第248話 正当な評価
今回は少し、小難しい話しをする?
人と言う生き物は、評価が好きで有る!?
学校の成績、スポーツテスト、更には身長や胸の大きさまで競う!?
これは少しでも自分(私)を、有利に見せたい・したいからの競争原理から来ている。
だからこそ、優秀な成績を収めるために学習塾に通ったり、スポーツチームに所属して、身体を鍛錬しようとする。
この様な評価の世界なら、努力こそが実を結ぶが……この評価の世界は学校世界が中心となる。
☆
面白い・面白くないのの、二者択一評価をする時も有るが、殆どの場合は全体を見て評価する。
人は評価を付けられるのは嫌で有るが、評価を付けるのは好きで有る!?
人の性格から始まり、飲食店や家電製品(メーカー)まで、人は知らない内に評価を付けている。
良い評価を付けた飲食店や家電製品なら、その人はリピーターに成るだろう。
この時問題なのは、果たしてその付けた評価が、正当な評価で有るかで有る!?
人は心を持っている。その心が……
『この人は気に入っている人だから、甘めに見て上げよう!』とか『彼奴はムカつく奴だから……評価は最低で良い!!』と、感情で評価付けている時が実際有る。
更には『○○さんはキックバックをしてくれるから、いまいちの製品でもこの製品を採用するか!』と……評価以前の行為が、平然と行われている恐れが有る!!!
人が付ける評価は所詮……正当な評価とは言い切れない!///
人が感情を持っている限り、正当な評価を人は付けることが出来ない。
☆
例え話で有るが、A社の車が大好きなAさんに、B社の車を勧めても、Aさんは先ず心を動かさない。
B社の方がA社より、優れていたとしてもだ。
この時のAさんは車の性能より、A社全体を見て評価しているか、A社の営業と深い関わりが有るから、その人との関係を崩したく無い所から来ている……
殆どの人が、前者より後者に当るだろう。
もし、これが正当な評価が出来るなら、AさんはB社の車を買うはずで有るが、実際はそんなこと起きない。
人は最後、感情に支配されているからで有る。
義理や情けで、自己評価基準を勝手に変えてしまう!!///
良く、客観的評価と耳にするが、この評価も怪しい物だ。
この評価だと中身を見ずに、上辺だけで評価している時が多いからだ。
☆
真の評価を求めるならAI評価と言いたいが、これも細工が出来てしまうから(!?)、真の評価とは言えない……
どうやったら……正当な評価は出来るのだろうか?
鶴の一声で、駄作が名作に変わるし、逆も起こる。
これが……人間社会で有る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます