【警告】―地下世界から出ないでください―その7
急いで迂回し、崩れた土砂を盾にしてやり過ごす。
矢の雨は数十秒、自滅音を繰り返した。
一度でも突っ込めば、再び動き出すまで少しの時間がかかるため、二回目に突っ込んでくる個体はいないだろう。だからこそ音の長さがそのまま数の判断にもなる。
「……もう、こんなに……っ!」
「音が、止んだ……? っ、今よ、アル!」
未だに離していない握り締めた手のまま、二人で直進し、先へ進むための崩れた道を目指す。
が――、ゾッとして、僕は思わず振り向いた。
……残っていた一体。
音が止んだ後、僕たちが動き出すのを待っていた一体が、腕を伸ばし、自分を弾にして、まるでスリングショットの弾のように、撃ち出される準備していた。
燭台を土砂に突き立て、僕たちを照らす。
絶対にはずさない、とでも言いたげな真っ直ぐな威圧——。
その一体は、なんだか他の個体とは違う気がした。
そして、僕の意識が飛ぶ。
気が付けば両手が投げ出されていた。
――繋いでいた手は離れている。隣にあったはずの重さが感じられなかった。
感覚がやがて戻り、体の痛みによれば、敵の突撃は直撃しなかったらしい。
近くの地面に突っ込んだ相手の余波によって、僕とぺタルダは吹き飛ばされたのだろう。
瓦礫をクッションにしたおかげで、吹き飛ばされても大怪我はしなかったのだ。
あるのは肩の痛みだけだ。片方の手で肩を押さえながら、立ち上がる。
――ぺタルダは……、――あ。
無事だ。目を瞑ってぐったりと意識がないようだけど、抱きかかえられている。
ワンダさんの、腕の中だ。
そして僕も抱き着かれた。柔らかさと、温かさを感じて、布団の中に潜るような安心感だ。
「アルも、ぺタルダも、本当に無事で良かったぁ……! 二人とも勝手にこんなところまできて、約束も破って、本当に……ッ! 帰ったらきっつーく、お仕置きだからね……っ!」
匂いも、声も、言葉も、全部が安心できる。
張っていた緊張が、ふっと解けて、
今までしたこともないくらいに強く、マナさんを抱き返した。
だけど涙は流さなかった。
強くなるために、まずはそこから始めようと思ったのだ。
「マナさん、ごめんなさい……っ」
「うん、うん……とにかく、無事で良かった……っ」
ぎゅうっと抱き着かれたのを最後に、マナさんは僕を離す。
痛みを感じて押さえていた肩に気づき、マナさんが僕の肩をぐいっと引っ張った。
「いッ」
「がまん!
……これは、打撲ね。脱臼もしてなさそうだし……ここよりも擦り傷の方が酷いね」
マナさんが、千切った包帯を傷口に巻いてくれた。消耗品ではあるけど、食糧とは違って包帯の減りは遅いため、今になっても残っている道具だ。
じんじんと煩わしかった傷口の痛みが引いたような気がした。消毒もしていない、ただ外気に触れないようにしただけだが、かなり違う。
だいぶ、動きやすさを感じるようになった。
「どう?」
「すごい、楽になった――」
でしょっ、と両手をぱんっと鳴らし、嬉しそうな笑顔を見せるマナさん。
敵に囲まれていることも忘れ、自然と笑みがこぼれてしまう。
「――マナ、そっちの手、あいてるか?」
「大丈夫だよ。ぺタルダなら私に任せて」
ワンダさんが、視線をマナさんには向けず、抱きかかえるぺタルダをマナさんに渡す。
マナさんは逆に、ワンダさんとぺタルダにしか視線を向けていない。
同じようにぺタルダを抱えたマナさんは、僕のところへ戻ってくる。崩れた土砂の前、ワンダさんを一人、残して。
僕たち三人は、上へ行くための足場の悪い崩れた道にいる。
地上世界がそろそろ近いのか、風がよく通り、微かな明るさも奥の方に見える。
「ぺタルダ……っ」
「心配いらねえさ、眠ってるだけだろ。俺が助けたんだ、直撃してねえってのは分かる。
……命を助けることを優先したからな……突き飛ばして悪かったな、アル」
「それは、別に……。ワンダさんのおかげでこうして助かったのなら――」
「おっ、なんだよ。少し見ない内にお前、一皮剥けたのか?」
想定外の言葉に、僕はなんて返せばいいのか分からなかった。
ワンダさんと別れて、一晩と少し経っただけだ。
短くはないけど長くもない時間だけで、一皮剥けるほど変わるわけがないのに。
「本人に自覚はないもんなんだぜ。こっちが勝手にそう思うだけだ。
だとしても、大きい違いだってのは分かるだろ。なあ、マナ?」
「ん? ええっと、そうかなー?」
僕を見て、小首を傾げるマナさんに、ワンダさんが大きな溜息を吐いた。
「……気づかないもんかねえ。こういうところはマナの方が鈍感か」
馬鹿にされたのかもっ、と気づいてしまったマナさんは頬を膨らませるが、ぺタルダを抱えているために動くこともできなかった。
「俺は分かるんだよ。だってよ、お前、俺がぺタルダを助けてちょっとむっとしただろ」
「え、いや――」
「いいんだよそれで。自分の仕事を取るなよって、そう文句がある顔だったぜ」
……自覚は、なかった。
言われて気づいた。守られてばかりだったから、今度こそは僕が助ける番だと心の底で意識していた。だからぺタルダと手を繋いでいたあの時は、僕にとってはチャンスだった。
……結果的に、僕は意識を落としてしまい、ぺタルダもワンダさんがいなければ助けることができなかったわけで……。
自分の無力さに腹が立つ。
「それでいいんだぜ、アル。お前はやっと、一歩を踏み出した。守られてばかりで、いざとなったら女を盾にして逃げ出す最低な男じゃねえよ。
男ってのは女を守るためにいる。女ってのは、男を世話するためにいる。女は守られて、男は守る使命を持ってんだよ。そういう風にできてんだ」
「真に受けないように。間違ってはいないけど、全部が全部、合ってるわけじゃないからね」
マナさんの訂正に、しかしワンダさんは言い返さなかった。
「お前の思う通りに生きりゃあいいんだよ。ただ俺は、こういう使命を抱えてこれまで生きてきたっつう話だからな。男は自分に自信を持て。俯くな、後ろを向くな。そして、自分で思った自分の非は認めろ。……だから、つまりだな、あの時は言い過ぎた……悪かった」
ワンダさんの発言に、僕とマナさんは目を丸くして驚いた。
「ワンダくんが、自分から謝るなんて……っ。地下世界がひっくり返るんじゃ……」
「近いことはもう起こってんだよ。俺だってなあ、謝ることくらいあるっつうの」
「ないでしょっ。いつもいつも、俺は悪くないって言って逃げるくせに!」
「それは俺が悪くないからだろうが。……でも、今回は俺が悪い。自身でそう思っちまえば、気持ちの悪い感覚が残り続ける。それを持ち続けるのは体に悪いんだ。だから吐き出した」
お前は成長してるし、これからもするはずだ――ワンダさんのその言葉は、僕の支えになる。
「僕、は……、――僕はワンダさんみたいに、強くて格好良い男になりたいッ!」
「お前次第だな。なれるとも無理だとも俺は言わねえ、なにも教えねえ。俺の背中をこれまで見てきただろ、そこから学ぶこともあっただろ。思い出せ、感じろ。そして自分の中で新たに組み上げろ、お前が思う最高の男ってヤツに、信念を抱いて、なってみせろ」
ワンダさんは手の平サイズの瓦礫の欠片を拾い上げ、土砂崩れが起こった壁に目がけて投擲した。ワンダさんは力持ちのオーガ族であり、たとえ全力の力を封じられていても、ただの筋力を使い、石ころを投げただけで再び壁を崩すくらいの威力を発揮できる。
一度崩れた壁だからこそ良かった。
あらかじめ入っていた亀裂に当てることで、既に弱くなっていた支えを壊した。支えを失った瓦礫が崩れて、さらに大きな土砂崩れとなって地面を覆い隠す。
ゆったりと動いていた敵のほとんどを飲み込んだ。
しかし、巻き込まれなかった敵はまだいるし、飲み込まれた敵もやがてもがき、土砂から顔を出すだろう。何度も壁を崩して土砂で埋めても、この敵を倒せるとは思えなかった。
「マナ――は、無理か。アル、落とすなよ」
放物線を描くように投げ渡されたのは、ガラス製の細い筒だった。
中には、キラキラと輝く桃色の液体が、一口分くらい入っている。
「『メンタル』と呼ばれる俺たち種族の力の源だ。地上世界のスポットと呼ばれる場所に溜まる傾向があるんだがな、もう地上世界にもほとんど存在しない、貴重な一口だぜ?」
「なんで、それを僕に……っ」
「必要だからだ」
すると、マナさんが僕へ、助け船を出してくれた。
「ワンダくん、さすがに荷が重いと思う。私が飲んで――」
「お前の力でなにができる。ヤツらにお前の力が通じると思うのか? それに、あいつらを倒すわけじゃねえんだ。お前らは逃げ延びることが優先事項だろ。――別の地下世界へ逃げ込め。それまでの手段でしかねえんだよ。だから、アルが適任なんだ」
そしてぺタルダもな、という声に、目を閉じていたぺタルダが意識を回復させる。
「いつからか、狸寝入りしやがって。……聞いてただろ、協力しろ」
「なによその傲慢な考え。……いいわ、アルのためになるのなら」
「お前らのためだ。当然、マナのためでもある」
「はいはい、付け足さなくても分かってるから。……ワンダくん、大丈夫よね?」
「なにがだよ」
「ワンダくんはここに残るでしょ? 私たちが逃げる時間を稼ぐために……足止めで」
ちっ、という舌打ちが聞こえた。
ぺタルダがワンダさんを睨みつけていた。
「どうして、そういう勝手なことばかり……ッ」
「なんだよ、俺の心配か? 反抗期、真っ最中のお前は俺のことなんか死ねばいいと思ってるもんだと思っていたんだけどな……」
「いけ好かないヤツ、とは思っているわよ。でも……家族でしょ。
自殺志願者をこのまま残して、前に進めるわけないじゃないッ!」
「誰が自殺志願者だ。しかも俺が負ける前提で話してんじゃねえよ、ぶっ飛ばすぞ」
ワンダさんは強い言葉を使うが、口角が上がり、イタズラ好きな少年のような笑みだった。
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