海浜の国のニャオ その3
机の目の前の窓を全開にしようとしたら、びくともしなかった。
押しても引いても動かない。
横ってことはないだろうけど……やってみたけど当然、動かなかった。
ちゃんと見たら扉と一緒で、窓も鎖によって固められていた。わたしの力じゃ絶対に開けられない強度だ。
……外側で抑えつけられているなら押し窓で、引いても意味ないじゃん。
気づいたところでなにも変わらない。
あー、暇になっちゃったなー。と椅子にもたれかかって足を上げる。
机の上に乗せて、パパだったら間違いなく、「だらしないッ」と怒ってくる体勢だ。
けど部屋は静かで、虚しい。
太陽が見えるのに部屋の中にいるって、なんだか勿体ない感じ。
空に手を伸ばす。
視界には日に焼けた褐色の両手足が映って、服をめくってみると、はっきりとした境目が見える真っ白な肌——。
服の形にくっきりと。本当ならここも同じように焼きたいけど、さすがに裸で歩くのはなあ。
人がいない時間に浜辺で裸で寝転ぶのも勇気がいる。
姫様だけど、プライベートビーチとか、持ってないんだよ。
「やることないなあ」
じゃあ勉強しろよ、と言われるかもしれないけど、というか絶対に言われるけど、そうじゃないんだよ。理由はないけど、なんというか、勉強って全然、やる気が起きないんだよね。
で、やる気がない時に勉強をしても、身に付くわけないし、つまり時間の無駄になっちゃう。
それはいかん。無駄はなくすべき。
そんなわけで勉強は一旦中止して、やるべきことをしよう。
「……脱獄だ」
部屋を探索してみた。
ガラクタばかり。自分のことだけど、ここって本当に女の子の部屋なのかな……?
昔から女の子っぽくはないと言われていたけど。自分でもそう思っていたけど、ここまでらしくないとは。
姿見すらない。
服装もいっつも統一してるし。それに、海浜の国は年中真夏。服装も大体、決まってる。
日に焼けたくない人は長袖。しんどそうに町を歩く。男の子はノースリーブ、短パン。女の子でもスカートやショートパンツの子がいる。
で、この町の特徴として、その服は全て、水着として使えるのだ。
簡単に言うと、私服が水着だから、すぐに海に潜れる。上がって町を歩き、買い物ができる。
こんな生活風習があるのは、ここだけなのだ。
暑い気候で海があるのはここだけなので、当たり前だけども。
わたしは裸ノースリーブ!(裸エプロンみたいに言っても、単純にノースリーブの服を着ているだけだ、エッチな勘違いはしないように!)
そして超短いショートパンツ。——以上! 身に纏うものはそれだけだった。
裸足がデフォルト、これはわたしに限らず。だから足の裏は意外と強い。
自然の子は、自然と強かになっていくのだ。
「ふむ。そろそろ邪魔になってきたから切るかなー」
と、これは髪の毛の話。服を切ってもいいけどね、暑いから。
おへそを出すと、これはこれで、ふぁっしょんとしてありかも?
脱線したけども、髪の毛の話だ。
わたしのは、肩をくすぐる長さ。
伸ばす気とかなかったんだけど、放っておいたらこうなった。
お店の子に綺麗な黒髪だから切らない方がいいよー、とにへら顔で言われた(いま考えたらそのにへら顔は、実は褒めていないのかもしれない)ので、踏ん切りがつかずに放置していたんだけど、さすがに泳ぐにも、崖を登るにも、いちいち目の前を横切るので鬱陶しい。
じゃあ切っちゃうかな、と思ってハサミを探し、そこで気づく。ハサミを使えば鎖を切れるかも!? 期待をしてハサミを探すも、そりゃそうでしょう、と見つからなかった。
ウスタが部屋に置いておくはずがない。
そもそもわたしの部屋にハサミってあるの……?
自分の部屋なのに、ぜんぜん分かんない。ガラクタと拾い物ばかりで。まったく。――ちょっとずつ整理しないから、こういうことになるのになあ。
昔のわたしめ。
と、ちょっと未来のわたしもそう思っているんだろうなあ、と考えて、ごろんと寝転ぶ。
完全に勉強する気がないな……まあ、ずっと部屋にいるならそれならそれでも――。
いや、ダメだ。ダメダメダメ! 袋を使った簡易的なトイレだけはしちゃいけない気がする!
さすがに女の子として描写しちゃまずいよ!
描写しなきゃいいわけで、解決しちゃった。でも恥ずかしかった……というか、ストックが三つくらいしかないんだけど……これは一種の時間制限なのかな?
これがなくなる前に、勉強を終わらせろ、みたいな。
……ちょっとやる気が出たというか、強制的にというか。
これもう脅しだよ。
用意された質素な夕食を食べ、監禁されてから一夜明けて、翌日。
森でも寝れちゃうわたしにとっては、布団でなくとも寝心地は良かった。
いつの間にか、椅子の上で丸まって眠っていた。
目覚めは最高。気持ちの良い朝だねー、風がないのが勿体ない。そんなわけで扉を開ける。ふぉん! と音がして、ほぼ一日ぶりに風を浴びる。
……ん、あれ? 扉、開くの?
ぎちぎちに固められていた鎖が、いつの間にかはずされていた。監禁は夢だった? いやでも、課題も白紙だし……元々やっていないから、どうしたって白紙だった。
そこは夢を見たかった。
夢じゃなく、現実。だって後ろの扉は鎖で開かない。でも、窓は開くのだ。窓だけ。
誘われているような気もする。なにこれ、恐い……。
「わあっ――」
そんな不安も、窓の外を見て一瞬で吹き飛んだ。
見慣れた景色でも感動ってするもんなんだなあ……。透明度の高い海は、海底がここからでもよく見える。浜辺から階段を上がり、さらに坂を上った場所にお城があるため、目線が高い。
それでも、鮮やかな色の魚たちが群れで泳いでいるのがよく分かる。
遠目だからこそ綺麗なのかもしれない。
近くで見たらなにがなんやら……みたいなことも、遠くで見たら分かることもある。
貴重な景色の一枚だ。
これを見て、まだ部屋に閉じこもっているなんてこと、できる?
泳ぐことが生きがいのこの国の住民なのに!
――できるわけがない!
がまんの限界だったわたしは、思い立った瞬間に窓枠に足をかけていた。
太陽を掴むように手を伸ばす――と、その手首ががしっと強く掴まれた。
「いっ」と顔をしかめ、思わず引っ込める。
「ご、ごめんなさいごめんなさいッ! もう逃げないから勉強するからだからゆるし――」
「?」
間違いなくウスタだと思っていたら、
手を掴んでいた正体は、まったく知らない男の子だった。
金髪で、裸に半袖の上着を羽織り、短パンで。きょとんとしたその瞳がわたしを見つめる。そして、うーん、と迷った仕草をしてから、ぐいっとわたしを引っ張る。
頬と頬が触れるくらいの近さで、わたしと男の子は出会った。
なぜか男の子はわたしの名前を知っていた――当たり前か、これでもわたしはお姫様だ。たとえこの国の者でなくとも、一般常識的に知っているはずだ。おかしいことはなにもなかった。
「ニャオ、遊びにいこう!」
不思議なことばかりだったけど、なにも質問せず、言われるままにわたしはついていく。
正確に言えば、連れていかれた。
それはまるで、お姫様を救い出す、王子様のような手腕だった。
「ニャオ?」
「ごろにゃん」
と、恥ずかしさを誤魔化すためにそう言ったら、さらに恥ずかしいことになった。
手を繋がれて、最終的にはお姫様抱っこをされて(お姫様だけどされたことなどなかった!)、浜辺までやってきたわたしと男の子。
顔を覆うほど恥ずかしかったお姫様抱っこと二人だけの空間。それが今のごろにゃんで、全てを覆した。今のが一番、恥ずかしい。というか、寒い。暑いはずなのに、途轍もなく寒いよ!
「可愛い可愛い」
「お前の方が恥ずかしいわ!」
なぜ平然とそんなことを言えるんだこの男は!
ナンパか、これがナンパってやつだなー!?
「金髪で、チャラチャラしてる……ふんっ、そう簡単についていくわたしじゃないからね。安く見ないでよ」
「ついてきた結果が、ここなんじゃ……」
「…………」
む、無理やりだったし、わたしの意思はないから、ノーカウント!
「うん、分かったよ」
男の子が頷いた。
……ま、まあ、安い女って思われないなら、いいけど。
浜辺にはちらほらと観光客だったり、運動のため、日課のためなど、それぞれの理由できている人が数人いた。
広い浜辺に数人なら、スペースは全然あるし、ちょっと端にいけば、わたしたちの姿は見えなくなる。……これなら目立たないね。
この男の子に無理やり連れ出されたー、って言えば、脱獄を許してくれるかなあ……でも結局、課題、一ページどころか一文字も書いていないから、どうだろう。
やっぱり怒るんじゃないかなー。
ウスタのことだから、ぷんぷん、とはいかないだろうし。
暴力がありなら、次は武器を持ち出しそうで。洒落にならないよ……。
「気分、悪かったりする?」
男の子がそう聞いてくる。座り込んでしまったのが原因かも。
「ううん。気分は悪くないよ。……頭が悪いの」
「いきなり自虐されても……ニャオはどこも悪くないよ」
「だよね!」
人から言われると自信がつく。
うん、わたしはどこも悪くない!
悪いのは環境なんだから!
立ち上がって男の子を見る。見定める。足下から頭のてっぺんまで。ふーん、ふんふーん、イケメンだなあ。こんな子、この国にいたっけ? 一応、国民全員には会ってるつもりだけど、見たことないってことは、旅人なのかな。それとも、引っ越してきたとか?
「僕はリタ。えーと、そうだね。向こうからきた、んだけど……」
「向こう……?」
リタと名乗った男の子が指差す方向は、思い切り海だった。……大陸が存在しない方。世界に果てがあるのか分からないけど、リタが指を向ける場所は、まさにそれなのだ。
濃い霧によって見えない世界の向こう側からきた……なんて、もー、冗談でしょ?
リタは愛想笑いだった。……追及したらいけないのかな。
とにかく、まあ、話が広がりそうになかったので、それはいいや。
知りたいことは一つ。
「なんでわたしを連れ出したの? 目的はなに?」
姫なんてやってると、その立場を利用する人がいるから大忙し。全部に付き合っていられるほど、暇じゃないんだよね。
勉強しなくちゃいけないし。やっていないけども。全部もなにも、一つも付き合う気はないんだけども。
後を絶たないけど、大きく減ったのはウスタのおかげ。けれども、さすがに漏れる悪人はいるわけで、リタがそうだとは言わないけど、やっぱり理由は気になる。
わざわざ鎖を切ってまで、わたしを連れ出すなんて、なんとなく、じゃあ済まない。
優しいけど、これって拉致とも言えるんだから。
「いや、まあ、その、なんだろうね……」
はっきりしないなあ……。
男の子なら、ずばっと言ってくれればいいのに。
わたしはがまんができる方じゃないってことを教えてあげよう。
「じとー」
言うまでやめないからね。
「わ、分かったよ。言うよ。……ニャオと遊びたかった、からかな」
「え? なんだ、そんなこと? じゃあ遊ぼう遊ぼう!」
わたしは男の子の手を引っ張る。そういうことなら、警戒なんてしなくていい。
遊ぼ! とわたしを誘ってくる子はたくさんいるから、その中の一人ってことだもんね。
リタは一瞬、不満そうな顔をしたけど、すぐに笑顔になった。
……笑顔が可愛いな、男の子なのにね!
―― ――
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