【警告】―地下世界から出ないでください―その9
僕たちの姿に気づいた奇妙な仮面を被った人が顔を上げる。
背が低く体も小さい。老人だろうか?
彼が立ち上がろうとして、がくんと腰を落とす。年齢のせいか、それとも――。
足下には乾いた血があった。やっぱり、どこか怪我をしているのだろう。
手を差し伸べて手伝ってあげようと近づき……触れて驚いた。冷たい手だった。
握った手をぐいっと引っ張ると、からんっ、と仮面がはずれ、たぶん、触れた手に違和感を持った僕が一番、気づくのが遅かった。
「……え」
――助けたその人は、既に白骨化していた。
力なく倒れる白骨死体に繋がる細い糸を見つける。
辿れば僕の後ろへ繋がっており、やっと真相に気づくことができた。
……この白骨死体は操り人形であり、僕たちは、いや、僕はまんまと騙されたのだ。
迫る危険から、僕を横へ突き飛ばそうと手を伸ばすぺタルダ。
僕は糸を辿って振り向くが、なにもかもが遅過ぎた。
背中を見せた僕の大きな隙を狙って、勢い良く伸びた敵の腕が容赦なく体を貫く。
飛び散った血が僕の顔にかかり、
敵の砂の塊のような手が、気味悪く蠢く光景が目の前に広がる。
そして、ぺタルダがやっと間に合い、僕を突き飛ばす。地面を転がり、瞑った目を開ける。
……見える景色が変わっていてほしいと願ったけど、こんな世界で僕の願いなど叶うわけもなかった。
……叶うもなにも、僕の自業自得であり、相手の作戦勝ちであり、運の要素などどこにもない。地下世界から出て、僕たちはこうなる運命だったのかもしれない。
――そう思って諦められる現実では、決してない。
「や、めろ、よ……っ、マナさんから離れろッッッッ!」
マナさんの腹を突き破り、背中から手の平を突き出す、相手の伸びている腕。
僕の声に反応したのか、伸縮し、勢い良くマナさんの体から腕が抜き取られる。
かろうじて膝で立っているようなマナさんが、遂に倒れるところで僕の腕が間に合った。
抱き寄せるようにして支えてから見たマナさんは、意識が朦朧としていて、僕を見ているようで見ていない。まぶたは半分も閉じていて、口からは掠れた呼吸音が連続して聞こえる。
震える唇。僕になにかを伝えようとして、しかし声が出なくて何度も挑戦している。
その行為が自分の寿命を縮めているとも気づかずに。
「っ……かはっ、はぁ、はぁ……――」
荒い呼吸音。声が出ないと分かっていてもひたすら口を動かす。
口の動きが、一つの言葉を何度も何度も繰り返していた。
……ごめんね、ごめんね――と、何度も、それだけを。
「……ッ、もう、いいからっ、分かったからッ! いいから黙っててよッ!」
「アルッ! 叫ぶ前に体を動かしなさい! すぐそこにいるんだからッ!」
僕たちの前に立ったぺタルダの言う通り、
マナさんを突き刺した敵はすぐ目の前まで迫っていた。
少し離れた、割れた地面の隙間に隠れていたのだと糸を辿って分かる。
……罠を仕掛け、獲物を仕留めるなんて発想が、相手にあったなんて……。
動きが遅く、僕たちを見つけたら一目散に狙ってくるという単純な思考回路だからこそ、心の底でなめていた。だから、こんな結果を招くのだ。
姿はこれまで見てきた敵と同じ……、違いを見つける方が難しい。……しかし、相手の頭の裏……、そこに張り付いている円盤のようなものがちらっと見えた。――だが。
見えたそれを追究している時間はない。
「ぺタルダも逃げるんだ! 僕たちを逃がすための囮になるなんて言うな、絶対にッ!」
「でも、じゃあ二人して追われる羽目になるじゃないのっ!」
「僕たちには神通力がある! さっきまで見つかっていなかったんだ、今の状況から逃げるのは難しいかもしれないけど、見えたまま逃げるよりも数倍も生存率は上がるはずなんだッ!」
ぺタルダは一瞬考え、反論がなかったのだろう。僕の体を掴んで翼を広げた。
僕たち三人は浮き上がる。寸前で僕も神通力を使い、姿を消す。ほぼ同時に伸ばされた相手の鋭い指先が、僕の脇腹を掠った。切り傷ができたが、浅かったためにダメージは大きくない。
「アルッ!?」
「ッ――、ぐっ、だ、大丈夫、問題ない!」
それから、僕たちは一言も言葉を交わさず、ひたすら距離を稼ぐことだけを考え、
そして数十分後。
体力も考えずに飛び続けた結果、ぺタルダの翼が徐々に消えていった。
やがて高度を落とし、地面まで残り数センチまで迫ったところで……翼が消えた。
僕の神通力も、一緒に効力を失っているかもしれない。
高度が低いとは言っても、速度はそこそこ出ていた。
上手く着地できなければ当然、地面を転がることになる。
できるだけマナさんに衝撃を与えないよう、自分の体で包み、失敗した着地を誤魔化す。
マナさんの鼓動を体で感じ、まだ間に合うと自分に言い聞かせて……、
そこで、マナさんから、守るべきもう一人へ意識が向いた。
「…………ぺタルダ……?」
翼が消え、僕と同じように地面を転がったぺタルダが、無防備に地面に倒れていた。
危険に敏感に反応し、備えを怠らないぺタルダが静かであることに不穏な空気を感じる。
マナさんの今の状態を思うと、嫌な予感がする。
……恐る恐るぺタルダに近づき、彼女の頬に手を触れた。
「嘘、だよね……? ぺタルダ……、ねえ――?」
体をいくら揺らしても、声をかけても、ぺタルダは目を開けなかった。
触れた体には温かさがあり、心臓も無事に鼓動している。……最悪の状況は免れているが。
だからこそ、目を覚まさない今の状況が恐ろしい。
……どうして、目を覚まさないの……? 見える怪我は少ないはずなのに――。
多少の擦り傷はあれど、マナさんのように致命傷になりそうな怪我は負っていないし、多量の出血もない。ただ、まったく目を覚まさないだけなのだ。
「なんで……っ、なんでなんだよッ!」
「メンタルの使い過ぎなだけだよ。安心するといい、その子はいずれ目を覚ます」
突然の声に後ろを振り向けば、一人の男が立っていた。
ワンダさんとは真逆で、全身が真っ白の服装で覆われていた。
高身長で上から見下ろされる。たとえ味方だとしても、威圧されているような風格だった。
顔の上半分を覆っている機械のマスクが、電子音を鳴らす。男は、なるほど、と呟いた。
「近くで見れば、まだ幼いではないか。なぜ、君たちみたいな子供が地上世界にいるんだい?」
「あんたは、なんだ……誰なんだ……?」
「……? やけに疑うではないか。
そうか、もしかして――つい最近、誰かに騙されたことでもあるのかい?」
ついさっきの話だが。
相手は人ではなく、種族の敵ではあるが、確かに騙された。
だからというわけでもないけど、この男は風貌が怪し過ぎるから警戒しているだけだ。
僕の厳しい警戒の視線に、ふむ、と男は手を顎に添え、しかしすぐに、再び会話を始める。
意外だったのが、僕の警戒を解こうとはしなかったことだ。
「君が知りたいのは私が何者であるか、なのかな? 知りたいことは他にもあるのではないかな……、たとえば、さっきから君が考えている、そこに倒れている子の容態とかね」
「も、もしかして、ぺタルダの容態が、分かったり……?」
「ああ。もっと言えば、君が抱えるその女の子の怪我を治すことも、君たちの安全を保証することもできる。だがそれは、君が私への警戒を解くことで初めて明かせることであるし、もちろん、協力だってできる。
――だが、君が私を信頼できないのであれば、預けない方がいいな。
君自身が誰よりも後悔するだろう」
当たり前のことであった。
いくら不気味で得体が知れなくとも、この人も僕たちと同じだ。
逃亡者なのだ。
地上世界を徘徊するあの敵と同類とは思えない。
だから、こんな世界で敵意を向けてくる相手のお世話をしようだなんて思わないだろう。
この人は厚意で僕に声をかけてくれた。
だったら、僕はその厚意を無下にするべきではない。
この世界で生き残るためには。
あの生物を倒すためには――、生き残っている人と信頼し合わなければならない。
「……疑って、ごめんなさい」
「いや、気にしないでいい。君の年齢でその警戒心は褒められたものだよ」
そして、機械のマスクをつけた男は、僕へ手を差し伸べる。
「良かったら、私たちの地下世界へこないかい? 歓迎するよ――えっと」
「アルブルです」
「アルブルくん。どうする? くるかい?」
選択肢などないようなものだったが、僕は僕の意思で、仕方なくではなく、この人がいる地下世界へ行ってみたいと、心の底から思ったのだ。
だから。
「――よろしく、お願いします」
僕は、伸ばされた手を力強く握り締めた。
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