じゃなくて、死んでいたんだけど、と指摘するのは野暮なので、言わない。ありがとう、と二人の髪を撫でる。


 さて、とわたしは二人を起こさないように足を抜く。ベッドから下ろして、立ち上がった。

 ちょっとくらっとするけど、大丈夫。歩けないわけじゃなかった。


「ベリーとショコナ、二人が、たぶん無意識に展開させたエゴイスタなんだろうなあ――」


 無意識。貴族で竜の精とは言っても、二人はまだ十一歳。

 魔力があってもそれを上手く扱えるとは限らない。

 わたしでさえ、エゴイスタを作るのは難しいんだから。


 たとえるなら、複雑なミニゲームを作るような感じ、なのかな。

 感覚だけで作れるわけじゃない。

 やっぱり、勉強もしなくちゃいけない。サボってばかりのわたしが作れるわけがなかった。


 それを無意識で作れてしまうのは、実は凄い。

 暴走、でなければいいんだけど……。


 暴走、というか、不具合、みたいな。設定した条件が変だったりすると、空間は壊れるはず。

 それがないということは、最低限の設定はできてるってことだから……、バグはないはず、だと、思う……。うーん、これは専門外なので、わたしじゃ手に負えないなあ……。


 こういうのは、白衣を着てそれっぽく見えるフルッフお姉ちゃんじゃないと。


 ――とにかく! 


 ベリーとショコナ。もしくはどちらか一人が無意識に作った、このエゴイスタから抜け出さなくちゃいけない。


 思えば最初から、エゴイスタは発動していた。開かない扉と窓。途中の小さな多数の事故は、偶然で片づけられる、けど……最初のあれだけは、偶然とは言えない。

 外に出られないって、偶然以前の問題で、どゆこと!? って感じだし。


「よし! 名探偵・タルトの出番だよ!」


 名探偵じゃなくて、迷探偵な、というお姉ちゃんたちの声が聞こえた気がした。



 条件というのは、仕掛ける側、巻き込まれた側……、どちらも平等でなければならない。

 でないと仕掛ける側が圧倒的に有利になってしまう。

 それじゃあ一方的ないじめだ。暴力に訴える野蛮人と大差ない。


 ちょっとだけ仕掛ける側が不利になる、というバランスが一番良い。

 その方が、空間は壊れにくい。壊れにくいということは、不具合が少ないってことになる。

 無差別に喰らってしまう暴走も起こらないってわけだから。


 で、それがエゴイスタの基本的な前提なんだけど、無意識に展開してしまったベリーとショコナのエゴイスタに、それが備わっているとは思えない。

 今もまだ展開中なのが、その前提をクリアしているという証拠にはなるんだけど……。


「家の中に閉じ込めているのは、条件に関係するのかな……?」


 部屋の中をうろうろしながら考える。

 ……ふと、目に止まる。


 キッチンへは、いきたくなかったけど、起きてからまだいっていないので、一度、顔を出すことにした。わたしがなんで死んだのか、その謎も謎のままだったし。


「うっ」

 キッチンに入ってわたしは鼻をつまむ。

「焦げくさい……」


 火はもう消えていて、あるのはだから、匂いだけだ。木造だから、火にめっぽう弱い。

 しかも周りは森だし、近くには巨木・シャンドラがある。

 もしも火事にでもなって、被害が巨木にまで届いてしまえば、神様からの罰が落ちそうだ。


 び、びびってるわけじゃないけど。やっぱり、ほら、神様は大事にしないといけないからね! 

 ……本当に神様に気を遣っているなら、しきたりとか、守るべきなんだろうけど。

 それを投げ出してここにいる以上、わたしは神様を裏切っている。


 いつ罰が落ちたっておかしくない。うん、だから今更な心配をしていた。なにをしたところで失うものがないわたしには、自由しかない。気にせず前に進むことにした。


「火なんて、使ってないけど……」

 わたしは。使っていない。


 かと言って、あの二人が使うとも限らないけど。火を使うのは厳禁だったはず。

 十一歳は、そういうルールだった記憶があるけど、しかし昔のことなので曖昧だった。

 二人には使う理由もないし、やっぱり火の原因は不明……。


 原因がないのが、理由なのかも。

 あ、ちょっと分かりやすく言えば、エゴイスタの力なんだと思う。

 わたしを襲った小さな事故の数々。一つ一つを見れば大したことがないけど、積み重なれば大きな傷となる無慈悲なコンボだ。

 実際、わたしはあれで心が折れかけた。


 それと一緒で、火が勝手に点いたのも、エゴイスタによって――だと思う。


 じゃあ、なにが理由で? テキトーな時間に、突発的に点いた、ってわけじゃなさそうだ。わたしが条件を満たした、あるいは満たさなかった、ルール違反を起こした……、そのせいで発火した、そう考えるのが、エゴイスタらしい。


 火が勝手に点き、わたしはそれに気づかず、キッチンはいつの間にか密閉されていた……。


 単純な話で、えーと、一酸化炭素、中毒、だったかな……?


 火事になった家に救助隊が入る時、マスクをして酸素ボンベで呼吸をするのは、新鮮な空気でないといけない理由があるからだ。

 わたしは酸素ボンベがない状態で火事の家に飛び込んだようなものだった。


 そりゃあ死ぬわけだ。あちゃー、で済まないけど、エゴイスタのせいでどこか楽観的。

 エゴイスタに頼り切りっていうのも、危機感がなくなりそうだった。


 死んでも大丈夫。だけど死ぬほどの苦痛は体験するわけで、あれを繰り返すのは普通に嫌だ。

 そういう感覚がある内は、まだ大丈夫らしいんだけどね。


 中にはエゴイスタの中でわざと死ぬ、死亡快楽者と呼ばれる特殊な性癖を持つ人がいるらしいけど、一生かかっても気持ちは分かりそうになかった。


 分かりたくもないし。

 ともかく、これまでの小さな事故の数々が、どうして起こったのかを考えてみる。

 そこが、このエゴイスタを解く、カギになりそうだった。

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